ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

黄葉の大イチョウの下で <1>

2017-11-27 07:46:44 | 日記


神社の境内の片隅に、黄葉した大イチョウが数本並んでいます。その枝下の地面はイチョウ葉が覆う黄色い絨毯、
そこにいつ誰が置いたのか、一対の白い椅子が並んでいます。変哲もないただの鋳物の古い椅子のようですが・・・・・

<ヨネさんの独り言>

ヨネさんという老婦人が神社の参拝を終えて、この椅子に向かって歩いてきます。椅子に近づくと、片方の椅子を前後
左右に動かして、椅子が安定していることを確かめると、腰を深く下ろして座りました。そして、大イチョウから少し
離れた参道を歩く、二組の七五三参りの親子が歩いている姿を笑顔で見ながら、持ってきた手提げを広げて、中から小
さな木彫り座像を取り出し、空いている白い椅子の上に乗せました。そしてゆっくりと人形を見つめながら独り言を始
めました。

ヨネ: この白い椅子は誰が置いてくれたのかしらね。この時期にだけしか見たことがないものね。ここにあなたが彫っ
    たこのお人形を置くと、あなたが出てきてお話ができるんだから不思議よね。今日も出てきてね。良い知らせ
    を持ってきたわよ。知っていると思うけど、一昨日の土曜日に孫のケイ子が結婚式を挙げたのよ。参列者が
    300人を超える盛大な披露宴だったの。私はあんなに大きな披露宴は初めてだからすごく緊張しちゃったわよ。
    あなたも見ていたのでしょう。どこにいたの?

亡き夫: 君の肩に乗って見ていたよ。あんなに盛大な披露宴になると、格式張った感じになると思うけど、そんなとこ
     ろが全くなかったね。新郎とご両親の人柄だね。良い家に嫁に行ったと喜んでいるんだ。

ヨネ: あら、あなたの声と一緒に顔が見えるようになったわ。こうして今年もお話ができるんだから私は本当に幸せだわ。

亡き夫: 本当だな。ところで、もう杖をついていないね。足の方は良くなったようだね。

ヨネ: 良くなってきたのよ。まだ長い距離を歩くのは怖いけど、買い物をする範囲内で歩くにはもう大丈夫よ。

亡き夫: それは良かった。披露宴会場では最初はおとなしかったけど、途中からは席が温まる暇もなく会場を動き回っ
     ていたね。プロのカメラマンのような動きだったよ。写真の出来栄えはどうかな。喜んでもらえる写真で上手
     に整理できるといいね。

ヨネ: そうなんだけど、チョッと後悔しているの。私は親族だからと、最初の内は新郎新婦の席からは一番遠い席で、
    そこから動かないでいたでしょう。だから撮るアングルが一面的になっちゃった。あれが残念だったな。

亡き夫:そうだったね。300人が入った広い会場だったから、花嫁・花婿のひな壇までかなりの距離があったしね。でも
    お色直し後はプロカメラマン顔負けだったぞ。

ヨネ: これではいけないと、お色直し後は頑張ったわ。カメラ大好き婆さんの血が騒いで、ジッとしていられなくなっ
    たのよ。お気に入りの写真は良いアングルからですからね。その良いアングルは行動力なしでは得られません
    から。でも昨日、パソコンで画像を確認したんだけど、自分で満足できる新郎新婦の良い笑顔の写真が私にして
    は少ないのよ。それに、手ブレや参列者が邪魔している写真があるの。雰囲気に圧倒されて、冷静にシャッター
    を切れなかったようね。年は取りたくないわ。

亡き夫: それでも君のことだ、良い写真も写せているんだろう。トリミングや写真補正はお手のものじゃないか。受け
     取るケイ子の笑顔を想像しながら、センスのいい写真整理を頼むよ。

ヨネ: でもプロのカメラマンさんがいるんだから、親である息子たちにはあげようと思っているけど、ケイ子のところ
    には送ることを遠慮しようと思っているの。だって、ケイ子のところにはプロの写真が来るんでしょう。比較
    されたら恥ずかしいものね。

亡き夫: お祖母ちゃんが写した写真だから喜んでもらえるよ。それにしてもプロの作品と比較されちゃたまらないという、
     プロと張り合う負けん気は相変わらずだね。まだまだ若いよ。息子のところに送っておけば、新婚旅行から帰
     ったら、必ず挨拶に寄るだろうから、その時には見てくれるよ。

ヨネ: わかった。プロの作品と張り合う気はないけど、私なりの工夫でかわいらしく、そして美しく編集することを頑
    張るわ。どんなレイアウトで、どんな台紙を使おうか、なかなか決まらないで困っているわ。今日はあなたの意
    見を聞かせてもらいたいと思っているの。あら、あら、あなたの姿が薄くなってきた。肝心な時にもう時間が来
    ちゃったのね。仕方ないわ、来年も来るから必ず来てよ。それじゃ~ね。

亡き夫: 次の方がこちらに向かって歩いてくる。達者で暮らしなさい。

ヨネさんは人形を手提げの中に仕舞うと、ゆっくりと立ち上がり、笑顔を残して不思議な白い椅子から離れていきました。
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霧ヶ峰高原の山岳道路で「鹿の親子」に遭遇

2017-11-13 15:26:15 | 日記


9月下旬の話で恐縮ですが、老夫婦は初秋の霧ヶ峰高原に向かって山岳ドライブを楽し
んでいました。二人にとって霧ヶ峰高原は日本の中で、最も高原らしい高原だと思っ
ています。二人が到着したのは午後4時過ぎ、草原に広がる若いススキの穂が、秋の夕
日で黄金色に染まって揺れる様を見に来たのです。駐車場に車を止め、忘れ路の丘を
登ると、思惑通り蛙原(げろっぱら)を覆う若いススキの穂に夕日が降り注いでいまし
た。ススキの草原が一面に黄金色に輝く景観は何とも幻想的です。二人は写真とビデオ
の撮影に夢中です。こうして、蛙原のススキを堪能した二人は暗くならないうちに帰ろ
うと、池のくるみ踊り場湿原経由で中央自動車道の諏訪ICに向かって車を走らせました。

夫:ススキも完全には成長しきれていないかもしれない初秋のこの時期に、ここを訪れ
  る人はさすがに少ないね。だけど、若いススキの穂が夕日に照らされた色合いはこ
  の時期ならのものだ。

妻:今日は天気に恵まれて富士山も八ヶ岳連峰も見えたし、若いススキが黄金色に輝い
  て、踊っているような様子も堪能できたから、今日の狙いは当たったわね。ニッコ
  ウキスゲの初夏もいいけど、これから本格的な秋にかけてのススキの草原も良いわ
  よね。何より人が少ないからゆったり歩けるし。

夫:昨年だったかな、ここへニッコウキスゲを見に来た時に、花畑が電気柵で囲まれて
  いて、全く自然な感じがなくて、まるで植物園に見に来ているようでがっかりした
  よね。鹿の食害から守るためだと書かれていたから、鹿の頭数が昔より多くなって
  いるんだろうね。でもススキの原っぱだけは食害に会うこともないから、電気柵で
  囲われることはない。電気柵のない自然そのものの景観で楽しめるのもいいね。

妻:あら!もう池のくるみ踊り場湿原が見えてきたわよ。湿原は草紅葉が始まっている
  わね。今日はまもなく陽が落ちるから立ち寄れないけど、今度じっくり歩きたいわ
  ね。

夫:この踊り場湿原は鹿、ウサギそして狸などの野生動物に遭遇する機会が多いと書か
  れていたよ。本当の話かどうか歩いてみたいね。次回のお楽しみに取っておこう

踊り場湿原を過ぎ、更に山岳道路を下り始めると、先の見えない七曲の道になります。
注意深くゆっくり走行していると車に急ブレーキがかかりました。

夫:目の前に大きなシカがいる!噂をすれば蔭とやら!と言ったところだ。あっ、逃げ
  た!藪に入っていった。路肩に車を寄せて止めるから、鹿がまだいるかどうか見て
  くれ。
妻:いるわよ。藪の中からこちらを見ているわ。あら!小鹿が近くにいる。親子だ。

夫:この道幅じゃ、後ろから車が来たら前へ動かさなくてはダメだな。今は車が来てい
  ないから大丈夫だ。早くカメラの準備をしてくれ。後ろから車が来るのが先か、あ
  の鹿たちに逃げられるのが先か、わからないけど、とにかくバシャバシャ写したほ
  うがいいよ。後方車の様子は監視している。

妻:準備OK。撮るわよ。直ぐに逃げると思うから、連写でいかないとダメね。あら、鹿が
  逃げないでこちらを見ているわ。これなら慌てないで良さそうよ。

夫:車との間に藪があるから安心しているようだ。どうやら直ぐには逃げないと思うから、
  落ち着いて写した方がピンボケ写真にならないでいいと思うぞ。

妻:わかったわ。フラッシュの光は逃げちゃうだろうし、多分光が届かないと思うの。思
  い切ってISOを上げて望遠で撮るわ。絞りも工夫してみる。鹿のいる藪の中の明るさが
  弱いからどんな条件に合わせても、うまく撮るのは難しそうね。

夫:それに加えて手前の藪が邪魔して鹿にピントが合わせにくいから更に写すのは難しいぞ。

妻:腕の見せ所ね。失敗した時のために、そっちもしっかりとビデオで証拠映像を残してお
  いてね。

夫:了解した。後ろの車の気配を注意しながらだから、連続して写し続けることは難しいか
  もな。頼むから後ろの車は来るなよ。そして鹿の親子さん、もうしばらくそこにいてく
  れよ。

妻:窓を開けたいけど、音が聞かれると逃げちゃうわね。

夫:失敗写真は後で消せるんだからバンバン写せよ。後ろから車が来ないかどうか心配だ。

妻:後ろじゃないわよ。見て、対向車線に下から車が上がってきた。あの車がすれ違う時に
  車の音で逃げちゃうかもね。

夫:そうなったらそこまでだね。おい!今、車がすれ違ったぞ。大丈夫だ。鹿が少し動いた
  だけでまだ藪にいるぞ。ラッキーだ。

妻:でももうだめ!鹿は藪の深いところに移動を始めたわ。もう写真は無理だわ。今回はこ
  こまで。1枚でも2枚でもうまく撮れたのがあるかな~。

夫:霧ヶ峰高原を管理している人たちにとっての鹿は、高山植物を食い荒らす害獣かもしれ
  ないけれど、こうして目の前でつぶらな瞳の鹿と目を合わせていると、とてもかわいく
  て害獣なんて発想にならないね。

妻:本当にそう思うわ。

二人にとって山岳道路での鹿との遭遇は初めてではありませんが、ここ数年は出会っていま
せん。写真とビデオを写している時の二人の興奮が伝わりましたか?おそらく鹿の親子との
遭遇時間は2分位だったと思います。
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日光街道・粕壁宿を歩く

2017-11-06 07:27:19 | 日記



首都圏に住んでいる高校の同級生3人が喜寿を迎えたことを契機に始めた街歩き。
首都圏を中心に歴史探訪や文学散歩を楽しんでいます。今回は日光街道の「粕壁宿」。
日本橋から4番目の宿場町です。東武鉄道・春日部駅に集合した一行は観光案内所
「ぷらっとカスカベ」でルート地図や粕壁宿の資料を入手しました。

ヤス: 今日は日光東照宮や奥州へつながる日光街道の宿場町、粕壁宿を案内しよう。
    最初に言っておくけど、ここは川越のような立派な店蔵が多く残された街で
    はないんだ。それに多くの宿場町の共通項だけど、当時の史跡は少なく、残
    された建物と神社・仏閣めぐりが中心になる。でもここは舟運でも栄えた町
    なので古利根川や古隅田川の川沿いに往時の痕跡が残されているから、宿場
    町と川沿い歩きで往時を忍びたい。途中に現在の春日部の街づくりの中心と
    なっている施設も点在しているので紹介していく。話が江戸だったり、現在
    になったりするけれども切り替えてね。

ノブ: 日光街道の宿場町歩きは初めてだ。4代将軍家綱の時代に五街道が定められた
    けど、日光街道は東海道に次いで二番目に整備されているんだよね。少ない
    史跡から往時の宿場町の賑わいを想像するのもいいんじゃないかい。

ヤス: 五街道の整備は参勤交代によって宿場町に大きな経済効果をもたらしたんだ。
    やがて庶民の寺社参りや温泉旅行にも利用されるようになったんだよね。

最初に立ち寄ったのは「春日部市郷土資料館」です。春日部の歴史と文化を紹介する施
設で、江戸時代後期の粕壁宿の1/200の模型が展示されています。3人は現在の地図と
比較しながら粕壁宿の見学ポイントを確認して街へ飛び出しました。

ヒデ: この街に来て、ここがマンガ「クレヨンしんちゃん」の街だったこと、父娘の
    経営方針の違いからお家騒動となった「匠大塚」の発祥・拠点の地であること
    を知ったよ。
    粕壁宿の話から外れる現在の話だけど・・・、春日部が身近になったな。

ノブ: 街中には彫刻がいっぱいあるんだね。彫刻は好きだから見るだけでも楽しい。

ヤス: 彫刻については後ほど話すよ。できるだけ宿場町を中心に歩く。最初に紹介する
    のが、ここ「八坂神社」だ。粕壁宿の入り口に位置する古社だ。夏に「春日部
    夏祭り」があるけど、ここの祭礼が起源なんだ。次は「東八幡神社」、ここも
    古社だ。本殿とその彫刻、力石そしてご神木の大ケヤキをみてほしい。春日部
    では最も雰囲気のある神社だよ。さ~来たぞ。ここが「東陽寺」だ。元禄2年
    (1689)「奥の細道」紀行で芭蕉一行が江戸を出発して最初の宿泊地としたよう
    だ。「伝芭蕉宿寺」、同行した「曽良の日記の一文」が石碑として境内にあるか
    ら見ておこう。

ヒデ: 宿場町に寺があるのは分かるけど、神社ってなぜ宿場町にあるんだい。

ヤス: 神社の役割は定期的に立つ「市場」を守護する市神として祀られたと聞いている。
    これ以上は突っ込まないでくれ。さて、現在に戻るけど、ここが春日部薬草園跡
    だ。大正11年に開設され昭和55年につくば市に移転している。跡地は春日部市
    民文化会館だ。記念としてミニ薬草園が残っている。話は江戸に戻って、ここが
    粕壁宿・旧商家東屋田村本店前で、この屋敷の前に日光、岩槻、江戸の三方角が
    刻まれた道しるべが残されている。

ヒデ: この道標は今の道路に対して斜めに立っているけど、これが本来の位置なんだろう
    ね。粕壁宿を歩いた往時の人たちもこの道標を触っているんだろうから、人の往
    来が想像できる貴重な史跡だ。

ノブ :僕が利用する「筑波実験植物園」は春日部から移転してきたことを知ったよ。

一行は宿場町を抜け、古利根川・古隅田川が流れる川沿いの道を歩き始めました。

ヤス: ここは古利根公園橋といって、市政30周年事業で、光と風をテーマにした全長79m
    の橋上公園で昭和59年に建設されたものだ。県鳥シラコバトをデザインした風見
    鶏に、麦わら帽子をイメージした弓型の梁(はり)のオブジェが目を引くね。橋の
    たもとに千住馬車鉄道がモチーフになったテト馬車のレリーフがあるから見てくれ。
    この街にはこんなのが走っていたんだよ。僕も下見で初めて知ったんだ。

ヒデ: 柴又には人力で押す鉄道があったけど、ここには馬が曳く鉄道があったんだね。

ノブ: この橋上公園には良い彫刻がいっぱいある。なかなか芸術色豊かな街だね。

ヤス: 春日部の街は竹下内閣時代の故郷再生事業の1億円を基金に「彫刻のある街づくり」
    に取り組んだんだ。この橋には有名な彫刻家の作品が多く見られるよ。

ノブ: 1億円のばら撒き政策があったね。春日部では「彫刻のある街づくり」に使われた
    のか。

ヤス: 江戸時代に戻って、ここが新町橋だ。江戸のころは大橋と呼ばれ、この古利根川に
    架かる唯一の橋だった。だから参勤交代の行列は必ずこの橋を渡っている。橋の
    たもとには、船着き場である上喜蔵河岸(かみきぞうかし)があり、その名残の石
    垣がここに残っている。さて、ここからは古隅田川だ。この川に架かるのが「十文
    橋」だ。この辺りは江戸時代、渡船場だった。明治時代に橋がかけられ、渡り賃が
    十文だった。十文渡し跡の碑があるよ。
    ここから粕壁宿に戻って、最勝院を案内する。場所は粕壁宿の出口の位置になる。
    境内に春日部重行の墓と言われる塚があって、春日部の地名の由来といわれる人物
    だ。南北朝時代に南朝方として戦った武将だそうだ。地名はその後、春日部→糟ヶ
    邊→粕壁→春日部と変遷している。
    今日は大雑把な案内だったけど、粕壁宿の始まりから終わりまでを歩いてみた。
    ここで案内を終えます。

ヒデ: 歩きながら話に出たけど、本陣や脇本陣と言った中核となる建物が残っていないのが
    残念だね。1/200の模型の中だけで示されてもちょっと寂しいね。

ヤス: 江戸時代では間口が狭く奥行きが長い地割に沿って、土蔵が連なっていたんだ。「日
    光道中宿村大概帳」によると本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠45軒、問屋場1ヶ所、家773
    軒があり、日光街道23宿のうちの6番目の規模であったと書かれている。

ノブ: 今日はありがとう。古利根公園橋を見て、今も川と密着した街づくりをしているのが
    嬉しいなと感じたよ。

春日部の特産品は「押絵羽子板」「麦わら帽子」「桐箪笥・桐箱」です。今度は特産品の生ま
れた背景や工房なども訪ねたいねと話し合っています。
さて、3人の街歩き、次はどこへ行くのでしょうか。
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