goo blog サービス終了のお知らせ 

夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

マイはし、マイバック そして蛇足としての アートマネージメント

2009年08月20日 15時53分32秒 | 芸術・文化

えらい長文だから、携帯から見る人は見ないほうがいいかもしれませんよ。
それに、蛇の足以下は、企画をする人には不愉快になるかもしれませんし、しない人には分からないかもしれませんので、余計なものです。





反町隆史さんが外出の時にはマイはしを持っていくのだそうです。
子供たちのためによりよい環境を残したいためというのがその理由。

次の世代のため、自然のためにと思いついて、それを日々の生活の中に実践されている彼の行為はとても素晴らしいし、見習わなければならないと思うけど、、、

各論として、マイはしが自然保護になるのかということになるとちょっと疑問。

日本の森林は荒れています。
このいすみ市の山や森だって、荒れてしまっている。
一部植林したところもあるのですけど、今やほとんど使われていないのじゃないかな。
大都市東京のお膝元でさえそうなんです。

輸入材が安く、日本の木が採算に合わなくなってきている。
今、売れなくても、樹木の手入れさえしておけば、良好な森林を保全して、次の世代でその財産が活用できるかもしれません。
でも、後継者も育たない。
間伐材の伐採や、森林の手入れの人件費が高い。
やっても赤字になってしまうのですね。

最近の話ではなく、もう何十年もこんな状態が続いています。
九州などで大雨が降ると、木が流れてきて橋を壊したりします。
森の管理ができないために、倒木などが放置されているせいです。

間伐材が少しでも売れれば、間伐や手入れの費用が出る可能性もあるのです。
それが自然保護の運動のために逆に売れなくなってきている。

マイはしを持つことって、ずいぶん昔から言われています。
でも、マイはしを持たないで欲しいという林業関係者からの話もそのつどでてきているのですけど、なかなか大きな声にはなっていかない。

林業の関係者はそこで助成金ということに方向を向けてしまいがちなのですけど、でも、私は、国の援助を入れるよりも、普通の経済活動をしていて林業が守れるような環境作りが一番だと思うのです。
木材が高すぎるのも、森の保守が高いのも、日本の人件費の問題が絡んできますので、林業だけではどうしようもないこと。
だとすれば間伐材をもっと活用して、林業の収入をあげ、輸入材との競争のための力をつけていくことしかないと思っています。

確かに林業と、自然は同一ではありません。日本には林業は要らない。手付かずの森と原野、自然があればいいというのであれば、間伐材の有効活用も、間伐を活性化することも必要ないことではあるのですけど。




でも、考えてみると、身近にはこんなことが結構あるようです。
マイバック。最近はエコバックって言われているのでしょうか。
これもずいぶん前から、マイバックの運動が進められてきました。
でもね~って思うのですよ。
マイバックを使うのはいい。それ以前からトートバックなんていっぱい持っているし。でも、マイバックを持っていってレジ袋がいらないとすれば、今度はゴミ袋を買わなきゃならなくなる。主婦はレジ袋をゴミ袋として再利用していますからね。
総量としてどれだけ環境保護に役に立つのかな?
返って、ゴミ袋を買うための費用がかかるだけじゃないのかなって思うのですよ。



いったん、何か動きが始まると、ワ~ってみんなで走っていって、ちょっとおかしいのじゃないとか、もう一度考えてみようよなんて人の意見は通らなくなってしまうのは日本の悪い癖なんですよね。
流れに竿を挿す意見。流れがどんなに大きくても、竿がどんなに小さくても、誰かが気をつけていれば、もしかしたら次へのステップの大きな手がかりかもしれないのに。




マイはし持ち歩く反町が環境保護訴える(日刊スポーツ) - goo ニュース




ここからは私の昔話、蛇の足ね;
写真はこの間すでにアップした燕です。
企画って、受けてくださる人や見に来てくださる人に喜んでもらえるものでなければ、啓蒙だとかなんだとかいっても続かないですよね。



昔の仕事をしていたときに、オランダにトールペイントの伝統がいくつかあり、それを日本の授産所などで教えていけないかと考えました。
技術を勉強してきた人たちはだいたい東京に多いのです。
この人たちがアクセスしやすいように大都市圏からさほど離れていない林業県でこのような技術を教え、その技術を使った小さな家具や木工品をつくっていけば、間伐材も有効に利用できるのではないかなと思ったのですね。

私の友人たちの多くは、アートの企画屋さんか、アーティストでした。
ただのアートのプロモーションではなくて、地域の活性を視野に入れたところは私と同じでした。
彼らと私の、ちょっとした違いは、彼らは自分が企画したいものがあって、こんな芸術をマネージしていいますということを知らしめたいところがどこかにある。
もちろん、企画屋さんとしての業務としてやることであれば、それは後々の活動のためにもどうしても必要なことなのでしょう。

でも、私の場合は、それをやることを含めて始めから私の一存で済むことでしたし、やったからっていって、自分の事務所からの援助もほとんど期待できない。
打ち合わせのための旅行もすべて自分の時間、自分のポケットマネー。うまくいけば、事務所としてはうちはこんなことをやっていますよって誇らしげにいうけど、私の名前はどこにもない。最初からそんな風でしたから、私としてはそれが当たり前。場所もないし、金もない、あるのはやりたい企画だけ、、、
ならそれを受けてくださる方、協力してくださる方々がそれからどんなメリットを受けてもらえるのか、アーティスト、あるいはアート、受け皿、協力者の三社が私の中では平等だったのですね。しかも私は黒子。失敗は私の責任だけど、成功しても私には何もない。だた、うまくいったね~ってみんなと飲み交わすだけ。
それでも、私はそんなにお酒が好きではない人なのですよ。

以前にも書きましたけど、慶応のアートマネージメントの講座で話をしていて、教授から、
「金も、場所もなく、失敗の責任はあなた、そんなところで仕事をしていて、自分の仕事場についてどう思いますか」って聞かれました。
「この仕事場に勤められて素晴らしい幸運でした」って答えました。
そりゃそうでしょう。日常の仕事はほっぽりだして、何か分からないことをごそごそやって、「大変だ~ 企画が壊れそうだから、緊急にオランダに飛びます」なんていったりするスタッフにだまって、給料を払い続けていたんですから、こんな仕事場って他にないですよね。

その後に、「では、今の仕事について幸福でしたか」って質問が続きました。
目の前には、これからこのような仕事をやっていこうという学生さんがいます。
でも、私は「あまり幸福ではないかもしれない」って答えました。
教授はびっくりして、「なぜ?」って聞きますので、
「本当にいいマネージャー、企画屋というものは、そのアーティストや作品、運動の評価を常にしている。でも、ある程度長くやってくると、若い作家などの作品には粗が目立って、評価できないものが多くなり、自分ならこうするけどって思ってしまう。作家になることはとうの昔に諦めているはずなのに、疼くんですよね。何かが。で、だんだんと面白くなくなってくる」って答えていましたけど、これはまたまた余計なことだったかな。

私と仕事をしている相手は、私の仕事が仕事場としての仕事だと思っている。だから上司のところへ挨拶に着たりするのですけど、上司は「えっ? そんなことをしているのですか」ですからね。

アーティスト・イン・レジデンスの世界的な組織の事務局長がアジアに来るというので、日本によってもらい、ラウンドテーブルをやって、日本のそのような施設を視察するという企画を立てました。日本側の受け皿になってくれたところがボスにお礼を言いたいって来たんですよ。困りました。
だって、ボスはアーティスト・イン・レジデンスなんて芸術家の物見遊山じゃないか、そんなものに協力したり、お金をつける必要ないなんて考えの持ち主だったから。
でも、それが日本のためにも必要だと思えば、ボスは関係ないって、、、
事務所としてやるべきもの、やらなきゃいけないことを私はやっているのだから、あなたも本部も私に協力するのが当たり前って暴言を吐いているんですから。
だから、ボスがだめだということを私がやっているのに、お礼に来たい、
「はてどうしよう」ですよね。
でも、それでも首にならず、定年までいれたのですから、すごい幸運でしょう。
今時そんな事務所も、会社だって、そくつぶれますよね。

最初のボスは何もしない人。よそから文句がつくと、理由も聞かずに怒り狂っていたけど、こっちは馬の耳。
次のボスは、私の企画を喜んでくれていて、それに専念しなさい、文句が来たら私が止めますって言ってくれるた。頭がよかったから、コンタクトが必要なときでもベストのラインを見つけ出して紹介してくれた。
三番目のボスは、理由があったのだけど、私が散々使いまわしていたけど、次のボスへの私の評価の申し送り書に、できるだけ私の行動に干渉しないで放っておくのがベストって書いてくれた。この評価が私が定年になるまで生きていたんですね。この言葉には物凄く感謝しています。

仕事をする環境としては、私はもうこれ以上ないというところにいたのだとつくづく思います。
今、アーティストやアートの企画をやろうとする人には、経済的にも、社会的にもいろいろ難しい問題がありすぎる。
私みたいな破れかぶれのマネージャーなんか出てくる余地はないでしょうね。

でも、芸術関係の企画者って、その企画をどうしてもやりたいから、企画を立てるのですよね。だったら、芸術性はもちろんだけど、受けてくれる人や、関係者にベストな環境を作っていくことが最大の課題じゃないかなっておもうのですよ。
2番目のボスは、自分のアイデアを実現することだけが楽しみだった。だから終わると関係者に対してけんもほろろ。だから協力者が増えていかなかった。
彼にとっては日本はただの任地の一つだったから、いつも次の任地のことを考えていればよかったからかもしれない。場当たり的にでも自分の実績さえ上げておけば、後のことはどうでもよかったのでしょうね。
でも、私のようにローカルな企画屋さんは、一つ一つの企画を通じて、いろいろのネットワークを育てていくって気持ちがなければ、次の企画はできないからね。





野の花

2009年08月18日 09時39分06秒 | 芸術・文化
いすみ市のこの家にたどり着いて、荷を降ろし、窓を開けて空気を入れ替え、水道の栓を開けて水を流し、、
荷をアンパックする前にもう一つ定番のやることがある。
家の周りを一回りして、今、何が咲いているのかなって見て回ること。
気に入った花があれば失敬して、家に飾る。
今までも飾った花を何度もアップしていますよね。

活花を習ったわけでもないし、まったくの我流なので、皆さんにお見せするのは恥ずかしいのだけど、そんなことを言っていれば、このブログの文章も、写真も恥ずかしいものだから、気にしないことにしている。

花を飾ってあげると、それまでなんとなくただの見慣れた空間にしか過ぎなかったものに、親しみと潤いが感じられるような気がするからなのです。
やっと、岬に戻ってきましたよ、、、、
そんな安心感とゆとりが生まれるのですね。

全く活花を知らなくっても、花を飾り、楽しむ、そして気持ちに潤いをもてます。
花を飾るってそんなことなんじゃないかな。
でも、逆に活花をやる人が、日常、花を飾りたがらない。
活花って嫁入りのための勉強課題ではないと思うのですけど。

これって、お茶でも同じかな。
私はお茶のことは分かりませんけど、気持ちにゆとりが欲しいとき、ふっとお茶を飲みます。私がお茶に求めるものはそれだから、それで十分。
でも、お茶をやる人たちは意外とお茶を飲まない。
あぁだ、こうだって、小うるさいことが先にたつのでしょうね。
でも、もったいない。せっかく習っているのに。
それにお茶を習おうとした一つはお茶を飲んで、楽しむことだったんだと思うのですけどね。

蛇の足で、一つ申し上げておきます。
私の知人たちは、お茶もお花もお師匠さんとか、プロと呼ばれている人たち。
この人たちのことを言っているのではないですから、くれぐれもお間違いのないように。
子の刻参りなんてやらないでくださいね。
あの方たちはいやでもお茶を点て、お花を活けているのですから、違うのは歴然ですよね。

友達が常々言っていること。
「友達が来て、袋菓子を出して、おしゃべりする。そんなときにも、そのお菓子に合うようなお皿を見繕う。お茶をやること、やりたいと思うことってそんなことなのよ」
だいぶ、この言葉が分かってきました。



連泊するときには、だいたいカメラを持って、いつものコースを見て回ります。
ブログの日記にアップするためもありますけど。
そうすると、この時期、岬ではどんな花が咲いて、どんな鳥がきているのかわかります。

でも、時期によっては、花も鳥も種類が少なくなって、毎回同じものをアップするようになります。
そうするとブログの写真のほうは苦手だと思ってあまり撮らない風景に逃げてしまいます。
いすみにはいろんなイベントがあります。これなどを撮れればいいのでしょうけど、こちらは肖像権などが煩いし、風景以上に苦手な分野です。
40年ちかくアートマネージメントなんてものをやってきていながら、その企画の写真を自分では一枚も撮ったことがないのも、苦手というより、なにを、どう撮っていいのか分からないからというのが本音でしょうね。



今の時期も、鳥も、花も少なくなってきています。
こんなときには、遠州さんから送って頂いている、カレンダーを見ます。
綺麗な茶花のカレンダーです。
でも、これは一月に一枚の写真。これでは足りませんね。

それで池沢昭夫、洋子夫妻の「野の花三百六十五日」という本を開きます。
この本のことは以前にも紹介していますね。
この本には、毎日、毎日、365日、夫人が自分の家の庭に咲いている花を活けられて、それをご主人が写真に撮って掲載されている。花器もなかなか趣のあるもの。
でも、私が見たいのは、今の時期、どんな花が咲いているのだろうということ。
咲いている花が分かれば、どの辺を探せばいいか分かりますからね。
ところが、特に今の時期、花がなくて探しているときに限って、この本の花と、身の回りの花の時期のずれが気になってきます。
8月の花に桔梗や姫檜扇水仙、、、、こちらではもうとっくに終わってしまった花が池沢夫妻の庭には咲いているのですね。
6月の日記に紫陽花と姫檜扇水仙をアップしていますよね。
池沢夫妻のお家は加古川。千葉のいすみ市とはこんなにも違うのでしょうか。
なんてことを考えるのも一つの楽しみですね。

ところで、池沢夫妻の本には触れられていませんでしたが、私の花を飾るもう一つの楽しみ。それは土に戻してやること。花が終わりごろになると、花を落として、水に挿しておきます。そうすると根がでてくる。十分に根がで、葉っぱが出たころに、水蘚などを使って徐々に水を少なくして土に戻してやる。
でも、岬の一つの問題は、虫さんたちの数が多いこと。あっという間にせっかく出た葉っぱを食べられてしまうのです。
岬で飾った花を、東京に持ち帰り、ベランダで育てるとそんなことはないのですけどね。
家の何本かの紫陽花はそうやってある程度大きくして、こちらに持ってきましたけど、でも大丈夫かな。これでも虫さんはやってくるでしょうしね。

紫陽花は強い花ですので、土に戻すことまでは問題ない。あるとすれば、花がなかなか終わらないことでしょうか。
トップの紫陽花は、花瓶に飾ってから、すでに2ヶ月以上ここで咲いています。(花色は変わっていますけど、多分、このときの紫陽花です)
こちらにも何度か紹介した花です。
でも花をつけている以上、けちな私としては、花を落とすわけにもいかず、いつまで咲いているのっておろおろしています。
その前に飾った花は、もう根っこを3センチ以上伸ばして、そろそろ土に戻す用意をして上げなければいけません。
後は時期をいつなのか、気候のことも考えながら、、、
水揚げに苦労するのは、男の楽しみ、、なんてことを言ってはいけませんね。





矢張野に置けれんげ草

2009年07月10日 02時57分55秒 | 芸術・文化



この前の日記「田園風景」に知人が「蓮華草」というタイトルでコメントをつけてくださいました。それに対するレスをこちらにも上げておきます。(多少おちゃらけを増やしておりますけど)

なんせ、私の友人たちは、忙しい人ばかりなので、コメントはしてこないし、日記を見ていただいても、コメントまでは見ない人ばかりなので、、、、
その割りにはよく見ていただいているようで、お会いしたときや、電話で話題にされる。
ならコメントをつけてよって言いたいですけどね~ 
読み逃げはいけませんよ~
(ところで岬に来ていますけど、今回はまだ写真を撮っていません。トップの写真は以前大多喜の蓮華祭りの日記に使いました蓮華。そして下の写真も、その後で使いました紫陽花の使い回しです)




「手にとらで矢張野に置けれんげ草」、、滝野瓢水はちょっとひねった形でこれを言っていますね。遊女を身請けしようとした友人に、いやあれは遊郭にいるから魅力的なんだ、普通の家に入ったらあの魅力は消えてしまうよ、、、ってね。

でもストレートにこの句を受け取って、野っ原にあるものは野っ原にあるのが綺麗なんだとしても、実は風景写真なんかでフレーミングしたとたんにそれはもう全く自然のものではなく、作家(写真家)の意図が入ってしまったもの。
でも、その作業がなければ何も紹介できないというのも事実なのですよね。

結局、多かれ少なかれ、利休が言っているような「花は野にある如く」の世界になってしまう。
私があちこちで、茶花だけでなく、侘びの茶なんて嘘っぽいって書いているのはご存知ですよね。
  (その割りに、岬に来たら、家の周りを一周して、咲いている花を花瓶に生ける。その儀式が終わるとやっとこちらに来た感じになれるなんてことを平気で書いていたりするのですけど、、、
   幸いなことに、今回はは夏枯れで、活ける花がありませんでしたけどね。
   それにこの下のも、茶花ではないですよね。茶花って活けかたが分からないので活けたことがないので、、、
   要するに切って来たものを花瓶にどんと入れただけのものですけど)



そして、その嘘っぽさをプロの作家の作品の中にも感じるのです。
竹の風音さんと同じように、マネージメントを業務としてきたので、彼らの真摯さ、洗練さ、作品としての完成度には人一倍敬意を払っているつもりですけど、でもどこかで、生きるために作っている虚構としてしか見れない自分がいます。
自分の中で完成度を求める気持ちと、そのために必要なテクニックとのジレンマがあるのと同じですね。
でも、私の場合は、密教の部分として、あえてそのジレンマを大切にしてきたかな、、、

蓮華を写真に撮る。その作業の中で、何か伝えるべき一番大切なものが消えてしまう。
それを人のために活ける、それはもっと嘘になる。
でも、それが必要なのは、私ががその嘘の世界を40年近くもプロモートしてきたことでもわかってやってください。


でも、私の屈折加減も並じゃないですね~

あぁ、驚いた  

2009年06月02日 22時57分38秒 | 芸術・文化
         ごめんね、昨日、今日って写真を撮っていないので昔アップしたものの再掲ですよ~


オランダにいるスイス人の音楽家からひょっこりメールが入ってきた。彼女のスイスの友達が、アーティストのコミュニティみたいなものをやっていて、それを閉めて、今度は日本でやりたいのだけど相談に乗って欲しいとのこと。
あなたはきっと彼らのことが気に入るだろうって付け加えてありました。

添付された資料を読んでいると、名古屋や京都あたりから2時間程度でいけるところにそのスペースが欲しいということ。
私も退職してからは、アートとは無縁な生活を送っているし、当時の関係者の多くも退職しているのだけど、彼らが希望しているところなら、三国か、砺波には知り合いがいるから、話してみてもいいのでもう少し具体的な資料を送って欲しいと返事を返した。

そして、ブログに来て見たら、なんとその砺波の知り合いからコメントが入っていた、それも、、、「因果は巡る」なんて日記にね。そして彼のコメントからもう一人の三国の知人が本を出したよってことでした、、、、

彼のことを思いながら、「希望の場所に近いところに利賀の国際演劇祭を始めるときの地元側のキーパーソンだったし、現代美術館を夏だけ、廃業した工場のビルでやってみたりしている人がいる」なんてオランダの彼女に書いているときに、彼も私の「因果は巡る」に返事を書いていたんだって思うと、その偶然にあっと驚いてひっくり返っちゃった。

      

そして今、スイスのアーティストからの手紙が来たけど、その中に彼のコミュニティはアーティストインレジデンスではないって書いてある。
私も1970年に、おそらく日本で最初のアーティストインレジデンスをオランダのアーティストのために佐渡でやっていただいた。
この関係では最初の人間だと思っているのだけど、その後、まだ名前も知られてなかったこの活動形態を紹介するために、ほとんど毎年あちこちの町や市でやっていただいた。



私の場合は常に一匹狼でやっていたので、役所がこれに乗り出してたのが私の活動が成果を上げたなんてことは思わないけど、これである部分は理想的な活動ができるかと思ったら、規則規則でがんじがらめになってしまって、これならサロンとか、アーティストのコミュニティみたいなものをやったほうがいいな~って思いなおしていた。

いや、仕事をやっていたころにも、コミュニティの企画をやりたいと思っていたし、ヨーロッパの友人達がそれを実際にやりだしているのをみていたこともあるので、彼がそのような企画をしていたのだとすると、非常に私の考えに近いものを持っているんだな~って、、、

そんな人を紹介してくれたオランダの友人には感謝。
でも果たして日本でこれが認知されていくだろうかというのは次の問題だけどね~
そして、またまたネゴの毎日が続くとなると、それに対応できる体力があるのだろうか、もしかしたらまっさかさまに失墜するんじゃないかな~って、、、これは最大の問題ね。



レンゲ 大多喜レンゲ祭り

2009年04月26日 16時01分23秒 | 芸術・文化


大多喜のレンゲ祭りに行ってきました。
毎年の恒例行事で、今年は25日と26日の予定でしたが、25日は大雨のために中止でした。

今日は朝からいい天気。昨日の寒さとは打って変わって、暑いくらいの日になりましたけど、私が行ったのは早朝でしたので、肌にはちょうど優しい気温。空気も澄んでいて、開けた山間の草原の朝って感じで素晴らしい時間でした。



昔はレンゲなんてどこにもあった気がしますけど、最近レンゲを見ることが少なくなってきていますね。一面に広がるレンゲを見ているとなんとなく昔を思い出して、、、、もう遠い遠い過去になっていることに愕然としたり、、、

レンゲを見てみたいと思ったのは、そんな、なんとなく昔を懐かしむという気持ちもあったのですね。
でも、こんな風に自然を楽しむ、風の匂いや、音を楽しみ、草の匂い、空の色や、新緑の美しさに浸る、こんな思いでいくのなら、このレンゲ祭りはあまりお勧めできないのかもしれません。

辛口なことをいうと主催者や関係者の方には申し訳ないけど、でも高々一日のページビューが1200前後という弱小ブログとしては、それほど影響はないでしょうから、思い切って書きましょう。

手順が悪い、、、
最初、他の車も入っていましたので、駅前のスペースに車を入れました。そしたら、「ここは一般の人の車は駐車できません」ってエラク怒られましたよ。でもそんなことはどこにも書いてないのです。なら、もう少し普通の話し方でそれを言ってくれてもよかったのにってちょっとむっときました。
別な方が、「小学校のアスファルトの引いてあるところにに駐めてください」ということで、小学校に行きました。そしたらここでも、一般の車は駐車禁止だよって怒られる始末。
情報がきちんとみんなに伝わっていない。
イベントなどをやるときの一番基礎的なことなのだけどね~

それに、駅と学校のこのお二人、もしかして町の役場の方なのでしょうか、えらくぶっきらぼうで、昔の警察官の物言いって感じのしゃべり方でしたね、、、
最初の方も、「ここは駄目」それだけなんです。学校の方も同じ、「ここは駄目」って言われて、あっちではここへ駐めてくれっていわれたっていいましたら、携帯を出してなにやら話をしていましたけど、結局駐めていいことになったのでしょう。でも当人は怒ったのが恥ずかしくなったのか? 別な方が「あちらに駐めてください」って言いにきました。当人は私から10メートルも離れていなかったのに、、、
人に見てもらおう、大多喜の観光に役立てようというのが当初の目的なのでしょうね~ でも、日曜出勤を余儀なくされた、余計な仕事をさせられているみたいな雰囲気が伝わってきて、とてもいやな気分になってしまいました。
とても人に来てもらいたいって態度ではなかったですね。

以前、書いたことがありましたよね。いろんな町を巻き込んで企画を立てたりしていたころ、どんな人をあなたの相手に選びましょうか?って聞かれたことがありました。チューリップで有名な市の市長さんでした。「仕事を遊びでやる人がいいです」って答えたら、びっくりしてこちらを見ていました。「その企画が自分でも楽しいと思える人ならどんな作業でも楽しく、、、自分から仕事を見つけてやろうとするでしょう。でも仕事をいやいややっているのなら、ちょっとのことにもすぐにネガティブになってしまうからって」って答えましたら分かってもらえました。このときの担当者はそれ以来何十年も経っていますけど、このブログにもときどきコメントを書いてくれたりしています。
このような人は私にとっての財産なんですね。自分でも好きだから企画を立てる(私の場合はほとんどがアート関係ですが)おまけに、自分は黒子に徹したがる。だからお金も暇もなくなってしまいましたし、それらの仕事が私のキャリアにもなっていない。でも、そんな財産と、仕事の思いでは私の一生にとって、どれほどすばらしい価値を残しているのか、、、、
芸術性とか、啓蒙とかいったことは、その企画を立て、運営していくときの大命題。でもそれを終わっても残る財産が私にとってのほんとうの財産なのです。

何百万人が来るような企画にも携わったことがあります。最近も、お話がありましたけど、もうやれないよってお断りしました。
でもシステムが大きくなって、人が見えなくなって、それぞれの人がもつそんな熱意が阻害されてしまうようになれば、それは私たち企画を立てるほうの責任。それはとても辛い思い出にしかなりませんし、そんな企画は最初から立てなければいいのですね。

ある小さな町との企画では7年目に、町のかたがたとのお話で、当初の企画の意味はだんだんと浸透してきているはずなので、これからは町のかたがたが自分の目でもっと企画を広げるなり、深めるなり、変容させていって欲しいってお願いしました。そして、実はこの時期が一番大変な時期。恒例の企画が定着するか、萎んでいくかの境目なんですってお話しました。でもそこで町の外からの主導を期待していたのではいつまでたっても自分たちの企画にはならないのですよね。
私は業者じゃないので、平気でそんなことを言ってこられましたけど、、、

当初の熱意が、だんだんと恒例の、義務になっていく、そんなときにどう新風を入れていくのか、、、、なんて、昔のことを思い出していました。

おかげで、こちらはかなり萎えてしまって、レンゲを見ないで帰ってしまおうかとさえ思ったくらいです。


その二、まだありました、、、
関係者の車が、レンゲ畑の真っ只中の道路に止まっていました。ここで写真を撮る人はレンゲ畑と、その背景にいすみ鉄道を入れたいと思う人がたくさんいると思うのですけど、そのようなアングルでカメラを構えると、車がじゃまになるんですね。
ほんとうは、二枚目の写真は横位置で、もっとレンゲを前面に広く取り込んでみたかったのですけど、その車とステージが邪魔になって、このようなアングルしか取れませんでした。
気働きが足りないのかな~



それにこれは好みの問題でしょうけど、PAは何かあったときの連絡のために必要でしょう。でもBGMを流すなんて、自然を楽しみにしてきた人にとって邪魔になるだけじゃないかと、、、、
BGM、がんがんなんてもう30年も40年も前の流行ですよ。今や、どんどん少なくしていくのが普通なのにと思いましたね~




Susan Boyle

2009年04月25日 09時06分08秒 | 芸術・文化
先日来、有名になったYouTubeのSusan Boyleの画像です。
冒頭部分での彼女の話や、審査員との受け答え、審査員の表情、、そして彼女が歌いだしてからの審査員の驚きや会場の歓声、、、、どれをとっても、まるできっちりと計算された話のように進んでいきますね。

でも、ハリポタの作者もそうだったけど、それまでまったく知られていない人がひょっこり現れてくる。
だいたい、ある程度の才能を持ったアーティスト(なにもアーティストに限ったことではないのだけど)はいくらもいる。有名になるかどうかは、そのチャンスに恵まれるかどうかなんです。

音楽やダンス、演劇、ビジュアル系でもインスタレーションなど、発表の場がなければ自分を表せないジャンルってあるんです。
絵画、彫刻、陶芸など、場がなくても作品は作れるものをメインで手がけていると、発表できなくても、自分の物を作っていくことが出来るなんていいがちだけど、場がなければ自分の作品を作るチャンスさえない人たちもいるんだな~って。

でも、その場を得るために、場を得たら、名声のために、、、、最終的に自分の作品を駄目にしてしまう作家も多いのだけど。


なんて、話がとんでもないところへジャンプしてしまいますね、、、


http://www.youtube.com/watch?v=9lp0IWv8QZY

熊本マリの Shall we Dance?

2009年03月04日 22時52分26秒 | 芸術・文化
友人から熊本マリさんのShall we dance? が送ってきていました。
彼女は今、その名前のコンサートシリーズで4月10日まで18会場、19演奏ってハードスケジュールをこなしています。

よく言うことだけど、ロングトーンを吹いているときでも、スケールを弾いているときでも、あるいは”泣かせる”メロディーを奏でているときでも、ただ音符を弾いているだけならそれは単なる音でしかないんですよね。そのなかに感情がこもってきて始めて相手に伝わるメロディになる。一つ一つの音が生きてきて、繋がっていくんですね。
音楽家でも、他のアートでも、好きで入っていく道だから本来みんなそれを持っているはずなのに、上手になるに連れてそれを忘れてしまう。

レビューにも書きましたけど、このマリさんのCD。 彼女が音楽好き、ピアノ弾くの嬉しいってそんな気持ちが伝わってくる、そしてこちらも楽しくなるようなCDです。

コンサートでは曲の合間に、彼女の楽しい語りも入りますし、このCDの最後のファリァは彼女がよくアンコールで弾く曲。こんな曲を何でアンコールにって思ったら、プログラムの途中に入れるとピアノのピッチが下がることがあるからなんだそうです。チャンスがあれば生の演奏に触れられるといいですね。この Shall we Danceのコンサート日程はマリさんのホームページにありました。

熊本マリのShall We Dance?
熊本マリ
キングレコード

このアイテムの詳細を見る

生と死と  骨壷展

2009年02月27日 09時55分10秒 | 芸術・文化
    ミキシーからの転載です。
    多少てにおはをなおしました。
    写真は今までに掲載済みのものです。 

今日もまたまた天気が悪いですね。
しかも雨。東京では4度までしか上がらないとのこと。
ベランダの花を写しこむことももう種切れ。
はて、何をしたらいいんだろうと思ってミクシーの日記を見ていたけど、あるマイミクさんが展覧会を開かれる。その展覧会の名前が骨壷展なんだそうです。


仕事をしていたときに、いろんな作家から日本でのプロモーションを頼まれた。とにかくわがままで、自分が気に入らなければ絶対にやらないってことが知れ渡っていたので、私に依頼してくる人は他にどうしようもなくなったものか、それともよほど天邪鬼なんでしょうね。それでもそんな私に勲章をくれ、退職の時には、「上の勲章を申請したけど一度出た人にもう一度上げるのは難しくって断念した。ごめん」なんてトップから言われたりすると、あの国もよほど人材不足なんだなって妙に納得したりして。

なんて蛇の足は別にしても、その仕事をしているときになにかやろうかって話になったときに、骨壷やお化けの展覧会がけっこうあったりして。。。 西欧人の癖に骨壷やお化けに興味があるのかななんて不思議に思っていた。

彼らの言う骨壷やお化けは、生(あるいは生き様)とか死とかの象徴なんだけど西欧人の持っている生、死への観念、それがストレートに出てきているとどうもすんなりとは受け入れにくいところがあるし、かといって妙に東洋的なものに迎合しているようなところがあると余計に嫌気がさしたりして。
コンセプトを詰めていく過程で、貴重、希少な出張日程の中で、幾晩、幾人の人と、何本の瓶を空けて、あげくほとんどが実現しなかった。実現できなかったことは残念だとは思う。
でもこの二日酔いの朝、次の会合にでて、昨晩はこんな話をして、徹夜したなんて話から、彼らの本国での展覧会がまとまったり。
あの過程って私にとってはとても楽しい時間だった、なんて今なら言える。
あの当時は、疲労困憊して、歩きながらでも眠ってしまいそうな状態で、そんなことを言える余裕はなかったけど。

仕事をやめた後も、骨壷展って展覧会や企画はずいぶんあちこちで見かけている。妻有であったときには、同じ年に、長野や新潟でも骨壷展が回っていたし、そのすぐ後には美術の人の展覧会が大阪であっていたと思う。

ちょうどそのころに友人が骨壷展をやりたいというので、そのころはまだ以前の仕事のネットワークも生きていたから、本腰を入れてやるなら応援するけど、でも骨壷って人間の生き様の終着駅だよ、人間の生への怨念をどこまで集約できるっていったら、恐れをなしてその後来なくなっちゃった。またまた言わなくてもいいことをいって、舌禍を招いたんだね~ って自分に腹が立ったけど。

ブログには書いたことがあるけど、本当にやりたかった企画で実現できなかったものがいくつかある。
たとえば、デザインの流れ。地理や時間を越えて世界中で流れ、影響を与え、与えられてきたデザインの流れを地球規模で見て生きたいというのもその一つ。
あるデザインや運動をそれだけ取り上げるのはあまり好きじゃない。
たとえば琳派の展覧会をやりたいと思うと、それがなぜ生まれてきたか、そして世界にどう影響を与えて行ったか、ジャポネズリ、アールデコやアールヌボーまでを抑えたいと思うし、なぜそのような変容が必要だったかも展示したい。

要するに、私って根っからの企画屋さんなんだろうかって思う。ローカルなものをローカルでやるんなら、別な人がやれるでしょうに。私が入るからには大きくしなきゃ、コミッション稼げないじゃんなんてことは、、、多少は思ったかなって嘘ですよ。私は給与ベースでしか仕事をしていないから大きくなれば面倒が増えるだけ。でも面白くないことを3っつやるよりも、それ以上に大変だけど、面白いことをやっているほうが精神衛生上よろしいのですよ。

だから神秘主義でも、誰かの展覧会を開いて終わり、チャンチャン。。。。ってことは最初から念頭にない。キリスト教以前の原始宗教がカトリックの教会の元でしぶとく生き残る。それも北欧は北欧の風土の中で、南欧は南欧の歴史の中で、論理的って言われるヨーロッパ人の論理の仮面をはがしたところに歴然とした影響を残している、、、、、現在でもね。その部分が分からないと西欧人なんて分からないよってことから、神秘主義をやりたいって言い出すのですよね。

ロッテルダムの民族博物館で南アジアやアフリカの宗教儀式で使われるものの展覧会があった。人のコンセプトのものを持ち込むことにはいつも躊躇する私がこれだけはやりたいと思ったんですね。だってこの展示物の一つ一つに生への願望、怨念が篭っていてとても迫力があったんです。 館長からアメリカに回る。そのときに大きなカタログを作るから、それを使ってプレゼンして欲しいって言われて、待ってたんだけど、館長が代わって話が沙汰闇になってしまった。私もそのころは別な大きな企画をやらざるを得ないことになっていたから。

このほかにもできなくて残念って企画がいくつかあるけど、それらを並べてみて思うのは、私には普遍的な人間の生への怨念、諦め、願望なんてものが基本にあるのでしょうね。それが逆に言うと子供たちへの企画や、弱い人への企画にも繋がっていくのかもしれない。

葉隠れと五輪書のことはずいぶん前に書いたことがあると思います。
五輪書は生きろ生きろって書いてある。これは武芸者として常に死と隣り合わせにある人への覚悟を書いたものだから、その死を受け入れるためにも生きろって言っていることだと思います。
それに対して葉隠れは社会が安定し、武士が官僚となってきた、死が遠いものになってきたときに、人間って結局は死ぬもの、だから毎日の生き様をどう満足、万全に生きるかが「よき死」に繋がるんだよって、ことだと私は読みました。
その本が書かれた時、そして対象の読者が違うので表現がまったく異なっているけど言っていることの本質は同じなんだろうなって、ずいぶん子供のころに読んだので、違うかもしれませんけど。。。。



先日も書いていましたけど、物心ついてからずっと自分は死ぬんだって思い続けてきた。
長崎で被爆したんですけど、私が子供のころから、元気だった周りの人がある日突然発症して病院へ。後は何年か後に死ぬだけ。当時は何も手当てもなく苦しんでの最後しか残されていない。そんなのをたくさん見てきました。私もいつかは原爆症を発症するんだって思って生きてきましたから。
白状すると被爆者手帳を持っていると年に何回かの健康診断を受けなければいけないのです。でもかって一度も受けたことがない。怖いのです。
それどころか仕事をしているときも、その後も、健康診断をほとんど受けたことがないのですね。普通の病気で死ぬんだったらその方がましだみたいなきもちがどこかにある。
この年まで原爆症が発症していないのだから、まずそちらは安全だろうと漠然と思っていますけど、やはり今でもどこかに怖さがある。
死ぬことではなくて、死に至る間が怖いんです。



結局、そういうのが自分の生き様の根っこにあるんですね、、、、、
なんてことを骨壷って言葉から連想しながら、、、、
冷たい冬の雨の日なんて、根暗になるんですね~
根暗になると、話がとりとめもなくなる、、、、
そしてまた根暗になっていく、、、、、




バラでも買ってきて、今日の被写体にしましょうか。

なんて、ここまで書いてきて、ふと外を見たら雪じゃないですか。
予報で東京に雪が降りましたなんてのは聞いたことがありますが、実際に降っているのを見たのは今年初めて、
こんな根暗な日記を書いている暇はない!
ボクちゃん外に出て大騒ぎをしなきゃ、、、、、




板橋文夫 再再再、、、? そしてMiya

2009年02月09日 13時58分38秒 | 芸術・文化


何年か前に横濱ジャズプロムナードですごい演奏を聞いたって板橋文夫のことをこのブログに書いていました。その後、Sさんのエリントンの本の出版記念で彼が演奏をしていて、やはり魂消ました。この本のこともそしてそのときの板橋文夫の演奏に関しても日記にはアップしていますよね。板橋氏のHPはこちら。

Sさんと話をしていて、「板橋文夫の演奏はとてもすばらしいけど、刀を突きつけられるような緊張を強いられる演奏で疲れてしまう」ってこぼしましたら、彼にはもう一つものすごく優しい演奏をする場面があるということをお聞きしました。それはぜひ聞いてみたい。板橋文夫の演奏はその緊迫ジャンルのものしか聴いたことがない。あのような一面を見せる人なら、逆な面もきっとすばらしいに違いないから聞いてみたいと言いましたら、CDがあるから聞かせるとのことでそのままになっていました。

今日、S氏からメールがあり、MiyaというジャズフルーティストのHPMiyaさんが板橋氏にインタビューをしていて、そこに彼の演奏があるということで見てきました。

S氏の言葉では
>板橋のやさしさが出た演奏は、どうやら次回のようですが
乱暴さと自己主張とは、違う演奏と
板橋の音楽観のようなものがインタヴューで
垣間見ることが出来ます。/>

ふ~ん、もちろんS氏は私がなんどか板橋氏の演奏を聞いていることを知っているからこれを送ってきたのでしょうけど、S氏には悪いけど、もし私がこれを最初に板橋文夫の音楽として聞いたのだったら、私は彼のことをそんなにかっていないかもしれない。なんだか丸くなって、若いこれからの音楽家に自分を合わせてあげているって感じの演奏。強い自己主張もないし、押さえに抑えた繊細さもないって感じかな。S氏は彼のしゃべりの部分でメッセージを掴んで欲しいと思っていたみたい。

でも、プロって大変ですよね。そのときの環境、状況に応じて妥協したりすると、それしか聞かない人にはそれだけで判断されてしまう。一つ一つが真剣勝負なんですね。

私はプロにならなくってよかった。あぁ、これ駄目だけど、これしかないからまあいいかなんて勝手なことがいえるから。困っても困るのは自分だけですものね。
甘いんですよ。私だって仕事をしていたときには、アマチュアとは仕事をしないなんてほざいていたけど、今や、たんなるど素人にしか過ぎない。困ったもんだ。

なんていいながら、ところでMiyaさん?
はい、誰にも好まれるような綺麗な演奏でしたよ。
今の若い人たちに共通の綺麗なメロディ、演奏。
でも、この人たちって、年輪を重ねていくことで綺麗綺麗から脱却できるのでしょうか?
本当にインパクトを与えるような演奏家、作家って、若いときからもっと棘があったような気がしてならないのだけど。
なんとなく、板橋氏の話にはそんなニュアンスも感じられましたけど、それって私の誤解かな~

なんてことを言っていると、皆様から村八分にされますね、、、、
ちっちゃくってもいいじゃない、自分を出し切れば。
それじゃ、飯を食えない?
なら、職人さんになればイイだけ。
自分のことをアーティストなんて言わないでよ。
職人さんのほうがもっといい仕事をするよ。
なんてことを昔は作家の連中に平気で言っていたんです。
私って鬼だね。きっと。



昨日に引き続き ダイサギ   鑑賞するって?

2008年12月02日 19時46分30秒 | 芸術・文化


今日はピアノのコンサートに行ってまいりました。
ということで、昨日に引き続き写真を撮る暇がありません。
日曜日のダイサギの写真をお蔵から引っ張り出して使っております。

いや、最近ブログへのアクセスや閲覧が減ってしまっておりますよ。

日付     閲覧数     訪問者数
2008.12.01(月) 609 PV 187 IP

なんだそうで、PVも2/3程度にまで落ち込みました。
それでも、この数週間はもっと酷い日も続いていましたので、このところだけを見ると特別に悪いわけじゃないんですけど。


まあ、日記もやっつけ、写真もお蔵入りしてカビが生えたら捨てるなんてものを使っておりますので、理由は重々分かっているのですけど。

もう少し何とかしなければね。

なんていいながら、自分のことは棚に上げて、、、、、



音楽でも、絵画でも、本当に自分にぴったりとしたものに出会うと、それは、たとえばピアノの音ではなく、音楽として聞こえる(というと分かりにくいでしょうか?) 
テンポや、ピアノの音、一つ一つの音や、和音、そしてメロディの歌わせ方、、それらが自分が思っているのと同じだと、最初はピアノの音として入ってきているものがいつの間にか、ピアノではなく、メロディそのものとして感じられる。
でもそれが本の些細なことであっても、違和感を感じると、途端に現実に戻り、ピアノの音として聞こえてくる。こんな経験ありません?

絵画や彫刻、インスタレーションであっても、最初はその材質、線、色、ボリュームを見ているのが、気がつくと、自分の心がその中で遊んでいる、、、、
作品を作った人の気持ちと自分の気持ちが話をしている、、、
そんな経験はありませんでしょうか?

それこそ至福の時間なのでしょうけど、、、、
なかなかそのような幸運にめぐり合うことは難しいことですね。

ミスタッチなどはある意味、人間が作業するものだから仕方のないものかもしれません。
解釈の差は、相手に従えば、ある程度は乗り越えられます。
でも些細な技術的なことって意外に重要だったりして。

たとえば、右手で和音のメロディを奏でている。それが左手に移ったときに、微妙に違和感がある。左手が受けるときに一瞬躊躇するような感じ。絶対的な時間から言えばおそらく1/100秒みたいなものかもしれません。

左手の中指や薬指が微妙に音を濁らせているときがある。完全なミスとして音に出てきてはいないのですけど、その寸前みたいなはらはらする感じ。

いつもは完璧な演奏をする人なのに、今日はどうしたのだろう。
あそこの楽器が悪かったのかもしれませんね。