ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

クリスマス・キャロルが流れる道

2017-12-25 07:47:11 | 日記


老夫婦は姪の結婚式に出席するため、都内某所のホテルに来ています。結婚式はホテル内の
教会で厳粛に行われ、多くのお客様を招いての披露宴も無事に終わりました。二人は参列者
とのお別れの挨拶を終えると、余韻覚めやまぬ様子でホテルの庭に向かいました。

夫:もう外は暗いんだね。庭にクリスマスのイルミネーションがある。出てみようや。僕は
  まだボーっとした気分が残っているんだよ。列席者の多さに圧倒されたのかな。

妻:私も同じよ。良い結婚式と披露宴だったわ。写真は上手く写っているかな。帰ったら力
  を入れて編集して送ってあげなくちゃね。

夫:写真、頑張ったね。おぅ、さすがに夜気は冷たい。ごらん、電飾のサンタクロースが我
  々をイルミネーションのトンネルへ招いているよ。

二人は導かれるようにトンネルに入っていきました。しかし、歩き始めて直ぐに、出口が見
えないことに気が付きました。庭に設置された電飾のトンネルです。出口が見えないはずは
ないのです。二人は一旦立ち止まり、どうなっているのだろうかと目を合わせた時、急に視
界が広がり目の前に緩やかな曲線の坂道が現れました。二人はビックリ、状況がつかめず顔
を見合わせました。

夫:この坂道は昼間通った教会へ繋がる道じゃないか。今、何故ここに居るんだ。

妻:どうなっているの?不思議ね。あら、後ろから若い人たちが大勢来たわ。

♪ きよしこのよる ほしはひかり
     すくいのみこはまぶねのなかに
         ねみりたもう いとやすく ♪

夫:「きよしこの夜」が聞こえてきたね。みんなきっちりとした身なりをしている。

妻:あの人たちも結婚式に参加するために来たのかな?みんな若いから歩くのが早いわ。も
  う抜かれてしまった。あら、薄暗りだけどあの人たちはみんな知った顔だわ。

夫:おい、彼らは自分たちの結婚式に来てくれた友人たちじゃないか。でも、僕たちを不思
  議そうに見ていたけど、何も言わなかったね。

妻:でも変ね、私たちの結婚式は50年近くも前の話よ。今はみんなお爺ちゃんやお祖母ちゃ
  んになっているんだからあんなに若いはずがないもの。

♪ 諸人(もろびと)こぞりて 迎えまつれ
    久しく待ちにし 主は来ませり
       主は来ませり 主は、主は来ませり ♪

妻:それにしても不思議ね。聖歌以外には何にも聞こえないわね。あの人たちの話し声も、
  歩く靴音も聞こえない。

夫:確かに、車の騒音も風の音もなにも聞こえない。まるでクリスマス・キャロルをBGMに
  した無声映画の中に入り込んだみたいだな。みんなの後について行ってみよう。

二人が若者の流れの後ろについて坂道を上ると、いつの間にか先ほどの教会の結婚式会場の
中にいました。そして、目の前では、まさに結婚式が行われている最中です。署名の儀が終
わり牧師さんからの結婚宣言と流れ、先ほど出席した結婚式と同じ流れです。

♪ 愛といつくしみのあるところ、神はそこにおられる。
    キリストの愛にむすばれ、ともに喜び分かち合い、
       まごころこめて神を敬い 愛の奉仕につとめよう。 ♪

夫:この歌、さっきみんなで歌ったよな。何だか結婚式の再生テープを見ているような気分
  だな。ちょっと待て、新郎新婦は俺たちじゃないか。

妻:ネェ、参列者を見て。やはり、先ほど坂道で会った友人たちだ。分かったわ。坂道で目
  が合っても、あの人たちが50年前の顔で、自分たちが50年後の高齢者の顔だから、
  すれ違っても気付かなかったんだわ。

夫:それじゃ、今結婚式を挙げている50年前の自分たちと、今ここから見ている現在の自分
  たちが同じ場所にいるということになるぞ。そんなことはあり得ない。

妻:こういう訳が分からない状況の時はスタート地点に戻るのが一番よ。庭に戻りましょう。

二人は急いでイルミネーションのある庭に向かいました。庭に出ると先ほどの電飾サンタが
イルミネーションのトンネルへ入るように招いています。二人は躊躇なく、そのトンネルに
入りました。すると、今度は直ぐにトンネルを抜け出ることができたのです。

妻:イルミネーションのトンネルの中も綺麗だったわね。ところで、クリスマス・キャロル
  とクリスマス・ソングの違いを知っている?

夫:びっくりした。唐突な質問だな。キリストの生誕を歌ったのがキャロルで、ジングルベ
  ルの曲のようなクリスマスの日を祝うのがクリスマス・ソングかな。でも今では特に区
  別していないんじゃないかな。

妻:もっと大きなトンネルを歩きたいな。今度、神戸のルミナリエに行きたいわね。

どうやら妻は今の不思議な体験について話す気は無いようです。しばらく、妻の様子を見て
いた夫は今回の体験はどうやら自分だけのものなのだということに気が付きました。

夫:家内はいつもと変わらない様子だし、どうやら僕だけの錯覚だったようだ。どこまでが
  不思議ゾーンで、どこからが現実なのか、わからなくなってしまったな。結婚式の余韻
  でボ~ッとして、立ったまま、夢でも見ていたんだろうか?
  老人ボケと揶揄されるのはイヤだから家内には黙っておくことにしよう。それにしても、
  さっきの聖歌はどこから流れてきたのだろう。今は全く聞こえない。

妻:私も教会でドレス着て結婚式をしても良かったかな~。

夫:びっくりさせるなよ。こちらの胸の内の動揺を見透かされたかと思った。「クワバラク
  ワバラ」、いや、ここでは「アーメン」だな。もういいや。忘れよう。
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文明開化をけん引した築地・明石町の史跡めぐり

2017-12-18 07:37:21 | 日記


首都圏に住んでいる高校の同級生3人が喜寿を迎えたことを契機に始めた街歩き。
首都圏を中心に歴史探訪や文学散歩を楽しんでいます。今回は明治の時代に西の
神戸商館街に対して、東の研究学園都市と言われた異国情緒あふれた街、築地・
明石町が舞台です。

ヒデ:築地は開幕54年後の明暦の大火後に、築地本願寺の移転先として造成さ
   れた場所だ。当初は寺町だったが、その50年後には播州赤穂藩の上屋敷
   など大名屋敷が並ぶ格式ある場所となった。しかし、明治になって武家屋
   敷は解体されて外国人居留地となり、必然的に築地は異文化との交流が盛
   んな街となった。特にこの明石町は外国人居留地の中心地で「○○の発祥の
   碑」が多く残されていて、文明開化をけん引した往時を史跡から偲ぶこと
   ができるんだ。

ヤス:事前に説明資料をもらっているけど、30ヵ所以上も史跡を巡るんだね。
   これ全部を回れるのかい。

ノブ:狭いエリアに密集して「発祥の碑」が残されているのは築地と横浜だけだ
   そうだ。この場所ならこの位あっても当然だよ。ここには前から来たかっ
   たんだ。

ヒデ:今日は数多くの史跡を巡るけど、君たちの脚なら疲れることはないと思う
   ぞ。配布資料には各史跡の説明や誕生の背景を紹介しておいたから、そこ
   は簡単にして案内の中心を江戸・明治期に生まれた出来事と現在を結びつ
   けて話を進めたい。

地下鉄築地駅をスタートした一行は「活字発祥の碑」に向かいました。ここでは
ヒデさんが解説に特に力を入れた史跡を抜粋して記します。
全部は書き切れませんから・・・

ヒデ:これが「活字発祥の碑」だ。「築地体」のフォントで書かれている。今の
   新聞で使われている活字はこの字を発展させたものだ。幕末の長崎で、オ
   ランダ通詞・本木昌造が日本語の金属活字を開発した。彼は活字の父と呼
   ばれている。その弟子の平野冨二が明石町に進出して活版印刷と印刷機械
   の製造業を興し大成功した。今でも築地は印刷と出版が地場産業なのだ。
   平野冨二はその後石川島造船所の創業など、渋沢栄一や岩崎弥太郎に並ぶ
   大実業家になった。山手線の第1期工事も請け負っている。

ヤス:明治には新聞・雑誌の発行も始まったし、学校・病院などからの需要もあ
   ったんだろうね。居留地は印刷業にとって時流に乗るのに最適な場所だっ
   たんだ。

ヒデ:その背景は大きいと思う。次は「桂川甫周屋敷跡」だ。江戸中期に杉田玄
   白らと「解体新書」を翻訳しているが、奥御殿医として将軍に顕微鏡の講
   義をしている。光学顕微鏡では光の波長以下のものは見ることができない。
   その時代が100年以上続いたんだ。だが2014年と2017年にその壁を破っ
   た顕微鏡が製作されノーベル化学賞を受賞している。江戸中期に顕微鏡の
   活用に着目し、その使用法を著し、講義した人がいたことを知ってほしい。
   次はミッション系スクール発祥の碑だ。この居留地は当初商館誘致が目的
   だったが、売れずに値下がりしたところへ解禁されたキリスト教団体が入
   ってきた。彼らは布教だけでなく、自前の病院や自前の学校を創設した。
   この地には青山学院・立教・明治学院など私学の雄が13校も創設された。
   ミッション系以外でも慶應義塾・工学院もこの地が発祥の地だ。資料に私
   が見つけた12校の発祥の碑の写真を載せておいた。今、足元にあるのが
   その内の一つ、立教大学の発祥の碑だね。ここに立っていると学生たちの
   声が聞こえるようだ。

ノブ:資料には病院の創設も書かれているから、まさに日本最初の研究学園都市
   だったんだ。

ヒデ:異国情緒豊かな街だったと思うよ。次は「蘭学事始めの碑」だ。江戸中期
   に中津藩医師前野良沢などがオランダ解剖書を初めて読んだところで解体
   新書の碑がある。ここには「日本近代文化事始の地」と書かれている。
   江戸後期になるとここで福沢諭吉が蘭学塾を開いた。「蘭学の泉はここに」
   の石碑が並んでいる。慶應義塾大学発祥の地だね。近くにシーボルト像が
   「江戸蘭学発祥の地」の記念碑として設置されている。娘の「いね」はこ
   の地で産院を開業しているよ。

ヤス:現在、学校としては聖路加国際大学だけしか残っていないね。聖路加と言
   えば、今年亡くなった日野原重明先生を忘れてはいけない。よど号ハイジ
   ャック事件の人質になったり、地下鉄サリン事件では病院あげての治療に
   あたってくれた。生涯現役を貫いた医者で、後年はエッセイストとして新
   聞に掲載していたね。
 
ヒデ:その通りだね。さて、創設された学校だけど関東大震災で街全体が瓦解さ
   れて、みんな転出したんだ。震災がなければ神戸のような街並みが今も残
   っていただろうね。次は「指紋研究発祥の碑」だ。宣教師ヘンリー・フォ
   ールズは個人識別に指紋が使えることをこの地で発見し、ネイチャーに投
   稿した。きっかけは大森貝塚から発掘された土器の古代人の指紋と日本人
   の指印習慣だった。指紋から犯人を割り出した逸話が残されている。
   そして、ここが「電信創業の碑」だ。横浜裁判所から築地運上所までの32
   キロメートルの電話線が架設された。これが日本最初の公衆電話通信だ。

ノブ:指紋研究はここが研究学園都市の機能があった成果の一つかもね。それに
   電信創業の地と言うことは、ここから電線と電信柱が立ち並ぶ、東京の街
   並みが始まったということだな。ここが最初に選ばれた理由は何?

ヒデ:次の「運上所跡の碑」に関係する。運上とは取引税のことで、江戸時代に
   使われた言葉で後に税関となった。ここは東京税関の始まりだ。電話線の
   設置は運上所でのトラブルの迅速な対応が必要だったからだ。
   さて次は「海軍経理学校跡」「軍艦操練所跡」だ。共に海軍施設の一つだ
   ね。日本海軍は勝海舟が生みの親、海軍大将・山本権兵衛が育ての親と言
   われている。日本海軍は戦後に解体されて71年間の幕を閉じたが、この間、
   築地は「海軍さんの街」とも呼ばれていたんだ。実はここで日本初の運動
   会があって豚の尻尾に油を塗って、その尻尾を捕まえる競技もあった。
   盛り上がっただろうね。運動会は今にもつながっている。最後は「築地本
   願寺」だ。移設以来同じ場所にある。今見られる古代インド様式の大寺院
   は日本建築界の父と称される伊藤忠太の施工だ。

ヤス:確かに33ヵ所の史跡を3時間で回ってしまったね。ここにある史跡は江戸
   中期の蘭学事始めから大正の築地小劇場までと時代幅が広く、内容も多岐
   に渡っていて面白かったよ。

ノブ:これだけ多くの多様な発祥の碑があるんだね。明石町は確かに文明開化を
   けん引した街であることに納得した。今度は横浜の発祥の碑めぐりがした
   くなったな。

ヒデ:せっかく築地にいるんだから、すし屋で忘年会をして帰ろう。来年も歩こうや。

紹介しきれなかった発祥の碑を羅列します。
(1) 築地小劇場跡:関東大震災後にできた新劇の常設館
           (宇野重吉・杉村春子他)
(2) 土佐藩築地邸跡:山内容堂・坂本龍馬などがいた。
(3) 新富座跡:明治時代にガス灯を使用した近代的な劇場
(4) 靴製造業発祥の碑:革靴の製造工場を開始した記念すべき土地
(5) 浅野内匠頭邸跡:吉良邸討ち入り後、47士はここを経由して泉岳寺へ
(6) 芥川龍之介誕生の碑:芥川賞・直木賞は常にマスコミに取り上げられる。
(7) アメリカ公使館跡:現在の赤坂の前はここにあった。
(8) トイスラー記念館:明石町の歴史の一端を伝える文化財
(9) ガス街灯柱:東京の都市ガス事業はここから始まった。
(10)月島の渡し跡・かちどきの渡し跡・勝鬨橋資料館
(11)八紘一宇の碑:海軍の国旗掲揚等の標語
(12)日本点字制定の地:明治23年に東京盲唖学校の石川倉次によって、
             6点式点字が考案された。
(13)築地木村屋ベーカリー:アンパン発祥の地。日本パン文化の礎。
(14)吉野家:牛丼の老舗 波除神社に石碑がある。
(15)築地ホテル館:日本で初めての本格的な西洋ホテル。(現存していない)

明石町にはこれだけの史跡があるのです。史跡めぐりに関心のある方は是非お立
ち寄りください。font>
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黄葉の大イチョウの下で <2>

2017-12-04 08:02:12 | 日記


神社の境内の片隅に、黄葉した大イチョウの大木が数本並んでいます。その枝下
の地面はイチョウ葉が覆う黄色い絨毯、そこにいつ誰が置いたのか、一対の白い
椅子が並んでいます。変哲もないただの鋳物の古い椅子のようですが・・・・・

<老人の独り言>

老人は一昨日の大手術のあと、眠り続ける奥さんの様態が心配でなりません。今
日はこれから病院へ面会に行くのですが、その前に神社に手を合わせようとやっ
てきました。老人は季節の移ろいを楽しむ風流人ですが、この秋は奥さんの体調
不良そして突然の入院、続けて大手術という事態になり、とても秋の紅葉を楽し
む気分にはなれませんでした。
老人はうつむき加減にトボトボと境内に入って来ましたが、大イチョウの前で突
然目に飛び込んできた真っ黄色な色彩感覚に驚き、思わず頭を上下左右に振りま
した。老人がたたずんでいると、その体が黄葉の大イチョウの葉に彩られた絵画
の中に、飛び込んだような不思議な感覚が包み始めました。

老人:この大イチョウは今年も見事に黄葉したんだな。おやっ、白い椅子がある。
   ここに来た時にはなかったと思ったけどな・・・。黄色の空間の中に白い
   椅子か、かなりこの場所にハマってるね。誰が置いてくれたのかわからな
   いけれど、座らせてもらうことにしよう。
   「よいしょっと」、なんだか絵画や映画の中のシーンに迷い込んだ感覚だ
   な。こりゃ~いいや、なんだか胸がときめいてきたぞ。
   こんな場面で気の利いた会話が家内とできたらいいんだがなぁ・・・。

老人は白い椅子に座ると、改めて上下左右に目を移し、自分が黄葉に包まれた立
体空間の中にいることを確かめ、大きく深呼吸して、初めてこの秋の感覚をその
身に吸い込ませました。

老人:あれ、なんだか変だな。空いている椅子に家内の姿が、少しずつはっきり
   と見えてきたぞ。やっぱり、ヤス子だ。どうなっているんだ。

ヤス子:あら、あなた。私はどうしてここにいるのかしら。こうして外に出たの
    は久しぶりだからとても嬉しいわ。あら、ここはいつもの散歩道の神社ね。
    今年もこの大イチョウは素敵に黄葉しているんだ。ここで、あなたと並ん
    で座っているなんて素敵じゃない。

老人:おい、ヤス子。何でそこにいるのだ?まさか、お前、死出の挨拶のために
   ここへ現れたのではないだろうな。

ヤス子:私にもよくわからないけど、誰かに背中を押されて、ここへ来たような
    気がするわ。それにしても、この黄葉の大イチョウと白い椅子の組み合
   わせはとてもロマンティックだわね。こんな景色を見せられたら、とても
    じゃないけど死ぬわけにはいかないわよ。

老人:それを聞いて安心したよ。死出の挨拶じゃないんだな。お医者さんから、
   昨日の夜が峠だと聞かされていたから、心配でたまらなかったんだ。面会
   時間になったら必ず行くからな。頑張れよ。

ヤス子:大丈夫。死んだりしないわ。私、すっかりこの場所の風情が気に入った
    わ。退院したらここに連れてきてね。私、絶対に頑張るからね。

老人:隣の椅子に手術をしたばかりの君が現れて、「この景色が気に入ったから、
   私、頑張るわよ」なんて聞かされるとは思わなかったな。だけどうれしいね。

ヤス子:ゆっくりしたいけど、往診の時間が近いの。もう病院へ戻らなくちゃい
    けないようなの。面会時間が来たら、必ず来てよ。必ず笑顔で迎えてあ
    げるからね。

老人:分かった。あれ、家内が消えた。不思議だな~。この白い椅子には何かが
   あるのかな。何だかこれから面会に行くのが楽しみになってきた。笑顔で
   病院へ行けるなんて話は聞いたことがないな。今日はお賽銭を大奮発する
   ことにしよう。家内が退院できる頃にはこの黄葉は終わっているだろうか
   ら、来年のお楽しみになるな。
   大イチョウさん、そして不思議な白い椅子さん、ありがとう。



老人は座っていた椅子から立ち上がり、ハンカチで椅子を拭いて立ち去っていき
ました。
幸せを運んでくれる白い椅子、次に座るのは誰でしょう。
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