「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

大学人の社会的責任:安保法制論議に思う

2015-05-27 23:30:56 | 危機管理
昨日夕方のこと。「旅の坊主」の携帯に、登録していない番号からの着信が続いた。

誰だろう?どうやってこの番号を知ったのだろう?と思ってコールバックしたところ、
もう何年もお会いしていないが、在京の某テレビ局に勤める古い友人だった。

前職の防衛庁(当時)防衛研究所時代、友人知人のネットワークを使って声をかけ、
安全保障・防衛に関する若手の勉強会を何回か企画したことがあった。
古い友人は、その勉強会に参加していた一人。

彼からの依頼の主旨はこんなところ。
「現在、硬派の報道番組のスタッフとして働いている。
本格的に始まった安保法制論議だが、これについて特集を組みたい、と思っている。
ついては、現職の自衛官からコメントを取りたいのだが、心当たりの人物はいないか。
また、その仲介を頼めないか。」

「この人であれば」という自衛官に心当たりもなく、断らざるを得なかったのだが、
また仮に「彼(ないし彼女)であれば!」という心当たりがあったとしても、断ったと思う。
発言者が特定されないよう処置されるとしても、彼ないし彼女の将来に深刻な悪影響を与えかねないものに、
携わらせることは出来ない、と思った。

「自衛隊員の服務の宣誓」という筋もある。「政治的活動に関与せず」の一節は重い。

「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、
一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、
政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、
事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、
もつて国民の負託にこたえることを誓います。」

自分がこの制約に反して政治的な発言を行い、自分が処分されるならば、自業自得というもの。
しかし、他人に対して、処分のリスクがあることに携わらせることはやはりできなかった。

まぁ、それはそれとして。

そもそも社会的に極めて発言しにくい立場にある現職自衛官をどうこう言う・言わせるのではなく、
一応は大学人の端くれ、ということは(我ながら多いに気恥ずかしいところなのだが)知識人の端くれ、
己が果たすべき社会的な役割を果たしているのか、そのことを考えずにはいられなかった。

多少なりとも特異な経歴を積んで今に至っている身。
自意識過剰と言われるだろうが、「旅の坊主」にしか出来ないこともあるのではないか、
そう思うところもあった。

与野党の議席数を考える時、この安保法制の行く先は、
「賛成多数、よって本案は可決しました。」となることは明らか。

NHK総合テレビで日々中継されているものも、所詮は答えの出ている「出来レース」。
「セレモニー」あるいは「アリバイ作り」が行われているのを、黙って見ているしかないのか。
そう問われるならば、やはりNO!と言っておきたい。

若かりし時分に大変お世話になり、その後、内閣官房副長官補まで勤められた柳沢協二さんが、
己の存在を賭して発言をしている。
決めるのは政治家としても、お仕えする官僚として言うべきことを言ったのか。
ここで言うべきことを言わなくては生涯に悔いを残す、というその思いの強さ深さ、いわば男気。

それに比べて己は、学生相手にぬるい講義をしていて、大学人としての役割を果たしているのか、
知識人の端くれとして、言うべきことを言い、書くべきことを書いているのか。

古い仲間からの電話は、そのことに気付かせてくれた。Sさんに感謝したい。

ただ……。

「返す刀で……」とまでは言わないが、「メディアの社会的責任」についても考えさせられた。
硬派の報道番組と言っても、基本は外部の有識者なり当事者のコメントが中心となるであろうこと、
容易に想像できる。
「主戦場」は異なろうとも、柳沢協二さんのように己の存在をかけて「おかしいものはおかしい」というマスコミ人、
そういう「土性骨を据えた」「専門性を持つ」ジャーナリストは、在京某テレビ局にはいないのか?

まぁ、そこは問うまい。

このままでは、100%間違いなく、自衛官が殺し殺される場面に立たされる。
決まっていないのは、それがいつか、ということだけ。

大学人・知識人の端くれとして、
「己に出来る限りのことはやった。しかし、力及ばずであなたを死なせてしまった。本当に申し訳ない。」
いずれ起こる戦死者の御霊に対して、そう言って頭を垂れる、それだけのことを己はしているだろうか。


コメントを投稿