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DREAM/ING 111

私の中の「ま、いいか」なブラック&ホワイトホール

ブログについて考える ★あなたにとってブログとは?2ND.:ご参加感謝×∞です!

2006-05-31 | ブログについて考える
ブログについて考える ★あなたにとってブログとは? 2NDフェーズ

多数のブロガーの方々にご参加いただけて、深く感謝いたします!

おかげさまで、リアルで貴重な情報をたくさんいただくことができました。

またしばらくお時間をいただきますが、頂戴した情報は、
再度集約し、責任をもってまとめさせていただきます。

次は、いよいよ最終段階となります。
サード・フェーズでは、今回結果を元に思考飛躍して、
「ブログの可能性」について思考していく予定です。

今回、ご参加くださった皆様には、
サード・フェーズ展開時にご連絡させていただきますので
ぜひまたお力&お知恵をお貸し下さいませ。



皆様
ご参加、本当に本当にありがとうございます!!!


また、これから参加してもいい、と思われる方も歓迎いたします。
よろしくお願いいたします。




このブログは皆様のコメントがコアとなっています。
今後ともよろしくお願い申し上げます!
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ブログについて考える ★あなたにとってブログとは? 2NDフェーズ

2006-05-15 | ブログについて考える
昨年10月に企画したブログ実験を覚えておられますでしょうか?


ブログについて考える 5:あなたにとってブログとは?


その節は、貴重かつ興味深い情報ご提供、本当にありがとうございました。

参加者の皆様に深くお礼申し上げます。

当方のスキル不足があり、思いきり時間がかかってしまいましたが
KJ方式(厳密にはKJ法風)に基づき、皆様からいただいた貴重なデータを
カード化いたしました。


ブログ構成要素MAP


(文字が見にくい場合はお申し出ください。)

本来は皆様と同じテーブルで、協働作業すべき内容ですが、
今回はブログ主責任で、いただいた情報のカード化作業を
1人でさせていただきました。ご了解ください。


というわけで、ようやくセカンドフェーズ作業です。

セカンドフェースでは中見だし作成を行います。

今回はアレンジルールにて行いたいと思います。


●カードの小見出しの中で、現時点での「あなたにとってのブログ」として
共感する見出しを5つまで選んでください。
もしくは新しい小見出しを作ってください。(両方合わせて5つまで)

●選んだタイトルについて、あなたの選択理由をお書き下さい。

その他、ブログについて思うことがあれば、
別途、自由にコメントをお願いいたします。


ご自分が書かれたコメントで、時間がたってみて変化したものも
あるかと思います。そういう感想でもけっこうですし、
最近気がついたことなどでも大歓迎です。


期限:5月15日まで

皆様、今回もふるってご参加のほど、よろしくお願いいたします。

今回はじめて参加してくださるブロガーの方は
小カードレベルの方のご参加でも大歓迎です!

※質問は随時受け付けております。


■小見出し一覧

●可変媒体/多面媒体・一面性⇔多面性
●他の媒体の代替え
●検索
●情報収集の場
●接点
●出会いの場
●仲間探し
●交流の場
●語らい
●議論の場
●他者からの影響/他者への影響/双方向性
●ルールがある/ルールが必要
●思考/考察の場
●人間観察
●思考交流
●自分と向きあう
●自己スキルの確認/再認識
●自己連鎖の場
●修業の場
●成長
●修業の場
●評価の場
●自分発見
●発見/再発見
●自分の城
●濃密な時間空間
●刺激
●癒し/リハビリ
●記憶/記録/データ保管
●データ共有
●データ破棄の自在性
●タイムカプセル効果
●リアルタイム
●継続
●反復性
●表現の場
●報告の場
●新規開拓の場
●自己アピール
●自分演出
●夢実現

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ブログについて考える★ブログをやめたくなる時

2006-05-13 | ブログについて考える
どうしてブログは三日坊主になる?

それは・・・その人にとって
ブログが面白くないからでしょう。(完<終わるな?

でもブログについて考えるのにはいいネタなので
一応、どういう時にブログをやめたくなるか、という視点で
考えてみました。

あ、別にブログをやめるのが「悪い」という主旨ではありません。
あくまで個人的体験に基づく私見でございます。

*****************************************************

私は今までブログ放置1回、「もうこれでブログやめよー」と本気で思ったことが5回(くらい?)あります。

ブログをやめたくなる時・その1:トラブル時

やっぱりトラブルになると、相手とコミュニケーションをとるのに
時間がかかり、またこっちが時間をかけても、無意味だったりして
時間対効果が全然ない場合もあるわけで
(相手からすれば知ったこっちゃないわけですが)、
あと、相手の言葉や対応に傷つくことも少なからずあるわけで、
そんな相手とうまくやっていこう、なんて思うからには
その底なしな徒労感、心理的負荷、睡眠不足(え?)必須なわけで・・・。
マジな話、仕事や家事にダイレクトに影響がでるという(自業自得な)実害
・・・が生じ、ブログを続けるメリットとデメリットの総計結果、
結果的に、割りが合わねー!という合理的判断を脳が下すわけですねー。

個人的な結論からすると
ま、それなりに血を流して(え?)強引に気持ちを切り替えたりしつつ
ブログを続けているわけですが・・・

閉鎖の面倒と続ける面倒、どっちが勝つか、って感じです。
ゆえにトラブルで閉鎖する人って、けっこういるのはわかります。
&やり直すのなら、いらない関係を切ってリスタートした方が早いと思います。
まぁ、いずれにしても判断に葛藤はあるでしょうが。

でも、続けてるからこそ出会える素敵なこと&ご縁もいっぱいあるわけで。
それはブログの神様からのささやかなご褒美かもしれない、なんて思う。


ブログをやめたくなる時・その2:リアルが勝つ時

上記と関連して、仕事が忙しいとか、外出が続くとか、
仲間や友だちと連日盛り上がるとか、病気とか、その他・・・
リアルでブログをはるかに凌駕するできことが続く
やっぱりブログへの優先順位やモチベーションは下るかも・・・

初期にココログを文字通り3日で(w)放置したのは、それ(仕事)が理由でした。
(まぁ、ココログの使いにくさも大きかったが)

で、今はリアルでのしんどいことや悲しいこと、腹がたつこと、
悩み、楽しいこと、嬉しいこと、いろいろな思いを
記録としてブログに残すことで、心の整理としたり、
反芻&反省したりする「場」として活用する
機会が増えました。

たとえば、長期プロジェクトで拘束時間がぐっと増えたり、
また恋をしたり(え?;)したら、どうなるかわからないけれど(オイオイ;)、
私にとってブログは、リアルライフへの素敵なスパイスになってくれています♪


ブログをやめたくなる時・その3:書くことがない時・記事がUPできない時

文章を書いてても、自分としてどうもつまらないとか、楽しくない時、
書きたいことがうまくまとまらない時もあり、
途中まで書いて、UPをあきらめた記事は多々あります。
(草稿中のままの記事だけでも10以上はあります;)
逆に書きたいことが追いつかないほどある時もあり、
容量オーバーで、タイミングがずれ、アップできないことも・・・

あと、ありがたいことに来てくださる方が増えると、
私も1人の弱気な人間なので(え?)
「これって書くと呆れられそうかもー」「ひかれちゃうかもー;」
という感覚が起ることはあり、ちょっとUPをためらうことはあります。
(・・・ほとんど思ったままUPしてますが<少しは考えろよ;)

それが続くと、さすがにブログへのモチベーションは下ります。
私的には、記事アップしてはじめてブログ参加の意味があるわけなので
アップする記事がない、って案外、自分的には「負け」
感じが・・・(勝負かよ

ただ、義務や仕事ではないので、「毎日更新」のマイルールさえ
うまくクリアできれば、ちょっと休憩したり、
書きたいことを先に伸ばしたりして、調整はできる
ので
これは、今のところはさほど大きな問題ではないと思っています。


三日坊主でもいいじゃないか、
で、続けたい時にできる範囲でやってけばいいじゃないか、

と思う、「ま、いいか」主義確信犯ブロガーなのでありましたー。

*****************************************************

で、これはもうどのブロガーも同じだと思いますが
ブログを続けられる推進力や活力はコメントにある、と
断言できます。

皆様がコメントをくださって、共感してくださったり、
ご意見や別の視点をくださったり、
ご自分の経験情報をアドバイスしてくださったりすることで、
自分のリアルが多角的に広がる、
リアル自体の可能性を広げてくれている気がします。

私の場合、コメント欄での交流で思考活性して、
そこで得た発想や考えをそのまま仕事に活かせることもあり、
すごく貴重な思考交流の場を、皆様のおかげで構築できている、
と感じています。

ダイレクトなパワーやエネルギーを頂戴することも
ありがたいです。

おいでくださる&ご参加くださる皆様、
いつも本当にありがとうございます!
心から感謝していますですぉ!(えへ?
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ブログについて考える★私にとってブログとは(06.04.11版)

2006-04-11 | ブログについて考える
・・・人間は「私」をわかってほしい動物なんだ
ということが
わかるメディア。


たくさんの記事、たくさんのレス、たくさんのコメントに
「私」が散乱している。



すべての人に「私」を理解してもらうのは不可能だ
ということが
理解できるメディア。


自分の記事だけでなく、コメント欄、
他ブロガーへのコメント、
それら1つ1つがその瞬間「私」であり、5秒後には「私」でない。
1時間後にはまた「私」かもしれないが。



すべての人に「私」を理解してもらわなくてもさほど変わりはない
ということを
実感するメディア。


わかってくれる、と思う人、が
わかってくれる「私」が
個々に気持ちがよい。

そしてわかってほしい「私」を
わかってほしい形で、
わかってもらえた(気がした)時、
「私」はそのレベルにおいて100%満たされる。(主語はすべて「私」)

なぜなら「私」自身が「私」の全体像を見ること自体が
不可能だから。

そして人間は、見たいものしか見えず、聞きたいことしか聞こえない、
不完全な認識システムしかもっていない・・・。(THANKS,GOD!)
だからこそ、「私」として、生きていけるのだと思う。
その不完全な認識という、不完全な結界の中においてのみ、
刹那の連続帯としての不完全な「私」に統一されて。


関連記事:
ブログについて考える★ブログコメントにおける「私」の多元性

私にとっての裏表は必ずしも裏表とは限らないといっても過言ではないのだ
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ブログについて考える★ブログのブックマークって?

2006-03-12 | ブログについて考える
ブログについて考える★ブログコメントにおける「私」の多元性
のコメント欄で、ブックマークの機能についてのコメントをいただきました。

実は私もブックマークに関しては、あまり真剣に考えたことがなかったので(オイオイ!)、
すごくよい考察ポイントを頂戴したと思います。
せしりあ様、うえりく様、ありがとうございます!!!

というわけで、この機会にブックマークについて、
どういう登録の仕方、どういう活用の仕方がされているのか
皆様からのご意見をぜひぜひお伺いできれば、と思いますです。
===================================
1.あなたにとってブックマークとは
 どういう役割をになう(期待する)ものですか?

2.あなたのブックマーク登録基準はありますか?
 あるとしたらどういうものですか?

3.ブックマークを解除したことはありますか?
 それはどういう時でしたか?

4.その他ブックマークに関することならなんでも
===================================

答えていただける質問だけで結構ですので、よろしくお願いいたします。
また、自分以外のブロガーのことでも「こういう例もあるよ」という形で、支障ない範囲で情報頂戴できると助かります。


私自身は、基本的には「自分がよくお邪魔するブログを登録する」ものだと考えています。
初期は音楽系でお邪魔するブログをメインに登録しておりましたが、
けっこう取捨選択して、今はすごく少なくなりました。
で、今はブックマークルール、というほどではないのですが、
以下の感じでブックマークさせていただいています。
=================================
・頻繁にコメント交換を行ったりして、私というブロガーの特性(ブロガー格)を理解していただけたかな?と思われる場合、了解をいただいてからブクマさせていただきます。(相互リンクとなる場合が多いようです。)

・とっても光栄なことに、ブックマークをしてくださるお申し出をいただいたり、もしくはしてくださっていることに気づいた場合、ブクマ返し感覚でブクマさせていただきます。(これは一種のエール交換というか、名刺交換のような感覚です)

・ここに来られる方にぜひ見に行って欲しいブログのご紹介。(ただ、最近は記事でご紹介させていただく方が多いです。また場合によってはコメントで該当ブログのURL紹介をさせていただいています。)
=================================


で、ブックマークの機能としては
=================================
1.自分の巡回用アドレス一覧(ブクマ先はやはり巡回優先度は高まります。)

2.このブログにはこういう方がよく来て下さいます、という第三者へのご紹介

3.リンク拡大促進(私のブログに関心をもってくださった方のリンク支援、ブログ仲間探し支援、「お気に入り」充実支援)

4.コメント欄のURLと同じ役割(第三者がコメント欄で、コメンテイターに興味をもたれた時のリンク支援)
=================================

よく巡回する=興味・関心が高い、ということになるので、ブックマークは自動的に、私というブロガーのブログ観やブロガー嗜好・傾向を表すものでもあると思いますし、それは実際間違っていないと思っています。

ただ、ブクマしていても最近コメント交換していない方もおられますし、
今、少し疑問に思っているのはブクマを解消するタイミングです。
上記2や3を目的とした場合、ほとんどコメントしない方のブクマは、かえって第三者には紛らわしくないかな?と思ったり・・・。

今までブクマ消去したのは以下の場合です。
=================================
・ブログ閉鎖、もしくはそれに準ずる無更新(転居の可能性があり、お知らせいただけなかった時など)
・先方がこちらのブクマを消去されていた場合(相互ブクマ解消という意味で)
・こちらがコメントをしてもレスが一切いただけなくなった場合
=================================


ブックマークは、私のブログから登録先ブログに行く「道しるべ」だと思います。
だから、私のブログに何らかの目的で(もちろん通過される方も多いわけですが)来られて、ブックマークチェックをされた場合、アラシが行ってしまった、困った系(え”)の方が行ってしまった、だけは避けたいと思っています。
私はご存知のように、暴走系であり、またテーマも「にっこり系」「ほのぼの系」ばかりではないので、そのあたりも少し意識しつつ、ブクマをお願いさせていただいています。

で、そういう私のようなブロガーでもよければ、ブックマークしていただくのは、もうもう超大歓迎でございます♪
個人的には、ブックマークに入れていただけるのって、なんだかその方に存在を認めていただけた気がして、とっても嬉しい部分あります。
(あ、でもそれってブクマが全てではなので、せしりあ様の場合などは、ブクマの有無に関係なく、非常に大切な、私には不可欠なブロガー様でございます!!!)

先方のブックマークに関しては、「こちらのブログを紹介していただく」という要素も含まれるわけですが、自ブログへの誘導という意味ではTBやコメントURLもあるわけで、やっぱりその方の「ブログ名簿に乗せていただいた」という光栄さが一番大きいかな、と思いますです。

ただ、ブロガーによっては、ブックマークの意味もまた異なり、上記のような役割はすべて「お気に入り」で対応して、ブックマークに別の機能を付加されている場合もあると思います。

なので、こうでなければ、というのはないのではないかな、と思うのですが、
いかがなものでしょうか?

ぜひぜひ率直なご意見をお願いできれば、ハッピーです

今回もよろしくお願いいたします!!!
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ブログについて考える★ブログコメントにおける「私」の多元性

2006-03-03 | ブログについて考える
他の方のブログでコメントすることの面白さ・楽しさは、
多様な記事に出会うことで、誘発された思考が、
自分では計算できないタイミングで発動するところにあると思います。
いつも自分が考えていることをそのまま書き込める場合もあれば、
刺激されたり、影響された結果、自分でも思いがけないコメントを
書き込む可能性もあり、本人さえ意識していない自分の鏡像に
出会える場でもある。

もう1つ興味深いのは、1人のブロガーがコメント的には様々なブログに分散されること。
巡回ブログがかぶると、他ブログでのコメントとつなぎあわせて
その1人のブロガーの全体像(と思われるもの)を
意識的&無意識的に収集・ストックしていくことは可能ですが、
通常は参加ブログの差による、全体像の把握の限界=ズレが生じる。
それもまた非常にブログっぽいと思います。

ブログコミュニティにおいて、ブロガー同士の交流が非常に密になり、
ブックマークがほとんど同じ構成になっていくのは、1つには
そうした全体像集め=相手を理解するためのコメントチェイス傾向が
強いからだと思っています。共通要素を増やしていくことで得られる
コミュニティにおける一体化欲求・所属欲求にもつながるのでしょうね。
(私自身は所属欲求よりは、交流欲求が強いブロガーだと思っています。)

で、あるブロガーが、別のブログで書いたコメントのノリで、
また違うブログに書いたコメントを
それを知らずに読んで、まったく意味がわからない参加者や、
逆に、他で見たコメントと併せ読みして、深読みしてしまう参加者もいる。
(ここにメールや電話などブログ外手段が絡むと
ますます当事者同志以外には見えないブラックボックス化が進行。)

「コミュニケーション頻度が高まれば、誤解は減る」というのが
一般解釈だと思うのですが、
ブログを見ていると、頻度が高まれば高まるほど、
ズレの差が生じやすいケースもある。
ある意味、頻度が高い分、リアル以上に誤解や勘違いが生じやすい媒体ではないのかな?
という気がしています。(情報処理能力の問題もあるでしょうが)

ブログコメントって、自分流を通すことの自分なりの自覚と
波及効果を認識していないと
簡単につながっていく関係だけに、
コミュニケーションツールとして難しい部分もある。
まぁ、んなこといったら、言葉や文字って
自分から離れた瞬間に、二度と戻せないわけで、
その時のその感情も、1秒後には過去なわけで
元の流れにはあらず、
誤解されてもOKな覚悟で発信するしかないわけだと思うのですが。

で、こんなことばかり考えてると、コメントなんてできなくなっちゃうので
これも「そういうこともあるかもねー」くらいで、
トラブルになった時に思い出せばいいと思っております。

まぁ本来は、コメントよりは自ブログの記事中心に
発信していけば、大きな問題にはならない部分ではありますが。
(自ブログの記事は、自分の思うように自分を編集も演出もできる自分の城ですから)
=============================

わはは、メタまとまりないから、また私見メモだなぁ。
その時の気持ちを残せるのもブログのよさだろうから
考えが更新されるまでの1データとして、ってことで、ま、いいか。
(こういうのもまさに、自己統一欲求のつじつま合わせの1つだよな)

で、こういう記事を書くと
「誰かを想定してるのか」と思われる場合もあるようですが
(↑えへ、あるブロガーが指摘してくれました♪
私の記事もまた誤解を生みやすいってことです。はい。)
毎度のように、私の中で、混沌と溜まった思いを整理してるだけなので
そういう意味では特定の誰かは今回は存在しておりません。
言い換えれば、この記事に興味を持って下さる方、全員に発信しています。

言葉って、関係に働き掛けるツールであり、意図する・しないに関わらず
書くことで誰かを刺激したり、気づかせたり、その他影響必須なので
(書いてる本人が思いもしないことを含め)
プラスにでればポジティブ連鎖なのですが、
マイナスにでるとんとに泥沼なネガティブ連鎖にもなるので、
注意するにこしたことはないと思います。
(それも結局個人の枠の中の話で、そういう意味では
どこまでいっても自分の手から先には出られないのかも?)

ま、常に常に自己責任ってことかなぁ。

で、好意というスパイスはいつでもどんな状況でもプラスに変える
魔法のような効果を持っているよなぁ、と思う今日この頃。
やっぱ「好き」って感情はワガママ(我が壗=自分としてあるがまま)の中でも最強クラスだなー。
できるなら両思いでいたいっすね♪

なんてことをぼーーーーと思った、モモの節句の一時でした。

いつもながらの私見ではありますが
なにか思われたこと、意見、質問、反論
記事に直接関係なくてもコメントについて感じること
どんなことでも結構ですので
ぜひぜひコメントご参加くださいませね。
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ブログについて考える★ブログのコメントについて・その2

2006-02-22 | ブログについて考える
嬉しいことって誰かに伝えたくならない?

笑えることって誰かに話したくならない?

それなのにつらいことや悲しいことって

どうして我慢してしまうんだろうね?

どうして自分だけで気持ち閉じてしまうのかな?


それはきっと、それを読んだ誰かが

同じようなつらい、悲しい思いをするのを止めたいと

その人が思うから。願うから。


でも、

それを受け止めて一緒に考えたい、って

そのほうが気持ち閉じられるより、ずっとずっと嬉しいって、

そんな輩もけっこういるんじゃないのかな?

ネットは広大だから。


で、笑い飛ばしたり

一緒に泣いたり

時には失礼な暴言をはいちゃうヤツもいるかも、だけど

そこにはきっと“私はあなたを見つけたよ”、“私はあなたを見ているよ”、という

文字にはならないメッセージが含まれているはず。



=================================
ブログについて考える★ブログのコメントについてのコメント

zippa-zappa様のコメントより:
衝撃の告白になりますが、私は1度ブログを消そうとしたことがあります。
別に、荒らされたとかじゃなく、リアルで疲れたときに。
でも、結局消さなかったのは、コメントがあったからです。

京女。様のコメントより:
そして、その記事に対するコメントは共感であったり、反対であったりするのですが、なんらかの意見を伝えてくれる人がいるってことはとても幸せだと思うのです。
自分のブログを見てくれているという意味で。。。
面と向かっては言えない照れや赤裸々な思い、社会に対する意見などもブログを通じてなら、気軽に意見の交換ができる。ある意味、リアル世界でのディベート以上に内容が深まるし、ほんとうに様々な人の意見も聞けるメリットがありますよね。

夢様のコメントより:
何かの番組でやっていたんですが、「花」だったか「果物」だったかな?まぁ、どっちかなんですけど、ひとつはその対象物に対して「誉める」、二つ目は対象物に毎日「罵声を浴びせる」三つ目は離れた「部屋」におき何もしない。
結果、一番最初に「枯れた?腐った?」のは3番目の離れた場所で無視された対象物でした。
ブログのコメント欄もそうだと思います。
何もコメントがもらえないと・・腐ってしまう。
で、で、結局・・あたしのいいたい事はブログのコメント欄はみんなのカウンセリングの場所なのです!!

R様のコメントより:
ブログは本来、実生活の中では出会うはずのなかった人同士を、ほんの一瞬出合わせてくれる奇跡のような存在。
そこで、思いが通じたり、共感したりする喜びに勇気をもらい、また、現実の課題に取り組んでいこうって気合を入れなおします。
(※編者注 そこ=コメント欄)

坦々麺様のコメントより:
コメントに関しては たとえ一時でも 相手の方が貴重な時間を使い 自分へ気持ちを向けて書いてくれたもの

ruko様のコメントより:
特にブログはそのメディアとしての属性からお互いに共感したことに対してコメントをすることが多い

ダラ子様のコメントより:
もしも私がブログを辞めるとしたら、記事は全て残しておこうと思います。もしくはページを保存できる期間を設けようと思っています。
コメントも記事も連鎖していると思うからです。
私のブログに記事やコメントを連鎖してくれている人がいる、それだけで嬉しいので(/ω\)ハズカシーィ

うおこ♪様のコメントより:
コメントに対してのコメントが書かれると、反応してくれたんだなぁと嬉しいです。
それが反論だったり、同意だったり。
更に内容を膨らませてくれたり。

=================================
参加者の皆様、素敵なコメントをありがとうございます!
勝手に編集してしまってごめんなさい。ブログ主特権にて。
(問題あればお申し出くださいませ。)


誰かが誰かのために書いた記事が
「私」を感動させ

誰かと誰かが交わしたコメントが
「私」を微笑ませてくれ、

誰かが1人でこっそりアップした記事が
「私」を考え込ませ

誰かが考え込んでつけたコメントが
「私」に記事を書かせる。

そしてその記事がまた誰かにコメントを書かせる。
そして・・・・・


こんな関係、
リアルではめったに体験できなくない?



だからブログが大好きです!(少なくても今は。<オイオイ!

コメント交換してきた、している、するだろう

たくさんのブロガーとの出会いに感謝。



追記:
私にこの記事を書かせてくれた元記事です。
いつも燃料投下、ありがとうございます。ゼットン様。

ちょっといいFLASH
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ブログについて考える★ブログのコメントについて

2006-02-18 | ブログについて考える
ブログのコメント欄のコメントって、誰のものなんだろう。
と考える時があります。

普通に考えればもちろん、そのブログ主のものです。

でもそれぞれのブロガーが、たとえ一瞬でも
そのブロガーの記事やブロガー自身に向けて
ある種のエネルギーを使い、気持ちを使い、時間を使って
コメントを残す。

ある時はブロガーの記事に同意を示すために
ある時はブロガーを元気づけ励ますために
ある時はブロガーをたしなめ、警告し、反論するために
ある時はブロガーに知らせるために
ある時はブロガーに質問するために
ある時はブロガーと一緒に考えるために
そしてある時はブロガーと共感し喜びをわけあうために・・・

そうしてコメントが重なってブログが呼吸しはじめる。

私自身は発信型と受信型で分けるとしたら
コメント重視の受信型ブロガーだと思っています。
好き勝手にテーマを設定しますが、どちらかといえば、
コメントで参加してくださる皆様の意見や考え方が
知りたくて、そこに期待してテーマ設定している場合が多い。
(もちろん一方的な記事発信もありますが)

だから、私の中では、このブログは私立公園(えへ)。
ここに来て下さる皆様が作りだす風景であり、生み出される一時。

いろいろな意見が楽しくってしかたがない。
自分にはない未知の扉がむこうからやってきてくれる感じ。
リアルでは出会えない様々な年齢層の様々なライフスタイルの
様々な経験、様々な考え方、様々な価値観。
深い洞察、キラキラした感性、まっすぐな思い、
目からウロコや、まゆつばもの、様々なコメントが
それぞれにオーラをだして輝いて見える。
そのエネルギーを頂戴しています。

悲しみや辛さ、孤独さえも
ブログ空間で、誰かの目にとまった瞬間
ある種の浄化作用が起こるように思える。
それはすべてコメント欄で起こる魔法のような
奇跡のような出会いの錬金術。

錬金術だから、コントロールはできなくて
たまに悪魔も飛びだしてしまう。
でもそれはまた別のエッセンスを加えたらエンジェルにもなる
そんな可能性も秘めている。

すごいエネルギー交流、エネルギー磁場。



ブログのコメント欄のコメントって、誰のものなんだろう。
と考える時があります。

ブログが閉鎖され、そのブログがネット空間から
完全消滅した時に。

そこにあった、
たくさんの時間と思いは、どこにいってしまうのだろう、と。

コメント (18)
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ブログについて考える★ブログのトラブルについて

2006-02-18 | ブログについて考える
<研究結果「メールの意図が正しく伝わる確率は5割」 (HOTWIRED) - goo ニュース

======================================
「書き手が、メッセージに込めた意味合いや感情は明確だと往々にして思うのは、書きながら自分が意図する意味合いを頭の中で『聞いて』いるからだ」と、エプリー助教授は説明する。
同時に、メッセージを読む方は、そのときの気分や型通りの考え方、思い込みに基づいて無意識のうちに内容を解釈している。それにもかかわらず、被験者たちは、自分たちがメッセージを10回のうち9回は正しく解釈していると考えた。

 こうしたずれの生じる原因は、自己中心性――自分独自の観点を捨てられないという、一部の人が抱える障害――だと、エプリー助教授は説明する。つまり人は、メッセージが他人の観点からどのように解釈されるかを想像するのがあまり得意ではないということだ。

 電子施策研究所の責任者ナンシー・フリン氏は、「電子メールは非常に誤解されやすいもので、感情的な論争の引き金になるだけでなく、多くの訴訟の原因にもなっている」と語る。
======================================


上記はメールの例ですが、掲示板やブログコメントでも
コミュニケーションの行違い・すれ違いはままあります。

私も一度、息子の記事で冗談のつもりで書いた内容に対し、
まっこうから息子批判をされて(書いてる私じゃなく、ネタとなった息子への批判)
それ以来、こわくなって記事で息子のことをとりあげる時は細心の注意を
するようになりました。(「これは冗談です」とわかるように書く、等)

今、読んでもどうしてそんな心無い(と、私には思える)ことを書かれたのか、
理解できていないままです。
で、私はさすがに自分の息子のことだったので、不快だった感情を隠して、そういう記事を書いた自分のことをコメントで謝りました(自分のことなら「しかたないやー、えへ」もしくは「ウケテタツゼ!」)。
先方も一応は謝罪されたのですが、なにかわだかまりがあるのを感じていました。
(もしかしたら私の教育方針への非難だったのかもしれません。今となっては真実はわかりません。)
その後、そのことがあったせいかどうかは不明ですが、その方は他の記事でも、私には理解できない行動を3度ほど取られました。
コメントなしでTBを送ってこられて、それに関して私が感謝をこめて書いた記事を無視?したり、他のブロガーと別のブログでやってたコメントの続き?を、私をスルーしてわざわざ私の記事でしたり・・・他の方のブログでその方とも出会うので、私が無視されてることはそれまでのコメントの頻度から痛いほどわかっていたのですが、そこまで私がイヤなのなら、なんでわざわざこのブログに来られるのかぁ、と真剣に悩みました。

結局、最終的にはこのブログには一切参加されなくなりました。
私もあえてコミュニケーションのもつれをほどく努力をしませんでした。
(というか、上記のように、私へのコメントが一切なくなったので、私からも訪問をやめた、という形で関係解消されたと思っています。)

私の中にもそのブロガーへのわだかまりがあったのだと思います。

私にとってはブログでの唯一の、総和としてマイナスな後味の悪い思い出です。
あの時、真正面からぶつかっていたら、
もしかしたらもっと違った関係になっていたのかもしれません。



ブログは基本各人の家だと思いますが、
通りすがりさんや、一見さんや、定期ゲストや、常連さんが
記事によって入り乱れてるのが、非常に面白いメディアだと思っています。
で、コメントにも様々なレベルのコミュニケーションが混在する。

なんどもコメント交換して、相手のことが断片的ながら把握できている場合
もあれば、ある1つの記事だけのおつきあいで、二度と巡り合わない関係もある。

このブログも、いつも参加してくださって、ある程度私の思考や文章のクセ、記事歴を把握してくださってる方もおられれば、
TB企画などで幅広くブロガーに声かけをして、その時だけ参加していただく
(ご縁があればその後もつながっていく)場合もあります。

トラブルがおきやすいのは、基本的には一見さんの場合が多いようです。
反論で飛び込むケースがままあることや、いわゆる空気嫁な対応ができていなかったり、コミュニティの場合はその和を乱す、など・・・
その場合は、スルーしたり、反論したりはさほど困難ではないと、私個人は思います。
それは、そのブロガーそのものよりは記事内容(もちろん背景にはブロガー本人はいますが)に基づくトラブルである場合が多いから。つまり記事ごとに対処でき、最悪でもその記事を削除してしまえばすむから。(感情的にもつれると、他ブロガーを巻き込んで炎上する場合もあるでしょうが、炎上する時も記事ごとが多いようです。)

で、コミュニケーションがある程度深まって安定した時にもトラブルは起こる。
それは一種の期待過多や(慣れからくる)配慮不足が原因ではないかと思います。
わかってくれているはず、
わかるはず、

というお互いの思い込み=一種の「自己中心性」ではないでしょうか?
そしてその場合は、一見さんトラブルより深刻な結果になることが多い。

記事止まりではなく、ブロガー本人同士の問題になっていくからです。

また常連の多いコミュニティ型ブログだと、本人同士ではすまず、
そこに参加しているブロガーも巻き込んだトラブルにも発展しやすい。
(少なくても、なりゆきを見守ることになる。)
いずれにしても、一見さんトラブルより、
及ぶ影響も範囲もはるかに大きいと考えます。

また、そうした第三者ブロガーへの対応含めて、
すべてが煩わしくなってしまう、ということも想像に難くありません。

もちろん、そういうこと全てふまえたうえで
つきあうブロガーを決める権利も、
ブログを続ける権利、また閉鎖する権利も
すべて個々人のブロガーのものだと思いますが。



と、小理屈編終了。続きます。
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ブログについて考える★書く、ということ。

2006-02-06 | ブログについて考える
いつも社会勉強させていただいている
uumin3様のブログの
2006-02-03の■予言の自己成就・自己破壊
という記事で
ポジティブ・フィードバックとネガティブ・フィードバックについて、興味深い考察がありました。
で、uumin3様の記事とは主旨が異なりますが、ちょうど記事やコメントを書くことの影響について考えていた私とキーワード的に共振したため、少し私見をまとめてみました。

なににしても、何かを書く、それが第三者が見る可能性のある
場所で行われる、というのは
どういう形にしろ、プラス、マイナスなんらかの影響を与えるものだと思います。

ましてや、広大なネットにつながれたブログ空間で
発せられた言葉は、完全な個人体験の日記型であっても
本人の意識の有無に関わらず、
第三者に見られることを前提として書かれている、と私は考えます。

私自身はブログは積極的に情報収集・情報発信の相互コミュニケーションの場だと
考えていますが、中には、自分の意見の発信だけをしたいブロガーもいる。
(大体がコメントを受け付けない設定にされています。)
でも、それでもその方の記事にアクセスし、
読んだ人の中には、確実になんらかの印象・感想・感情etc.…が起こる&残る。

すべての情報は、人と人(時間・空間)の間を様々につなぐツールだと思います。
それが個々人の中に落ち着くと知識となる。

ただ、人は様々だから
同じ日本語を語ってるつもりでも、
背景にあるプロフィールや経験やライフスタイルで、
その人個人の『体内辞書』は個々人で違っている。
その活用方法にはクセもでる。

というわけで、コミュニケーションは誤解が生じるのが当たり前である、とも
思っています。
何が読み手にとってネガティブ要素なのか、傷になるのか、
全てを予測することは不可能。
それをできる限り調整しあうのが人間の知恵であるとも。
だからこそ、同じ気持ちを共感できた時、その喜びは深い、とも。

zippa-zappa様の記事にもコメントしたのですが
私自身は、
できればポジティブ・フィードバックを期待できる記事だけ書き続けたい。
でも、ネガティブなことを払拭しなければポジティブにならないケースもある。
で、そのためには一度ネガティブなことを書かなければならない。
そして私のように感情のブレがノーコンなブロガーは、
自分が書いた言葉にすらネガティブ・フィードバックを受ける。


ということがわかってまいりました(遅い!

ネガティブなパワーって、自分が思ってる以上に
自分の中で変化して定着する場合があるんだなぁ、と。
これは読み手としても書き手としても
注意していかなければならない、と実感した次第です。
や、頭ではわかっていたし、けっこう経験積んでるつもりだっただけに
自分的には目からウロ、くらい。(何ソレ!

ポジティブな願望としては、
ブログ内でいろいろなコメントパワーが錯綜して、そのうえで
総和した時にポジティブ・フィードバックができていれば、いいなぁ、

なんて思っています。



こういう記事そのものが、読み手にネガティブ・フィードバックを起すのか
ポジティブ・フィードバックを起すのか、私には予測はできません。

ただ、文章を書くときには
もう少しだけ、文章の受け手のことを意識して
書いていきたい。

そして、できれば少しだけでも
ポジティブリンクの一環をつないでいければ、と
願っています。

でもって、こうしていつもどおり思ったまま記事にしてしまう
これが暴走系でなくて、なんなのか。
暴走そのものがすでに読み手を無視してるのでは?
というお叱りもあると思います。

というわけで、毎度ながら異論・反論大歓迎です!!
わたくしを鍛えてやってくださいね?(甘えるな?

『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。』
(草枕・夏目漱石)

でもそんな住みにくい世の中だからこそ、住みこなしたいじゃん♪
と思う、夏目先生を敬愛する、なるもにあであった。


参考:goo ブログ(ゼットンの独り言)
実は欠陥商品かもしれない言葉というもの。

「世の中、便利になればなるほど、人間関係が難しくなるのかもしれません。」
便利さとひきかえになにかが希薄になってるのか、不足しているのでしょうね。
腑に落ちる記事、ご馳走さまです。
コメント (18)
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