狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

仲井真元県知事、沖縄を売った男?恩を仇で返した沖縄県民、「良い正月」で落選した仲井眞元知事

2023-09-06 16:58:23 | 政治

 

 

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いまネットで全国の注目を浴びている本来地味であるはずのネット中継がある。当日記でも同中継のあまりの面白さに解説抜きで連続で取り上げてきた。

広島県安芸高田市議会の石丸市長対市議会議員のバトル「仁義なき戦い」のネット中継のことだが、まるで映画を見る様な面白さだ。

このバトルがとくに面白いのは石丸市長の弁舌力だ。 さらにバトルに興味を加えるのは居眠り不勉強などで自ら役目放棄した市議会議員と、彼らを全面的に支援して偏向報道の極みを行く地方紙・中国新聞の目に余るウソ報道だ。

まるで沖縄における県議会と沖縄二紙の偏向報道を彷彿とさせるものがある。

最近も辺野古移設に絡む最高裁判決に異議を唱えるデニー県知事の今後の対応を「行政官として受け入れるか」「政治家として法的対応をするか」という意味の記事を見た。

行政の長として承認か、政治家として不承認か 玉城・沖縄県知事の判断が焦点に 新基地巡る訴訟で県の敗訴確定

さらに地方自治を分かり難くしているのは、市議会議員が二元代表制を含む地方自治法の無知な現状だ。 これが議論を混乱させている。

自治体の二元代表制とは?

地方自治体では、首長(市長)と議会議員はともに直接選挙で選ぶ制度をとってい る。 これを二元代表制と言う。 二元代表制の特徴は、相互のけん制・抑制と均衡によって首長(市長)と議会が緊張 関係を保ち続けることが求められている。

教科書的にはこの程度の説明だが、さらに深堀すると、二元代表制は

立法府を構成する議員と、行政の長をそれぞれ住民の直接選挙で選ぶ制度で、「議院内閣制」とは対照的な概念。二元代表制では、議員は法律や予算などを審議・決定する権限をもつが、その執行は行政の長が責任をもつため、立法権と行政権の分離を徹底できる利点がある。

 

おそらく、デニー知事は二元代表制の執行官の役目を完全に無視し「政治家」として三権分立を踏みにじって「民意」を盾に何らかの法的対応をするだろう。

二元代表制に無知な沖縄タイムスのコラムを紹介しよう。

沖縄タイムス

[大弦小弦]沖縄の小6が本土の大人に伝えたいこと

2021年2月22日 

 「教えてほしいことがあります」という手紙が届いた。うるま市立田場小学校6年のナーランシー飛翼(つばさ)さんから。「本土に住む人たちに、沖縄で日常的に起きている事実を伝えるにはどうすればいいですか?」

▼同封の作文は問う。「日本は民主主義の国であると社会科で学んだ。なぜ沖縄県では民主主義が守られないのか」「他の46都道府県でも政府は沖縄県と同様なことができるのだろうか」

県民投票で7割が辺野古新基地に反対した2年前、岩屋毅防衛相(当時)は「沖縄には沖縄の民主主義があり、しかし国には国の民主主義がある」と言った。日本の民主主義の中に沖縄は含まれず、県民の人権は全体の幸福のために踏みつぶせると宣言したに等しい。このままでは小学校で教える民主主義も塗り替えられる

▼問題は沖縄ではなく、基地建設を続ける政府とそれを支える本土の人々の側にある。だから今、小6の飛翼さんが本土宛てに作文を書かざるを得ない

▼「小学生の僕にどんなことができますか?」と聞く飛翼さんは十分頑張ってくれている。足りないのは大人、特に本土の大人の行動だ

▼東京出身の大人として返事を出した。日本を変えられないまま飛翼さんの世代を迎え入れてしまった責任があり、早く変えると伝えた。せめて子どもたちに謝らなくてすむ日本にする。(阿部岳

第一条の二

  1. 地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。
  2. 国は、前項の規定の趣旨を達成するため、国においては国際社会における国家としての存立にかかわる事務、全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動若しくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務又は全国的な規模で若しくは全国的な視点に立つて行わなければならない施策及び事業の実施その他の国が本来果たすべき役割を重点的に担い住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本として、地方公共団体との間で適切に役割を分担するとともに、地方公共団体に関する制度の策定及び施策の実施に当たつて、地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならない。

              ★

二元代表制の政治家としての責任と行政官としての職務を峻別した県知事が仲井真県知事だ。

政治家として一括交付金の政府援助を獲得したが、その直前に行政官として恣意的判断を抜きにして一年に及ぶ防衛局の埋め立て申請を許可していた。これ以上返答を引き延ばしたら、「無作為」で提訴さる恐れがあるからだ。

沖縄メディアは「良い正月」との言葉尻を捉え、「金で沖縄を売った最悪の知事」などと、罵詈雑言を浴びせた。

 

★沖縄を売った男?恩を仇で返した沖縄県民、「良い正月」で落選した仲井眞元知事

2021-08-04

               ★

■2016年県知事選、マスコミに負けた仲井眞候補

四年前の2016年11月16日、県知事選の開票がおこなれた午後8時過ぎ、仲井真弘多候補はテレビで翁長雄志候補に当確の文字が出た瞬間こう呟いたという。

「マスコミにやられた」

沖縄タイムス、琉球新報ら地元マスコミによる激しい仲井眞バッシングに敗北したという意味だ。仲井眞氏自身は翁長氏個人に敗北したとは思っていなかった。

仲井真氏は前年の12月、安倍首相から3000億円以上の一括交付金を7年間交付するとの約束を取り付け、喜びのあまり思わず「これでよい正月が迎えられる」と呟いてしまった。

仲井眞知事の世代の人なら、年末に良いことがおきたら「これでよい正月が迎えられる」と発言するのはごく自然に出る言葉だ。

ところが沖縄2紙は、この「良い正月」発言を根拠に、辺野古埋め立て承認をした仲井真知事のことを「金で沖縄を売った史上最悪の知事」などと罵倒した。 

さらに「金で沖縄を売った知事」は一時の罵倒に止まらず、知事選中も沖縄2紙に利用され、反仲井真キャンペーンは止むことは無かった。 公職選挙法の疑いさえ浮上した仲井真氏への反中井眞キャンペーンは常軌を逸していた。

結局仲井眞氏や約10万票の大差で落選する。

仲井真氏は対立候補の翁長知事に敗北したというより、マスコミの反仲井真キャンペーンに負けたという悔しさで「マスコミにやられた」とつぶやいたのだろう。

何しろ、仲井眞氏の新聞に対する恨みは骨髄に達しており、現役時代も沖縄2紙の記者を前にして「沖縄タイムス・琉球新報は特定の団体のコマーシャルペーパーなので購読しない」と言い放つほどであった。

落選後も仲井眞氏は悔しさのあまり、自身の埋め立て承認を「瑕疵がある」として取り消した翁長新知事を次のように批判している。

2015年10月22日、ニッポン放送の『ザ・ボイス そこまで言うか!』に生出演し、同年10月13日に名護市辺野古移設に向けた埋め立て承認を取り消した翁長雄志知事の判断を「とんでもない話であり、瑕疵なんてある筈がない」と批判した。

また、同年11月9日のBSフジ『BSフジLIVE プライムニュース』にも出演して、辺野古移設問題では「(政府と沖縄県による)対立のための対立、パフォーマンス的でこれだと基地問題を解決できない」と翁長を批判している。

■仲井眞氏本人のインタビュー記事

地元マスコミによる選挙妨害ともいえる仲井眞バッシングについて、ご本人の仲井眞氏は2021年刊の『自立自尊であれ』の取材に次のように答えている。

ー マスコミ報道について見解を聞かせてください。

仲井眞 特に地元マスコミに対する不信感は未だ解けていないですね。

経済界にいた頃から元々、新聞2紙(沖縄タイムス、琉球新報)を中心とする地元マスコミとの関係は良好だった。(略)それが埋め立て承認後からは一変して、マスコミとの関係は険悪になっていきます。別に私の方がどうのではありません。取材する側が一方的な報道を流し、批判を繰り消すわけです。

 例えば、承認する前の12月25日に安倍首相と会談して沖縄振興予算で満額回答いただき、基地負担軽減4項目も受け入れてもらいました。 こうした政府の対応に対して「感謝する」とか、「いい正月の実感」などの感想を率直に述べました。

ところが、マスコミの紙面は、私の意見とかけ離れて「辺野古承認と取引した」「カネで心を売った」などと歪曲して、とんでもない記事になってしまうのです。(略)

私に対する批判報道は、2014年11月の県知事選挙を通じて続き「反仲井眞キャンペーン」が展開されます。個人攻撃に類する内容や、選挙妨害まがいの記事が目についたため、私の後援会では名誉棄損で地元2紙を訴える意見が出されました。 訴訟は思いとどまりましたが、後援会では地元新聞に不信感が強くなりましたね。

■訴訟断念の裏話

仲井眞元知事は選挙戦を通じて仲井眞氏に対する沖縄2紙の謂れなき中傷記事に対し、怒り心頭で名誉棄損の訴訟を真剣に検討した。 だが上記インタビューでは「訴訟は思いとどまりました」と簡単に記し、訴訟断念の詳細は述べていない。

そこで、当時「裁判推進グループ」の中心にいた筆者が、今後新聞社を相手に提訴する場合の参考のため、提訴断念の裏話を説明しておこう。

先ずメディアを提訴する場合、テレビ・ラジオのような電波メディアと新聞のような紙メディアと二種のメディアを分けて考えるべきである。

テレビ等の電波メディアは、「電波法」「放送法」など総務省による取り締まる法規が存在するので、その準拠法を盾に提訴の糸口を見つけ出すことが可能である。しかも有名無実化したとはいえ、テレビ、ラジオの偏向報道に目を光らせるBPОの存在もある。

一方の新聞には電波法、放送法などの取り締まり法規が無い。 その上、憲法第21条で保証された言論・報道の自由を根拠に反撃するため、新聞を提訴するのは極めて困難である。おまけに新聞の業界団体として新聞協会が新聞の強力な支援団体になる。

これ等新聞の特殊事情を考え合わせても仲井眞氏が名誉棄損で新聞を提訴することは容易と考えていた。 何故ならば仲井眞氏は、新聞による謂れなき誹謗中傷の当事者であるためだ。

しかし、仲井眞氏の側近から別の思惑が浮上した。

仲井眞氏は過去に太田県政では副知事を務め、その後琉球電力社長、そして沖縄県知事を2期務めた沖縄で一番のVIPである。

そのVIPが知事選で落選後、対立候補を支援した新聞社を提訴するのは如何にも生々しく、前代未聞でもある。これが側近たちの提訴に危惧する理由であったが、仲井眞氏の立場を考えればもっともな意見でもあった。

そこで仲井眞氏や弁護士も含む「裁判推進グループ」は、こう結論付けた。

仲井眞氏が原告になるのは、新聞に対する公憤というより私憤の印象が強い。

沖縄一のⅤIPが自ら原告になる生々しい印象を避けるため最初に第三者の県民が原告になって新聞を提訴する。

そして、口頭弁論が行われたのを確認後、仲井眞氏が提訴に参加して原告団の一人に加わる。

このような段取りが「裁判推進グループ」の間での共通認識だった。

ちなみに最初に原告になる第三者の県民として筆者が名乗りを上げた。

ところが、再度新たな問題が浮上してきた。

当時者の仲井眞氏が原告になるのは容易だが、第三者の一般市民が新聞により損害を被ったとして提訴するための請求原因を見つけるのが困難である。簡単に言えば一般市民が提訴の名目を見つけるのが困難ということだ。

先ず第一に沖縄2紙は筆者が直接名誉棄損になるような記事を書いていない。

仮に間接的に名誉棄損に推定できる捏造記事を書いたとしても、そのために筆者が直接損害を被ったとして提訴するのは困難である。

その間「裁判推進グループ」の間で提訴の名目について何度も議論が闘わされたが、最終的に筆者個人は次のように結論付けた。

筆者の主張はこうだ。

「相手の新聞が憲法21条「言論・報道の自由」を伝家の宝刀として牙を剥いてくるなら、その「報道の自由」に真っ向から対抗して、県民として、また新聞購読者としての「知る権利」を新聞によって奪われた。 つまり「知る権利を新聞に奪われた」ことに対する損害賠償請求である。

つまり、保守・リベラルに関係なく誰も否定できない憲法が保障する「言論の自由」を逆手に取って、「言論の自由」の合わせ鏡である「知る権利」で、新聞に対抗するということだ。

結局、意見の調整がつかず「提訴は見合わす」ことになった。

筆者は「知る権利」を新聞提訴の請求理由にして、新聞の報道の自由に対して十分太刀打ち出来ると現在でも確信している。

■新聞提訴の補足

新聞がテレビ等の電波メディアより提訴に不向きな理由は、電波法などの規制法令が無い上に、新聞協会など仲間内の援護射撃も想定される。 更に新聞は、新聞の値引きの禁止などを定めた特殊指定に保護されている。
 
新聞は新聞特殊指定の代償として、社会の木鐸としての特殊な使命を担っている。
 
つまり、新聞は民主主義の根幹をなす公職選挙の実施に際して、
 
 
 
少なくとも選挙戦の期間中は、新聞は民主主義の象徴ともいえる多数決に基づく、公正な選挙に協力する義務を有する。
 
 
【おまけ】
 
 

   安倍晋三首相と沖縄県の仲井真弘多(ひろかず)知事が2013年12月25日会談し、仲井真氏が要請していた米軍基地の負担軽減策や振興策に対する政府の回答を伝えた。ほぼ「満額回答」に近い答えに、仲井真氏は「驚くべき立派な内容」と異例の反応だ。

   特に注目すべきは振興予算の額で、今後7年間にわたって毎年3000億円規模を計上する方針を表明。振興予算はここ10年ほど減少傾向が続いてきたが、民主党政権下で増加に転じていた。この巨大予算、どのような使い道が想定されているのか。

仲井真知事「これはいい正月になるな、というのが私の実感」

沖縄県への交付金の使い道はどうなる(写真は沖縄県庁)
沖縄県への交付金の使い道はどうなる(写真は沖縄県庁)
 

   安倍首相が仲井真氏に伝えた負担軽減策の骨子は、(1)普天間飛行場の5年以内の運用停止や牧港補給地区の7年以内の全面返還について、防衛省内に作業チームをつくって検討する(2)オスプレイの訓練の半分を県外に移転する(3)日米地位協定に関連して、基地内の環境保全に関連する立ち入り調査を行えるよう米側と交渉に入ることで合意した、というもの。これは仲井真氏が12月17日の沖縄政策協議会で安倍首相に手渡した要望書の内容に沿ったものだ。

   振興予算については、要望書では「(概算要求通りの)3408億円の総額確保」と「(2021年度まで続く)振興計画期間内3000億円規模の予算確保」を求めていた。

   これに対して、12月24日に閣議決定した14年度の政府予算案では、概算要求を52億円上回る3460億円を計上。加えて、安倍首相は仲井真氏の前で「毎年3000億円台を確保する」ことを「お約束をいたします」と明言した。要求以上の額を提示した形で、仲井真氏は

「有史以来の予算です。有史以来の税制。有史以来というのは少しアレかもしれない。それでも、それぐらいの気持ちで…」
「これはいい正月になるな、というのが私の実感」

と満足げだった。

   14年度予算案の内訳は、沖縄県の予算に組み込まれる「沖縄振興交付金」が前年度比9%増の1759億円。国の直轄事業も21.9%増の1692億円に増えた。直轄事業の中でも、那覇空港第2滑走路増設事業の予算を130億円から330億円に大幅に増やした。この330億円は、15年度以降も交付金とは「別枠」の直轄事業の中で確保する方針だ。

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終戦75年を前に #我那覇真子#終戦#集団自決【3】3】

2023-09-06 08:36:43 | 政治

 

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終戦75年を前に #我那覇真子#終戦#集団自決【3】

 

 

 

 

コラム

  • 「コラム」の一覧を見る
2007.12.06 (木)

「 集団自決命令、大江作品の歪曲 」

『週刊新潮』'07年12月6日号

日本ルネッサンス 第291回

 第二次世界大戦末期の沖縄で、果たして日本帝国陸軍は住民らに集団自決を命じたのか。大江健三郎氏の『沖縄ノート』(岩波新書)は、軍命令を揺るぎない前提として書かれ、1970年の初版以来、今日まで50刷を重ねてきた。
 慶良間列島の渡嘉敷及び座間味両島で集団自決を命令したとされた守備隊長、赤松嘉次大尉と梅澤裕少佐らを、大江氏は〝屠・ー者〟と呼び、その行為を〝人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊〟と断罪した。
 だが、集団自決命令は存在しなかった。渡嘉敷島守備隊長の赤松大尉は住民らに「あんたたちは非戦闘員だから、最後まで生きてくれ、生きられる限り生きてくれ」と述べたことが明らかになっている。だが、山中に避難した住民らは「村長以下、みな幹部も、捕虜になるより死んだほうがいい」として「半狂乱になった」。自決に失敗した住民救済のために赤松隊長が衛生兵を派遣して治療させていたことなども判明した。

 これらは1973年の曽野綾子氏の『ある神話の背景』に詳しい。同書はいま「『集団自決』の真実 日本軍の住民自決命令はなかった!」の題名でPHPより出版されている。

 同著から9年後の1982年、座間味島での梅澤隊長の命令も存在しなかったことが明らかになった。梅澤隊長が命令した、それを自分が聞いたと語った唯一の証人、宮城初枝氏が、戦後、島の人々の暮らしが苦しく、戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用を受けるために、村の長老に指示されて厚労省に心ならずも偽りの証言をしたと告白したのだ。

 大江氏の『沖縄ノート』はその大前提が崩れ去ったのだ。ちなみに、氏同様、日本軍が自決命令を下したと書いた中野好夫・新崎盛暉著『沖縄問題二十年』は曽野氏の著作が出版された翌年に絶版となった。家永三郎氏も『太平洋戦争』中の関連記述を削除した。集団自決命令を、彼らも否定せざるを得なかったのだ。にもかかわらず、大江氏は過ちを改めようとしない。曽野氏の著作も宮城初枝氏の証言も極めて詳細で具体的だ。事実を直視すれば、大江氏の著作は訂正されなければならない。

「僕は自分が、直接かれにインタビィューする機会をもたない」と書いたように、氏は当事者たちに会っていない。関係者に取材せずに書いたのだ。

 梅澤氏らが『沖縄ノート』などの出版停止と謝罪広告などを求めた大阪地裁での裁判は現在も続行中だ。最終弁論は今年12月21日、判決は来年の春の予定だ。

『沖縄ノート』執筆に当たって大江氏が参考にしているのが『鉄の暴風 現地人による沖縄戦記』だ。今回初版本をようやく入手した。読んでわかったのは、同書の事実関係における杜撰さと強い反日感情だ。

米軍賛辞と反日思想

 1950年8月30日発行の初版は沖縄タイムス社編、朝日新聞社刊である。初版の4頁にわたる「まえがき」は次のように括られている。少し長いが引用する。
「なお、この動乱を通じ、われゝ沖縄人として、おそらく、終生忘れることができないことは、米軍の高いヒューマニズムであった。国境と民族を越えた彼らの人類愛によって、生き残りの沖縄人は、生命を保護され、あらゆる支援を与えられて、更生第一歩を踏み出すことができたことを、特筆しておきたい」

 米国への歯の浮くようなこの賛辞、客観的理性的評価を完全に欠落させた一方的な賛辞は何を意味するのか。

 1950年当時、日本はまだ米国の占領下にあった。沖縄を除く日本の独立回復は52年4月28日、沖縄が米軍の占領から解かれたのは72年5月15日だ。占領下の日本で米国が行ったのは日本人の洗脳だった。彼らは厳しい検閲制度を敷き、米国批判を厳禁した。そのうえで戦中戦前の日本のすべてを批判、非難し、日本国の〝軍国主義〟やその力の前に屈服した〝暗黒政治〟を強調することで、米国の罪を消し去ろうとした。原爆投下も無差別空襲も、それは野蛮な日本の軍国主義の前では致し方のないことだとして米国の正義と人道を際立たせようとした。

 米占領軍による日本人洗脳の意図が明らかに同書を貫く軸であり、その反日思想は、赤松、梅澤両隊長への事実無根の非難となって迸(ほとばし)出る。
「赤松大尉は、軍の壕入口に立ちはだかって『住民はこの壕に入るべからず』と厳しく、構え、住民達を睨みつけていた」とし、地下壕内で開いた将校会議では「まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残ったあらゆる食糧を確保して、持久態勢をととのえ、上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間に死を要求している」と「主張した」と書くのである。さらに「これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭し」たと、書いている。

自身の間違いを訂正せよ

 だが、前述のように赤松大尉は住民に「生きのびよ」と諭した。『鉄の暴風』で「慟哭」したと書かれた副官の知念氏は同書の記述を完全否定した。第一、地下壕での将校会議そのものがなかったと証言した。

 梅澤隊長に関しても事実無根の記述が並んでいる。梅澤隊長が守備した座間味島での戦闘について、こう記述しているのだ。
「日本軍は、米兵が上陸した頃、二、三カ所で歩哨戦を演じたことはあったが、最後まで山中の陣地にこもり、遂に全員投降、隊長梅沢少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した」と。

 住民に集団自決を命ずる一方で、軍人は戦いもせず、陣地に隠れ、投降した、日本軍はなんと卑怯な軍かと言っているのだ。そのうえ梅澤隊長の情死が「判明した」というのだ。

 だが事実は正反対だ。梅澤隊長は勝てる見込みのない戦いで、部下を死なせないように努力した。沖縄戦以前は部下を死なせたことのないのが誇りだった。しかし、熾烈な沖縄戦は過酷な結果をもたらした。直属の部下104名中、実に70名が戦死したのだ。生還者はわずか34名にとどまる。戦わなかったのではない。「全員投降」したのでもない。また氏は情死したのではない。氏は、90歳の現在も矍鑠としており、裁判にも証人として立った。

『鉄の暴風』にはこの種の出鱈目をはじめ、〝反日情報〟が満載されているのだが、これらのあまりにも明白な間違いは、その後重ねられた版からひっそりと削除された。

 ノーベル文学賞受賞作家、大江氏の頼った書はこの程度のものだった。沖縄を、これ以上歪曲してみることは、沖縄で戦死した軍人、軍命がなくとも死ぬべきだと考えて自決した民間人、爆撃などで亡くなったすべての人々に対する冒轢・ナある。大江氏は直ちに自身の作品における間違いを訂正すべきであろう。

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#1882 安芸高田市の石丸伸二市長が「ハッキリ言ってキモイ」と一刀両断にした山根温子議員の「ストーカー」的な行動。うっかり漏らした移

2023-09-06 07:13:26 | 政治

 

 

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#1882 安芸高田市の石丸伸二市長が「ハッキリ言ってキモイ」と一刀両断にした山根温子議員の「ストーカー」的な行動。うっかり漏らした移

 

 

安芸高田市議会が市長を憎んでいるのに市長を辞めさせられない醜い理由【安芸高田市長石丸伸二】

 

【おまけ】

市民運動家・元山仁四郎「日本の民主主義の現行制度には限界がある。」

民主主義の限界? 三権分立を否定するお前のことだ!


 
元山仁士郎さん=2021年2月21日
元山仁士郎さん=2021年2月21日

日本の民主主義 限界 元山仁士郎さん 「辺野古」県民投票の会元代表

 
2023年9月5日 5:00有料

 今回の最高裁判決で、辺野古新基地建設のことをよく分からない人や本土の人は、国に正当性があるという印象を受けるかもしれない。しかし、これで終わったり諦めたりすることはない。

 今後、別の理由での再撤回や代執行訴訟といった動きもあるかもしれない。知事には民意を貫いてほしい。

 多額の税金を使って進めている新基地建設が、本当に合理的なのか。知事は政府に対話を求めており、政治的に解決してほしい。

 ただ、国と県の不均衡な力関係が絶対的にある。正論だけでは聞いてもらえず、本当に難しい。

 すでに埋められたところは条件的に認めて、ほかは認めないというような交渉はできないだろうか。

 日本の民主主義の現行制度には限界があると考える。国民が直接、国に提案できる国民発議制度を作るべきだと思う。(談)

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関東大震災で新聞に踊った虚報を棚上げして朝鮮人虐殺を論じる毎日

2023-09-06 04:17:40 | マスコミ批判

 

 

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関東大震災で新聞に踊った虚報を棚上げして朝鮮人虐殺を論じる毎日

 

「史実の黙殺」と罵倒

関東大震災から100年を経て一部新聞は異様なまでに「朝鮮人虐殺」を取り上げ、政府追及の材料に仕立て上げようとしている。慰安婦や徴用工に続く新たな賠償問題へと発展させ、日韓関係を悪化させたいのか、それとも「朝鮮人虐殺」を日本人拉致問題と同列に置いて相殺を狙う北朝鮮に同調しようというのか。何とも怪しげな論調が見受けられる。

それは毎日だ。2日付社説で「大震災と朝鮮人虐殺 史実の黙殺は許されない」との見出しで、松野博一官房長官が記者会見で「政府内に事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と述べたことと、小池百合子東京都知事が「何が明白な事実かについては歴史家がひもとくものだ」とし虐殺犠牲者を慰霊する民間団体主催の式典に今年も追悼文を送らなかったことを「史実の黙殺」と罵倒している。

だが、この問題は6年前の2017年に小池知事が初めて追悼文を送らなかった際に大いに論議され、“決着”がついた話しだ。それをまとめると、こうである。

主催団体は北朝鮮系

第一に「事実関係」だが、朝鮮人虐殺があったことは誰もが認める。ただ個々の事件は知られているが、全体像については明確な記録がない。「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書」(08年3月、内閣府中央防災会議)には、虐殺犠牲者数は震災死者数(約10万人)の「1~数%」とあるが、これは有識者の推定にすぎない。1%なら1000人、数%なら数千人で幅があり過ぎ、科学的数字とは言い難い。

報告書は朝鮮人犠牲者に関する記録として司法省(当時)が作成した資料にある233人(殺人罪などを問われた事件からの数)、朝鮮総督府が把握した震災による朝鮮人の死者・行方不明者832人、大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」に掲載された6661人を挙げている。「独立新聞」は朝鮮慰問班からの報告とされるが、これにも明確な根拠がない。だから松野発言を「史実の黙殺」とするのはこじつけだ。

第二に、小池知事が追悼文を見送ったのは関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式で、主催団体は北朝鮮系の日朝協会だ。これに都知事が追悼文を送るのは北系の政治活動にお墨付きを与えるに等しく、見送ったのは理解された。

追悼式は都立横網町公園(墨田区)にある追悼碑前で行われている。碑は1971年に当時の美濃部亮吉都知事が訪朝し、金日成主席と日朝友好を誓った証しとして73年に建立したもので、6000人説がまことしやかに書かれている。これに都知事が追悼文を送るのはその正当化に使われかねない。小池知事の対応は妥当である。

これが17年当時に決着がついた内容だ。それを今になって蒸し返すのは冒頭で述べた政治的意図があるとしか思えないのである。それよりも毎日が追及すべきは新聞の流言蜚語(りゅうげんひご)についてではないのか。

流言が広がり事件に

毎日1日付社会面に「『朝鮮人を殺せば褒美が』異常な環境 自警団妄信」との見出しで震災直後の千葉県船橋市で起きた虐殺事件を取り上げているが、まるで他人事(ひとごと)である。千葉日報ネット版1日付によれば、震災時の県下の流言蜚語はすさまじく「千葉市も全滅」「房州に新島出現」「房州沖は大陥没 北条と館山(いずれも現館山市)死者7万人」といった虚報が新聞紙面に躍ったという。

全国でも「富士山爆発」「横浜全滅す」「東京全市焦土と化す」「山本伯(権兵衛伯爵=首相)暗殺」「松方(正義=元首相)老公ついに逝去」等々、今でいうフェイクニュースのオンパレードだった。そんな中で「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった流言が広がり、虐殺事件が起きた。

新聞が行った流言蜚語を棚上げにして虐殺事件を論じる毎日は、それこそ「史実の黙殺」を地で行っている。

(増 記代司)

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