ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

指紋鑑定法は日本文化が引き金だった

2017-03-27 07:42:50 | 日記


築地・明石町の一角、聖路加ガーデンと聖路加国際病院の間にある歩道脇の植込みに埋れるように
置かれている石碑を見つけました。

それは指紋研究発祥の地(ヘンリー・フォールズ住居跡)の石碑で、説明文はこうである。
「ここは明治初年にあった築地居留地の18号地で英国人医師ヘンリー・フォールズ(1843~1930)
が明治7年(1874年)から明治19年(1886年)に至る滞日中に居住したところである。フォールズ
はスコットランド一致長老教会の宣教師として来日し、キリスト教布教のかたわら築地病院を開い
て診療に従事し、また日本人の有志とはかって盲人の保護教育にも尽力した。彼はわが国で行われ
ていた指印の習慣に興味をもち、たまたま発掘された土器に印象されていた古代人の指紋を発見し、
これにヒントを得てここではじめて科学的な指紋の研究を行なった。明治13年(1880年)10月英国
の雑誌『ネイチャー』に日本から投稿した彼の論文は科学的指紋法に関する世界最初の論文といわれ、
その中で早くも犯罪者の個人識別の経験を発表し、また指紋の遺伝関係にも言及している。
明治44年(1911年)4月1日、わが国の警察においてはじめて指紋法が採用されてから満50年の今日、
ここゆかりの地に記念碑を建立し、その功績をたたえるものである。」

調べてみると、フォールズはアメリカから来日した動物学者モースが、大森貝塚を調査して採集した
土器を東京大学で見て、土器に残る指紋に注目しました。さらに日本人が名前とともに証文に栂印を
押すことに興味を抱き、指紋収集を開始したようです。そして指紋の固有性に気付きました。碑文中
に「犯罪者の個人識別の経験を発表」とありますが、当時勤務していた病院の医療用アルコールを盗
み飲みしていた学生の割り出しや、侵入窃盗の容疑者の疑いを晴らすのに役立ったというエピソード
が残されていることから、これらを指しているのかもしれません。
「ネイチャー」誌に発表されたフォールズの論文は世界で初の指紋実用化研究論文で、これに着目し
たロンドン警視庁が1901年に犯罪捜査に採用しました。日本では少し遅れて1908年(明治41年)か
ら犯罪特定の切り札として導入されたのです。尚、築地病院はフォールズ帰国後に閉じましたが、そ
こを買い取ったのが現在の聖路加病院です。

<指紋は哺乳類にとって、なくてはならない優れもの>
人の指紋には汗を出す汗腺が並んでいて、 物に触ると指先の皮膚がその形に合わせて変形し、にじ
み出る汗によって、物がぴったり指に吸着するそうです。また、指紋の表面にはセンサーがあって、
触れた物の情報を瞬時にして脳に伝達することが分かっています。だから、指先を使った繊細な作業
ができるのです。実際に指にセロハンテープを巻いて生活をしてみると、いろいろと支障が出ること
がわかります。指紋は足の裏にもあります。
指紋は個人によってすべて異なり、遺伝によって受け継がれることはなく、一卵性双生児でも異なっ
た指紋を持つことが立証されていますが、指紋とその特性は人類固有のものではなく、多くの哺乳類
が持っているものだそうです。

<ドラマで見る指紋一致の場面は本当か?>
テレビや映画によく登場する指紋判別の場面で、2つの指紋を重ね合わせる手法(映像)が出てきま
すが、本物の指紋鑑定現場ではこの手法は行わないそうです。なぜなら、指紋は押圧の加減で「変形」
するからです。指紋一致はベテランの指紋鑑定人が苦労して、やっと成し遂げることができる難しい
技術だそうです。

<日本の指紋鑑定の実力>
現在、日本の指紋識別技術力は世界でも一流です。個人識別の手法として、DNA型情報が主流のよう
に思えるでしょうが、指紋鑑定の方が迅速性や正確性、そしてコスト面において優れているので、指
紋鑑定の重要性は揺らいでいません。実力のある日本人指紋鑑定人は、各国の警察関係機関に指紋鑑
定の技術指導の為に尽力しています。また、犯罪捜査以外にも地震・災害で亡くなった方の身元を確
認するのに重要な手掛かりになるのは指紋と歯型ですから、世界中の大規模な自然災害の現場には日
本人指紋鑑定人が数多く派遣されています。

<広がる生体認証システム>
 現在普及し始めた生体認証システムの中では指紋認証方法が最も低コストかつコンパクトなので、
スマートフォンなどでの実用化が進んでいます。しかし、複製作成が容易、指の水分量や傷によりデ
ータが左右されるなどの課題があります。そこで注目されているのが静脈認証や網膜認証です。
近年、金融機関を中心に急速に広まっていますが、こうした技術もフォールズの指紋研究から発展
技術と考えます。石碑のあるこの場所は指紋研究発祥の地であると共に、個人識別認証技術全体の発
祥の地と言えると思います。

植込みの中で見つけた碑文を読んで、指紋研究のルーツを知ることができました。今や全世界で利用
されている指紋認証が生み出されたきっかけに、東京の遺跡から発見された土器や、日本人の拇印習
慣が関係しているなんて驚きです。
尚、大森貝塚についての詳しいことを知りたい方は、東京都品川区にある大森貝塚遺跡庭園や品川歴
史館を訪れるとよいでしょう。

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映画「男はつらいよ」の舞台、葛飾柴又を歩く

2017-03-20 06:58:28 | 日記


ある日、BS局で放送している映画「男はつらいよ」を見ていた老夫婦。姪っ子が子供の頃に
寅さんが大好きでグッズを集めていたことを話題にしていた時に、友人から電話がかかってき
ました。

私 : オ~、久し振りだな。エッ!これから東京見物に連れて行って欲しい?今日は月曜日で、
    しかも、もう午後だよ。都内の見どころは月曜日休館が多いんだ。案内するところな
    んてないんじゃないかな~。

友人:そんなこと言わずに調べて付き合ってくれよ。いつもの土産を持ってきているぞ。

19時半の新幹線に乗って帰りたいが、それまでの時間を使って、どこかの名所を案内して欲し
いというリクエストです。ちょうど「寅さん」の画面を見ていた私は、すぐに寅さん記念館を
チェック。幸いにも開館日だったので、寅さんのふるさと葛飾柴又を案内することにしました。
日暮里で合流した二人は京成電車に乗り、柴又駅に着きました。

友人: アッ、寅さんの銅像だ!若い人からお年寄りまで、写真を撮るのに順番待ちをしているよ。
    寅さん人気は不動なんだね。

私 : 柴又へ来た記念撮影にはベストなスポットなんだよ。ここから約200mの参道は昔ながらの
    趣が色濃く残っているところで、「男はつらいよ」の撮影が実際に行われた「だんご屋」
    がある。ここは草だんごが名物だから、老舗は他にも数軒あるよ。せんべい屋や、川魚
    料理店などが軒を連ねる賑やかな通りだ。

二人は「男はつらいよ」の舞台となっている参道を散策しながら、帝釈天に向かいました。

友人: ここが映画に登場する帝釈天の参道か~。さっき、映画で寅次郎のおいちゃん、おばちゃ
    んが営む「だんご屋」のモデルとされている店があるって言ったよね。

私 : そうだよ。ホラ、目の前の「とらや」にある張り紙を見てごらん。第1作から4作まで、ここ
    の店が使われていたと書かれているだろ。だけど、その後は向かいにある「高木屋」に変
    わったようだ。「高木屋」の店内の壁には渥美清や歴代マドンナ、ロケ時の写真が飾られ
    ている。店の構えやだんごの包装紙も映画とそっくりだと聞いている。

友人: 変更した理由があるんだろうね。ところで、なぜ草だんごが名物なの?

私 : 近くの江戸川河川敷でヨモギがいっぱい採れたからかな?今は河川敷が整備されちゃってい
    るけどね。

友人: お店を覗きながら歩いていたら、帝釈天に着いちゃったよ。映画での印象よりも境内は狭く
    感じるね。

私 : 建物の大部分は明治以降のものだそうだけど、江戸時代から信仰を集めていた場所ではあっ
    たようだ。有料の彫刻ギャラリーと庭園があるよ。

二人は「笠智衆の演じる御前さまが出てきそうだね」などと話をしながら、本堂と境内をゆっくり巡
り、次は「寅さん記念館」に向かいました。

私 : 記念館内には映画のセットが移設され、懐かしい映像も流れている。さあ、入ろう。

友人: 最初の部屋は寅次郎の生い立ちと熱気あふれる制作現場の様子だね。制作状況がよく伝わって
    くるよ。次の部屋は「くるまや」を再現した部屋だ。昭和30年代そのままで、今にも寅さん
    が帰ってきそうだ。次はタコ社長が経営する「朝日印刷所」か~。この印刷機は本物だな。
    タコ社長たちのパネルがあるからリアリティーがあるね。次の部屋は当時の帝釈天の街並み
    をミニチュアセットで再現している。なんか、タイムスリップした感覚になってきたよ。

私 : 僕は鉄道好きだから、駅員が一枚ずつ切符を切っていた時代の駅舎の再現、人力で押していた
    「帝釈人車鉄道」の客車、寅さんが旅で利用した鈍行列車のボックスシートに興味を持ったよ。

友人: 「男はつらいよ」は何本か見ているから、この場所にいると映画の世界に引き込まれるね。
    それに何とも言えない懐かしさがこみ上げてくる。俺も年をとったのかな。

私 : 1969年から寅さんシリーズが始まったようだけど、当時の世相がこうして残っていて懐かしさ
    は半端じゃないね。高度経済成長期にさしかかっていたあの時代の雰囲気を味わうことは二度
    とできないのかな~。なんだか寂しくなってきちゃったよ。

二人はゆっくり記念館を見学した後、併設されている「山田洋次ミュージアム」に向かいました。ここ
は山田洋次監督のこれまでに携わってきた数々の作品や映画づくりへの思いが満載されたミュージアム
です。

友人: 今はデジカル化されているけど、昔は目の前にあるこのフイルムで撮影していたんだね。監督が
    こだわった「家族」というテーマで、いかに多くの作品が生まれているかがよく分かったよ。

私 : 僕は35mm映写機の音を久し振りに聞いたよ。ホントに懐かしい音だった。

友人はいい土産話ができたと喜んで帰りました。突前、現れて風のように去って行った彼は、まさしく
寅さんのようなヤツ。彼は時空を超えた創作話が大好きだから、今頃は、きっと寅さんと我々が会話し
ている話を書いていることでしょう。楽しみに待つことにします。
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