プレクルソ3日目(最終日)。
昨日に引き続き、PCMのセミナーが続く。
最初に同僚Kさんが、問題を分析することの重要性について、
簡単なスピーチをする。
「風が吹けば桶屋が儲かる」
とまでは言わないが、
問題の本質は、パッと見でわかるものとは限らない。
否、じっくりとした分析が必要な事例がほとんどだろう。
分析には時間がかかる。
だが、そのことをしっかりやらないと、
本当に意味ある対策は打てない。
また、この種の問題分析を行うということが、
JICAの国際協力の共通言語だ、とも。
上位の目標があり、その中で具体的な行動がある。
具体的な行動、例えばリスクマップ作りは、
もっと上位の目標があり、そのための手段として行われているのであって、
リスクマップ作りが自己目的化するようなことを、
私たちは考えている訳ではないのだ。
Kさんのスピーチを一般化するならば、
こんな感じとなろうか。
今日も第一列ではなく、事務局席に座る。
メールでの調整など行いつつ、ワークショップ全体の雰囲気を見る。
休み時間だったか、
Sリーダーから、プロジェクトの理想形についての話が出た。
プロジェクトは、
「プロジェクト・マネージャー(現地のカウンターパート機関の幹部)」
「ナショナル・コーディネーター(プロジェクトが雇用し、業務の調整に当たる者」
「JICA事務所(当地の事務所で、金銭面から活動をチェック)
「専門家(「旅の坊主」のような者)」
のカルテットで、かつ、
専門家が何を言わなくても動いていくようなものが理想なのだ、と。
2ヶ月に1回程度の定期的な情報共有の会を持てればそれで済む、
そのような状態まで持っていければ、と。
なるほど!と思うところは大だが、
さて、そのような体制(態勢)作りがどれほど大変か……。
コスタリカ一国を相手にするのでもなかなか頭が痛いのに……。
PCMのセミナーについては、いろいろと思うところはある。
分析のための枠組み(フレームワーク作り)と、
その「網の目」があればこそすくい取ることが出来た(明文化出来た)問題
一般化可能なものと個別事情の区分
分析手法の習得と、実際のケース分析の混同
ケース・スタディー用の資料をしっかりと読み込む、というよりも、
ケース・スタディー用の資料には書かれていないことまで意識をめぐらすこと
問題の構造化(あるいは可視化・図式化)の議論
(単純な因果関係や樹形図だけでは整理出来まい……)
(少なくとも、派遣前研修ではそういう話であったが???)
グループワークの人数、
グループワークとラップアップに配当する時間の割合、
等々。
それでも、最後には、何とか、
分析結果を標準的な枠組みの中に示せたようで、
研修員もそれなりの達成感を持てたようであった。
修了式、終了証の授与等、公式セレモニーも無事終了。
一旦自宅に戻り、改めて19時から会場で打ち上げパーティー。
中米だから、ではなかろう。
「同じ釜の飯を食った間柄」というのは、
日本ではもう死語かもしれないが、
この地には、それは、厳然として存在している。
同じ時間を共にし、同じ課題に取り組み、同じように悩み……。
広域プロジェクトゆえの6ヶ国+1国際機関の関係者間に、
同期としての連帯感をはぐくめるような演出を行えるかどうか。
プロジェクトに携わるというのは、そういうことでもある。
アルコール分は、我々専門家のポケットマネーから出ている。
「人づくり、国づくり、心のふれあい」とは、
JICAが昔使っていた標語なのだそうな。
心のふれあいに役立つならば、多少の自腹など安いもの。
(ただ、こういう額を経費として認めないということは、
自腹を切って当たり前と思う者が少なくなっていけば、
絶えていってしまうものかもしれない……)、
USBにダンス・ミュージックを入れて持ち歩いているのはさすが中米人。
(ただし、ダンスの技はドミニカ共和国の人間には負けるらしい……)
(まだ水曜日だというのに)まわりの迷惑省みず!
大音量でBGMを流しつつの、飲み、食べ、踊り。
結局のところ、頭での理解ではなく、
この種の人間の素の触れ合いが、
問題を解決していくのだろうなぁ、と、単純に思う。
もちろん、我々専門家の場合は、そこに専門性が求められる訳で、
飲みまくり踊りまくりの翌朝、
バシッとした講義やワークショップができてナンボ、
という話ではあるのだが。
流れ解散となり、22時過ぎ、自宅に戻る。
(11月6日アップ)
昨日に引き続き、PCMのセミナーが続く。
最初に同僚Kさんが、問題を分析することの重要性について、
簡単なスピーチをする。
「風が吹けば桶屋が儲かる」
とまでは言わないが、
問題の本質は、パッと見でわかるものとは限らない。
否、じっくりとした分析が必要な事例がほとんどだろう。
分析には時間がかかる。
だが、そのことをしっかりやらないと、
本当に意味ある対策は打てない。
また、この種の問題分析を行うということが、
JICAの国際協力の共通言語だ、とも。
上位の目標があり、その中で具体的な行動がある。
具体的な行動、例えばリスクマップ作りは、
もっと上位の目標があり、そのための手段として行われているのであって、
リスクマップ作りが自己目的化するようなことを、
私たちは考えている訳ではないのだ。
Kさんのスピーチを一般化するならば、
こんな感じとなろうか。
今日も第一列ではなく、事務局席に座る。
メールでの調整など行いつつ、ワークショップ全体の雰囲気を見る。
休み時間だったか、
Sリーダーから、プロジェクトの理想形についての話が出た。
プロジェクトは、
「プロジェクト・マネージャー(現地のカウンターパート機関の幹部)」
「ナショナル・コーディネーター(プロジェクトが雇用し、業務の調整に当たる者」
「JICA事務所(当地の事務所で、金銭面から活動をチェック)
「専門家(「旅の坊主」のような者)」
のカルテットで、かつ、
専門家が何を言わなくても動いていくようなものが理想なのだ、と。
2ヶ月に1回程度の定期的な情報共有の会を持てればそれで済む、
そのような状態まで持っていければ、と。
なるほど!と思うところは大だが、
さて、そのような体制(態勢)作りがどれほど大変か……。
コスタリカ一国を相手にするのでもなかなか頭が痛いのに……。
PCMのセミナーについては、いろいろと思うところはある。
分析のための枠組み(フレームワーク作り)と、
その「網の目」があればこそすくい取ることが出来た(明文化出来た)問題
一般化可能なものと個別事情の区分
分析手法の習得と、実際のケース分析の混同
ケース・スタディー用の資料をしっかりと読み込む、というよりも、
ケース・スタディー用の資料には書かれていないことまで意識をめぐらすこと
問題の構造化(あるいは可視化・図式化)の議論
(単純な因果関係や樹形図だけでは整理出来まい……)
(少なくとも、派遣前研修ではそういう話であったが???)
グループワークの人数、
グループワークとラップアップに配当する時間の割合、
等々。
それでも、最後には、何とか、
分析結果を標準的な枠組みの中に示せたようで、
研修員もそれなりの達成感を持てたようであった。
修了式、終了証の授与等、公式セレモニーも無事終了。
一旦自宅に戻り、改めて19時から会場で打ち上げパーティー。
中米だから、ではなかろう。
「同じ釜の飯を食った間柄」というのは、
日本ではもう死語かもしれないが、
この地には、それは、厳然として存在している。
同じ時間を共にし、同じ課題に取り組み、同じように悩み……。
広域プロジェクトゆえの6ヶ国+1国際機関の関係者間に、
同期としての連帯感をはぐくめるような演出を行えるかどうか。
プロジェクトに携わるというのは、そういうことでもある。
アルコール分は、我々専門家のポケットマネーから出ている。
「人づくり、国づくり、心のふれあい」とは、
JICAが昔使っていた標語なのだそうな。
心のふれあいに役立つならば、多少の自腹など安いもの。
(ただ、こういう額を経費として認めないということは、
自腹を切って当たり前と思う者が少なくなっていけば、
絶えていってしまうものかもしれない……)、
USBにダンス・ミュージックを入れて持ち歩いているのはさすが中米人。
(ただし、ダンスの技はドミニカ共和国の人間には負けるらしい……)
(まだ水曜日だというのに)まわりの迷惑省みず!
大音量でBGMを流しつつの、飲み、食べ、踊り。
結局のところ、頭での理解ではなく、
この種の人間の素の触れ合いが、
問題を解決していくのだろうなぁ、と、単純に思う。
もちろん、我々専門家の場合は、そこに専門性が求められる訳で、
飲みまくり踊りまくりの翌朝、
バシッとした講義やワークショップができてナンボ、
という話ではあるのだが。
流れ解散となり、22時過ぎ、自宅に戻る。
(11月6日アップ)
「旅の坊主」、
今宵の宿はホンジュラスのテグシガルパです。
今週一週間はホンジュラス週間でして、
サンサルバドル→
テグシガルパ(2泊)→
チョルテカ(2泊)→
サンサルバドル
という行脚の予定です。
お説の通りで、
PCMは方法論なのですよね。
共通言語を作るという意味は認めるにせよ、
せっかく高い金を出して
あの震災の教訓を伝えようというのであれば、
もう少し別の方法はあるように思います。
それは、来年度の
「旅の坊主」の課題、
でもありますが。
T先生&熱く語る、となると、
某山口大のT先生、と見ましたが?
ご無沙汰してしまっているなぁ……。
そちらからも、よろしくお伝え下さいませ。