田布施座

演劇でつながる、役者で伝える。

新吉の改心

2020-07-23 13:58:44 | 日記

新吉は深見新左エ門と聞いてびっくりします。

八年前門番の勘蔵が死際に、己は深見家の次男で改易の前に妾のお熊が入り腹へ孕した女の子を産み落とす。してみればお賤は腹違いの兄妹、知らずに夫婦になって足掛七年、飛んだ事をしたと油の如き汗を流し、殊にはまたその本郷菊坂下へ捨子にしたのは七年前お賤が鉄砲で殺した土手の甚蔵に違いない、聖天山へ連れ出して殺した甚蔵はやっぱりお賤のためには血筋の兄であったか、お累が自害の後このお賤がまたこういう変相になるというのも九年前狂死した豊志賀の祟りなるか、己は畜生同様兄妹で夫婦になりあさましい事だと思うと総毛立ち、只ポロポロ涙を落とします。そして新吉はお賤に夫婦の縁も今日限りと告げますと、お賤はこんな顔貌になったから捨てて逃げるのだと思うから新吉から放れません。

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お熊の懺悔

2020-07-23 11:20:29 | 日記

吹っかけ降りの雨の中観音堂に新吉とお賤が入ると六十近い尼が親切に迎え入れてくれます。足を洗い囲炉裏の側で二人は尼さんにお礼を言いますと、お賤は尼の顔をつくづく見て母親「・・・十三年前深川の櫓下の花屋へ置き去りにしていかれた娘のお賤だよ」と気づきます。尼はびっくりし「・・・先刻から見たような人だと思ってたが・・・私は親子と名乗ってお前に逢われた義理じゃあありません・・・不実の親だと腹も立ちましょうが、どうぞ堪忍してください・・・」と尼は懺悔話を始めます。

「・・・私の産まれは下総の古河の土井様の藩中の娘、父親は百二十石の高を戴いた柴田勘六と申し・・・お嬢様育ちでしたが・・・十六の時家来の宇田金五郎と私通、江戸へ逃げ出し本郷菊坂に所帯をもって午年の大火事のあった時宝暦十二年十七で子どもを産みました。翌年亭主が傷寒で亡くなり、子持ちでは喰い方にも困り産んだ子には名を「甚蔵」と付けましたが、菊坂下の豆腐屋の水船の上へ捨子にして、上総の東金へ行き料理茶屋の働き女に雇われ、長八という船頭といい交情となり深川相川町の島屋という船宿に行き亭主は船頭をしますが病が原因でまた死に別れ、そんな時島屋の姐さんから勧められ「小日向の旗本の奥様が塩梅が悪いので中働きに住み込んだところが殿様のお手が附いて、僅かな中に出来たのはこのお賤」。「この娘を芸者に出して私の喰い物にしようという了見でしたが、網打場の船頭の喜太郎と私通をして房州の天津へ逃げましたがそれからというもの悪いことだらけ、手こそ下さないでも口先で人を殺すような事が度々・・・仕方がないから頭髪を剃りこの観音堂で只観音様にお詫事をして、何不足なくこうやっていますが今日図らずお前たちに逢って、私はなお、観音様の持ってらっしゃる蓮の蕾で背中を打たれるように思います・・・」。

新吉「その小日向の旗本とは何処だえ」

尼「はい、服部坂上の深見新左エ門様というお旗本でございます」。

(ここからどんどん展開していきます)

 

 

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小僧弁天

2020-07-22 13:58:59 | 日記

時は享和二年七月弐壱日、下総松戸の傍の戸ヶ崎村に小僧弁天というのがあります。其処に御休所があって時刻はその日の申刻下がり、陽が西へ傾いたころ安田一角が煙草を呑んでいますと馬方作蔵が入ってきて、帰り馬だから安くすると男に話しかけると男は馬は要らないと言います。押し売りをしていると男が安田一角と作蔵は気が付きます。一角は落ちぶれて今では五助街道の藤ケ谷の明神山に隠れて追剥をしているから作蔵に仲間になって客を乗せて其処を通れと金をやります。作蔵は今日は三蔵(死んだお累の兄質屋)を乗せて東福寺まで送ったと話し、一角は作蔵によく考えておけと其処を出て行きます。すると二枚折りの屏風の蔭から男が作蔵を呼びます。屏風の蔭に居たのは新吉とお賤。新吉は作蔵に安田との話を盗み聞きしていて俺にも一口乗せろと言い、三蔵は何処へ往ったんだと聞き帰りは此処を通るかと言うと、作蔵は鰭ケ崎の方へ回るが此方を通ってもいいと答える。新吉は作蔵に耳打ちして上手くいけば金を遣ると言い手筈通り作蔵が三蔵を乗せて来ます。陽はとっぷりと暮れ葦の繁った中から飛び出して三蔵を殺しますがお賤も顔に怪我をします。その顔は丁度七年前の七月弐壱日の夜、お累が新吉を怨み鎌で自殺した時の顔そのもの。それから二人は松戸へ出まして松新という宿屋に泊り翌日雨の中立出でて本郷山を越し、塚前村にかかり観音堂に参詣を致します。

其処で図らずお賤は実の母に出逢います・・・

 

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九話

2020-07-21 15:58:04 | 日記

惣吉と母親は漸う宿屋に着きましたが母親に癪が起きて思うように癒りません。長逗留を致しておりましたが追々良くなって元日に寝ていては縁起が悪いと惣吉の手を引いて出立します。小金が原へかかり塚前村の知己の処へ寄って病気の間厄介になろうと三里ばかり行くと大きな観音堂があります。霙が降り出して子どもに婆様では道は捗らず日も暮れまた痛み出します。仕方ないので観音堂に入り惣吉が母親の痛いところを押してやります。そこに尼さん年の頃58、9が入ってきて此方の畳の方に入りなさいと擦ってくれます。惣吉は医者から貰った薬を忘れたと言うので尼さんが近くに丸薬を売ってるところがあるからと惣吉に教えます。惣吉は出かけ探しますが見つからず近くで聞いても薬を売るところは無いと言います。仕方ないから観音堂に帰ってみると母親は首を絞められ死んでいる。荷物も母が持っていた多分の金も引っさらって尼が逃げていました。縊り殺された母に縋り付いて泣いてる子どもの声を、通りかかったのは藤心村の観音寺の和尚道恩。訳を聞くと和尚は直ぐに供の者を村方へ、百姓が二、三人来て死骸と共に惣吉を観音寺へ連れて来て段々聞くと頼るところもない実に哀れの身の上で、和尚は親の菩提のためわしが丹精してやるから仇を討つなど思わないで弟子になって追善供養を弔うがいいと、惣吉は頭を剃り宗観と名を替えて観音寺にいるところから、はからずも敵の様子が知れるという・・・・

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八話その八

2020-07-21 09:37:51 | 日記

安田一角の隠れ家交遊庵に取り入ったお隅は一角の疑念を上手にかわし寝間に入り仇を取ろうとします。一方麹屋では亭主が暁方富五郎が血塗れで死んで傍の書置きを見つけ大勢を頼んで交遊庵に駆けつけると、お隅は返り討ちにあい死んでいます。直ぐに書置きを羽生村へ持たせてやりました時には、母も惣吉も多助も恩知らずのお隅と憎んだことを詫びます。そして母と惣吉は二人の敵討ちの準備をし村の人たちに送られ上総東金の花車重吉を訪ねます。時は寛政十一年十二月十四日、年を取りました惣右衛門の未亡人が十歳になる子惣吉の手を曳いて。その翌年春年始花車重吉は行き違いに惣次郎の墓参りにやってきて和尚からお隅のことを聞きます・・・・

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