昨日アップした記事の、あまりにもタイムリーな事例が話題になっています。
まさにこれがモラルハザード※だってば。
上村愛子オフィシャルブログ
亀田試合をみて「よかった」という記事
by aiko-uemura129 | 2006-08-02 21:55 |
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翌日の謝罪記事
# by aiko-uemura129 | 2006-08-03 17:06 |
Trackback(30) | Comments(1582)
いわゆる炎上状態。
彼女が自分の感想を自分のブログで記事にする。
それが「おかしい」という前提でコメント参加するのがまずおかしい、と思う。
コメンテイターは自分の感想を好き勝手書き込んで「おかしく」ないのか?
自分の価値観を語るのはいいけれど、他者ブログでのコメントならマナーやルールがあると(私は)思う。
それまでにコミュニケートしたことのない初見ブロガー(今回は相手が著名人なので、ブラウン管効果=自分が知ってるから一方的に知りあい感覚になってしまう、が多少あったとしても)のところに、土足で踏み込んで一方的に自分の意見(?)を吐き捨てるようにぶつけて・・・
その行為にコミュニケーションとして何の意味&価値があるんだろう?
(恣意行為?ストレス発散??)
自分の意見を言いたいのなら記事にしてTBすればいい(そうしているブロガーもいるわけですが・・・記事チェイスしていないので、内容はわからないけど、ブロガーらしい対応だと思います)。
反論や意見を含めて、まともに彼女とコミュニケートしたいのなら、方法が間違っていると思う。
最初は、愛子さんへの迎合含めた、同感コメント。
で、徐々に増える反論。
一部「いろんな意見がある」という(私からすれば)まっとうなコメント。
で、ある時から一気に増える罵倒コメント・・・・・・←これがイヤ!
他のコメントで勢いつけて書いたような内容もある。
たった1つの記事で彼女の功績まで全否定って・・・絶対おかしいって。
(そういうブロガーが増えてるのもコワイ。個人の自由だといえばそれまでですが。
「関係」がまともに蓄積&フィードバックできないのって、一種のゲーム脳なんじゃないか、と穿ってしまう。)
で、そういうのが大好物な(アラシ)確信犯やこの機に応じたアンチ派のバッシングは別として、それに便乗orノセられてる(無意識含めて)ブロガーが多数いると思う。
ファンだったのにガッカリしたとか、書くのはまぁ自由だけど、
他にそういうコメントがまったくなくても書き込めるのか?それを切実に知りたい。
・・・個人で勝負しろよ。てか、個々は個人で勝負してるつもりなのかなぁ?
で、次の段階ではコメンテイター同士がバトルになる。
で、ごていねいにブログ閉鎖を示唆するコメントもある。
こうなってくると、ブログがリアル空間よりも閉鎖的な、一方向の、一部のネット慣れした輩の価値観や方法に縛られた「金太郎飴な世界」のようで、一気につまらなく感じられてしまう。
で、これもまた騒動として記録されることでしょう。
で、くいつくマスコミが出てくるのかもしれない。
で、ネットからリアルに伝播するのかも・・・すでにしてるのかも。
今回、モラルハザードと同様に、ある種のブロガーな人々の
集団コメントのパワー・ハラスメントを感じてしまった。
私見ですけど。
全部が全部自分と同じ価値観って、ありえないし、つまらんやん。
・・・や、もちろんアラシだって、価値観の1つかもしれないんだけど、
どうしてみんな判で押したように、同じような言葉遣いの同じような反応になってくのーーーーー???
せめて反論にも個性をだそうよーーーー。
とかいいつつ・・・私もいつまでも食いついてるよなー・・・・。反省。
・・・これもまた数あるブロガーの価値観の1つにすぎませんが。
思考メモ:
コメントに過剰反応してしまう・・・。それは結局、炎上の構造と同じだと思う。
で、ブログのコメント欄に、その傾向を誘発する要素がある、それはわかる。
それがなんなのかを見極めたい(構造なのか、ヒトなのか・・・)。
そして、ブログというツールが、ヒトの闘争心をかきたてるのであれば、
ブログは最終的にはそれが原因で衰退するしかないと思う(クリアしない限り)。
知る、だから反応する。
・・・結局、webの秩序(?)の一環として、炎上も「あり」なのかなぁ。
※モラルハザード
もともとは保険用語ですが、ここでは「1人だとできないのに、多くが参加する=保険がかかることで、危機意識がはずれ、暴走する」という意味で活用しています。
ブログについて考える★記事vs.コメント・補足
まさにこれがモラルハザード※だってば。
上村愛子オフィシャルブログ
亀田試合をみて「よかった」という記事
by aiko-uemura129 | 2006-08-02 21:55 |
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翌日の謝罪記事
# by aiko-uemura129 | 2006-08-03 17:06 |
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いわゆる炎上状態。
彼女が自分の感想を自分のブログで記事にする。
それが「おかしい」という前提でコメント参加するのがまずおかしい、と思う。
コメンテイターは自分の感想を好き勝手書き込んで「おかしく」ないのか?
自分の価値観を語るのはいいけれど、他者ブログでのコメントならマナーやルールがあると(私は)思う。
それまでにコミュニケートしたことのない初見ブロガー(今回は相手が著名人なので、ブラウン管効果=自分が知ってるから一方的に知りあい感覚になってしまう、が多少あったとしても)のところに、土足で踏み込んで一方的に自分の意見(?)を吐き捨てるようにぶつけて・・・
その行為にコミュニケーションとして何の意味&価値があるんだろう?
(恣意行為?ストレス発散??)
自分の意見を言いたいのなら記事にしてTBすればいい(そうしているブロガーもいるわけですが・・・記事チェイスしていないので、内容はわからないけど、ブロガーらしい対応だと思います)。
反論や意見を含めて、まともに彼女とコミュニケートしたいのなら、方法が間違っていると思う。
最初は、愛子さんへの迎合含めた、同感コメント。
で、徐々に増える反論。
一部「いろんな意見がある」という(私からすれば)まっとうなコメント。
で、ある時から一気に増える罵倒コメント・・・・・・←これがイヤ!
他のコメントで勢いつけて書いたような内容もある。
たった1つの記事で彼女の功績まで全否定って・・・絶対おかしいって。
(そういうブロガーが増えてるのもコワイ。個人の自由だといえばそれまでですが。
「関係」がまともに蓄積&フィードバックできないのって、一種のゲーム脳なんじゃないか、と穿ってしまう。)
で、そういうのが大好物な(アラシ)確信犯やこの機に応じたアンチ派のバッシングは別として、それに便乗orノセられてる(無意識含めて)ブロガーが多数いると思う。
ファンだったのにガッカリしたとか、書くのはまぁ自由だけど、
他にそういうコメントがまったくなくても書き込めるのか?それを切実に知りたい。
・・・個人で勝負しろよ。てか、個々は個人で勝負してるつもりなのかなぁ?
で、次の段階ではコメンテイター同士がバトルになる。
で、ごていねいにブログ閉鎖を示唆するコメントもある。
こうなってくると、ブログがリアル空間よりも閉鎖的な、一方向の、一部のネット慣れした輩の価値観や方法に縛られた「金太郎飴な世界」のようで、一気につまらなく感じられてしまう。
で、これもまた騒動として記録されることでしょう。
で、くいつくマスコミが出てくるのかもしれない。
で、ネットからリアルに伝播するのかも・・・すでにしてるのかも。
今回、モラルハザードと同様に、ある種のブロガーな人々の
集団コメントのパワー・ハラスメントを感じてしまった。
私見ですけど。
全部が全部自分と同じ価値観って、ありえないし、つまらんやん。
・・・や、もちろんアラシだって、価値観の1つかもしれないんだけど、
どうしてみんな判で押したように、同じような言葉遣いの同じような反応になってくのーーーーー???
せめて反論にも個性をだそうよーーーー。
とかいいつつ・・・私もいつまでも食いついてるよなー・・・・。反省。
・・・これもまた数あるブロガーの価値観の1つにすぎませんが。
思考メモ:
コメントに過剰反応してしまう・・・。それは結局、炎上の構造と同じだと思う。
で、ブログのコメント欄に、その傾向を誘発する要素がある、それはわかる。
それがなんなのかを見極めたい(構造なのか、ヒトなのか・・・)。
そして、ブログというツールが、ヒトの闘争心をかきたてるのであれば、
ブログは最終的にはそれが原因で衰退するしかないと思う(クリアしない限り)。
知る、だから反応する。
・・・結局、webの秩序(?)の一環として、炎上も「あり」なのかなぁ。
※モラルハザード
もともとは保険用語ですが、ここでは「1人だとできないのに、多くが参加する=保険がかかることで、危機意識がはずれ、暴走する」という意味で活用しています。
ブログについて考える★記事vs.コメント・補足
もう1つ、今の子どもたちを見てると、「みんなと同じであること」にものすごく気を遣う…集団からこぼれることを、極端に恐れる。だからなのか、「みんな」と同じ意見を持ちたがる。誰かが言ったことを、自分も、私もと、ほとんど同じ言葉でくり返しつつ、後を追う。なるもにあさんも書いていらした、「祭り」には参加しておかなきゃの精神?そんな様子がここにも見られるのでは?
「みんな」って、本当はその中身、ナンでしょうね。
昨日わたくしもこの記事見て、上村愛子さんのブログ見てきました。
わたくしはひとつの記事に対して、反対・賛成はコメントとしていいと思いますが、炎上中という情報を得てから便乗型で愉快犯というようなコメントはどうかと思います。やはりネットの匿名性を野放しにしているのはよくないかも?個人情報をどこまでと言うのはまた、難しいところでもありますが、ある程度個人を特定できる状況であれば、炎上便乗型(勝手に名前付けました)は少なくなり、自分の意見としてのコメントがされるのではないでしょうか?対人間ネット上でもモラルは必要と思います。ブログ、構造と人間両方作用しあって悪い方向へ行くなら言われるように衰退していくのではないでしょうか?ブログがおもしろくなってきた者としては衰退はいやですがね。
今回、コメントで思考活性させていただきやすいみたいなので
考察型のまとめレスにて失礼いたします。
お二人のコメントを拝見していて下記がビジュアルに頭に浮かびました。
『真っ白な個人宅の塀に、誰かが落書きをする。
はじめは持ち主も消したり、注意したり、
落書きされる原因を考えたり・・・
で、落書きをみた誰かが落書きをする。
で、それをみた誰かたちが落書きをする。』
そのあたりから、落書きが悪い行為だという意識が飛んで
あったとしても「ちょいワル」感覚くらいになって
で、“「祭り」には参加しておかなきゃの精神”になるのかも。
今回は、「炎上便乗型」(ジイ様、拝借いたします!)の背景として
・有名人を罵倒したい・バカにしたい欲求
・有名人のブログにコメント残したい欲求
・とりあえず騒動に参加したい欲求(間違った帰属意識)
みたいなものを強く感じます。
コワイのは集団心理になった時、ストッパーが働かないこと。
先日の生き埋め事件も思い出します。
集団レイプも、最近の同じような犯罪の多発(模倣犯含め)も、同じ心理のような・・・
個人の本能レベルでのなにかが麻痺してると思います。
ブログがその要素を加速させる働きがあるのなら
少し対策を考えなければ、別記事のコメントでもありましたが
非常に有効な洗脳装置として悪用される可能性が大きい。
なんだか・・・きな臭くて、レッドシグナルです。
それが、私がコメントの無意識の暴力に過剰反応する理由なのかなぁ、
と自己分析。
(ブログはじめた当初から、本人は多分無意識で気軽に迎合することで
ブロガーを煽ったり、間違った方向でフィックスするコメントに
嫌悪を感じてる自分がいます。最近は介入こそしなくなりましたが・・・)
長くなっちゃいました(汗;;。考察機会に感謝します。
3年ほど前にNTTデータの仕事をお手伝いした時、
ネット母印の研究をしてる企業の方とお話する機会がありました。
(これだと個人のテキスト情報としては限定されるはず?)
今後、そういう研究は実用化されていくんだろうなぁ、と思います。
アラシも1つの情報として、さばけるスキルのブロガーもおられるので
そうした機能を個人で使い分けられるシステムだといいかも。
(スパム削除機能のON,OFFみたいに)
今でもブログによってはfc2のようにコメント認証性にできるところもあるし
いくらでもガードは固くできそうですが・・・
すると、ブログのオープン性が持つ楽しさは喪失してしまうんでしょうねー・・・ちょっと両刃・・・
いずれにしても、自分で匿名(幽霊)に逃げない、という本人自覚が、絶対に重要と思いまする。
・・・情報リテラシーの遅れは国絡みになってきちゃうけど。
ブログって一種の人んちって感覚です。人の家ね。
だから、初めて訪問する際にはある程度の礼儀が必要だし、自分を名乗るのは当然だとも思います。
家や庭を眺めるのは自由。だけど、訪問するならベルを鳴らすとか、どこで紹介されたか名乗るとかね。。。
何も言わず、名乗りもせず、ズカズカ入って来て、二度と訪問しない…これって泥棒と一緒。
失礼にもほどがあると思います。
マナーサイトは増えてるけど、見てないブロガーやネット初心者の方が
圧倒的に多いと思います(携帯の弊害っすね)。
>何も言わず、名乗りもせず、ズカズカ入って来て、
>二度と訪問しない…これって泥棒と一緒。
もう大賛成!
で、これって案外ベテランでもいたり・・・。
(かなり前ですが、いわゆる有名大物ブロガーが、うちも含めてなんの挨拶もせずに一言コメントを残してるのを見て、なんだかびっくりしました。そういうスタイルなのか、「オレのことはわかってるだろう」という自信なのか・・・。)
私は、以前よりは口うるささは減りましたが
やっぱり挨拶は基本だと思う(リアルでも)し、
「はじめまして」と、他のブログで見知ったブロガーなら
「~様のところでお会いしています」「コメント拝見していました」位は
必要だろう、と思ってます。
個人的には、あいさつがきっちりしたブロガーは接近しやすいけど、
それができてないと、ちょっと距離を置いてはじまるかも。
アラシは嫌われるの確信犯だから始末におえないっすね。
ちょいワルを楽しんでるというか。
公道でしゃがみこんでおしゃべり、とか、バイク騒音がカッコイイ、
みたいな勘違いするおこちゃまが多いんでしょう。
この記事にちょっぴり関係あるかもしれない、
面白い記事を見つけたので、ご紹介します~。
(もしかしたら、もうご存知かもしれません)
心理学には、「交通心理学」という分野があって、
ハンドルを握ると性格が変わるというのは、
本当に性格が「変わってしまう」のではなく、
もともと、その人の中に隠れていて見えなかった性格が、
車に乗るということで、表に出てくるのだそうです。
で、その理由というのが・・・
車というものが、人の能力を拡張するアイテムであり、
(例:「走りが速い」「大きい」「強い」といった特性)、
その車と一体感を感じたときに、人は自分の能力自体がアップしたと思い込み、
表に出さないようにしてきた「乱暴さ」「荒っぽさ」が、
前に出てきてしまうのだそうです。
で、知的能力を拡張する「パソコン」も同様で、
何でもできるパソコンと一体感を感じて、自分自身の知的能力が
アップしているような感覚を味わう人が多いのだとか・・・
匿名でコミュニケーションがとれたり、一度に多くの人に、
自分の意見を聴いてもらえるのが「ブログ」であるならば、
もともと強い悪意のある人達が、アラシをするのではなく、
普通の人達からも、「アラシ」のような行為が、
今後も引き出されてしまうのだろうな~…なんて思ったりもします。
で、多分、そういう人と対面でコミュニケーションをとったら、
意外とソフトなんだろうか…と想像したり。
荒らしの人達のオフ会とか、あったらいやだな~とか(笑)
とりとめもなくてすみません!
なるもにあ様のブログは、記事も皆様のコメントも、
いつも大変勉強になるので、興味深く拝見させて頂いております!
深いです・・・
お祭の意義を理解して参加する人。
(あえて「お祭」と言う言葉にさせてもらってます)
ここまでの人はお祭(騒ぎになった理由)を理解しているからまだいいんだと思う。
でも、
お祭やってるから覗いてみよう。
と言う人に「お祭の意義」を求めても無意味なのかもしれないですね~
そこにあるのは「面白いから」
お祭の屋台(コメント)が色々並んでて面白そうだから、参加してみた。(荒らしてみた)
(屋台目当てでお祭に参加するのが悪いってわけではないのであしからず^^;)
記事が騒ぎになることはしばし仕方の無いことだと思います。
人それぞれ考え方が違うんだし。
でも、相手の言い分も理解する気もないのに、一方的に自分の言い分をまくし立てる。
もしくは無意味に煽る。
相手を挑発もしくは格下に位置づけて、自分の地位を上に見せたいって言う心境なのかもしれません。
自分と他人が意見が一致しないことがあるのは当然です。
でも、納得できないのはいいとして、相手の意見を理解するところから始めないと、発展のない、平行線の討論に終わってしまいがちですね・・・
ご参加ありがとうございます!
また、ご紹介いただいた内容、「まさに!」でした。
こういう補足データがあると、すごくすっきりと言いたいことが
伝えられますね。
やはり情報は大切だなぁ。
>車というものが、人の能力を拡張するアイテムであり
>(例:「走りが速い」「大きい」「強い」といった特性)、
自動車に乗るとヒトが変わる、というのは
理解しやすいですね。
それをPCに展開されたお話、すごく興味深いです。
立花隆さんのサイボーグ考でも
人体のサイボーグ化という視点でもPCがすでに
外部記憶装置として、肉体延長の一環だとする考え方がのべられていて、
面白いのですが
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/051104_cyborg/
>何でもできるパソコンと一体感を感じて、自分自身の知的能力が
>アップしているような感覚を味わう人が多いのだとか・・・
というのは、すごく的を得た情報だと思います。
「炎上」の構造について少し考えたいので
ぜひ参考意見にさせてくださいね。
(ただし、炎上について書くと炎上しやすい;ので
記事化はどういう形になるか不明ですー・・;;)
>荒らしの人達のオフ会とか、あったらいやだな~とか(笑)
案外、イイヒトかもしれないですよね。・・・
リアルでも「そんなことをうるヒトには思えない」が
あるように。
いや、ネットだと顔が見えない分、
ギャップはそれ以上かもしれないですね。
人間のペルソナ・・・そのあたりも関係してくると思います。
またなにか興味深い情報がありましたら
どんどん教えてくださいね!!!
とーい様
お祭にご参加ありがとうございます!<違!
>ここまでの人はお祭(騒ぎになった理由)を理解しているからまだいいんだと思う。
同感。
アラシの定義もあるのですが、異論・反論=アラシというのは間違ってると
思います。日本人って(大きすぎ?)あうん・同族系で、議論慣れしていなくって、過剰反応するブロガーもおおいけど、そこは分けて考えたいですよね。
>お祭やってるから覗いてみよう。
>と言う人に「お祭の意義」を求めても無意味なのかもしれないですね~
>そこにあるのは「面白いから」
うーむ・・・
なるほどなぁ。・・・・・・・・
炎上させるのが面白い、ヒトが慌てるのが面白い、
そういうダークな心理はあるでしょうね。
リアルでも放火犯とか・・・。
>相手を挑発もしくは格下に位置づけて、
>自分の地位を上に見せたいって言う心境なのかもしれません。
アラシや炎上については、もう少し考察したいので
とーい様のコメントも参考意見にさせてくださいね。
興味深いです!!
突き詰めると、人間考察になるんだなぁ。
結局、ブログ考察=人間考察=「私」考察だなぁ、と
いつも思います。
直接顔と顔を合わせたときに、絶対あんな失礼極まりない言葉遣いで話しないですよね。
やはり、匿名性が故なんでしょうか。
上村愛子サンのブログを見てビックリしました。
他愛のない感想を書いただけであんなになってしまうのは本当にコワイ。
ネットを始めて間もない頃に、2chでむき出しの悪意(コメント)を目の当たりにしたときに感じた怖さを改めて感じました。
プロ野球のオールスターファン投票での川崎投手の問題もそうでしたが、「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」的な考え方が蔓延しているようですね。