狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

語るに落ちた左翼の首魁

2008-01-24 06:58:22 | ★集団自決

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沖縄タイムス 2008年1月23日(水) 夕刊 5面  
 
書き直し調査官が「強制」/教科書会社、4度申請

 【東京】作家・大江健三郎さんらを被告とする沖縄戦「集団自決(強制集団死)」訴訟で被告側を支援する首都圏、大阪、沖縄の三団体は二十二日夜、教科書検定意見撤回を求める集会を都内で開いた。訂正申請が承認されるまでの経緯を報告した教科書執筆者は、「集団自決」への日本軍の命令を記述した証言史料の書き直しを文部科学省の調査官に「誘導・強制」され、教科書会社が合計四回の再申請を余儀なくされたと強調。「軍命が存在しないという記述を調査官サイドに書かされた」と強く批判した。
 集会には執筆者や学識者、教育関係者ら約百五十人が参加。検定意見の撤回と記述の完全な回復、三月に判決が言い渡される「集団自決」訴訟の支援を継続する方針で一致した。

 執筆者で都立高校教員の坂本昇さんは、軍命の証言を引用した当初の訂正申請記述が、十一月下旬に調査官から「伝聞の形であっても高校生には確定した事実と受け取られる恐れがある」と指摘されたことを説明。「調査官は『直せ』とは命令しなかったが、再訂正を誘導・強制した」と指摘した。

 日本軍の戦争責任に詳しい関東学院大学の林博史教授は「現場の兵士が勝手に手榴弾を配ったという意見もあるが、警察でも軍でも不祥事があれば組織の体質やトップの責任が問われるのは常識。軍の強制は一番大事なポイントだ」と強調。日本軍の強制を認めなかった訂正申請の内容が不十分だと訴えた。                                        

                    ◇
 

ここで述べたいのは、教科書執筆者の愚痴についてでもなければ、被告側を支援する首都圏、大阪、沖縄の三団体の論理なき主張に対する反論でもない。

「軍命あり派」の理論的首魁ともいえる林博史関東学院大学教授が述べた次の一言についてである。

刀折れ矢尽きた敗軍の将はヤケクソになって、支離滅裂なことを言い出した。

「現場の兵士が勝手に手榴弾を配ったという意見もあるが、警察でも軍でも不祥事があれば組織の体質やトップの責任が問われるのは常識軍の強制は一番大事なポイントだ」

平常時の警察の不祥事と戦時中の軍の「不祥事」を同列に語る愚さは、とても歴史の専門家とも思えないが、これは敢て無視しよう。

確かに警察官が不用意に拳銃を民間人に渡すのは警察の不祥事だが、その拳銃で民間人が死亡したら、「警察の強制(命令)」で死亡したことになるのか。

その警察官は勿論同時に警察のトップもその責任が問われるのは当然だとしても、

「警察の強制(命令)」で死んだと記録に留めるべきだろうか。

これがメチャクチャなこじ付けであることは小学生でもわかることだ。

軍の命令や強制という客観的証拠が無い以上、手りゅう弾の存在だけを根拠に「軍の強制(命令)」だと教科書記載を迫るのは、

拳銃で死んだ民間人を「警察の強制(命令)」で死んだと公式記録に書けと迫るのと同じ理屈ではないか。

同じ「集団自決」でも軍隊が居なかった読谷村のチビチリガマの例では自決用の少ない毒薬を奪い合って、手に入らなかった住民は残念がっていたという。

米軍上陸の恐怖にパニック状態になった住民にとって手りゅう弾は毒薬と同じ「ありがたい品」(貴重品)ではなかったのか。

その手りゅう弾が住民の手に在ったからといって、軍の強制(命令)とこじつけるのは論理の飛躍、いや論理の破綻でしかない。

ついでだから他の例も挙げよう。

花火会社の従業員から花火を貰ってそれで爆死したら、「花火会社の強制(命令)」で死んだといえるか。

もう一つおまけに薬品会社の例を挙げよう。

薬品の注意書きが小さくて読みにくく、飲んではいけない人が飲んで死亡した場合はどうなるか。

読みづらい注意書きで、薬品会社の責任は問われても「薬品会社の強制(命令)」で死亡したとはいえないだろう。

語るに落ちたぞ、林教授。

                     ◆
 
以下再掲であす。

■林教授と宮城晴美氏の同一性■

「軍命あり派」の首魁・林博史国学院大学教授の「軍命あり論」と、

「集団自決裁判」の被告側証人・宮城晴美氏の証言は奇妙に二重写しになる。

両者とも「軍命あり派」のリーダーであるから、その論旨が似てくるのは当然としても、

自著の記述がこともあろうか反対論者の証拠となるとこまで似ているとなるとは驚きだ。

林教授の「軍命みなし論」は安仁屋沖国大教授の「合囲地境論」の二番煎じだと述べたが、宮城晴美氏は沖国大時代の安仁屋教授の教え子だというから言っていることが金太郎飴のように似てくるのも肯ける。

両者とも自著で「戦隊長の命令はなかった」と書いているが、その弁解にまで同一性があるとは。

林教授:
「『自決しろ』という命令がなかったからといって、強制があったということを否定する理由にはならない」。

◆宮城氏:
「母が言及している時間帯における梅澤隊長の命令が無かったとしても、以外の時間で梅澤さんの命令があったかも知れず、梅澤さんの責任はあると思うし、そもそも軍としての命令はあったと思う」

両者の弁明はいずれも非論理的でこれで納得する人がいるとは思えない代物である。

2006年教科書検定において、文科省は沖縄の「集団自決」での軍命について、林教授の著書『沖縄戦と民衆』での「・・・なお赤松隊長から自決せよという自決命令は出されていないと考えられる」という1行の記述を軍命がなかった事の根拠の一つに採用したといわれている。

 しかし林教授は、渡嘉敷島の集団自決についても軍命はなくとも、「本の結論では、集団自決は日本軍の強制と誘導によっておこったんだと何度も強調しているのに、それを無視してある一文だけを取り上げるのは、まさに詐欺としか言いようがない」と主張している

一方、宮城晴美氏も同じように自著『母の遺したもの』が誤解されていると主張している。

 宮城晴美さん講演<自著「誤解されている」>  

「集団自決」軍命 訴え継続を強調

宮城さんは「役場職員をしていた母は、助役、学校長、収入役、伝令と五人で梅沢隊長のところへ行った。 助役が『これから住民を玉砕させるので爆弾を下さい』と言ったら(隊長は)しばらく考えて『一応帰ってくれ』と言った。 母の目の前では帰ってくれ言ったけど、実際に助役は家族の所に行って『隊長から命令がきた、これから死ぬよ』と述べた。(略)(琉球新報 2007年6月24日)

両者共に自著では「軍命はなかった」と記述しておきながらそれでも軍の強制だったと強弁している。

これは当初は『鉄の暴風』を鵜呑みにした「軍命あり派」が、その後の検証により「軍命令の存在」を確認出来ないとわかり、

「軍命はあった」⇒「軍命の有無は問題で無い」⇒「軍の存在が問題だ」⇒「軍命令がなくとも強制はあった」。

・・・と「軍命みなし論」に変化して行った典型的な例である。

                  ◆

昨日の「新判 母の遺したもの」のエントリでは纏まりのないままアップしてしまい、

引用文が多すぎて容量一杯で宮城晴美氏のエントリにリンクが張れなかったれなかったので改めて下記にリンクした。

 

「集団自決」の証言者  宮城晴美さん講演

「母の遺したもの」  宮城初江氏の証言

母は軍命令がなかったと証言したために、島で攻撃を受けた。

「集団自決」 大阪地裁の証人尋問

「母の遺言」を書き変える娘 揺れ動く「証言」

集団自決 作家達の証言

自著を否定する宮城晴美氏  証言者の葛藤

証言者宮城晴美氏の苦悩


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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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いいがかり (ヒロシ)
2008-01-24 13:07:08
「軍命令あったはずだ」派はもうめちゃくちゃですよね。
宗教と一緒になっていいるみたいで、「唯一」になっていますから。
「最後の一葉」みたいに軍命令がなかった事を認めると死んでしまうのかもしれません。
「責任を押し付けられた人の苦しみ」を思えば金城某氏が行っている事はキリストの教えに背いているのではないでしょうか。
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Unknown (狼魔人)
2008-01-25 09:29:14
ヒロシさん

昨夜は折角お会いできたのにあまり話すことが出来ず残念でした。

次の機会にはゆっくり語りたいですね。
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