ノマド・ワーカーという言葉はもちろん知っていたし、
大学を離れ東京で打ち合わせなどがある時には、実際そのような活動ぶりであることは十分自覚していた。
何せ自称は「旅の坊主」。
それでも、一日のうちにスタバ3店に4回行くというのは、人生初めての経験。
そんなことをやりつつ何とか原稿を書いていた、というのがこの日だった。
前日の土砂災害対策DIGの振り返り会と鈴木光さんの誕生会の後、東日本橋のホテルに投宿。
その後、例によっての「自主的カンヅメ」での原稿書きで取り組んだのが標記の原稿。
9月上旬のカンボジア滞在中、何とか書き上げた防災教育についての原稿だったが、
この拙稿12000文字は総論に相当する部分だけだった。
で、この総論部分だけでも収録してもらえればよいだろう、と思っていたのだが、
編集委員会の要望は、むしろ各論にあった。
(本の構成を見る限りだが、総論部分の薄さは否めないだろうに、と、思っていたのだが……。)
で、各論部分も盛り込んだ上で10000字程度にしてくれ、というのが編集者からの指示。
締切を伸ばしに伸ばしてもらっている身ゆえ、強いことも言えず、で、
歯科治療と夕方のブレストの時間を除いて、ひたすら原稿書き&原稿削除という1日だった。
この日の夜までに出来たことは、各論を付け加える方向で15000字ほどの原稿をまとめたこと。
で、メールの送受信記録を見ると、翌水曜日の午後イチに11000文字まで減らしたものを送っている。
この日と翌30日はさぞや血圧が高かったことだろうと思う。
(実際、頭の左側がガンガンいっていたことを思い出す。よくぞまぁ、血管が切れずに済んだなぁ、とも。)
多少の無理をしたが(本当に無理をしたのは、「旅の坊主」の無理を聞いた編集者側だったのだろうが)、
おかげで、久しぶりに読むに値する論考をまとめることが出来た、という手応えはあった。
実際に出版されるのはもう少し先のことになるが、
問題提起の意味もあり、その内容の一部なりとも一足先に紹介したい、と思う。
(禁転載でお願いします。)
*****
問題の所在
防災教育と子どもたちに聞けば、
多くは「揺れたら机の下にもぐること」「避難所や避難経路の確認」「お・は・し・も」「非常用持ち出し袋の準備」と答えるだろう。
大人に聞いても答えは大差あるまい。
では、被災者が次のように語ったなら、教育者は何と続けるだろう。
子どもたちは何を考えるだろう。
避難には成功しました。しかし、私は「人生最大の買い物」である家を失い、職場も失い、
人生を完全に狂わされてしまいました。そして私のふるさとは災害で破壊されました。
防災教育といっても、学校では年1回の避難訓練しか思い出せません……。
教育とは、未来を担う者たちにメッセージを託すことである。
今から概ね20年以降(2038年という説もある)のある日、伊豆半島から九州東岸までの太平洋沿岸を襲う巨大災害がある。
90年から150年の周期でこの地域を襲ってきた巨大災害の、直近の発生から今年(2015年)で70年。
被災範囲の広さと社会経済的影響の大きさから「先進国日本の最後の日」「日本が三流国家に落ち込む」とすら言われる災害である。
今日学びの過程にある子どもたちは、この巨大災害が起こる日には社会の中核世代である。
では、彼ら彼女らに避難を教えておけばこの巨大災害の被害は防げるのか。
防災は「予防」「対応」「復旧・復興」の三本柱からなるが、
最も重要なのは「予防に勝る防災なし」という考えである。
「避難をするのが防災」との間違った刷り込みにはぬぐい難いものがあるが、
本来は「避難をしなくて済むようにするのが防災」である。
つまりは「多少時間はかかっても、避難をしなくても済む家に住もう。避難しなくて済むまちを作ろう」でなければならない。
「避難成功(しかし人生崩壊・故郷消滅)」のレベルで満足してもらっては困るのである。
では、世に溢れる防災教育は、そのような中身を教えているのだろうか?この点について筆者は、極めて否定的である。
「大人になったら、避難しなくても済むまちをつくる担い手となってもらいたい」というメッセージが託されているようには
筆者にはまったく思えないのである。
小論では、このような問題意識から防災教育のあるべき姿を考えてみたい。
前半は総論として防災教育の体系を「2つの軸」「4つの段階」で示してみたい。
また後半は各論・実践論として、地震・津波防災と土砂災害対策を取り上げ、
筆者らが開発した災害図上訓練DIG(Disaster Imagination Game)のノウハウの
防災教育への活かし方について説明することにしたい。
*****
いささか挑発的とは思うが、言っていることには絶対の自信あり!
さて皆さま、いかが受け止められましたでしょうか?
(10月12日 記す)
大学を離れ東京で打ち合わせなどがある時には、実際そのような活動ぶりであることは十分自覚していた。
何せ自称は「旅の坊主」。
それでも、一日のうちにスタバ3店に4回行くというのは、人生初めての経験。
そんなことをやりつつ何とか原稿を書いていた、というのがこの日だった。
前日の土砂災害対策DIGの振り返り会と鈴木光さんの誕生会の後、東日本橋のホテルに投宿。
その後、例によっての「自主的カンヅメ」での原稿書きで取り組んだのが標記の原稿。
9月上旬のカンボジア滞在中、何とか書き上げた防災教育についての原稿だったが、
この拙稿12000文字は総論に相当する部分だけだった。
で、この総論部分だけでも収録してもらえればよいだろう、と思っていたのだが、
編集委員会の要望は、むしろ各論にあった。
(本の構成を見る限りだが、総論部分の薄さは否めないだろうに、と、思っていたのだが……。)
で、各論部分も盛り込んだ上で10000字程度にしてくれ、というのが編集者からの指示。
締切を伸ばしに伸ばしてもらっている身ゆえ、強いことも言えず、で、
歯科治療と夕方のブレストの時間を除いて、ひたすら原稿書き&原稿削除という1日だった。
この日の夜までに出来たことは、各論を付け加える方向で15000字ほどの原稿をまとめたこと。
で、メールの送受信記録を見ると、翌水曜日の午後イチに11000文字まで減らしたものを送っている。
この日と翌30日はさぞや血圧が高かったことだろうと思う。
(実際、頭の左側がガンガンいっていたことを思い出す。よくぞまぁ、血管が切れずに済んだなぁ、とも。)
多少の無理をしたが(本当に無理をしたのは、「旅の坊主」の無理を聞いた編集者側だったのだろうが)、
おかげで、久しぶりに読むに値する論考をまとめることが出来た、という手応えはあった。
実際に出版されるのはもう少し先のことになるが、
問題提起の意味もあり、その内容の一部なりとも一足先に紹介したい、と思う。
(禁転載でお願いします。)
*****
問題の所在
防災教育と子どもたちに聞けば、
多くは「揺れたら机の下にもぐること」「避難所や避難経路の確認」「お・は・し・も」「非常用持ち出し袋の準備」と答えるだろう。
大人に聞いても答えは大差あるまい。
では、被災者が次のように語ったなら、教育者は何と続けるだろう。
子どもたちは何を考えるだろう。
避難には成功しました。しかし、私は「人生最大の買い物」である家を失い、職場も失い、
人生を完全に狂わされてしまいました。そして私のふるさとは災害で破壊されました。
防災教育といっても、学校では年1回の避難訓練しか思い出せません……。
教育とは、未来を担う者たちにメッセージを託すことである。
今から概ね20年以降(2038年という説もある)のある日、伊豆半島から九州東岸までの太平洋沿岸を襲う巨大災害がある。
90年から150年の周期でこの地域を襲ってきた巨大災害の、直近の発生から今年(2015年)で70年。
被災範囲の広さと社会経済的影響の大きさから「先進国日本の最後の日」「日本が三流国家に落ち込む」とすら言われる災害である。
今日学びの過程にある子どもたちは、この巨大災害が起こる日には社会の中核世代である。
では、彼ら彼女らに避難を教えておけばこの巨大災害の被害は防げるのか。
防災は「予防」「対応」「復旧・復興」の三本柱からなるが、
最も重要なのは「予防に勝る防災なし」という考えである。
「避難をするのが防災」との間違った刷り込みにはぬぐい難いものがあるが、
本来は「避難をしなくて済むようにするのが防災」である。
つまりは「多少時間はかかっても、避難をしなくても済む家に住もう。避難しなくて済むまちを作ろう」でなければならない。
「避難成功(しかし人生崩壊・故郷消滅)」のレベルで満足してもらっては困るのである。
では、世に溢れる防災教育は、そのような中身を教えているのだろうか?この点について筆者は、極めて否定的である。
「大人になったら、避難しなくても済むまちをつくる担い手となってもらいたい」というメッセージが託されているようには
筆者にはまったく思えないのである。
小論では、このような問題意識から防災教育のあるべき姿を考えてみたい。
前半は総論として防災教育の体系を「2つの軸」「4つの段階」で示してみたい。
また後半は各論・実践論として、地震・津波防災と土砂災害対策を取り上げ、
筆者らが開発した災害図上訓練DIG(Disaster Imagination Game)のノウハウの
防災教育への活かし方について説明することにしたい。
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いささか挑発的とは思うが、言っていることには絶対の自信あり!
さて皆さま、いかが受け止められましたでしょうか?
(10月12日 記す)
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