「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

共同通信Iさんとのブレストを終えて

2014-11-28 23:33:30 | DIG
午前中は「災害医療システム」の講義。
高嶋哲夫氏による「未来のノンフィクション」『首都感染』を題材に、
今、ここにある課題としての、感染症対策について議論。

(この本&今日の講義の内容については、改めてどこかで整理して提示したいと思っています。
もう少しお待ち下さい。)

昼休み、昨日のブログでも予告(?)しておいたことだが、
神戸から、共同通信神戸支局のI記者が来校、
3限、4限の「防災実習」のコマを使って、履修学生+ゼミ生と一緒に、
DIGの来し方、DIGの実際、さらに地域防災への思い、「旅の坊主」が「防災の物語」と呼ぶもの、等々について、
講義し、また意見交換する。学生諸君からの発言も多かった。嬉しい話。

当初はIさんの取材の意図がわからず、ちょっと戸惑ったところがあったが、
DIGとはどういうものかという、その来し方から話をしていくことで、
Iさんなりに思うところがあったようで、そこから先は大変刺激的な議論となった。

改めて考えることであるが……。
地域を知るということ、あるいは地域愛、また「顔の見える関係づくり」というのは、
どこまでが防災の範疇でなく、どこからが防災の範疇になるのだろうか。
「災害を知る、まちを知る、人を知る」という一セットの言葉は、
最近はあまり使っていないが、初期DIGの目指すところを述べたもの。
この流れでいえば、地域のグルメマップづくりも、まちを知るにつながる訳で、
間接的とはいえ防災に役に立つ、ということ、なのだろうが……。

だが、同時に、阪神淡路大震災最大の教訓が、
お亡くなりになった方のほとんどは旧耐震時代の家にお住まいだったこと、
地震で人は死なず、耐震性の低い家に潰されて死んだ、ということを考えるならば、
グルメマップ作りのレベルでは、防災とは言えない、ということにもなる。

何が防災で何が防災でないのか、などという定義の論議をするつもりはさらさらないが、
大きな心で受け入れて、
「何であれ、地域の地図を囲んでくれるならば、それは直接間接に防災の役に立つのですから」と、
言うべきなのだろうか……。

少なくても、防災を語る際に地図を使うことで議論が客観的になることは間違いない。
防災を語ろうと言うならば、地図のない防災論議は(具体的でないので)ありえない、
ということは、しっかり言うべきだろう。

でも、たとえ地図を使っていたとしても、例えば避難先の検討に使っているようであれば、
「阪神淡路大震災の、東日本大震災の、教訓を学んでいない人たちのDIG」
そう言い切ってもよいのだろうか。(実際はその通り!と思うのだが……。)

地震で潰れるような家に住んでいれば、避難の前に話は終わっている。
津波からの避難に成功しても、それでも津波は襲いかかってくる訳で、
それにより人生崩壊&ふるさと消滅、(注:職と住を同時に失っての再起はなかなか難しかろう)
これが防災の目標の値するのか、と。

Iさんが記事にするのは少し先の話と聞く。
彼の中でどのような「DIGと防災の物語」が醸し出されていくのか、楽しみに待ちたい。

最後まで付き合ってくれた学生2名も含め、少しご無沙汰の丸天で夕食。
刺身の大皿とまぐろのテールシチュー、それにノンアルといういつものメニューながら、
Iさんには喜んでもらえたようで何より。

研究室に戻り、もう少し仕事。