「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

某Y県某H市の小学校・中学校の地震防災教育に協力する価値、ありやなしや

2015-06-11 23:41:03 | 防災教育
夕方、某Y県教育庁義務教育課のある方から携帯に電話があった。

某Y県では、文科省の「防災教育を中心とした実践的安全教育総合支援事業」の委託を受け、
防災教育の充実に取り組んでいる、とのこと。
その一環として、学校防災アドバイザーとして、県内H市の小学校と中学校をそれぞれ数回訪問し、

1 地震に関する避難訓練に対する指導助言、
2 防災マニュアルに対する指導助言、
3 学校と地域の連携等に対する指導助言、

をしてくれないか、とのこと。

地侍としての活動エリアを越えた小学校中学校を複数回訪問し、
「自発性&主体性ほぼなし」「来年度の予定ほぼなし」「横展開の可能性ほぼなし」かつ、
「中身のレベルはお話にならないくらい低い!」事業に、
「旅の坊主」が時間を割いてまで、どこまで協力しなくてはならないのだろうか。

で、考えた。

折しも今宵は、富士市が市民向け生涯教育の一環として行っている
富士市民大学ミニカレッジ「防災:地域防災力を育むまちづくり」の担当日。

ミニカレッジを担当するようになって15年。
毎年受講して下さる方もおり、その方々向けの「新ネタの仕込み」がなかなかの難題。
(何せ、防災分野で、防災担当大臣表彰や知事表彰されている人が何人もいるもので。)
で、30分前の出来事という文字通りの「新ネタ」を、話のまくらにさせてもらった。

講義の中では、拙ブログ本年4月29日更新の「防災教育の体系性」を示しつつ、
あるべき防災教育の体系性について、広くは地域防災のレベルについて、話をさせてもらった。
http://blog.goo.ne.jp/tabino_bozu/d/20150429

改めて掲載するならば、以下の4段階、となる(一部加筆修正)。

○小学生段階:自分を守れるようになる
 (災害対応=戦闘レベル/今のための防災教育/個人レベル・自助レベル/例:大人の言うことを聞く、
自分の体を守る、津波の場合は高台への避難)

○中学生段階:小学生段階+他人も守れるようになる、また助けられるようになる
 (災害対応=戦闘レベル/今のための防災教育/家族・近隣レベル・互助レベル/例:初期消火、応急救護ができる)

○高校生段階:小学生段階+中学生段階+将来の自分が被災者にならない
 (災害予防=戦略レベル/将来のための防災教育/個人レベル・自助レベル/
 例:リスクの有無大小を見抜く目を持つ&それを購い得る経済力を身に着ける)

○大学生レベル:その以前の全段階+将来の自分のふるさとを被災地にしない
 (災害予防=戦略レベル/将来のための防災教育/地域への働きかけ・自助互助公助を越えたレベル・まちづくりレベル/
 例:立地と構造・都市計画・土地利用の見直しを担える者になる)

一般論としては、外部からの依頼にはなるべく応えたい。特に防災教育については。しかし、自ずと限度がある。
「やらされ感満載の」「単発モノ」まで手を出してはいけない、それよりも優先順位の高い仕事がある、
我と我が身にそう言い聞かるようになって久しい。

基本的には断るべき内容、否、断らなくてはならない内容、と思っている。
土地柄からして、土砂災害理解教育であれば、まだ意味があるのだろうが、お題は地震防災教育。
かつ、東日本大震災から4年余が過ぎても、避難の良し悪しを出発点としているのだから、話にならない。

ただ、Y県教育庁なりH市教育委員会なりが、DIGセミナーに参加して地域防災を勉強したい、
研究室を訪問して議論したい、というのであれば、それはウェルカム。

Y県教育庁の担当者さんとは30分ほど電話で話をした上で、
H市教育委員会の担当者には、まずは説明に来てもらいたい旨、伝言をお願いした。
ただし、説明に来てもらったところで協力するとは限らない、ということも、併せて伝えてもらいたい、とも。
来てもらえるならば、防災教育の全体像やレベルについて、モノを考えてもらえるとは思う。

まだまだこのレベルか、と思うと、悲しくなる。
と同時に、物書き&教育者の端くれとして、このレベルを上げていくために何が出来るか、
何をやっているかが問われている、ということになるのだろう。
研究者たるもの、「書かずんば死ね」であったな、と、どこかの国のことわざを思い出す。


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