たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

75への執着

2019-02-13 09:52:33 | 出雲の神社

<金屋子神社 かなやごじんじゃ>

 

実は、金屋子神は出雲に入る際、

自らの「75人の子供」を同行させており、

タタラの高殿は彼らの指導により建てられ、

またタタラに使う75種の道具が、

彼らの元で作られたのだそうです。

75という数字が強調されたこの内容からは、

「75」への執着を持つユダヤ人が、

金屋子神に干渉していたことを匂わせますね。

 

昨日、金屋子神社の下がり藤の神紋や、

和気氏の別性が藤野であることを理由に、

播磨国のタタラ集団を助けた「藤」は、

藤原氏か和気氏であろうと推測しましたが、

もしかすると、考えなければいけない、

別の可能性もあるのかもしれません。

改めて調べてみますと、出雲との因縁が深く、

また「藤」との関連をもうかがわせる

彼ら以外の有名な古代豪族が存在したのでした。

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