「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

学生を大化けさせるために必要な3つのポイント

2015-05-28 23:57:37 | 小村ゼミ
木曜日はゼミの日。
同僚の教員には、3年生向けに1コマ、4年生向けに1コマ、と横割りで行っている者もいるが、
小村ゼミは2学年一体運営で2コマ連続、かつ、他学年生and/or他ゼミ生の出席も認めているので、
入学から2ヶ月弱の1年生も含め、学年入り混じっての議論が展開されている。

「先輩から学び後輩を育てる」を重要なポイントとして考えており、その意味で、
今、何をやっているのか、近況報告に重きを置いているのだが
(後輩からすれば、○年後の自分が何をするのかのイメージ作りであり、
先輩からすれば、○年前に××をやっておけばよかった、との「轍を踏まないように」のメッセージ発信)
先輩や同期、後輩の活動報告があっても、ピンとこない者もいるのが実態。

今日、実際にあった悲しい話。

昨晩、沼津市の危機管理課や沼津消防、沼津市社会福祉協議会、
沼津市在住の防災ボランティア・コーディネーターらとの飲み会があった。
ゼミ生のうち2名に危機管理の仕事をイメージさせるべく、危機管理課にインターン受け入れをお願いしているのだが、
その危機管理課長以下が顔を出して下さるせっかくの機会なので、両名も連れて行き、関係者にご挨拶をさせた。
飲み会に引き続き、〆のラーメンまで、沼津消防や危機管理課の方々とご一緒させてもらったらしい。

で、そのような状況が、出席した両名から近況として報告されたのだが、
「沼津消防を受験したいと言っている公務員志望の3年生クン」は、顔色一つ変わらない。

ゼミ終了後、その学生と1時間ほど話をした。

多分そうだろう、とは思っていたが、
自分が勤めたいと思っている職場の雰囲気を事前に知る、ということの意味も、
その職場で活躍しているゼミの先輩とお酒を共にしながら、いろいろな話を聞かせてもらうことの意味も、
ひょっとして面接官になるかもしれない組織の幹部の方に顔と名前を覚えてもらうことの意味も、
何一つ、理解していなかった。

これが現実なのだ、ということは、わかっているつもりだが、
がんばっている者とがんばっていない者の差がここまで大きいのかと思うと、さすがに悲しくなる。
格差社会の現実を直視させるべく開講している「現代社会と安全」という科目も履修していない。
履修していない学生にも、配布資料を多めに刷って配り読ませているのだが、それも読まない。
で、「物は試し」と音読させてみたが、もちろん、まともに読める訳もない。
……。

Fラン地方私大の現実は嫌というほど理解しているつもりだが、さすがに悲しいものがあった。

その後、かわいそうと思わないでもなかったが、彼にはお引き取りいただいた上で
(鍛え甲斐のある学生は応援するが、一定レベルに達しなければ応援しない。)
4年生2名、3年生2名、2年生1名、1年生4名、にゼミ担任である「旅の坊主」も加えて10名で、
(いつもの「丸天」木曜定休なので)「ステーキのあさくま」にて学生ハンバーグ。

学生の成長ぶり、今日の場合はコミュニケーション能力がぐんぐん上がっているのを目の当りに出来ること、
これが、教員をやっている「ご褒美」なのだろう、と思っている。
2年生Nの大化けぶりは、1年次に毎週顔を合わせていた身からしても、見事であった。
で、考えた。学生を大化けさせるためには、何が必要なのだろうか。

当たり前過ぎることなのだろう、とは思うものの、3点に整理できるのではないだろうか。

一 しっかりと時間と使うこと。時間を使って学生と向き合うこと。
二 教員である自分が教える、ではなく、先輩・同期・後輩・他の社会人といった
 さまざまな関係性の中に当該学生を置き(引っ張り出し)、その中で鍛えること(鍛えてもらうこと)。
三 前二者を具体化するために、しっかりした場所・場面を作ること。そのためにお金を使うことを厭わないこと。

中米での1年の生活と、その折り返し点で発生した東日本大震災を経て、2012年春から本格始動した新生小村ゼミ。
1期生、2期生を送り出し、現4年が3期生、1年生が6期生になる。

有り難いことに、学生が良く育ってきてくれている。
学生と学生の間の、いじり・いじられ、ボケ・突っ込みを見ていて、本当に幸せな気持ちになるが、
自分の力で作れたものではない、ということを、しっかり自分に言い聞かせておかなくては、である。

ただ、文章力なり本を読む習慣なりアカデミックな意味での議論の力なりをつけさせるのは、教員の仕事。
そこは改めて仕掛けを考えなくては、でもあった。


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