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夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

コブハクチョウ 再び

2009年07月13日 09時54分25秒 |  岬な日々


いすみ市にコブハクチョウがいるって書いてから一月ほどになりますか?
その後、あの場所にいなくなってしまって、どこかへ行ったのかと思っておりましたら、ひょっこりお会いしました。
だいぶ、岬が気に入られたようで、ここに住民票も移されるのもまもなくではないかな~




ただ、以前のところで、ずいぶんと美味しいものを食べられていたようで、こちらの海草はあまり美味しいようではなかったみたい。
頭を下げながら、「ほ~、ほ~」ってお呼びしますと、こちらへ大急ぎでこられて、「なんか美味しいものない」っておねだりが激しいです。

これは先週の土曜日に撮った写真です。
そのときには、こちらにいらっしゃるのを知りませんで、何も用意がありませんでした。
「明日、なんか食べるものを持ってくるね~」ってお約束したのですけど、約束を果たさずに、東京に戻ってしまいました。
今度、行ったときに怒られるかな~

半夏生  いすみ市岬町押日

2009年07月12日 10時49分29秒 |  非・常識的茶道


雨が降り、蒸し暑い曇り日が続くと、「嫌だね~」って泣き言が聞こえてきます。
季節には季節の天気がないと、あとあと困りますからね~ってお返しするのですけど、でもほんと、頭では分かっていても蒸し暑いのは気力をそぐばかり。

お茶をやる人たちは、常にその季節のちょっと先を取り込みます。
だからお茶をやる人たちの周りは、季節に先駆けたものが多い。
でも、陰暦との差もあって、どうかすると滑稽なくらいの見世物になることもある、、、、
気をつけたほうがいいよっては言うのですけど、なんせ皆様、自信の塊のような方たちだから、、、、
おまけに、こちらも、田舎教師との間で、「センセ、それはあちゃらのお流の、、、」「あら、そうだっけ、、、」なんてことはざら。果ては、「えぇっと、これどうするんでしたっけ?」「知らん。ボクちゃんはお弟子だもん」なんて会話が日常のレッスンをしてきた人ですから、私が何を言ってもねぇ~

確かに、日本のように季節のメリハリがつきすぎるくらいについているところでは、季節を大切にするのは大切なこと。それをほんの少し、前倒しにしてみせるというのは、急に減税が前倒しになるくらいの嬉しさはありますよね、、、
でも、そのために、野にある如く、、、その野を探すのに、花屋さんは人知れず、北や南に奔走するのでありました、チャンチャン。
ほらそこの子、たまには水あめも買ってくれなきゃ、次回は見せないよ。。。

それにしても、毎回言っていますけど、深夜便を聞きながらのお茶が電灯でぱっちりだったり、朝早くのお茶が、クーラーで冷やされた部屋で出たり、、、
東京のお茶で、京都のお菓子が出たり、、、それ以上に、一年を通じて、お茶がお茶の味を出していたり、、、
お茶に自然がなくなりました。
お茶にその土地の情感がなくなりました。
利休さんがお茶を作ったときにはそんなことはなかったんですよね~

これからしばらくの間のお茶は、不味いお茶、暑い部屋。そして炭の匂い。。。。
そして、それ以上に恐ろしいのが、炭に酔ったU20を介抱する。。。
ただひたすら、死ぬ思いを耐え忍ぶものだったのかもしれませんね~
それだって、よかったのに、、、、


一月ほど前から、知人の日記には半夏生がでてきていました。花屋にも半夏生がでていました。お茶花に使うのでしょうね。
雑節の半夏生もこの花から来たということを聞いたことがあります。

私も、先日はやっと手に入れた半夏生を楽しみましたけど、でも家の子はこちらに来てまだ一年もたたないので、今年はだめでしょうと諦めておりました。
昨日、岬の町を走り回っていたときに、堰に咲いている半夏生を見つけました。
締め付けるような蒸し暑さのなかで、水辺の半夏生は見るからに涼しそうでした。



ところで、どこかのお流から贈られてきたカレンダーの一つに茶花のカレンダーがあります。今月のは、乙女百合、下野、半夏生、撫子、虎の尾、薊、刈萱。これらが手付けの牡丹籠に活けてありました。ここのお流のはもう少しシンプルにならないのかな~なんて思うことがありますけど、そんなことを口にしたら、ねぇ、どんなことになるのか。でも、先代のはもう少しシンプルだったかも、、、チャンチャン。。。。言っちゃった。

でも、私のも、なんだかごった煮風でしたよね~
萱に半夏生だけ、なんてのも悪くないとは思いますけど、、、
どうしてもごった煮になる運命にあるのでしょうか。

茶花もそうだけど、ここの炭をお勉強したらってアドバイスをくれた方もいたし、あの袱紗さばきもとても気になるし、、、、
でも、今までにも何回かお家元に不義理をしているし、いまさら、弟子にしてくださいなんていえないよな、、、、だから、まっ、いいか。
仕方ないから、総じて変なお流の方の門を叩こうか。
教授料として毎回、純米酒を持ち込めばいいのかな?
八本。いや八升ではなく、もちろん八斗でもなく、八合ずつ。。。いかがでしょうか?






1000ミリ レフレックス+ 1.4テレコンバーター そして三脚

2009年07月12日 08時33分51秒 |  デジカメ練習帖
お借りしていたデジスコをお返しいたしました。
やはり、カメラがメインで動いていますと、デジスコまで持ち歩くというのは大変。
持ち歩きは車ですので特に問題はないのですけど、現場でカメラとデジスコを両方扱えるわけではなく、どうしてもデジスコのほうがお留守になってしまいます。
貸してくださった方も、カメラもやる方なのでその辺はよく理解してくださいました。

でも、デジスコがなくなると、やはり長いレンズが欲しくなると、半分カビになっております1000ミリレフレックスを引っ張り出しました。
以前にも書いていますように、この1000ミリには今のデジカメに使えない製造番号というのがありまして、たまたまこれにヒットしている。でも取り付け部分の何かが問題ということで、では間に何かをかませればいいのじゃとサポートに聞きましたら、それなら問題ないでしょうということで、必要もないテレコンバーターをつけております。手持ちのテレコンで一番倍率の低いものが1.4倍ですので、これをつけて、1400ミリになります。35ミリフィルムカメラで換算するとなんと2150ミリってことは以前にも書きましたっけ。

あの時から比べると三脚の本体が変わっています(雲台は同じものを使っています。なんせこれだって欲しいのは十万オーバー(物によると20万超え)の世界ですからね、そんなに簡単には買い換えられないのですよ)

フィルムカメラの1000ミリ超え(私のカメラだと700ミリを越えるレンズ)のクラスになると、ミラーの跳ね上がりすら問題になる世界です。三脚は必須。三脚の買い替えも、このレンズが使えればという思いがあったのも事実。

今まで散歩用に持ち歩いていた三脚の耐荷重(4キロ程度のもの)だといつも使っている500ミリでも少し無理でした。もう一台の三脚では重過ぎて散歩の途中でへばってしまう。
でもこのレンズは飛んでいる鳥を手持ちで撮影するのに使ったりしていましたので、今まではそれほど三脚の必要を感じなかったのですね。

むしろクローズアップのときには感度も落としますし、絞り込んで被写界深度を稼ぎますので、シャッタースピードが遅くなる、ブレる、ということで、三脚はせいぜい200ミリ以下のクローズアップ撮影専用みたいになっていましたので、これでも全く問題はなかったのです。

でも500ミリでも撮り方によっては、リサイズしたものでは分かりませんけど、原画を見ているとどうしてもにじみのようなブレが出ているような感じで気になります。1000ミリレフレックスを使うためだけというのではなく、やはり500ミリでもきちんとした三脚は必要なのですね。

いつものオオヨシキリをモデルにテストしました。
D300+1000ミリレフレックスF. 11+1.4倍テレコンバーター (35ミリ換算 2150ミリ)
曇りで、ISO1600まで上げてあります。
ノートリミングです。このシステムでちょうどあつらえたみたいに画面に収まってくれました。
これでもにじみブレが出ていますし、ピント甘め。コントラストももう少し欲しい。



ところで、サブカメラに長焦点のデジカメが欲しいと思っていましたけど、最近フォーサーズ(もしくはマイクロフォーサーズ)でもいいかと考えています。ニコン用のマウントアダプターを使えば、ニコンのレンズが使える。フォーカスはマニュアルになりますけど、今の使い方からすればそれが普通なので、問題にならない。
手ブレ防止がボディ内に入っているので、それが使えるし、何よりも、ミラーがないということ。つまりミラーショックから開放されるということですね。そして焦点距離が2倍。マクロをやる人にはこれは不満な点でしょうけど、500ミリが1000ミリの手ブレ防止レンズになる、、、鳥を撮る人には、これは長所ですよね。それに、私にとってはおまけですけど、動画もできる。
フォーサーズをサブカメラにしているニコン党の方、ぜひアドバイスをお願いします。


それにしても、先は長いというより、先は高い。
ボクちゃん死ぬまで貧乏の道から逃れられない運命にあるのですね。

猫だって今の日本には文句があります

2009年07月11日 21時05分28秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


飯野晴子さんの「住人がこんなに町のこと考えてるのに、自治体の意識が日本一低いエリアは「千葉県いすみ市」でございます!」って言葉を鴎外の鴎荘の日記のときにご紹介しました。

このいすみ市、いろんなところで、いろんなお店で、さまざまなイベントが行われています。お店のプロモーションはもちろんですけど、自然保護とか、町の活性化とか、もっと地域、社会のためのことが多いのですね。

それに影響を受けたのか、今日は岬の海岸で猫たちが集まって、社会派の寸劇をやっておりました。
観客は私以外はお年寄り三名だけ。出演者のほうが多いイベントではありましたが、、
知人の座長も元気なお年寄りの劇をやっておりましたが、彼女、そしてあの劇はどうなったのでしょうかね~
猫ちゃんたちを次の公演の出演者として紹介いたしましょうか。
ギャラも本だし鰹節一袋なんてことでいかがでしょうかね~
猫ちゃんにとっても、彼女の積極的な生き方はいいお手本になるのでしょうけど、、、



皆さん、今の日本の老人福祉、弱者対策をどうお考えですか、、、、



たくさんの人々の命、一生が今の制度の中で失われている現状があるのをご存知ですよね。



それでも役人も、かってはその役人を批判していた今の大臣も、政府も、それに対して何もできない。やろうとしない、それが今の日本の現状ではないでしょうか。



これが世界の経済大国、日本なのです。
日本という国を、もっと尊敬させたいと思うグループの方々、
日本人が自分の国を誇りに思えなければ、形だけ、尊敬させようとしてもそんなものは砂の上に作るお城にもならないのではないですか、、、
労働者の味方を気取るグループの方々、あなた方の方策は本当に現実性のあるものでしょうか、、、ただプロモーションのために作られている企画書ではないですか?



どちらの側からも、真の意味での対話がない。自分たちの方策を打ち出し、それを相手から、あるいは同じ陣営の人々からの討議のたたき台として打ち出し、国民のコンセンサスを得ていこうとする努力がない。

これもまた、総理の専権事項なのでしょうかね、、、、


寸劇は不定期で、出演者が集まったときだけ開催されます。
雨天は順延。




夕景 いすみ市岬町岬橋

2009年07月11日 20時34分02秒 |  岬な日々


美しいと思うもの、物悲しく感じるもの、心に平安をもたらすもの、、、、
でも、それらも結局のところ自分の心の反映なのですよね。
いすみ市岬町岬橋からの夕景



人恋しいときにはこちらのほうをアップしたいと思うでしょうか、



同じ場所、ほとんど同じ時間での夕景。
下のほうはプラス補正をかけて撮ったもの。






矢張野に置けれんげ草

2009年07月10日 02時57分55秒 | 芸術・文化



この前の日記「田園風景」に知人が「蓮華草」というタイトルでコメントをつけてくださいました。それに対するレスをこちらにも上げておきます。(多少おちゃらけを増やしておりますけど)

なんせ、私の友人たちは、忙しい人ばかりなので、コメントはしてこないし、日記を見ていただいても、コメントまでは見ない人ばかりなので、、、、
その割りにはよく見ていただいているようで、お会いしたときや、電話で話題にされる。
ならコメントをつけてよって言いたいですけどね~ 
読み逃げはいけませんよ~
(ところで岬に来ていますけど、今回はまだ写真を撮っていません。トップの写真は以前大多喜の蓮華祭りの日記に使いました蓮華。そして下の写真も、その後で使いました紫陽花の使い回しです)




「手にとらで矢張野に置けれんげ草」、、滝野瓢水はちょっとひねった形でこれを言っていますね。遊女を身請けしようとした友人に、いやあれは遊郭にいるから魅力的なんだ、普通の家に入ったらあの魅力は消えてしまうよ、、、ってね。

でもストレートにこの句を受け取って、野っ原にあるものは野っ原にあるのが綺麗なんだとしても、実は風景写真なんかでフレーミングしたとたんにそれはもう全く自然のものではなく、作家(写真家)の意図が入ってしまったもの。
でも、その作業がなければ何も紹介できないというのも事実なのですよね。

結局、多かれ少なかれ、利休が言っているような「花は野にある如く」の世界になってしまう。
私があちこちで、茶花だけでなく、侘びの茶なんて嘘っぽいって書いているのはご存知ですよね。
  (その割りに、岬に来たら、家の周りを一周して、咲いている花を花瓶に生ける。その儀式が終わるとやっとこちらに来た感じになれるなんてことを平気で書いていたりするのですけど、、、
   幸いなことに、今回はは夏枯れで、活ける花がありませんでしたけどね。
   それにこの下のも、茶花ではないですよね。茶花って活けかたが分からないので活けたことがないので、、、
   要するに切って来たものを花瓶にどんと入れただけのものですけど)



そして、その嘘っぽさをプロの作家の作品の中にも感じるのです。
竹の風音さんと同じように、マネージメントを業務としてきたので、彼らの真摯さ、洗練さ、作品としての完成度には人一倍敬意を払っているつもりですけど、でもどこかで、生きるために作っている虚構としてしか見れない自分がいます。
自分の中で完成度を求める気持ちと、そのために必要なテクニックとのジレンマがあるのと同じですね。
でも、私の場合は、密教の部分として、あえてそのジレンマを大切にしてきたかな、、、

蓮華を写真に撮る。その作業の中で、何か伝えるべき一番大切なものが消えてしまう。
それを人のために活ける、それはもっと嘘になる。
でも、それが必要なのは、私ががその嘘の世界を40年近くもプロモートしてきたことでもわかってやってください。


でも、私の屈折加減も並じゃないですね~

田園風景

2009年07月05日 00時08分57秒 |  岬な日々


日本人のDNAのなせる業なのでしょうか?
稲の育っている田んぼを見ると、なぜか和みます。
田植え、そしてすくすくと育っている稲、秋の収穫前のあの黄金の絨毯、、、


                           いすみ市新田野

ここにアップした写真は、いすみだけのものではありません。
今の日本のほとんどの地方で見られる風景。

斜めに差し込む朝の光を受けて浮かび上がる田んぼの稲たち。
昼の日差しを受けて、いきいきと風を受けている稲、、、
そして夕方の赤みを帯びた光に柔らかさを増して広がる田んぼ、、、

どれをとっても、なんだか懐かしく、嬉しい、、、、
どこにでもある風景なのですが。



もし、これが私だけの気持ちではなく、日本人の多くに共通する気持ちなのであれば、
日本人ってもっと優しくなれるはず、心豊かになれるはず、、、なのですよね。




サンコウチョウ

2009年07月04日 23時41分16秒 |  岬な日々


あられさんからサンコウチョウを撮りにいくと電話がありました。
いすみは雨でしたが、東京は雨は降っていないとのこと、なら、こちらも雨が上がるのでしょうか、、、
というわけで、私も、再度、サンコウチョウに挑戦することにしました。

雛が孵っているそうで、親は大忙し、、、




でも、卵の一部はまだ孵化していないようです。
雛の姿は結局最後まで見られませんでした。
ちょっと、心残り。



撮影場所は市原で、いすみではありませんが、すぐ近くなのでこのカテゴリーに入れてあります。

アマサギ いすみ市岬町

2009年07月04日 20時34分51秒 |  岬な日々


ヒエーイ、ホールドアップだ!
お助けください、お代官様、、、
命をとらなくっても、私の嫁なら、鰹節つきで差し上げますので、、、



なんだ、風車の望遠レンズか。
がっかり、いいチャンスだったのに、、、、、



今年は異様にアマサギが少なかったですね。
いつもなら、群れになってトラクターの後を追っかけていたり、あっちに5,6羽、こっちに5,6羽って小さな群れでアウティングを楽しんでいるのに、今年はほとんど見ませんでした。
今年、アマサギをアップしたのは多分これで2回目です。



蛙が少ないのです。
いつもならこの時期、蛙の大合唱が聞こえていてもおかしくないのに、今年はその声が小さい。
ベランダを飛び回る蛙や、道に飛び出してくる蛙の数もずいぶん少ないです。
そのことが影響しているのかな?
なら、ちょっと心配ですね。


今日のいすみの花   花写真集

2009年07月03日 16時29分18秒 |  デジカメ練習帖

今朝のいすみ市は曇。
こんな日は花の台(うてなって読んでよね)に身を寄せて、一日中まどろんでいたいなんて思いましたけど、


       なに、この間も、白の紫陽花で同じポーズの写真をアップしているって?
       なんで、そんな、人の日記をいつまでも覚えているんですか。
       そんなに、細かすぎると、出世しないよ!

そこまで文句を言われるのなら、蛙はいないけどこっちを出しておこう、、、




でも雨が降る様子もないし、せっかくいすみに来たのに家の中で掃除ばかりしているのももったいない、女もすなる写真でも撮りましょうとでかけてみました。



光が回っているこんな日には花の写真でも撮りましょう。
ほんとうは、U20でもいれば、モデル撮影なんてコントラストがつきすぎなくっていいのですけど、残念ながら被写体がおりません。
考えてみると生まれてこの方、モデルをやってくれる若い女性というのを鵜の目鷹の目で探しているにしては全く縁がないのですよね。



       なに? 鵜でも、鷹でもないじゃないかって、そんな細かいことは気にしない、気にしない。
       頭禿げるよ、、、

でも、生まれてから、ずいぶんと長い年月がたつのに、そんな幸運が一度もないというのも、なんだかボクちゃんって、物凄くかわいそうな人ですね~ 我ながら涙が出てきた。

なんて思いながら岬を回っておりましたら、晴れてきて、日差しが出てきました。
昨日のサンコウチョウでも撮りに行こうかと一瞬思いましたけど、たかが片道30分がなんだか物憂い。

梅雨の日の午後は猫でなくても眠いのだ。


とかなんとか、、、
実は、先日来ぶつぶついっておりましたデジブックなるものに加入してみました。
下をクリックしてみてください、今日撮ってきました花の写真が画面いっぱいに出てくる、、、はずなのです。
でも、ボクちゃん、貧乏だから、有料会員にはならないので、今回のアルバムは一月で消えてしまうそうですねん。
消えたらどうしようね~

はい、アルバムは消えてしまっており、もっと困ったことに他の人のアルバムが自動的にアップされているようです。それは削除しました。
ということで、こちらのアルバムはなしです。
ごめんなさい。


ほんの2時間ほど回ったばかりでしたけど、いろんな花が咲いていました。
こちらにご紹介したものはそのうちの1割にも満たないでしょう。
もっともっとご紹介したいですね。
紫陽花のように盛りを過ぎたものはずいぶんとこれまでに載せてきましたし、
蓮のように今が盛りのもの、ひまわりのようにこれからの花、、、、
自然は決して止まりません。
一期一会、毎回、毎回、晴れていても、雨でも、曇りでも、新しい顔を見せてくれます。

そのどんな顔であっても、自然はあるがまま、、、
名前を上げたい、好評を博したい、驚かせたい、、、
何もありません。
ただ、育ち、花をつけ、蝶や蜂を呼び、そして種を残し、新しい生を産み出していく。ただただ、それだけ、、、
なのに、人間はなぜそれを美しいと思い、なぜ感動するのでしょうか?

こんな美しい自然の中に身をおける私はほんとうに幸運だと思います。
でも、いすみのような自然に溢れるところだけでなく、東京のマンションや会社のビルに囲まれた小さなポケットにも美しい自然があります。
少し小さくなっただけ。
あるいは大きなものでも、疲れて、見えているものが見えなくなる。
だから私は、名所とかなんとかスポットなんて所にはほとんど行きません。
だって、どこにでも美しいものがあるし、いるのです。

美しいものを美しいと思える真っ白の気持ちを持って。注意深く周りを見渡せば、どこででも美しいものを見つけることはできるはずです。

私のために咲いているのでも、私のために飛んでくれているのでもありませんが、
でも、心から思います。
ありがとうって。