萩さんの話ネタ2

特に何の特徴もない思い付きの話を徒然と・・・
暇な時にでも寄ってやってください。

うなぎコーラ

2015-07-04 20:54:02 | 日記

後味が、かば焼き風の「うなぎコーラ」。
そんな商品が、開発されたとか。

記事(2015年7月3日 gooニュース)によると

『地サイダーを手がける木村飲料(静岡県島田市)が「うなぎコーラ」を21日に発売する。
 コーラ味の炭酸飲料にウナギエキスを加え、飲んだ後にかば焼き風の香りがするようにした。
 色もかば焼きを意識し、カラメルであめ色にした。1本240mlで参考価格は200円前後。
 静岡県内の高速道路サービスエリアなどで売り、お土産需要を見込む。
 同社通販サイトでも1ケース(20本入り)税込み4千円で販売予定。
 ミカンやメロン、抹茶味のサイダーなどをつくってきたが、静岡らしさを求め、3年がかりで開発したという。』

うむー。。。「うなぎコーラ」ね。話の話題としてはいいかも。でも・・・

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土曜日・・・雑記

2015-07-04 01:00:00 | 日記

何かで失敗した場合に役立ちそうな記事をご紹介します。
それは、信頼回復のための「謝り方」。

記事(2015年7月2日 gooニュース)によると

『『失敗しない謝り方』(大渕憲一著、CCCメディアハウス)の著者は、社会心理学を専門分野とする東北大学大学院文学研究科教授。特に人間の攻撃性と紛争解決の心理的解析を行なっているのだそうです。そのような立場を軸としつつ、「はじめに」では次のように記しています。

 本書は、謝罪をはじめとする釈明のメカニズムを社会心理学の観点から解明し、体系的に説明し、それらの疑問に答えることを目的としたものである。また、謝罪を解明する過程において、日本人の精神や気質などが見えてくることもあり、それらの説明にも多くを割いた。

 もちろん個人差はあるでしょうし、世代的な変化の存在も否定できないはずです。しかし基本的には、和を尊び、調和を重んじながら、欧米人ほど社交的ではないのが日本人。どちらかといえば交際や交流がうまくなく、必要以上に相手と近づくことを避ける傾向にあります。そしてナイーブでストレスに弱く、自己主張が苦手。だから、とりあえず謝罪し、いざこざを避けようとするわけです。

 とはいえ現実的に、謝る場面は避けることができないもの。だとしたら、問題を避けるのではなく、どう理解すべきかを考えることが大切であるはず。そこできょうは、7章の「失敗しない謝り方」から要点を引き出してみましょう。

 ◆謝罪は信頼を回復する
 トラブルを引き起こした人は一般的に、罰を回避し、傷ついた信頼を回復したいと願っているもの。つまり釈明は、こうした行為を達成する手段として行われることが多いわけです。そして、「このように、釈明が常に戦略的なものであるとは限らないが」と前置きをしたうえで、著者はここで戦略的なものに限定して話を進めています。

 ここで著者が注目しているのは謝罪の不可解さです。つまり、こういうこと。謝罪によって自らの非を認めてしまったとしたら、ネガティブな評価や罰を避けられないというのが一般的な考え方です。ところが現実的には、逆に「潔くて、信用できる」と好意的に評価されることもあります。不祥事を起こしたということでネガティブな評価を受けるはずなのに、むしろ罪を軽減され、信頼が回復できるという逆転劇は、「謝罪のパラドクス」ともいえるということ。

 釈明のなかで言及した事情や主張が合理的で、周囲の人にもっともだと認められれば、その弁解や正当化は受け入れられることになるはず。そうなれば、当事者に対するネガティブな評価は回復され、信頼も損なわれることはないというわけです。

 しかし、「合理性がない」「虚偽ではないか」などと疑われると効果は逆転。弁解した人は「卑怯だ」「無責任だ」と非難され、正当化を主張する人は「図々しい」「居直っている」などと反発を受けることに。このような場合、ネガティブな評価はさらに強まり、信頼への危機はむしろ増大するといいます。

 一方、謝罪は自分の愚かしさ、無能さを認めることです。これがそのまま当人の評価となり、信頼低下をもたらすこともあるものの、日本人は潔く罪を認めることや実直出ることを美徳と考えているもの。よって、「迷惑をかけてしまい申し訳ありません。もう二度とこんなことはしません」と謝れば、「正直だ」「責任感がある」とポジティブな評価にたどり着くことが多いわけです。

 そしてこうしたパラドクスは謝罪だけでなく、弁解や正当化にも見られるのだとか。謝罪とは反対に、罪を逃れようと責任否定的な釈明をしても、思惑とは裏腹に思い罰を招くことがあるからだそうです。では、謝罪や正当化などの釈明から効用を生み出すためには、なにをどう捉えればいいのでしょうか?

 ◆信頼回復への3ステップ

 同僚が仕事で失敗したり、重大なミスをしたりすると、その同僚を今後も信頼し続けるべきかどうかを判断する必要が生じます。信頼して、いままでどおりの仕事を任せるべきか、それとも重要な仕事は任せないようにした方がいいのかということ。

 釈明を受ける側に焦点を当てた、南カリフォルニア大学のピーター・キム教授の研究によると、この判断をするにあたり、人は信頼回復のために3つのステップを踏むのだそうです。

 ステップ1:事実性
 これは、「その人が実際に負事象に関わったのかどうか」を判断するということ。その結果、当該行為があったとなれば、信頼すべきかどうかの判断は保留となるわけです。つまり当事者側にとってみれば、関与を否定する客観的証拠を示すことが、信頼を保ち続けるためのもっとも強力な方法。しかし仮に証拠がなくてもことばで関与を否定すれば、それなりの効果は期待できるもの。政治家が「身におぼえがない」などと責任否定の釈明を試みるのは、そのせいだといいます。そして、もし他の人々がその釈明を受け入れ、「この人はなにもしていないようだ」と判断するなら、この段階で信頼は継続されることになるわけです。ただし他の情報から見て、その否認釈明が信用できないとなると、人々はここでも決定を保留し、判断はステップ2に委ねることに。

 ステップ2:責任性
 責任性とは、当事者の責任の程度を判断する段階。もしもそこに酌量すべき事情があるなら、当事者の行為が負事象を引き起こしたことが事実であったとしても、責任は軽減されるということ。心理学ではこれを「割引効果」というのだそうです。負事象の発生に関して、当事者以外の原因が大きいとみなされると、多くの人は「その人がやったことではあっても責任はない」と判断し、信頼を維持するべきだとの結論を下すことになります。反対に、酌量事情がないか、あっても小さい場合には、当事者の責任の方が大きいと判断するので、信頼に関する結論は保留されるわけです。

 なおステップ2でも、当事者の釈明は重要。たとえば、外部に責任を転嫁する弁解という釈明は、日常でも頻繁に用いられるもの。たとえば約束の時刻に遅れた人が、「仕事が立て込んでいた」「電車が遅れた」などの酌量事情を持ち出して責任転嫁をはかることは少なくないわけです。そして、それらの弁解を他の人たちが受け入れれば、負事象の責任は当事者ではなく外的要因にあるとみなされるため、当事者への信頼は維持されるというわけです。そして、このような吟味を経てもなお当事者の責任が免れないとなると、ステップ3「改善可能性」に話が進むのだといいます。

 ステップ3:改善可能性
 この段階に至ると、負事象を引き起こした行為は当事者自身が行なったものであること、あるいは、その人自身の問題に由来するものであると人々はみなしているとか。しかしそれでもなお、初対面の人はともかく、これまでつきあいがあり、今後も関わりが続く相手なら、信頼保持の可能性はあると前出のキム教授。そして、そこで焦点を当てられるのが、当事者の改善可能性。当人が強く反省し、以後同じようなことが起こらないように努力し、それによって問題が改善されるという見通しがあるのであれば、その人に対する信頼を継続し、今後もつきあおうと決めることは充分にありうるということです。ただし、その人が問題改善に自ら取り組もうという意欲を見せなかったり、能力的に改善が無理だと判断された場合などは、信頼を継続すべきではないという結論に至っても仕方がありません。

 なお信頼修復に至るこれら3ステップを、当事者の側からみた釈明効果に的を絞って要約すると、次のようになるそうです。

 第1段階「行為性」...負事象への関与を否定する否認という釈明が受け入れられるなら信頼修復が達成される。
 第2段階「責任性」...負事象への責任を外部に転嫁する弁解という釈明が受け入れられるなら、やはり信頼を維持することができる。
 第3段階「改善可能性」...悔恨や改善意思を表明する謝罪が受け入れられるなら、信頼を回復することが可能になる。』

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