「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

来年2月の「震災対策技術展」での講演日程が決まる

2014-11-11 23:55:12 | 地域防災
毎年2月前後にパシフィコ横浜で開催されているのが「震災対策技術展」。
http://www.exhibitiontech.com/etec/

事務局から連絡があり、初日の2月5日(木)12:20~13:05まで
45分という短い時間ではあるが、講演の機会をいただけることが正式に決まる。

演題は「災害図上訓練 (Disaster Imagination Game) DIGの過去・現在・未来」

講演要旨は以下の通り:
参加型防災ワークショップの事実上の日本標準となった災害図上訓練DIGではあるが、
その、誰もが企画・実施・参加できる簡単さがかえって仇となり、
ニセモノとは言わないまでも、ホンモノとは言えないDIGが世にあふれてしまっている。
正しいDIG、否、DIGを用いての地域防災についての正しい理解・検討・
導いていくべき方向性はどうあるべきか。
DIGの来し方行く末を考案者自らが語ります。

拙ブログをお読みいただいている方であれば、震災対策技術展にも関心ある方が多いを思います。
見に行くことをお考えであれば、ぜひ、「旅の坊主」の講演も聞きにきて下さいませ。
(事前登録もよろしくお願いします。)

内閣府「防災ボランティア活動検討会」に思う(その1)

2014-11-11 23:13:17 | 防災ボランティア
先日、新潟県中越地震から10周年を迎えたが、
その災害が多かった年として記憶されている2004年、
内閣府(防災担当)による「防災ボランティア活動検討会」が始まった。
概ね年2回のペースで開催されている、50名ほどの防災ボランティア界の
ビッグネームが集まる会。今日11日の会議で節目となる20回を迎えた。

5時間半の間、もっぱら聞き役となり、現時点における防災ボランティアの姿と、
今後の課題について、メモを取りながら考える。

今日改めて感じたこと。

東日本大震災によって、日本の防災ボランティア活動は、
量的には広がりを見せたのだろうが、質的にはかなりレベルが下がった、と、
言わざるを得ないのではないだろうか。
もちろん、裾野が広がることは大歓迎。
しかし同時に、「泥かきのような作業をする」のがボランティア、という、
刷り込みが出来てしまったのではないか、と。

少なくても10年前から防災ボランティアに携わっている仲間達である。
作業系ボランティア以外にもさまざまな活動を行ってきたはずが、
どこか単調なものになってしまったのではないか、と。
それは、仕掛ける側(仕掛け得る側)にいたはずの我々の力不足とも言えるのだろうが。

より本質的な問題は、今はまだ良いが、これから先はよほど予防に力を入れない限り、
災害対応のボランティアではどうにもならない事態になるであろう、ということ。

地方都市に活動拠点を置き、また他の地方の状況を見る機会も多い身としては、
地方の疲弊は否定し難く、そしてその傾向は今後ますますひどくなっていくことは明らかである。
それは、東京に行く度に嫌でも目の当りにする「金が動いているなぁ」という姿の
裏側に何があるのかを想像してみれば、すぐにわかる話である。

今なら、特に局地災害であれば、ボランティアセンターが回し切れないほどの人が集まる。
しかし20年後、少子高齢化が進み、一層の都市化と地方の疲弊が進んだ時点での
駿河度ラフ・南海トラフの巨大地震・津波である。
災害対応に携われるボランティアがどれほどいるということやら……。

ここらで本気で、まちづくり・都市計画という意味での予防と、
そのようなセンスを持つ者を育てるという意味での教育と、
それらこそが防災ボランティアの「主戦場」である、というような議論を吹っ掛けなければ、
まちはどんどん災害に弱くなっていくのではないか、そんな気もする。

中越地震の被災地は、外部からの刺激(ボランティア)をうまく活かすことで、
人口減に歯止めをかけることは出来なかったものの、
震災前よりも、元気なまち、活動的なまち、刺激的なまちにすることが出来たと聞く。
それは「風」があったから。その「風」も新潟の地に集中して吹くことが出来たから。

しかし、静岡から大分・宮崎までが同時に被災地になるような広域災害では、
被災地が広すぎるがために、被災地の隅々まで吹き渡るだけの「風」の力がない。
巨大災害が朽ちかけている木をなぎ倒す嵐の役割を果たすことになるだろう。
そしてそこには外部からのボランティアという風は吹かない。

予防と教育に重きを置く防災ボランティアの活動。
「旅の坊主」が果たすべきは、その辺りの考え方の整理のようである。

と書いていて思う。まだまだ考え方が整理されていない。表現が甘い。
このテーマ、もう少し突き詰めなくては、である。