「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

山元町へ

2015-03-10 23:28:33 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
東日本大震災から4年を迎えようとしている。

今年は、山元町の中浜小学校跡で14時46分を迎えられれば、と思い、
それを軸に幾つかの予定を調整した上で、富士を発ってまずは東に、ついで北へ移動中。

前回の山元町訪問では迂闊にも持参し忘れたのだが、
今回の現地訪問では、原口強・岩松暉『東日本大震災・津波詳細地図』をしっかり荷物にいれた。
上巻のラス前とオーラスの見開きが山元と坂元。
(前者は山下であるべきでは、と思わないでもないが、それはそれとして。)

ゴールデンウィーク恒例(?)の現地踏破で通っている山元町ではあるが、
どうしても、上っ面をなめる程度の関わり方しか出来ていなかった。
地図にも、踏破した道路についての書き込みはあるが、
そこで見た光景への書き込みは本当に少ない。

東北新幹線の車中で、自分が撮った写真を改めて見ているが、
例えば明日、発災の時間を迎えようと思っている中浜地区では、
死亡137名、家屋全壊285棟等々の被害が刻まれた慰霊碑の写真を撮っている。
137名の犠牲者の名前が刻まれた碑文も撮っている。
だが、それらは、「旅の坊主」の中で、未だ、単なる数字、単なる名前にとどまっている。

「寄り添う」などという言葉を軽々に使えないことはわかっているつもりだが、
犠牲になられた方々の名前が、単なる名前ではなく、一人一人の人生として、
それも途中で断ち切られてしまった無念さと共に思い浮かべられるようになるまで、
やはり、被災地に足繁く通い続けなくてはならないのだろう。

東日本大震災四周年を前に、夕方18時から首相の記者会見があったらしいが、
頭が見ることを拒否してしまった。

彼が見ているもの・考えていることと、「旅の坊主」が見ていること・考えていることは違う、と、
声を大にして言いたい。

しかし、実態は、年1回かそこら、素通りに近い形で現地を訪問するのみ。
これでは、人のことをどうこう言える話ではないな、と。

震災4年を前に、相変わらずいろいろな人がいろいろなことを言っているが、
それらに違和感を覚えると言うならば、それらをしっかり整理した上で対案を出せ、
ということ、なのだろうと思う。

今回の東北行では、山元町訪問と共に、
震災時に岩手県庁で活躍された救急医とじっくり話す時間もある。
だが、本当に、それらを活かすことが出来るのだろうか……。
事態の重さの前に、某国首相のような無様なことは出来ないぞ、と自らに言い聞かせつつ、
では「旅の坊主」は何をしてきたのか、己が力を入れるべきものを未だ見い出せていないのではないか、
そんな情けなさを抱えつつの旅である。


コメントを投稿