夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

薊の花  北原白秋

2009年05月04日 21時46分53秒 |  気になる詩、言葉


今日も薊の紫に、
棘が光れば日は暮れる。
何時か野に来てただひとり
泣いた年増がなつかしや。





白秋の育った柳川には遊女屋がありました。
この詩の中での年増は遊女だといわれています。

薊って、派手な色合いである割には、明るさよりも、静かさを感じさせますよね。
そして、あの棘、、、、葉や茎の持つ攻撃的な色合いというのは、いろいろな苦難、迫害に耐えてきた過去を思わせるものなのでしょうね。

藤   かくてこそ見まくほしけれ万代を

2009年05月04日 18時39分07秒 |  気になる詩、言葉


先ほどのミズキ、そしてその前のアザミは万葉や古今、新古今には詠われたものを思い出せなかったのですけど、こちらは大スターです。
万葉にも、古今、新古今にもたくさん詠われています。

その中から、今日は新古今集から二首

かくてこそ見まくほしけれ万代を
     かけてにほへる藤浪のはな
         延喜御歌 2ー163

「これには「飛香舎にて 藤花宴侍りけるに」と出ています。
この飛香舎(ひぎょうしゃ)とは大内裏後宮五舎の一つで、藤を植えて藤壺といったそうです。

   天暦四年三月十四日 藤壺にわたらせ給ひて はなをしませ給ひけるに
円居してみれ共あかぬ藤浪の
     たたまくをしきけふにおある哉
          天暦御歌 2-164

藤は藤原氏の象徴してもてはやされたのですね。
 

ミズキ

2009年05月04日 18時27分58秒 |  岬な日々


ミズキ; 
ミズキ目、ミズキ科、ミズキ属、ミズキ  なんとさっぱりした区分ですよね。
今、東京からアクアラインを抜け、丘陵に入るとあちこちでミズキの花が咲いています。
周りの新緑の中にひときわ大きな木が花をいっぱいに咲かせているのを見るとあぁ、初夏になったのだなって心が躍ります。
ミズキは10メートルから20メートルくらいになる高木。それが細く伸びるのではなく、横へ広がるような枝を伸ばして大きくなりますので、花をつけているとほんとうに大きな花の木という感じがしますよね。
図鑑によると、この時期のミズキの枝は、切ると水が滴るほどに水を含んでいるそうで、それがミズキの名前の由来になりましたそうです、、、、

先ほどのアザミと同じで、この木も大和詩にはあまり詠われないかわいそうな木です。



2009年05月04日 18時13分58秒 |  多摩川散歩


これまた、先日の多摩川散歩の残り物。
残り物はこれで終わりです。

薊は今頃から秋のかなり遅い時期まで咲いていますけど、多分同じ種類ではないのでしょうね。アザミはアザミという和名を持つものはないのだそうで、なんたらアザミ、かんたらアザミってことになるのでしょうが、けっこう種類も多いみたいだし、いまだに新種が見つかっているって物の本には書いてありました。

不思議。多摩川の散歩の折にも、今日のいすみの散歩のときにも、アザミはたくさん咲いています。時期も長い、それなのにまだまだ新種が見つかるほどに研究されていないのでしょうか、、、、
不思議。これだけ普通の花なのに、万葉にも古今にも、新古今にもアザミを詠った詩の覚えがないのです。(もしありましたら教えてください)

老爺心から一つご注意。
アザミを食用にすることがあります。山ごぼうなんて呼ばれるそうですが、これはモリアザミなのだそうです。
ところがほんもののヤマゴボウはアザミ(キク科)とは違うヤマゴボウ科で、有毒なのだそうですので、、、

ヘラオオバコ

2009年05月04日 17時26分56秒 |  多摩川散歩

これまた先日の多摩川散歩の折の残り物。
ヘラオオバコ。
図鑑には江戸時代にヨーロッパから日本に入ってきたって書いてあります。
そして花期がたいがい6,7月ってなっているのですけど、とんでもない、多摩川では3月くらいから開花しています。
多分そのころの日記にも写真を掲載しているかもしれませんね。

形が面白くって、けっこう好きな花なのですけど、、、
あまりはびこられてもね~



蝶だって、、、

2009年05月04日 17時19分06秒 |  多摩川散歩

先日の多摩川への散歩の残り物の写真です。



花よ蝶よっていわれるけど、、、、(この言葉の元は以前書きましたよね)
蝶だって、そんなに深窓の生活を送っているわけではないみたいですね、、、、

まだ、夏の入り口なのに、ちょっと痛々しい羽、、、、