【関西の議論】なにわの元祖ゆるキャラ「ちょろけん」…「あたり前田のクラッカー」とコラボ商品開発で“大阪の顔”になるか
02月06日 12:34
若い女性に人気のスイーツ「なにわちょろけん」=大阪市中央区
(産経新聞)
江戸時代後期に大阪や京都で大流行した門(かど)付け芸のかぶりもの「ちょろけん」が、今また注目を集めている。ユニークな大阪名物を数多く販売している観光みやげ専門店「せのや」(大阪市中央区)が、「あたり前田のクラッカー」で知られる老舗製菓会社「前田製菓」(堺市堺区)などと組んでコラボスイーツを開発したところ、追加生産をするほどの人気を見せている。大阪名物のキャラクター「くいだおれ太郎」や「ビリケン」が知られているが、「なにわの元祖ゆるキャラ」といわれるちょろけんは、その一角に食い込めるのか−。(高橋義春)
「ちょろ見る人福来たる」芸披露し祝儀得る
ちょろけんは、黒いシャッポ(ラシャの帽子)に口ひげ、舌を出したユニークな顔(表情)が特徴。江戸時代後期の文献などには、門付け芸として町中を練り歩くちょろけんの姿が多数残されている。
それによると、先をさばいた竹を手に「ちょろが参じました」「大福ちょろよ」「ちょろを見る人福来たる」などと唱えて民家の前などでユーモラスな芸を披露し、祝儀をもらっていたという。
名前の由来は、神様の「長老君」がなまったとか、大阪弁の「ちょける(調子に乗る、ふざける)」から名付けられたなど諸説あるが、詳細などは不明。享保年間(1716〜36年)に七福神の一人「福禄寿(ふくろくじゅ)」の張り抜き(張り子)をかぶって登場したのが最初とされ、時の流れとともにユニークなコスチュームに変化していった。
ちょろけんの姿は文献によって、その容姿はさまざま。舌を出していないものもあれば、口ひげを生やしていないものもある。コスチュームにしても、全身をすっぽりと包む張り抜きが知られているが、顔を描いた布の袋をかぶったものも確認されている。
しかし、明治時代に入って門付け芸は「新しい時代にふさわしくない」「非文明的な風習」などと揶揄(やゆ)する声が上がるなどしたためか、次第にすたれていった。
女性ターゲットの「なにわちょろけん」に変身
そんな江戸時代後期の“人気者”に着目したのが、せのや常務の野杁(のいり)達郎さん(35)。「大阪の伝統的なキャラクターを活用した新しい大阪名物を作りたい」と考え、さまざまな文献を調査しているうちにちょろけんと遭遇したという。
「すぐに『これだ』とひらめきました。でも、あまりにも認知度は低く、文献そのままの姿では現代の消費者に受け入れられないと考えた」
過去の文献を参考にちょろけんにデフォルメを加え、試行錯誤の末に女性をターゲットにした新キャラクター「なにわちょろけん」が誕生。キャラクター商品の第1弾として「なにわちょろけんレアチーズクラッカー」(1缶1080円)が昨年12月から発売された。
この商品は、前田製菓のクラッカー15枚に、梅花堂本店(大阪市生野区)のレアチーズ(カップ3個)を乗せて食べるスイーツだ。
前田製菓は大正7年創業。昭和30〜40年代に俳優の故・藤田まことさんのギャグ「あたり前田のクラッカー」で一世風靡(いっせいふうび)したことで知られる。一方の梅花堂本店は大正2年創業で、ようかんの銀紙流し込み製法を関西でいち早く取り入れたことで知られる。
創業100年前後の歴史を持つ大阪の老舗菓子メーカーによる“コラボスイーツ”は話題を呼び、発売からわずか約2週間で初回生産分の500缶が完売。あわてて千缶を追加生産するなど野杁さんの予想を上回る人気ぶりを見せている。
大阪城の“新春イベントの顔”にも…
一方、外国人観光客でにぎわう大阪城天守閣(大阪市中央区)でも、平成26年から新春のイベントでちょろけんが登場している。
スタッフによると、25年春に天守閣で開催された「古写真にみるなにわの行事・祭礼」で、昭和初期に撮影されたちょろけんの姿に目を奪われたことがきっかけになった。
明治時代にすたれてしまったちょろけんだが、実は昭和7〜8年の一時期だけ復活したことがあった。上方文化研究者の故・南木芳太郎さんが組織した「上方郷土研究会」がコスチュームを再現し、大阪商工会議所などが開催した大阪商工祭の「浪速町人風俗行列」(同研究会監修)などで披露され、市民らの注目を集めた。
写真は南木さんが収集した郷土資料の中にあり、天守閣スタッフが「正月のイベントに活用しよう」と企画した。このイベントではちょろけんをあしらったすごろくやカレンダーなどといったグッズ類の配布を行っており、天守閣スタッフは「ちょろけんは天守閣ともゆかりがあるキャラクター。ユニークな伝統芸の面白さを多くの人が楽しみ、興味を持ってほしい」と話している。
大阪の有名なキャラクターといえば、道頓堀の「くいだおれ太郎」やシンボルタワー・通天閣の福の神「ビリケン」などが全国的に知られるが、歴史的な観点からみればちょろけんは負けていない。
野杁さんは「昔から大阪の地に根付き、にぎやかしていたちょろけんは町民らに笑顔をもたらしてくれた“福の神”。大阪の新しい顔として盛り上げていきたい」と意気込んでいる。