雨が降り、蒸し暑い曇り日が続くと、「嫌だね~」って泣き言が聞こえてきます。
季節には季節の天気がないと、あとあと困りますからね~ってお返しするのですけど、でもほんと、頭では分かっていても蒸し暑いのは気力をそぐばかり。
お茶をやる人たちは、常にその季節のちょっと先を取り込みます。
だからお茶をやる人たちの周りは、季節に先駆けたものが多い。
でも、陰暦との差もあって、どうかすると滑稽なくらいの見世物になることもある、、、、
気をつけたほうがいいよっては言うのですけど、なんせ皆様、自信の塊のような方たちだから、、、、
おまけに、こちらも、田舎教師との間で、「センセ、それはあちゃらのお流の、、、」「あら、そうだっけ、、、」なんてことはざら。果ては、「えぇっと、これどうするんでしたっけ?」「知らん。ボクちゃんはお弟子だもん」なんて会話が日常のレッスンをしてきた人ですから、私が何を言ってもねぇ~
確かに、日本のように季節のメリハリがつきすぎるくらいについているところでは、季節を大切にするのは大切なこと。それをほんの少し、前倒しにしてみせるというのは、急に減税が前倒しになるくらいの嬉しさはありますよね、、、
でも、そのために、野にある如く、、、その野を探すのに、花屋さんは人知れず、北や南に奔走するのでありました、チャンチャン。
ほらそこの子、たまには水あめも買ってくれなきゃ、次回は見せないよ。。。
それにしても、毎回言っていますけど、深夜便を聞きながらのお茶が電灯でぱっちりだったり、朝早くのお茶が、クーラーで冷やされた部屋で出たり、、、
東京のお茶で、京都のお菓子が出たり、、、それ以上に、一年を通じて、お茶がお茶の味を出していたり、、、
お茶に自然がなくなりました。
お茶にその土地の情感がなくなりました。
利休さんがお茶を作ったときにはそんなことはなかったんですよね~
これからしばらくの間のお茶は、不味いお茶、暑い部屋。そして炭の匂い。。。。
そして、それ以上に恐ろしいのが、炭に酔ったU20を介抱する。。。
ただひたすら、死ぬ思いを耐え忍ぶものだったのかもしれませんね~
それだって、よかったのに、、、、
一月ほど前から、知人の日記には半夏生がでてきていました。花屋にも半夏生がでていました。お茶花に使うのでしょうね。
雑節の半夏生もこの花から来たということを聞いたことがあります。
私も、先日はやっと手に入れた半夏生を楽しみましたけど、でも家の子はこちらに来てまだ一年もたたないので、今年はだめでしょうと諦めておりました。
昨日、岬の町を走り回っていたときに、堰に咲いている半夏生を見つけました。
締め付けるような蒸し暑さのなかで、水辺の半夏生は見るからに涼しそうでした。
ところで、どこかのお流から贈られてきたカレンダーの一つに茶花のカレンダーがあります。今月のは、乙女百合、下野、半夏生、撫子、虎の尾、薊、刈萱。これらが手付けの牡丹籠に活けてありました。ここのお流のはもう少しシンプルにならないのかな~なんて思うことがありますけど、そんなことを口にしたら、ねぇ、どんなことになるのか。でも、先代のはもう少しシンプルだったかも、、、チャンチャン。。。。言っちゃった。
でも、私のも、なんだかごった煮風でしたよね~
萱に半夏生だけ、なんてのも悪くないとは思いますけど、、、
どうしてもごった煮になる運命にあるのでしょうか。
茶花もそうだけど、ここの炭をお勉強したらってアドバイスをくれた方もいたし、あの袱紗さばきもとても気になるし、、、、
でも、今までにも何回かお家元に不義理をしているし、いまさら、弟子にしてくださいなんていえないよな、、、、だから、まっ、いいか。
仕方ないから、総じて変なお流の方の門を叩こうか。
教授料として毎回、純米酒を持ち込めばいいのかな?
八本。いや八升ではなく、もちろん八斗でもなく、八合ずつ。。。いかがでしょうか?