「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

キャリア教育としての防災教育

2014-11-13 23:19:52 | 防災教育
年に2コマ合計180分、
所属学部である社会環境学部(旧名称:環境防災学部)ではない学生向けに、
防災の話をすることがある。今日がその日だった。

対象は3年生。本当は1年生のうちに教えることが出来れば、との思いがある。
ただ、カリキュラムの設計上、そうはなっていないのが残念。
(1年生向け「災害と人間社会」は他学部の受講も認められているのだが、
なかなかそこまで手を伸ばそうという学生はいない。)

不幸な時代に生まれてしまった学生達。
90年から150年に一度襲いかかってくる巨大災害。
1944年と1946年の間をとると1945年。この年から数えて今年は69年目。
40代か50代か、その日がいつかはわからないが、
人生の中で様々な責任の一番重いであろう時期に襲いかかってくる巨大災害。
「先進国日本の最後の日」と言う者もいる。
所属している組織が守ってくれるか。巨大災害で就職先ごと吹き飛ばされるか。
そのような先読みが出来る中で、人生を狂わされないようにするポイントは何か。

「旅の坊主」の講義を聞き慣れている者にとってはいつもの話である。
ただ、多少なりとも防災を学んだというのであれば、
これらの論点の関連性くらいは、ついてきてもらいたい&
理解してもらいたい、と思う。

しかし学生は、残念ながら、悪しき日本の防災の常識が刷り込まれている。
非常用持ち出し袋、避難所、避難経路、3日分の備蓄、「おはしもち」、等々。
学生は、これらを防災と考えてしまっているのだろう。

つまりは、「不幸な時代に生まれてしまった」に始まる一連の流れが、
防災の一大テーマであることを理解できない、ということなのだろう。

問題の所在が理解できなければ、当然のことながらまともな対策がとれる訳がない。

90分のコマであったが、彼らの頭の中に、これから学生が直面する事態は、
「君たちが防災と考えていたようなもので何とかなるような代物ではない」ということを、
少しは理解してもらえただろうか……。

「災害は貧しい者によりつらく」
これが災害の現実である。そこで、学生諸君に問うてみる。

「君たち一人一人にとって(注:一般論ではない、という話)、
予見される駿河トラフ・南海トラフ沿いの巨大地震で、君たちの人生が狂わされないようにする、
その対策の基本を漢字一文字で示すとすれば、それは何か。」

(読者のみなさん、いかがでしょう?)

もう大学3年の11月も半ばなのですよね……。

そういって、本学のキャリアサポートセンター(いわゆる就職課)に来ている
求人票を示して、求人票の読み方のポイントを幾つか説明する。

学生にとっては、これがベストの災害対策なのだが、
そのことをピンと来てくれた者が、一体何人いたことか……。

今日の学生諸君に挑戦してもらったものだが、昨年夏、
本学で「旅の坊主」自身が行った、教員免許更新講習での修了認定試験問題(抜粋)を以下に示す。

否定し難い現実、それは、「災害は(①      )より辛く」である。
建前と本音を使い分ける日本人ゆえか、
この言葉がストレートに言われることは少ないが、
リスクの少ない生活を送れるかどうかは、
リスクの少ない生活環境を(②       )を持つことと、
そのような環境を(③      )を持てるかどうかにかかっている。
その意味で防災教育は、その本質においては
(④      )教育と相通じる側面を持っている。

こういう議論を、防災教育の出発点にしたいのだが、さて……。