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2007年6月、上原正稔さんの長期連載中の「沖縄戦記」が琉球新報によって突然中止させられた。
以下はその直後のエントリー琉球新報によって削除された「沖縄戦記」を一部加筆したものです。
やはり琉球新報は昨日の夕刊でも、上原さんの連載記事を「削除」したようだ。
読者には一言の「ことわり」も無く。
ブログなどでも自分の意見と違うコメントに反論できず、断り無く「削除」すると読者の批判を浴びたりする。
琉球新報は報道機関としてのプライドをかなぐり捨て、連載中の記事を「削除」するという禁じ手を使ったことになる。
自分の意見と異なるという非常に分りやすい理由で。
沖縄の言論空間は、愈々異様な様相を呈してきたようだ。
サヨクの方々が常用する「戦前のような言論弾圧」がメディア主導で今正に沖縄で行われている。
巷では「新しい歴史を作る会」に属していたことがあるという理由だけで、講演会の講師を下ろされる言論弾圧のようなことが平気で行われている。
一方、“新聞の意見” におもねる講演会は次のように嬉嬉として報道されている。
「記述復活目指したい」 教科書執筆者が講演 (6/20 9:50)
「一フィート運動」の創始者でドキュメンタリー作家の上原正稔さんの琉球新報連載特集「「パンドラの箱と開ける時 沖縄戦の記録」が読者に何の説明も無く突然中止された。
昨日から始まる第二話のテーマは「慶良間島で何が起こったか」の予定だった。
今県内では地元メディアを中心に「市民団体」が県内各議会に「教科書検定意見書撤回」の議決を求めて大運動を展開している。
それに水を差しかねない上原さんの記事は、読者に何の説明も無く中止させられるのが、沖縄の言論空間の実体なのだ。
この新聞は読者の「知る権利」には関知しないようだ。
沖縄には言論の自由もない。
「物言えばくちびるさむし・・・」
これは、琉球新報ビル内に事務所を構える産経新聞・那覇支局庁小山さんが自分のブログで、
思わず漏らした言葉。(「パンドラ」はこのまま封印されるのか? )
*
上原さんは、独自のルートで、アメリカで眠っている「沖縄戦映像」を取り寄せる活動を続けている。
沖縄戦記録フィルムに残されている「場所と、人物を特定したい」と沖縄各地を調査し、証言を集めてきた。
◇
上原さんは従来の沖縄戦の研究者のように、戦争の持つ影の部分のみを捉えて無理やりイデオロギー問題に摩り替える手法をとらない。
上原さんは、当初は『鉄の暴風』等によって沖縄のマスコミがつくりあげた虚偽の神話に対する怒りを隠さない多くの集団自決当事者たちの証言に出会い、ようやく沖縄戦の真実に気がついた。
そして、「われわれが真相を知ることが『人間の尊厳』を取り戻す、すなわち『おとな』になることだと信じる」と断ったうえで、
「筆者も長い間『赤松は赤鬼だ』との先入観を拭いさることができなかったが、現地調査をして初めて人間の真実を知ることができた。」と告白している。
彼は言う。
「反戦平和なんてボクには関係ない!」
「右も左も関係ない!」
「大切なことは、沖縄戦を撮影したフィルムに、無数の沖縄住民の姿が映っているということだ。ボクは、フィルムの中の『主人公』たちに、この映像を届けたいんだ!」
そう、沖縄戦を記録した映像の中には、悲惨な戦闘シーンだけではなく、生き残った沖縄の人々の、驚くほどの「笑顔」が残されていた。
そして彼はフィルムに封印されていた沖縄戦の真実の物語を追求している異色の沖縄戦研究家でもある。
つづく
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上原氏の「パンドラの箱を開く時」の連載は、氏が予め慶良間の事件を明らかにする旨を告げている訳ですから、執筆を依頼した琉球新報側が、途中で変わったと考えるのが筋なのではないのでしょうか?
何れにしても、何が書かれていたのか知りたいところです。
氏は、何故この原稿を他の媒体で発表しないのでしょうか?
発表しようとしても、何処も取り合わなかったということでしょうか?
仮にそうだとしたら、「同調圧力の島、沖縄」は否定しがたい事実となり、出版業界の中に真実は存在できないという胸糞の悪い事実となってしまいます。
聞くところによると上原正稔氏は「まさとし」を改め「ショウネン」と呼び方を変えたようですが、この事件がきっかてとなったのでしょうか?
中国が、国内の不満を逸らすため反日教育をしています。沖縄2紙の手法も非常に似ていますね。
中国の支配者層がそうであるように、沖縄の支配層(この場合は必ずしも左翼だけではなく、軍用地地主、基地従業員、公務員など沖縄の利権は複雑に入り組んでいます。)は何かに付け、ウチナンチューのアイデンティティーを持ち出して、沖縄対日本本土の構図に持って行きますね。そのために薩摩侵攻やら琉球処分まで持ち出しますが、日本とて群雄割拠の戦国時代を経て、中央に統一されていきます。薩摩侵攻やら琉球処分の話は、例えば山梨県の人が岐阜県の人に、昔信長が侵攻して武田家を滅亡させたと言いがかりをつけるようなもので、今の山梨県民でそのことで恨みを持つ人間は皆無です。
ところが、沖縄県出身者は高い確率で拘りを持っています。
詰まるところ、ウチナンチューのアイデンティティーとは、支配者層に都合のいいように利用されて来た言葉だと私は思います。
そんな事を言うと必ず、いや沖縄は他の県とは違うと反論されますが、私にはその言葉自体理解できません。今現在は沖縄県は日本の47都道府県の一つの県です。私はそう思います。