狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

証言者宮城晴美氏の苦悩

2007-10-31 06:03:28 | ★集団自決

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宮城晴美(2000)『母の遺言』高文研より

1945年3月25日、三日前から続いた空襲に代わって、座間味島は艦砲射撃された。方々で火の手があがり、住民は壕の中に穏れ、おびえていた。夜おそく「住民は忠魂碑の前に集まれ」という伝令の声が届いた。伝令が各壕を回る前に、母はこの伝令を含めた島の有力者四人とともに、梅澤隊長に面会している、有力著の一人から一緒に来るように言われ、四人についていった。

有力者の一人が梅澤隊長に申し入れたことは、「もはや最期のときがきた。若者たちは軍に協力させ、老人と子どもたちは軍の足手まといにならぬよう忠魂碑の前で玉砕させたい」という内容であった。母は息も詰まらんぱかりのショックを受けた。

いつ上陸してくるか知れない米軍を前に、梅澤隊長は住民どころの騒ぎではなかった。隊長に「玉砕」の申し入れを断られた五人は、そのまま壕に引き返したが、女子青年団長であった母は、どうせ助からないのだから、死ぬ前に仲間たちと軍の弾薬は運びの手伝いをしようと、有力者たちとは別行動をとることになった。その直後、一緒に行った伝令が各壕を回って「忠魂碑前に集まるよう」呼びかけたのである。

伝令の声を聞いたほとんどの住民が、具体的に「自決」とか「玉砕」という言葉を聞いていない。 「忠魂碑」の名が出たことが、住民たちを「玉砕思想」へと導いたようだ。海を一面に見下ろせる場所に建てられた忠魂碑は紀元2600年(1940年=神武天皇即位以来2600年にあたる)を記念して、座間味村の在郷軍人会、青年団によって1942年に建立されたものである。

太平洋戦争の開戦日(1941年12月8日)を記念して毎月八日に行れれた「大詔奉戴日(たいしようほうたいび)」の座間味島での儀式の場所であった。これは住民の戦意高揚をはかるのが目的で、儀式の内容は、宮城遥拝「君が代」「海ゆかば」斉唱、村の有力者や在郷軍人会による、戦勝にむけての訓話などであった。

この忠魂碑に集まれというのだから、住民としては「自決」ど結びつけざるをえなかった。結果的には、住民は激しい艦砲射撃のため、忠魂碑に集まることができず、それぞれの壕で一夜を明かしたものの、
翌日、上陸した米軍を見て住民がパニックを起こして家族同士の殺し合いが始まったのである。

住民の集団自決は「生きで捕虜になるよりは、死んだほうがいい」という戦陣訓と、「敵につかまると女は強姦され、男は八つ裂きにして殺される」という皇民化教育や在郷軍人会の教えによるものであった。

 

母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言
宮城 晴美
高文研

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                     ◇

この文章の何処を読んでも梅沢隊長が住民に「自決せよ」と命令した事は読み取れない。

『母の遺したもの』はここに登場する母初枝氏が書き残していたノートをもとに、戦後生まれの娘晴美氏が独自の取材も含めて著した本である。

この本を著すにあたり晴美氏は、「人生の師」である作家、澤地久枝さんに相談をしており、原稿に三度も目を通してアドバイスを受けていた。

澤地氏は本のタイトルまで付けてくれたという。

晴美氏は澤地氏のアドバイスを次のように記している。

 <澤地さんからは、言葉の使い方をはじめとして「証言」を鵜呑みにせずに事実を確認すること、一つの事象を記述するのに、どんなに些細なことでもそれに関連するあらゆるできごとをびっしりおさえることなど、多くのことを学びました>

『母が遺したもの』は宮城氏が母の証言を決め手として、ようやく書き上げた氏のライフワークともいえるものだった。

同書を書いた心構えを「座間味島の“戦争”を語りつづけ、“真実”を証言した母の勇気をムダにはしたくないという思いから原稿を書きはじめた」という一節が物語っている。

その母の遺言ともいえる『母の遺したもの』を法廷の証言台でいとも簡単に否定できるものだろうか。

証言に対する周囲の圧力に関しては彼女は、

沖縄タイムスの特集[座談会・戦争と記憶―戦後60年](5)集団自決で次のように語っている。

 宮城 隊長の命令がなかったと証言したために、母は島で攻撃を受けた。それから母はすごく落ち込んで、結局はがんで亡くなってしまうが。母は歴史を曲げてきたという思いがあって隊長が生きている間に、きちんとしたいという思いがあった。

 私は、隊長の命令はなかったと書いたが、その本には当時島がどういう状態であったかも具体的に書いてある。それを読めば、読者は、島の人たちが勝手に死んでいったとは思わないはず。「玉砕するから集まれ」と各壕を回る伝令の役場職員がいて、彼が来たことで、島の人は隊長命令だと思った。それまで陣地を構築するとか、食糧増産など島の人を集めるときはその伝令が来たから。激しい砲弾の中で伝令が来たことは、隊長の命令だと島人に理解された。しかし、命令があったかどうかというより、皇民化教育は国のためには「死」を惜しまないことを教えており、「集団自決」は敵を目前にした住民の必然的な行為だった、つまり国家によって殺されたといえる。

 命令しなかったという隊長はそれじゃ許されるのかというと、そうではない。彼の戦後の生き方が問題だ。自分の身の“潔白”を証明しようと、手段を選ばず、えげつない方法をとってきた。

 

自著に綴られた母の真実の声を「誤解された」「悪用された」の一言で簡単に否定した宮城晴美氏の苦悩を,

裁判を傍聴・取材したジャーナリストの鴨野守氏は、裁判の直前になって突然証言を翻した晴美氏の心境の変化について、次のように描写している。

  そんな母の勇気と、自らの長年の努力を、たった一人の証言で捨ててよいのか。今、明らかになっている陳述書などによれば、宮平春子さんは今年四月二十日、二十一日に座間味島で被告の秋山幹男弁護士に、当時の内容を証言し、五月十日付でその陳述書にサインをしている。

 普通なら、被告側の新しい情報や陳述書の中身を即座に細かく報道してきた沖縄タイムスが、この時ばかりは報道を控えている。タイムスが春子証言を大々的に扱ったのは七月に入ってからだ。その間に、宮城晴美氏が六月二十四日に春子さんに取材して、六月二十七日付で陳述書を提出している。

 被告側と宮城晴美氏、さらに地元関係者を巻き込み、春子証言を「決定的証言」に仕立て上げようというストーリーを作ったのは果たして誰なのか。

 宮城晴美氏は、母の遺言とも言えるノート、自身の著書の中心的な記述、そして人生の師さえも今回の証言で捨てたと原告側はみている。では、それと引き換えに宮城氏は何を獲得できたであろうか。

 彼女は今、著書を書き直す途中だというが、その内幕を書いた「本当の証言」を読んでみたい。(世界日報「宮城晴美氏の苦悩(4)-母の勇気も、人生の師も捨てて」)

母初枝氏が真実を語ろうとして周囲から受けたバッシングを、

<母の遺したもの>を伝えようとした娘の晴美氏も同じバッシングを受けそれに押しつぶされたのか。

親子に二代にわたって「不都合な真実」と「本当の真実」の狭間で葛藤する晴美氏の改訂版『母の遺したもの』には一体どのような真実が綴られているのか。

不謹慎ながら興味は尽きない。

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5 コメント

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沖縄の自決関係者の悲劇 (Kankyo Fuzen)
2007-10-31 10:09:13
 先生の詳しい調査に感銘しました。
 私は、別のブログ「論壇目安箱」に「沖縄ノート」のために自決関係者が追い詰められていくのではないか、左翼連中はそれを止めろと書いたがどなたからも反論は出てこない。宮城春海氏の恩師は琉球大の左系教授だそうです。戦争の悲劇の中で起こった最大の悲劇に遭遇した人たちは、軍命令ありきでなければ生きていけなかったと思います。大江健三郎氏に真実を語る最後の機会だぞ、そして当事者達の迷いを救いなさい。と言いたいのです。
Unknown (Mika)
2007-11-01 17:10:07
母子で、「同じ二重の苦難」を
受けてこられたのかも知れないですね。

無理を通さねばならず、
道理を、やむなく捨てざるを得なかった、母と娘。

苦悩は、人の窺い知る事の出来ない
深い過酷なものでしょう。

晴美さんも、言うに言えぬ「苦悩」を
抱えて生きているのかも知れませんね・・・
Unknown (狼魔人)
2007-11-04 07:58:49
Kankyo Fuzenさん

コメントありがとうございます。

「証言」は常に真実を伝えない、証言者が背負う背景を考えないと真実は見えてこないと思います。

その点「集団自決」は親子、兄弟、遺族年金、当時の村の役職等、複雑な要素が絡んで問題の理解を困難にしています。


Mikaさん

>母子で、「同じ二重の苦難」を・・

まさにその通りです。

ここでは「親の因果が子に・・・」という言葉は使いたくないですけど・・・。
 (ヒロシ)
2007-11-06 14:24:24
この小林よしのり、の
<そもそも「軍命」があったからこそ親が子を殺したとかとか、家族が殺しあったなどと
いう話は、死者に対する冒涜である。 そんな「軍命」が非道と思うなら、親は子を抱い
て逃げればいいではないか! 自ら子供殺すよりは、「軍命」に背いて軍に殺される方が
ましではないか!>

という漫画の中の主張は大変面白い、
一見まとも、しかも今の子どもの心理を捉えている。
軍命があったから自分の子どもを殺すなんてありえない、自分で勝手に思い詰めてやったのだ!
 そうだ!そうだ!と言いたいのだろう

しかし、これは完全な間違いである。当時軍命には逆らえない、戦闘開始前なら労働奉仕や食料
供出など嫌だとは言えない。
そして戦闘が開始されたら、それこそ実力行使、軍命に従わないなら、殺す!、になっており
実際そうして殺された例も数多い。

結局この時点で、軍命には逆らえない、かといって逃げる場所もない、アメリカは怖い、
・・・どうせ殺される、であれば自分の子は、自分の家族は自分で、殺す事が出来る精一杯のことだ。
それが当時の親の心理であり、家長の心理である。
何せ、死ぬという以外の選択肢はないのである!

小林よしのりが個人的な感想をいくら書いても自由だが、それが真実ではないのは
多くの体験者の証言と研究者の見解が明らかにしている。

2chの馬鹿は小林よしのりが好きだろうが、説得力のない物、はいくら売れてもないのである
命令に逆らえないなら (ヒロシ(同じHN))
2007-11-07 15:23:51
>ヒロシさんへ
同じHNで申し訳ありません。

命令に逆らえないというのは本当に命令があった場合ですよね。

現に生き残りである金城重明氏は存命されています。
子供の泣き声で自決を止めたという話もご存知だと思います。
本当に命令があったのでしょうか?

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