台湾で生まれた筆者は、台湾から与那国、石垣市と島伝に父の生まれ故郷である福岡県に行途中、米軍の輸送船LSTの輸送日程を待つ間の空白である。
その間父は「ヤミ船」で一旦国境の福岡に渡ったが「とても商売が出来る場所」ではないと判断し、物資の豊富な沖縄で仕事をする決意をした。
日本では戦後食糧不足で、餓死する人の話を良く聞いたが、豊富な食糧物資が市場に溢れていた沖縄では、「ヤミ船」「戦果」を挙げるが、これに代替した。
時々父が米軍の配給で、リュック一杯の缶詰を持ち帰ることがあった。これはトマトの缶詰であった。ところが、沖縄には「トマトジュース」を飲む習慣がなくい。したがってトマトジュースは人間の血液という噂がまん延し、トマトジュースを廃棄する者が多かった。また炭酸の強いコカ・コーラ炭酸に中毒になる人もいた。
さて夏休み中、友人たちが二学期に出席しているあいだ。筆者は何をして暇ししていたか・マトジュース、コカ・コーラの他に大きな下水道伝に海岸に出て、海老やカニを取るのが趣味であった。
しかし大きな水道管は石垣市の生活用水が紛れ込んでいた。近所の内科医にそうだんしたらどうやら破傷風のに罹患したらしい。
症状は高熱が出て、一晩中痙攣が起きて、そのまま放置したら痙攣で舌を食いちぎって窒息の恐れもあると、医者の見立て。
そこで登場したが、米軍支給のペニシリン。
最終的には米軍支給の
➀ペニシリン、トマトジュース、コカ・コーラで命を救われ、米軍のlstで沖縄本島に着いたときは通信簿が空白だったという次第。
ちなみに石垣市の市役所が火事になり、水浸しのレーズンが放置されいたのも我が家の食料となり、炭酸水といえば、サイダー水とラムネくらいで、炭酸の強力なコカ・コーラなど人間の呑むものではないと放棄されていた
つまり筆者は石垣島で(ペニシリン、トマトジュース、レーズン、コカ・コーラなどに良い命を救われた。
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