ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

彼岸花とカマキリ

2015-09-28 08:02:21 | 日記



カマキリ: 次から次へと人間が寄って来て、ウルサイったらありゃしない。
      そんなに私が珍しいのかな~?私じゃなくて、彼岸花を写しに来たんでしょ。
      彼岸花を写しなさいよ。モ~、そんなに近くまで寄って来ないで!

彼岸花 : 人間って、面白いわね。さっきまで私たちに夢中になっていたくせに、カマキ
      リさんを見つけた途端、私たちのことはそっちのけよ。
      フフフ、あの人、うまく焦点が合わないって、ぼやいているわ。

カマキリ: カメラの焦点が合わないって?だったら写すのを諦めたらどうなの?
      しつこいわね。近寄るなって、言ってるのに・・・

彼岸花 : アラ、写されるのが嫌なら、サッサと私たちの中に潜り込めばイイじゃないの。
      こんなにたくさん咲いているんだから、すぐに隠れることが出来るわよ。

カマキリ: それがイイわね。じゃあ、あなたのそばに行くわ。ヨイショ、ヨイショ。

彼岸花 : なんだか、足元がおぼつかないわね。どうしたの?

カマキリ : どうしたも、こうしたも、あなたの花びらってフニャフニャしているから、私の
      重さを支えきれないみたい。地面に落っこちそうで怖いわ。

彼岸花 : ちょっと~、あなたは何のために羽根を付けてるの?飛びなさいよ。

カマキリ: アッ、そうだった。私って飛べるんだったわね。すっかり忘れてた。

彼岸花 : さっきから、人間がカメラを近づけて来るのが嫌だ、嫌だって言いながら、
      本当はまんざらでもなかったんじゃないの?モデル気分を楽しんでいたり
      して。だから、ジッと同じ場所に留まっていたんでしょ。

カマキリ: ばれちゃったか。実はそうだったのよ。脚光を浴びるって、気分がイイものな
      のね。辺り一面を赤く染めて咲く彼岸花さんを目当てに、たくさんの人間た
       ちが押し寄せて、あなたたちの写真をジャンジャン撮っているから、ちょっと
      羨ましいなって思っていたのよ。
      ところが、最初に私を見つけた人が私を写し始めた途端、次から次にいろん
      な人が私を取り囲み始めたものだから、ついつい、いい気分に浸っていたの。
      照れ隠しに、自分の気持ちとは裏腹なことを呟いちゃったってわけ。

彼岸花 : やっぱり、そうだったのね。だけど、あなたの気持ちも分かるわ。注目される
      って嬉しいことよ。私たちが注目を浴びるのは花が赤々と咲き揃う、この時
      期だけなの。1年のうちで、たった1週間だけ。
      でも、それでいいの。この1週間の賑わいの後には静寂が戻り、また来年、
      きれいな花を咲かせるために、私たちは青々とした丈夫な葉っぱを伸ばす
      の。養分を蓄える時期をゆったりと過ごすのも悪くないわ。
      脚光を浴び続けるって、きっと苦痛なんじゃないかな。

カマキリ: 苦痛ね~。私は今、初めて脚光を浴びたわけだから、そこのところはよくワカン
      ナイ。とにかく、今日はイイ気分に浸れてよかったわ。じゃあ、そろそろ飛んで
      行くわね。バイバ~イ!
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赤坂氷川祭巡行

2015-09-21 06:55:59 | 日記



「戦後最大級、町会神輿15基と氷川山車の連合巡行。神社境内から赤坂サカスへ
壮大な江戸絵巻が甦る」とのチラシが目に飛び込んできました。
私は2年に1度(前回は雨で流れた)行われるこの祭りには、ここ10年ほど連続して
参加しています。今年は4年ぶりに行われるので、勇んでビデオとカメラを持参して
出かけました。
そこで赤坂氷川祭の紹介と先週(9月13日)に見物した赤坂氷川祭連合巡行の様子
をレポートします。

1.赤坂氷川祭の歴史

  氷川神社は全国で261社、都内でも68社が鎮座しており、麻布氷川神社・白金氷
川神社など地名を頭につけて区別しています。赤坂氷川神社は徳川八代将軍吉宗に
より造営され、震災、戦災の災禍を免れた東京都の重要文化財指定社殿です。
境内には勝海舟が命名した四合(しあわせ)稲荷などの歴史遺産があります。祭礼は
江戸時代から行われ、宮神輿二基を氏子21ヶ町江戸型山車13本が警護している様子
が明治44年に奉納された絵図に納められています。今は縁結びの神社として知られて
います。

2.江戸型山車について

  今日の連合巡行は氷川山車「猩々(しょうじょう)」と町会神輿15基でした。猩々山車
は鉾台型山車で、二輪車の上に三層の構造物を持ち、最上部と二層で人形が上下でき
るようになっています。これは江戸城の門を潜り抜ける工夫だそうです。一層は笛・太鼓
のお囃子と狐の舞などの舞台になっています。

3.赤坂氷川祭巡行

  祭り期間である11日~13日の3日間の内、私が参加したのは神幸祭と言われる
13日。隊列は氷川神社を出発し、六本木通り・外堀通りを巡りながら、赤坂サカスを目
指します。私は実家が所属する町会のハッピを着て、妹家族と共に参加しました。
祭りの参加者は15基の神輿の担ぎ手を中心に3,000人強、隊列の全長は700mを超え
ています。見物客を含めると1万5千人の祭りで、都内でも屈指の規模を誇ります。

朝9時より各町会を出発した15基の神輿集結によって、氷川神社の境内は芋の子を
洗うような混雑です。そんな中で、私は妹家族の到着を待ちました。

私: おお~い、こっちだ!

妹: すごい混雑で、ここに着くまでが大変だったわ。

先に食事を終えた一団が立ち上がった場所に滑り込んだ私たちは、早速、配布された
お弁当を食べ、神社の出口付近に先回りして先頭隊が出てくるのを待ちました。

妹: 実は私、巡行の先頭から終わりまでじっくり見るのは今日が初めてなのよ。
   あら、先導は天狗なのね。次はのぼり旗の一団、氷川神社の旗でしょうね。続い
   て人力車。乗っているのは地元の名士たちかな?高額寄付者だったりして・・・。
   アラ、綺麗どころのお姐さんたち。赤坂芸者かしら?男姿の衣装とかつら・白塗り
   の化粧が目を引くわね。来た来た、山車よ。予想以上の高さだわ。子供たちも大
   人に混じって綱を引っ張るのね。
   山車の上の人形は何かしら?後で教えてね、お兄ちゃん。アッ、ようやくワッショイ
   の掛け声と共に神輿がやってきたわ。うちの町会は後ろの方だから、他の神輿を
   ゆっくり見物できるね。町会ごとにハッピの色とデザインが違うし、担いでいる時の
   掛け声も違うのね。山車の順番はどうやって決めているのかな?
   お囃子の演奏だけではなく、子ども山車を神輿の前につけている町内もあるのね。
   それぞれ独自性を前面に出そうとしているみたい。それが一段と、祭りを盛りあげ
   ているんだわ。

私: 天狗のように見えるのは「猿田彦」という道案内の神様だ。伊勢に総本社がある有
   名な「猿田彦神社」の神様で、祭りでは必ず先頭を歩くよ。
   のぼり旗・人力車そして男姿の芸者衆は「附け(つけ)」といって、江戸時代は山車
   とこの曳き物・仮装行列の組み合わせが中心だったのでその名残りだと思う。
   山車は江戸型山車の一つで、上のほうに乗っている人形は大酒飲みだという架空
   の動物である猩々(しょうじょう)だよ。
   この氷川神社には8台の山車があり、それぞれの山車には山車人形が乗っている
   んだ。現在修復中のものもあるけどね。
   近年、隊列の順番はこの形で固定しているけど、町会の神輿の順番をどうやって決
   めているのかは、知らないな。

妹: 東京の祭りはお神輿が中心でしょ。だから山車を持っているのは貴重じゃないの?

私: 実は江戸時代の祭りは「山車と附け」が中心だったんだよ。明治になって神輿に
   変わってきたんだ。理由は明治になって町に電線が張り巡らされ、山車の運行が
   やりにくくなったことと、大震災や戦火で多くの山車を失ってしまったことにあるん
   だ。そこで、電線に引っかからない神輿が増えたんだという説がもっぱらだね。
   だから神輿の祭りは明治以降のスタイルなんだ。猩々山車も修復をして復活させ
   たものなんだよ。
   やはり山車があると江戸絵巻の雰囲気が盛り上がるね。もっといっぱい出してほ
   しいな。

祭りの隊列は都心の車道をゆっくりと、「ワッショイ」の掛け声そして笛や太鼓のお囃子
の音を賑やかに響かせながら進みました。沿道は多くの見物客でいっぱいです。
外国人の見物者が多いのも都心ならでは、でしょうね。

私: 高速道路の下を江戸絵巻の祭りが巡行するのも、なかなか面白い風景だね。

妹: さっきの休憩場所では、皆さん、肩が痛そうにしていたわね。それにしても、神輿の
   大きさは各町内で違うのね。外国の方の参加が多い町会もあって国際色が豊かね。

私: 神輿の大きさは町会の財力に比例しているのかもしれないね。どの顔も笑顔で
   いい。

神輿の隊列は無事に赤坂サカスの広場に到着し、連合巡行の行事は終了しました。
この後、神輿は各町会に戻り、祭りの協賛金を頂いた家の前を練り歩きます。高額寄付
者宅や会社の前では「サッセ、サッセ」の掛け声で神輿を全員で持ち上げ、担ぎ棒を平
手で叩いて謝意を表していました。
ビルの谷間を巡行する山車と神輿の列。都会の祭りもイイものです。
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犬山城と城下町

2015-09-14 08:21:14 | 日記



愛知県犬山市にある国宝犬山城。現存する日本最古の木造天守閣として有名で、多く
の観光客が来ます。しかし、昭和年代には40万~50万人だった入場者数は平成5年ご
ろから低迷し始め、平成15年には19万人台までに落ち込みました。
そこで、官民が総力を結集して観光客誘致の努力を始めたところ、その成果が表れて
平成19年ごろからV字回復し、昨年は久々に40万人を越えたそうです。そんな城下町に
京都在住の友人を連れた老夫婦がやって来ました。

夫: 駐車場の誘導係が随所に居てくれたお蔭で、順調に駐車することができたよ。

妻: 犬山と言えば4月第1土・日曜日に行われる「春の犬山祭」よね。

夫: 江戸時代から続く針綱神社の祭礼で、381回目にあたる今年の祭りの人出は15万
    人だったそうだよ。各町内を出発した高さ約8メートルの車山13輌のうち12輌が針
    綱神社前に集結して、からくり人形を披露した後、城下を巡行し、日没後は車山に
    365個の提灯が灯されて練り歩いたらしいね。

妻: 私も朝から晩まで見物した時のことをよく覚えているわ。14年も昔の事だけどね。

友: 私は京都に住んでいるから祇園祭の鉾を見慣れているけど、あちらは「稚児」、ここ
    は「からくり人形」が乗っているのね。

夫: そうそう、同じ形式のものは岐阜県高山や愛知県有松が有名だよ。曳山の呼び方
   は「鉾」「山車」・「屋台」など各地で違うらしいね。犬山では「車山」と書いて「ダシ」
   と読ませるんだ。

友人と共に、名物の「鮎雑炊」と「きしめん」で腹ごしらえをして、犬山城に登りました。
狭くて急こう配の階段に苦労しながらも各階の展示物を楽しみ、天守閣からは眼下に
流れる木曽川を始め、四方に広がる眺望を堪能しました。

夫: 階段がキツかったね。年のせいかな?

妻: きっと、そうよ。ネェ、あの辺りに数人いる黄色いTシャツ姿の人が気にならない?
   Tシャツの背中に「写真をお撮りします」と書いてあるわ。

そんな会話をしている三人のそばに、黄色いTシャツの男性が一人、近づいて来ました。

男性: こんにちは!写真とります隊です。よろしかったら、写真をお撮りしましょうか?

夫: ぜひ、お願いします。このカメラで。

男性: こちらの位置がベストポジションですよ。ハイ、チーズ!

妻: ありがとうございました。アラ、あちらでも外国の方が喜んでポーズをとっているわ。

友: 向こうから声を掛けてくれるから頼みやすいし、嬉しい「おもてなし」ね。

お城を出た三人は本町通りを歩くことにしました。最初に立ち寄ったのは「城とまちミュ
ージアム」です。この建物には記憶があります。以前は一階の中央にカラクリ車山がド
ンと展示されていたと思いますが、今は城下町のジオラマが置いてあります。ボランテ
ィアさんからお祭りの歴史や小牧・長久手の戦い等の詳しい説明を受けました。

夫: 以前、この建物内にあった祭りの車山は「どんでん館」という新しい建物に移動し
   たんだって。あとで「どんでん館」にも行ってみようよ。

妻: ボランティアさんの説明が「立て板に水」だったわね。とてもよく理解できたわ。

友: ホントね。あれほど説明の上手な人は滅多にいないんじゃないかしら。

以前あった電信柱が無くなり、道幅にゆとりができた通りをそぞろ歩き、「どんでん館」
にやってきました。「どんでん」とは車山を豪快に方向転換することです。ここには4輌
の車山が展示されています。二階には犬山祭りで子どもが着る「金襦袢」が展示され
ていました。数百万円かかると言われる豪華な刺繍が自慢です。

夫: 金襦袢は嫁の実家が贈ることになっているので、「車山のある町の男には嫁にや
   るな!」と言われているんだって。今も変わらないのかな?

妻: この金襦袢を着た子どもを父親が肩車して、誇らしげに立っていた姿を思い出すわ。

夫: こんなに豪華な刺繍だもの、みんなに見てもらいたいのは当然だ。貴重な文化財
   だよ。

友: 実は私、日本刺繍を習っているのだけど、こんなに立体的な金刺繍を見たのは始
   めてよ。豪華さが半端じゃないわ。重そうだけど、これを子供が来てお囃子を演奏
   するのね。

「どんでん館」を出た三人はお城の方へ後戻りして、「からくり展示館」に入りました。
からくり人形の仕掛けの説明や実演が行われています。

夫: からくり人形は技術立国・日本の礎になっているんだよ。室町末期に渡来した「ぜ
   んまい仕掛けの時計」の仕組みに驚いた当時の人が分解し、自分で作り始めた。
   そこから「からくり人形」が生まれ、現在の自動車、さらにはロボットへと続いていっ
   たんだね。

妻: 茶運び人形の実演と解説も興味深かったわ。からくり人形の動きは歯車に様々な
   工夫をして生み出された物だったのね。ぜんまいを利用して、ここまで緻密なもの
   を作り上げた日本人の応用力と技術と遊び心には、改めて驚かされるわ。

友: 近くで見た人形のお顔の表情が素敵だったし、からくりの仕組みも学べて満足よ。
    できれば、もっと広い範囲を歩いて見たかったけど、時間切れね。春のお祭りの
    時に再訪して、車山で繰り広げられる「からくり」と金襦袢を着た子供達を是非見
    たいものだわ。

短い滞在時間にもかかわらず、犬山の町に対する好感度が一気に上昇した一行です
が、その要因のひとつがボランティアさんたちとの「ふれあい」。訪れる観光客への「お
もてなし」を心がけて行動する地元の人々の努力は、着々と実を結び始めていると感じ
ました。
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 「こきりこ唄」と六人の僧

2015-09-07 08:07:37 | 日記


むかし、布教と修行のため、托鉢をしながら全国を行脚している六人のお坊さんがいま
した。ある時、山奥のそのまた奥へ進んで行くと、突然、大きな茅葺の家が見えてきま
した。

一の僧: こんな山奥に、えらくドッシリとした構えの家が建っていますよ。気になりますね。

二の僧: 狭い田んぼがポツンポツンとあるが、収穫するにはまだ早そうだ。

三の僧: すぐそばに山々が迫る、こんな山間地では十分なお米の収穫は望めそうにあ
       りませんよ。日々の糧をどのような方法で得ているのでしょうか?

四の僧: おや、歌声が聞こえませんか?

五の僧: あの家から聞こえて来るみたいですね。行ってみましょう。

僧たちは入り口で声をかけてみました。すると、その家の主人らしい人が出てきました。

主人 : おお、これはお坊様がた。こんな山奥の村に、よう来られた。中にお入りくださ
      い。ささ、皆様、もっと囲炉裏の近くへどうぞ。お口に合うかどうかは分かりま
      せんが、薬草を煮出したお茶があります。どうぞ一服して下さい。

六の僧: ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、ドッコイショ。

四の僧: 先ほど、歌声が聞こえたのですが、唄っておられたのはご主人ですか? 

主人 : オヤオヤ、お聞きになりましたか。お恥ずかしい。昔からこの里で唄い継がれて
      いる「こきりこ唄」です。陸の孤島のようなこの場所での生活は過酷そのもの。
      日々の労働の合間や祭りで唄います。あとで、ゆっくりと唄って差し上げまし
      ょう。

三の僧: それは楽しみです。ところで、この村にはお米を耕作する場所が少ないようです
       が、どうやって日々の糧を得ているのですか?

主人 : 実は、この村はある藩が幕府や他藩には存在を秘匿している隠れ里なのです。
      お坊様たちがここに来られたのも何かのご縁でしょうから説明しますが、この家
      では二階より上で蚕を飼育し、紙作りもします。もう一つ、これは口外しては困る
      のですが、床下を利用して火薬の原料となる煙硝を作っています。ここで作った
      煙硝は全て領主に収めるのですが、これが村を支えてくれているのです。

一の僧: 作業場兼生活の場というわけですね。大きな建物である理由が分かりました。
       しかし、煙硝作りをしているとは意外でした。

主人 : 決して他言は無用ですよ、お坊様たちを見込んでお話したのですから。あそこ
      にあるのが「煙硝まや」です。あそこに麻畑の土、ヨモギなどの干し草、蚕糞、
      馬の尿などを混ぜて積み、五年ほど寝かせます。すると煙硝培養土ができる
      ので、それを水に浸したうえで、その水を煮詰めると煙硝ができあがります。
      この煙硝にいくつかの物を混ぜて黒色火薬を作るのですが、これ以上は話せ
      ません。

二の僧: この村で安定して良質な煙硝を作り続けてこられたのは、ご先祖から続く試行
      錯誤や連綿と受け継がれた経験の蓄積があるからなのでしょうね。

主人 : 米の代わりに煙硝を年貢として納めているので、まさに命綱ですよ。

武士 : ゴメン!邪魔するぞ。主(あるじ)はおるか?

主人 : おお、これは、お珍しい。加藤様ではございませんか。なんという偶然でしょう。
       行脚中のお坊様がたもいらっしゃいますので、どうぞ中へお入りください。

武士 : すまぬな。さっき、おぬしの歌声が聞こえたものじゃから、久し振りにゆるりと聞
      かせてもらおうと思ってな。

主人 : さようでございましたか。丁度良かった。これからお坊様がたにお聞かせしよう
      していたところでございます。できましたら、加藤様の踊りもご披露頂ければ、
      お坊様がたはお喜びかと思いますが、いかがでございますか?
      エ~、この唄の起源は古く、平家の落人がここに住み着いた当時から唄い継
      がれていると聞いています。

三の僧: すみません。唄と踊りの前にお伺いしておきたいのですが、失礼ながら、加藤
      様はこの集落を収めているお役人様ですか?

武士 : いや、ワシは流刑人なのだよ。もう、ここでふた冬を越した。

四の僧: エッ、流刑人?帯刀されているし、ご自由に出歩いておられるのが解せません。

武士 : 解せんじゃろうな。この姿で自由に動けるのは藩内におけるかつてのワシの地
      位が配慮されているからだ。ワシはお家騒動の巻き添えで、ここに流されてし
      まったが、再審議を陳情しておるところじゃ。万が一、ワシがここから逃げれば、
      別の地に流されている10歳になる私の息子が処刑されてしまうのじゃ。
      ここは流刑の地でもあってな、罪の重い流刑人は川向こうにある流刑人小屋に
      入れられておる。川には橋など架かっておらぬぞ。

五の僧: そのようなご事情がおありとは・・・早く再審議が始まることを願っています。

武士 : 今のワシは木片で人形を彫って赤子が生まれた家に贈ることと、この土地に古く
      から伝わる踊りを習うことがせめてもの慰めになっておる。近ごろ、ようやく
      様(さま)になって来てのう。ワシの踊りで良ければお見せしよう。
      その代わり、踊りを披露した後には、坊様たちが見聞きしてきた他藩の話をた
      っぷりと聞かせてくれぬかのう。いつか藩に戻ることができたら、藩政に活かし
      たいと思うのじゃ。

六の僧: 承知しました。では、加藤様とご主人、唄と踊りをご披露願います。

加藤様は踊り用の衣装に着替え、当家の御主人の朗々たる唄に合わせて見事な踊りを
披露し始めました。

♪ こきりこの竹は 七寸五分じゃ  長いは袖の かなかいじゃ
          マドのサンサは デデレコデン  ハレのサンサも デデレコデン ♪

六の僧: いやいや、ありがとうございます。さすがお見事な唄と踊りでした。歌詞もなか
      なか面白うございました。ところで加藤様とご主人が手に持っておられたのは
      何ですか?見慣れないものですが。

主人 : 私が両手に持っていたのが「こきりこ」で、筑子と書きます。指で掴み、手首を上
     手に回転させながら2本の「こきりこ」を打ち鳴らして拍子をとるのです。

武士 : ワシが持っていたのは「ささら」じゃ。煩悩の数と同じ108枚の桧板を糸で結わえ
      て編んだもので、手首をきかせて波打たせると「シャッ」と音がでるのじゃ。

唄と踊りを堪能した六人の僧は、約束通り、旅の途中で経験した様々なことを語りまし
た。加藤様は僧たちの話の中から、特に興味深い事柄を選んで書き留めました。
六人の僧が立ち去った後、加藤様は僧たちへの感謝と自らの復権への願い、さらにはこ
の村の人々の安寧を祈る気持ちを込めて木彫りの六体の像を作り、奉納したそうです。
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