ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

ザ・日本! 大淵笹場の茶畑と富士山

2018-06-25 07:23:07 | 日記


最も日本的な風景の一つ、静岡県富士市大淵地区の「大淵笹場の茶畑」をご存知ですか?
電線の入らない茶園越しの富士山の撮影ポイントとして、多くのメディアやカメラマンが
訪れる場所です。ここに老夫婦が初めてやってきました。天候に恵まれ、新茶の刈り取り
時期でもあったことから、普段見ることができない「生活の場として躍動している茶畑」
と、それを「見守るようにたたずむ富士山」の光景は老夫婦の脳裏に強く刻み込まれたよ
うです。

<お茶の歴史について>

お茶は世界各国で飲まれています。紅茶はイギリスやヨーロッパで発展し、アジアでは日
本茶や中国茶などが独自に発展してきました。 日本では茶道という文化として進化して
います。お茶は、奈良・平安時代に、遣唐使や留学僧によって中国からもたらされたと推
定されます。鎌倉から南北朝時代には臨済宗の開祖である栄西が日本初の茶の専門書「喫
茶養生記」を著し、お茶の薬としての効能を説きました。室町から安土桃山時代になると、
千利休らによって「茶の湯」が完成し、豪商や武士たちに浸透していきました。江戸時代
に入って宇治田原郷の永谷宗円が、優良な煎茶の製法を編み出し、山本嘉兵衛により玉露
の製法も生み出されたといいます。明治維新から明治中期では茶の輸出総額は15-20%を
占めていました。しかし、花形輸出品として発展してきた日本茶も、インド、セイロン紅茶
の台頭で、輸出は次第に停滞していきます。代わりに国内の消費が増え、お茶は国内向け
嗜好飲料に変わっていきました。お茶が日本人の生活に根付いたのは、大正末期から昭和
初期と言われ、意外に新しいのです。

夫:ウオー!どうだい、この絶景は!新緑の茶畑と富士山の組み合わせは最高だね。この
  場所が最高の撮影ポイントとして知られているのがよくわかるよ。今日は天気にも恵
  まれてラッキーだ。

妻:本当ね!この景色を上手く切り取るカメラの腕前が試されるわね。頑張るわ。

夫:今いる場所は傾斜地にある広い茶畑の中で一番低いところにいるから、富士山も含め
  て全体像が掴める位置だね。でもここからだと肉眼で眺めを楽しむには向いているけ
  ど、カメラで撮るとなると、きれいだけの面白みのない写真になりがちだ。ここでの
  撮影を終えたら上の方に登って、魅力のある撮影ポイントを探そう。

妻:ネエ、あの方たちテレビ局のクルーの人たちよね。あら、カメラにNHKと書かれてい
  るわ。

夫:さっき、撮影に来た方と話しているのが聞こえたけど、お昼のニュースで放送される
  そうだよ。どんな映像を写して紹介するのか知りたいけど昼じゃ無理だね。

妻:放映は今日とは限らないわ。でも今日か明日だろうから見ることは無理ね。アラ、変
  な人が来た。ヒッチハイクで日本一周をしているのね。腰にカンバンをぶら下げてい
  る。私たちに見せて何か意味があるのかしら?

夫:あの看板を掲げてヒッチハイクに協力してくれる車を止めるんだよ。

妻:なるほど。ちゃんと協力してくれる車がいるのね。見て、右手の奥のお茶の棟に布袋
  がいくつも置いてあるわね。

夫:そうか、新緑の茶園と富士山のコラボが見たくてこの場所へ来たけど、今の時期は新
  茶摘みが始まっているんだよ。見渡してみると、茶摘み作業を終えたお茶の棟と未収
  穫の若芽が立っている棟が混在している。ここからだと作業をしている人が見えない
  けど、それは休憩時間だからなんだろうな。これから茶摘みの作業が始まると思うか
  ら、作業の様子を見に近くまで行こう。

二人はゆっくりと、傾斜している茶畑の上の方に向かって歩き始めました。背景となる大
きな富士山が一歩の歩みを進めるごとに、くっきりと二人に迫ってきます。中腹に着いた
時、夫婦と思われる茶畑の方が姿を現し、お茶の棟に置いてある布の袋を広げて、茶摘み
の機械にかけ新芽の摘み取り作業を始めました。二人は初めて見る光景です。二人の耳に
大きなモーター音が飛び込んで来ました。

夫:茶摘みが始まったね。新芽の摘み取り作業を初めて見たよ。こうやってやるんだね。

妻:ここまでは茶畑と富士山の構図で撮っていただけで満足していたけど、こうして茶摘
  み作業の人物が入ってくると、急にこの場に生活臭が湧き出てきて、ここの雰囲気が
  躍動的になって来たわ。これはすばらしいシャッターチャンスだわ。暫く声を掛けな
  いでね。

夫:一つだけ聞いて。見てごらん。茶摘みは棟の片側ずつ刈り取るんだね。だから往復の
  刈り取りで一棟の刈り取り完了というわけだ。一度の往復の作業で完璧に完了させる
  のはさすがだ。素人だと虎刈りだったり、棟を波打たせてしまうだろうね。

妻:あのモーター音は送風機を動かすためなのね。刈り取られた茶葉は風のベルトに乗せ
  られてあの布袋に送られるんだわ。刈り取りは棟を挟んで刈り取り機を持ち合う二人
  の呼吸が合わないと、刈り取り跡があんなにきれいにはいかないのよね。確かに、素
  人がやったらとてもきれいなクリクリ坊主のようには刈り取れないわよね。これから
  はお茶を飲む時にこの光景を思い出しましょう。美味しく頂けるわよ。初めて見たか
  らよい勉強になったわ。

夫:この時期にここへ来れたのは良かった。ザ・日本の代表的な光景を大いに満喫しよう。

妻:私、カメラのバッテリーとメモリー残量が心配だけど、そんなことはどうでもいいわ
  ね。いい写真を撮るわ!

茶畑と富士山の撮影スポットとして有名なのは富士宮市のここ大淵笹場と今宮。ここでは
広大な茶畑と富士山の写真を撮ることができます。この二つの撮影スポットはとても近く、
一回で両方をまわることができます。少し離れますが、静岡市の日本平も茶畑と富士山の
撮影地として良く知られています。こちらは、山の斜面を埋め尽くす茶畑と、港、そして
富士山とスケールの大きな写真を狙うことができます。静岡市にはもうひとつ、茶畑と雲
海と富士山で有名な「清水区吉原」もあります。撮影に挑戦したい方は是非お出かけくだ
さい。

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今は昔の忍野八海も見方を変えて見れば・・・

2018-06-12 07:51:37 | 日記


今は昔とは、「今ではもう昔のこと」の意味ですよね。こんな言葉がピッタリはまるのが、
富士山の湧泉で有名な「忍野八海」です。最近のあまりの変貌ぶりにがっかり度No1だそ
うです。それでも富士山周遊ドライブをしていた老夫婦が観光地の一つとして「忍野八海」
にやってきました。

妻:久し振りに来たわね。一番賑やかな「涌池」に到着。駐車場からここまでに聞こえて
  くる会話は中国語ばかり。池の周辺も中国人の団体ばかりで日本ではないみたいね。

夫:昔、何度か訪れたころは、富士山を背景とした素朴な故郷の風景があったけど、想像
  以上の変貌ぶりに、時代が変わったとはいえがっかりだね。

妻:「涌池」の水は変わらずきれいだけど、自然の風景とあまりにもかけ離れた土産屋の
  建物が池の一部をまたいでいるのはいただけないわね。それにお店が増えているから、
  池の周りにゆとりがないわ。世界文化遺産となって商魂がたくましくなったのね。
  がっかり度No1が分かるわ。もっと知恵と工夫で景観を保全してほしかったわね。

夫:外国人が増えてここの空気感が変わったのも大きいね。それでも人を引き付けている
  のだから、池と茅葺屋根そして富士山を背景とした、日本的な田園風景がどこかに残
  っていると思うよ。お気に入りの写真が残せたらいいね。

老夫婦は観光案内所を見つけました。二人はそこで衝撃的な話を聞くことになったのです。

案内人:八海は民間信仰である「富士講」の人たちが、富士登山の際に行った8つの湧水
    を巡礼する八海めぐりの地なのです。古くは信者たちが富士山登山の前にここで
    水行をしたとされているところです。それぞれの池は守護神が祀られた霊場とな
    っています。一番霊場から順番に八番霊場までの巡礼路を行くのが正しい八海の
    歩き方なんです。霊場の池には表札があります。中心に中池と呼ばれる大池があ
    りますが、残念ながら人工池ですよ。商売のために湧水を引き入れたものです。
    あれが作られる前は池の水面が盛り上がる量の水が湧き出ていたのですがね。

夫:八海とは池がいっぱいあるという意味ではなかったのですね。そして、ここは霊場な
  んだ。あの大きな池が人工池だとは知りませんでした。昔来た時は、池と富士山と茅
  葺屋根を組み合わせた風光明媚な景観だけを追い求めて写真を撮ることに夢中になっ
  ていたと思う。日本人の富士山信仰には考えが至っていなかったよ。恥ずかしいね。

案内人:もう一つ、八つの池は北斗七星と北極星に見立てられ、富士講信者に親しまれて
    いました。この地図にポツンと離れた場所の一番霊場「出口池」がありますが、
    それを北極星に見立てているのです。是非、一番霊場から順番に巡ってください
    ね。尚、3番霊場の「底抜池」は私有地ですので300円の入館料が必要ですよ。
    でも残念ながら今日は身内に不幸があって閉まっています。

妻:北斗七星のお話しは面白いですね。「出口池」のことは知りませんでした。今日は富
  士山信仰の心を持って八海の霊場巡りをしましょうよ。そうすれば、うるさい中国人
  の声もお土産屋の無粋な建物も少しは気にかけずに済むものね。

夫:同感だね。忍野八海の景観に関心を置くのではなく、霊場巡りとして歩けば、遠い昔
  の忍野八海に出会えるかもしれないな。

二人は一番霊場の「出口池」に向かって歩き始めました。確かに、「出口池」は中心から
離れており、池には観光客もまばらで、それも日本人だけでした。

夫:ここが一番霊場の「出口池」だ。一番大きい池だね。八海の中心部は忍野特有の自然
  環境を楽しめる状況は失われているけど、ここは最も自然な姿を残しているようだね。

妻:周囲に売店などが全くないのがいいわ。この池の人気がないのは中心から離れている
  こともあるけど、樹木に覆われて水面に富士山が映らないからでしょうね。ここから
  八海の霊場巡り開始ね。霊場の表札をしっかり読みましょう。楽しみだわ。

夫:二番霊場の「お釜池」に到着だ。ここは最も小さい池だ。昔の人は湧き水の噴出口が
  見えたかもしれないけど。今はバイカモによって噴水口も水の深さも実感できないね。

妻:三番霊場の「底抜池」の閉館は残念だけど、四番霊場の縁結びの「銚子池」がこの道
  の奥にあるわ。池の底の砂地が巻き上がるのが見えると書かれているわよ。

夫:着いたけど、この池は澱んでいて藻が浮き上がっている。汚くてがっかりだな。池の
  縁に立ち止まる人がいないけどこれじゃ当然だ。縁結びの雰囲気はないな。

妻:先ほど見た五番霊場の「涌池」に戻ったわよ。ここは湧水量も豊富で、揺れ動く水面
  や深い水底の景観が美しく忍野八海を代表する池ね。逆さ富士が水面に映っている。
  きれいだわ。土産屋がなければいいのにな。昔の人にとっても、この池は特別だった
  のじゃないかしら。

夫:この池には水中洞窟があるんだ。昔、テレビで水中洞窟の探検の様子を放映していた
  よ。光の関係かな、見つけようとしたけど、水中洞窟の入り口がわからなかった。
  さあ!六番霊場の「濁池」だ。ここは川と合流しているから湧き水の出る場所は分か
  らないし、霊場感が薄いところだね。

妻:ここが七番霊場の「鏡池」ね。湧き水が少ない池だから、これじゃ、溜池ね。でも
  しゃがんで見て!逆さ富士が見えるわよ。湧き水の量が減ったのかしら?

夫:最後の八番霊場「菖蒲池」だ。確かに菖蒲が咲いている。奥には八海菖蒲池公園が
  整備されている。池と遠景の富士山とのコラボがいいところだね。

妻:こうして霊場巡りを終えたけど、昔を偲ぶものは表札に和歌が書かれているくらい
  ね。忍野八海が霊場としての認知度が低いのがうなずけるわ。これもがっかり度
  No1にさせている要因よね。

忍野八海が関東一円の富士講の中で広く知られたのが江戸時代。しかし、 明治新政府の
廃仏毀釈によって富士信仰は衰退し、忍野八海における水行も行われなくなりました。
しかし、昭和60年に「全国名水百選」に選ばれたことにより、忍野八海の観光地化が進
みました。外国人の方が多い観光地ですが、霊場巡りと言う日本人の心で歩くと、風光
明媚だけとは違う忍野八海の顔を見ることができると思います。

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