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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

みかんの木

2019-02-18 09:12:44 | 出雲の神社

<中嶋神社 なかしまじんじゃ>

 

金屋子神に関する「犬」「麻」「蔦」「藤」

などのキーワードについて、

あれこれと推論を重ねてみましたが、

最後に残ったのが「みかんの木」

という不思議な文言です。

聞いたところによりますと、

全国の金屋子神をお祀りする神社の祭事では、

「金屋子神が好む」という理由で、

みかんを供える、あるいはみかんを焼いて

食べるといった風習があるのだとか。

 

「みかん」と聞いて思い浮かぶのは、

常世の国から「みかん(橘)」の原種を持ち帰った、

田道間守(たじまもり)かもしれません。

田道間守は新羅由来の渡来人である、

アメノヒボコの後裔とも言われている人物ですから、

常世の国が新羅であった可能性も高いと思われます。

仮に、みかんと新羅との間に関連があるとすれば、

金屋子神と新羅とのつながりはいかに……。


タタラ唄

2019-02-17 09:09:55 | 出雲の神社

<宍粟市千種町>

 

岡山県英田郡西粟倉村に伝わるタタラ唄に、

「金屋子神の生まれを問えば、元は葛城、安部が森」

という歌詞があるのだそうです。

『金屋子神祭文』とは微妙に内容が異なりますが、

この唄を元に金屋子神の素性を推測するなら、

「金屋子神はもともと葛城の神だった」

「金屋子神はもともと安倍氏と関連していた」

という可能性も浮上してきます。

 

恐らく、金屋子神の出元である播磨と、

タタラ唄に登場する奈良・葛城、

および安倍氏との間には、

出雲国に入る前から、

何か特別なつながりがあったのかもしれません。

仮に、出雲の安倍氏に協力した「蔦」も、

葛城氏を指し示しているとすれば、

敵対関係にあったと思われる播磨と出雲とを結ぶ、

「葛城氏」の思惑が気になるところですね。


鉄と藤づる

2019-02-16 09:06:17 | 出雲の神社

<宍粟市・たたらの里学習館>

 

強くて丈夫な「藤」のつるは、

古代より、砂鉄を採るための

「ザルの材料」として重宝されたため、

「鉄穴流しを象徴する植物」

とも言われているそうです。

仮に、金屋子神を助けた「藤」が、

藤のつるを武器にして戦った

諏訪のタケミナカタの暗喩だとすれば、

金屋子神に関わる独特の風習は、

鹿を供物として捧げる諏訪大社の特殊神事、

「御頭祭」のイメージとも重なりますね。

 

つまり、これらの内容を元に考えると、

金屋子神を助けた「藤」という暗号は、

諏訪のタケミナカタに縁する一族、

つまり古代ユダヤ氏族の中でも、

「75」への強いこだわりを持ち、、

生贄をタブーとしない一部の人々を

指すとも考えられるのでしょう。

もしかすると、金屋子祭文の中の

「死体をタタラ場にくくりつけた」という記述も、

暗に人柱を示唆したものなのかもしれません。


出雲と諏訪

2019-02-15 09:00:12 | 出雲の神社

<金屋子神社 かなやごじんじゃ>

 

金屋子神に関する伝承を読みますと、

「猟奇的」「血なまぐさい」とでも

表現したくなるような内容が散見されます。

恐らく、それらの内容が意味するのは、

「生贄」や「人柱」を禁忌としない人々が、

出雲にやってきたということなのでしょう。

つまり、金屋子神および75人の子供たちは、

渡来氏族の中でも「ある特殊な習俗を持つ人々」

だったのかもしれません。

 

そこで気になるのが、金屋子神がすがったとされる

「藤」そして「みかんの木」が何を示唆するかですね。

ちなみに、長野県の諏訪地方には、

「出雲を追いやられたタケミナカタの神が、

諏訪湖のほとりで体を休めていたとき、

地主神である洩矢(もりや)神が、

鉄輪を掲げながら攻めてきたため、

藤のつるを縄にして応戦した」

という伝承が残っていました。


タタラ場の掟

2019-02-14 09:58:43 | 出雲の神社

<宍粟市・たたらの里学習館>

 

タタラ場に行く途中、「犬」たちに襲われた村下は、

麻紐に足を取られ命を落としてしまいました。

すると、金屋子神は弟子たちに

「村下の遺骸を高殿にくくりつけ、鉄を吹け」と命じます。

神の言われるままに、遺骸を高殿にくくりつけると、

これまでにない上質な鉄ができたそうです。

 

また、近隣の集落の伝承の中には、

金屋子神の突然の死に戸惑う弟子たちが、

金屋子神に救いを求めて祈ったところ、

「四柱に死体を立て掛けよ」

あるいは「村下の骨を四柱に括り付けよ」

などの神託が下ったという話もあります。

 

それ以外にも、村に死人が出た際には、

1.葬列がタタラ炉の周囲をぐるぐる廻った……、

2.たたら場の中で棺桶を作った……、

3.棺桶の木を使うと炉が上手く稼働した……、

4.ドクロの色の変化で鉄の出来を占った……等々、

物々しい俗信がいくつも伝えられているのだとか。

いずれにせよ、金屋子神という存在は、

「死のケガレ」を避けるどころか、

逆に利用しようとしていた節が見られるのですね。


75への執着

2019-02-13 09:52:33 | 出雲の神社

<金屋子神社 かなやごじんじゃ>

 

実は、金屋子神は出雲に入る際、

自らの「75人の子供」を同行させており、

タタラの高殿は彼らの指導により建てられ、

またタタラに使う75種の道具が、

彼らの元で作られたのだそうです。

75という数字が強調されたこの内容からは、

「75」への執着を持つユダヤ人が、

金屋子神に干渉していたことを匂わせますね。

 

昨日、金屋子神社の下がり藤の神紋や、

和気氏の別性が藤野であることを理由に、

播磨国のタタラ集団を助けた「藤」は、

藤原氏か和気氏であろうと推測しましたが、

もしかすると、考えなければいけない、

別の可能性もあるのかもしれません。

改めて調べてみますと、出雲との因縁が深く、

また「藤」との関連をもうかがわせる

彼ら以外の有名な古代豪族が存在したのでした。


藤の豪族

2019-02-12 09:50:03 | 出雲の神社

<金屋子神社 かなやごじんじゃ>

 

「藤」の豪族と聞いてまず思い出すのは、

藤原不比等を筆頭とする藤原一族です。

実は、藤原氏と金屋子神社には、

かなり深いつながりがあったようで、

神社の「拝殿」に刻まれた神紋を見ると、

まさしく藤原氏の「下がり藤の紋」でした。

 

しかし、本来の金屋子神社の神紋は、

別の図柄だったと聞きますから、

恐らく、後年になって藤原氏がこの地の

「鉄」に関与した可能性もあるのでしょう。

 

一方、奥出雲のタタラ伝承のキーマンでもある

播磨国の和気氏には、別部という名称の他にも、

「藤野」という苗字を持つとも聞きます。

つまり、播磨国のタタラ集団を助けた「藤」とは、

そのままズバリの藤原氏だったか、

和気氏と同族である「藤野」だったと考えても

不自然ではないのかもしれません。


山師たち

2019-02-11 09:38:55 | 出雲の神社

<金屋子神社 かなやごじんじゃ>

 

播磨国の鉄を管理していた「犬」たちは、

出雲の砂鉄に目を付けた和気氏の配下となり、

奥出雲の里へと派遣されたのでしょうか……。

金屋子神とともに出雲にやってきた

和気氏の犬(播磨国のタタラ集団)は、

安倍氏率いる出雲の犬(出雲国のタタラ集団)に、

鉱物資源の所有権を渡すよう迫ったのかもしれません。

恐らく、播磨の金屋子神が嫌った「犬」というのは、

出雲国の山師たちのことだったのだと思われます。

 

しかしその後、播磨国の支援を受けるようになった

安倍一族の村下は、「出雲の犬」たちの反乱に遭い、

逃げる途中で命を落としてしまいました。

もしかすると、奥出雲一帯を治めていた

村下(朝日長者)は、自らの犬たちの反対を押し切り、

播磨国のタタラ民に土地を明け渡した可能性もあります。

その際、「出雲の犬」側に力を貸したのが、

忌部氏と葛城氏だったと仮定すると、

気になるのが、「金屋子神」つまり播磨国側を

助けた「藤」が暗示する豪族の名ですね。


麻と蔦

2019-02-10 09:34:36 | 出雲の神社

<宍粟市・たたらの里学習館>

 

昨日、『金屋子神祭文』の中に記された

「村下(および金屋子神)が犬に襲われ命を落とす」

という話をご紹介しましたが、

近隣地域に伝わる昔話の中には、

「犬に吠えられた金屋子神は、蔦を伝って逃げたが、

蔦が切れて犬に噛まれて亡くなった……」、

あるいは「蔦ではなく麻苧に絡まり亡くなった……」、

さらには「蔦は切れたが藤(もしくはミカンの木)

につかまって助かった……」など、

若干細部のニュアンスを変えながら、

金屋子神の素性を暗示させる文言が残されていました。

 

仮に、「犬」という言葉が、各々の氏族の

「山師たち」を指しているのだとすれば、

村下は自らの同族であった安倍一族の

タタラの民に襲われたとも解釈できます。

さらに、「麻」を麻の栽培を広めた忌部氏、

「蔦」を葛との関連を元に葛城氏に当てはめると、

両氏族が安倍一族に協力した可能性も出てきますね。

恐らく、この部分が描こうとしているのは、

出雲族の配下の「犬」と播磨族の配下の「犬」、

つまり各々のタタラの民同士が、他部族と連携しつつ、

出雲の砂鉄を巡って対峙した場面なのかもしれません。


金屋子神の素性

2019-02-09 09:24:18 | 出雲の神社

<宍粟市・たたらの里学習館>

 

播磨国から出雲国へと降り立った金屋子神は、

その後どのような行動を取ったのでしょうか……、

『金屋子神祭文』の続きを見て行くことにしましょう。

 

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金屋子神が桂の巨木に座って休んでいるところへ、

たくさんの犬を連れた「安部正重」

という人物が通りかかりました。

金屋子神に気づいた犬たちが吠えて、

神に襲い掛かろうとしたため、

安部正重が「あなたは何者か?」と問いかけると、

「私は金屋子の神だ。ここに住んでタタラを作り、

鉄の生産を広めたい」と告げたのです。

 

金屋子神の申し出に従い安部正重は、

土地の朝日長者である長田兵部を

「タタラの村下(むらげ)」に任じ、

早速、製鉄を行う準備に取り掛かりました。

ところが、金屋子神が村下とタタラへと向かう途中、

またしても犬が吠えかかってきたため、

慌てて逃げようとしたところ、麻(蔦)に足をとられ、

村下(金屋子神という説もあり)は死んでしまいます。

*  村下とは棟梁(現場責任者)のこと

==========================

 

このときの出来事が発端となり、

「金屋子神は犬を嫌う」との伝承が生まれたと聞きます。


別部の犬

2019-02-08 09:03:49 | 出雲の神社

<和気神社 わけじんじゃ>

 

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山の四面に十二の谷がある。どの谷も鉄を産出する。

鉄の鉱脈を発見した人は、別部(わけべ)の犬である。

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『播磨国風土記』の中に記載された

この記述を読みますと、当時の播磨の山々が、

いかに「鉄」であふれていたかがわかります。

恐らく、ここで登場する「別部の犬」こそが、

のちに出雲へとやってきた金屋子神に関する、

有力なキーワードとなるのでしょう。

 

ちなみに「犬」という生き物は、その感覚の鋭さから、

山で働く人々の右腕となって働いてきた動物ですが、

ここで言う「犬」とは、砂鉄を求めて

山野を渡り歩く人たちの総称であり、

「タタラの民」を表している可能性が大です。

 

さらに、「別部」が何を指しているのかを調べて行くと、

「別部」という別名を持つ、和気清麻呂(の一族)

を示すのではないかという説が存在しました。

果たして、播磨国にいたタタラ集団とは、

和気氏と関連する人々だったのでしょうか……。


播磨から来た神

2019-02-07 09:01:52 | 出雲の神社

<宍粟市千種町>

 

『金屋子神祭文』の冒頭には、播磨国にいた「タタラ集団」が、

さらなる生産地を求めて西へと向かった話が描かれていました。

何でも、金屋子神が最初に現れたのは、奥出雲の近辺ではなく、

播磨国宍相郡(兵庫県宍粟市千種町)付近でして、

金屋子の神は、日照りに悩む千種の村人に対し、

「わたしは金山彦、天目一箇神とも呼ばれる金屋子神である」

と告げ、彼らにタタラの技術を教えたのだそうです。

 

そして、「製鉄産業を広めるために西に行く」と言い残し、

白鷺に乗って飛び去って行ったのち、金屋子神社のある

能義郡比田の森(安来市広瀬町)に降り立ったのだとか。

ちなみに、千種町の「種」は、「鉄」を表す言葉で、

昔、千種町のあたりでは上質の鉄が取れたと聞きます。

となるとまず気になるのは、播磨にいたタタラの民が、

どのような出自の人々だったのかということですね。


金屋子神祭文

2019-02-06 09:59:39 | 出雲の神社

<宍粟市・たたらの里学習館>

 

金屋子神は中国地方を中心に

信仰される「鍛冶の神」です。

安来市広瀬町の金屋子神社は、

「金屋子神」の総本社であり、

奥出雲の一帯のみならず、

全国の「鍛冶」「製鉄」関係者から、

厚い信仰を集めていると聞きました。

 

「金山彦・金山姫」や「天目一箇神」

とも同一視されるこの金屋子神ですが、

部族間争いの最大のきっかけを作った

「鉄」の神でもあることから、その裏には

血なまぐさい歴史も潜んでいるようです。

 

ちなみに、江戸時代に書かれた『鉄山秘書』

の中に記された『金屋子神祭文』には、

金屋子神という謎の神を知るための、

様々なヒントが隠されておりました。

まずは、それらの謎の手掛かりを得るべく、

金屋子神にまつわるいくつかの伝承を

挙げてみることにしましょう。


豊かな森

2019-02-05 09:56:03 | 出雲の神社

<奥出雲町>

 

「製鉄の神」とも呼ばれるスサノオですが、

戦いの場面で描かれるスサノオの姿を見ますと、

スサノオ自身は「鉄」、つまり武力を

否定していたような印象すら受けます。

例えば、オロチの尾から取り出した神剣は、

自らの所有物とすることなく、

すぐさま天照太御神に献上したと言われていますし、

スサノオの分霊でもある大国主神に関しても、

天津神が派遣した「剣の神々」の前では、

決して武器を手にしませんでした。

 

恐らく、スサノオが本当に許しがたいと感じたのは、

イズモの人々が大切にしてきた山と砂鉄を奪い、

自らの利益のためだけに木々を伐採し続けた

「異国民」だったのだと思われます。

そして、スサノオが本気で守ろうとしたのも、

武器を作り出すための施設や技術ではなく、

日本各地の「豊かな森」だったのでしょう。

海の向こうから日本を眺めていたスサノオは、

美しい緑に覆われていた日本の山々が、

異国の「鉄の民」に荒らされて行く様子を、

黙って見ていられなかったのかもしれません。


様々なオロチ

2019-02-04 09:53:49 | 出雲の神社

<オロチ資料>

 

先日取り上げた「イソタケル」の件と同様、

ヤマタノオロチという物語の中にも、

「時代を越えたいくつもの出来事」が重なり、

解釈を難しくしている部分があると思います。

時代背景に応じて「鬼」の定義が変わるように、

スサノオが指し示す人物(集団)も、

その折々で変化しているのでしょう。

 

例えば、もともと出雲にいた原住民にとって、

スサノオは「荒神」と呼ばれる土地の神であり、

自然を司る大切な神様だったはずです。

そして、その後スサノオ信仰とともに

来日した渡来人が、製鉄技術を持ち込んだことで、

渡来人自体が第二のスサノオになったとも解釈できます。

 

さらに今度は、原住民と渡来人とで守ってきた

「山々」と「タタラ」を高志の異国人が搾取し、

高度な武器を製造し始めたため、

第三のスサノオに討伐されたのでしょうか……。

もしかすると、記紀の物語が描こうとしたのは、

鉄文化の負の側面ともいえる山々の荒廃と、

砂鉄を巡って繰り広げられた、様々な時代の

「スサノオ」の姿だったのかもしれません。