「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

【10月29日】 「旅の坊主」 北へ

2009-10-29 23:29:47 | 日常の一コマ
今日から31日までの予定で、岩手・盛岡で日本救急医学会。
本当は水曜の夜のうちから現地に入り、原稿書きを兼ねて(?!)、
フル参加するつもりだったのだが、訳あって予定より1日遅れで北へ。

午前中は家で洗たくなどさせてもらい、昼過ぎに大学へ。
1330から、AO入試特別枠での面接試験。
過日のAO入試をインフルエンザで欠席せざるを得なかった高校生クン。
本人マスク着用で現れる。

この冬の受験シーズンでは、この種の事態は全国で山ほど発生するだろう。
入試広報課Yさんから「対応マニュアルの作成、よろしく!」と頼まれる。
「そりゃそうだよなぁ」であり、しっかりとしたものを作らねば、である。

早々に大学を失礼し、荷物をまとめ、新富士発1535発のこだまで盛岡へ。
ありがたいことに、前日に多少は寝ていたので、
今日は車中では原稿書き&メール書きまくりとなる。

新富士駅のキオスクに気になる文庫本があり、さっそく購入する。
渡辺大助『特攻 絶望の海に出撃せよ』(新人物文庫、2009年)

昭和19年10月25日、フィリピン・クラークフィールドのマバラカット基地。
神風(「しんぷう」と読むのが正しい)特別攻撃隊「敷島隊」。
指揮官 関行男 海軍大尉(「だいい」と読むのが正しい) 以下5名。

こんなことを言っても、ウチの学生は、誰一人反応してくれないだろうなぁ、とは思う。
とは思うが……。

かつて防衛庁(現防衛省)防衛研究所に勤め、その戦史資料室に足繁く通い、
何より、関大尉が突っ込んだ日から19年後のその日に生を受けた者として、
特攻は、生涯のサブテーマだと思っている。
「旅の坊主」を育ててくれた、今は亡き恩人は、
「俺は大西瀧治郎海軍中将の生まれ変わりだ」といつも言っていた。
とすれば、「旅の坊主」は関大尉の生まれ変わりか、などと、時たま、考えたりする。
来世とか輪廻転生とか、信じているクチではないのだが……。

まぁ、難しい話はそれくらいにして。

学会参加の楽しみは、旧知の仲間と飲むこと。
同じ飲むなら美人の女医さんと、という訳で、今宵は坂出のO先生にお相手願う。
直前にネットで探した店であったが、大正解であった。
はまったら本気でヤバいという、大変飲み口のすっきりした純米吟醸にも遭遇。
大満足の夜であった。

飲み足りない気もないではないが、O先生は翌朝に報告ゆえ、深酒はまずかろう。
で、名残は惜しいが、一次会のみとする。

部屋に戻り、一風呂浴びて酒っ気を飛ばし、メールやら原稿書きやら。
さらに近くのマッサージの店で1時間、凝り固まった体をほぐしてもらう。
さらに、睡魔が訪れるまで、メールやら何やら。



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