わが宿の池の藤波さきにけり
山郭公いつか来鳴かむ
詠み人しらず
古今集 3-135
ホトトギスはよく卯の花や橘と一緒に詠まれますよね。
例えば、新古今集では
ほととぎす花橘の香をとめて
鳴くは昔の人や恋しき
詠み人しらず
新古今集 3-244
ホトトギスが橘の香りを求めて鳴くのは昔の恋人を偲んでいるのだろうか。
今でも匂い袋なんてありますけど、昔の人は自分の匂いを作っていたのですね。ヨーロッパの貴婦人が自分のために調合された香水を持っていたように。
だからホトトギスは自分の恋人の匂いである橘の香りを求めて鳴いているのでしょうね、、、って意味ですね。
ちなみに、この詩の本歌は
さつき待つ花橘の香をかげば
昔の人の袖の香ぞする
なんだそうです。そして、よく似た詩が万葉集にもあります。
ほととぎす花橘のえだにゐて
なくは昔の人や恋しき
などなど、、、いろいろありまして、それでもなぜか今日の日記は藤の花。
(白状すると、橘は終わっちゃったし、卯の花もとっくだから写真がないのですよ。)
最初の詩も、ずいぶんと似た詩がたくさんありまして、万葉集にも
朝霞たなびく野べにあしひきの山郭公などか来鳴かむ
なんてのがありますけど、下の句はほとんど同じですよね。
ホトトギスはあの鳴き声で日本人の心を魅了したのでしょうね。
えっ、忘れた? 声が聞こえるサイトを見つけましたのでこちらへどうぞ。
http://www9.big.or.jp/~mishii/bird/hototogisu.html
橘が香りから女性を暗示するようになったように、藤の花も女性を暗示しています。そこへホトトギスが訪ねていくっていう情景がこの時代の歌人の脳裏にはあるのですよね。
久しぶりの蛇の足ですけど、
ホトトギス、、、、
山郭公、郭公、時鳥、子規、杜鵑、不如帰、杜宇、蜀魂、田鵑いろんな言い回しや漢字の表記があります。
山郭公は山から下りてくる郭公。でも郭公は今では別な鳥ですよね。昨日のかわずも、普通ならあの時代はカジカのことなんですけど、あの詩では蛙のことだと思います。(確証が持てなかったんで、昨日はシカトしましたけど、、、、)
鶯などの巣に卵を産んで育てさせるってこともよく知られていますね。
でも、こちらでは藤はたくさん咲いていますけど、ホトトギスの鳴き声をまだ一度も聞いたことがないのです。なぜでしょうね~