ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

キノコの妖精と仲良し3人組

2019-11-25 07:44:50 | 日記


動物村の秋祭りに欠かせないのは「天狗の鼻」と呼んでいるキノコの奉納です。昔、天狗が
この動物村に迷い込んで来て、仲良し3人組の助けで無事に帰ることができた時のお礼とし
て動物村に伝えたものです。このキノコはミミたちの背丈ほどある巨大なもので、形は天狗
の鼻にそっくりです。このキノコが発散する松茸風の香りには霊力があって、動物村を守っ
てくれるのだと天狗は言って立ち去りました。だが「天狗の鼻」を毎年見つけるのは難しく、
動物村の住民が総出で探すのですが、ここ数年間は見つけることができず、やむなく、形を
模した手作りの代用品を奉納していました。しかし、今年の動物村は台風や大雨により大き
な被害がでてしまいました。「天狗の鼻」の奉納は動物村住民の必死の願いなのです。

ポン吉:長老から「もう、お前たちの不思議な力に頼るしかない。何が何でも「天狗の鼻」
    を探してくれ」と頼まれちゃったよ。

コン太:今年は台風と長雨の被害が大きかった。道も寸断されたし、僕の家も台所が壊れた。
    長老はこれ以上災害が起きないように、今年こそは本物を奉納して動物村を守って
    もらいたいんだな。何としても見つけよう!

ミミ :私の家にも水が入って来たわ。まだ臭い匂いが残っているの。絶対に見つけましょ
    うね!長老が北の赤松林で、松茸の匂いを頼りに探して見つけたけれど、その赤松
    林は台風と豪雨で荒れちゃっているから、そこでは見つからないと思うって。

ポン吉:それでも長老が言っていた赤松林へ行こう。そこでは見つからないかもしれないが、
    探すヒントは見つかるかもな。あそこから探し始めるのがいいと思う。

仲良し三人組は動物村全員の期待を背負って、「天狗の鼻」を探しに赤松林へ向かいました。

コン太:長老から教えてもらった赤松林に着いたけれど、これはかなりの荒れようだな。

ミミ :長老もここを見て言っているのね。大木が何本も倒れているから、この場所だけは
    空が開けて青空が見えるから明るいわ。

ポン吉:この荒れ方じゃ~、ここに「天狗の鼻」は生えないよ。別の赤松林を探そうよ。

ミミ :見て!見て!倒れている赤松から「天狗の鼻」に似た小さいキノコがいっぱい生え
    ている。「天狗の鼻」はあのキノコの中で特別に大きくなったものかもしれない。
    それならこの周辺を探せば見つかるかもしれないわ。

コン太:長老は「天狗の鼻」はキノコではないと考えているよ。理由はキノコの仲間であん
    なに大きくて、硬いのはあり得ないからだと言っていた。

ポン吉:それじゃ~、何を頼りに探したらいいのかわからないじゃないか。どうするんだ。

ミミ :さっきから気にかかることがあるの。ほら、あの倒木の上よ。どう見てもキノコだ
    けど動いているの。他のキノコは動かないわよね。あれは何だと思う。

コン太:本当だね。あれはキノコだよ。でもキノコに似た生き物かな?

ポン吉:おい、見ろ!こちらに気付いたようだ。倒木をぴょんぴょん飛びながらこっちに近
    づいてきたぞ。気を付けろ。

3人組は近づいてくるキノコの動きを凝視しました。体が小さく、武器もないようなので身の
危険はなさそうです。そのキノコたちは3人組の前に来ると動きを止めました。

キノコ:皆さんは動物村の仲良し3人組だね。君たちのことは天狗さんから聞いているよ。
    会えて嬉しい。

ミミ :驚いた!口がないのに話せるのね。あなたたちは誰?そしてあそこの倒れた木の上
    で何をしていたの?天狗って私たちの知っている天狗さんのことなの?

キノコ:いっぱい質問が来たね。僕たちは「キノコの妖精」だよ。口がなくても、仲良し
    3人組とだけは頭の中で交信できるから、こうして話すことができるんだ。僕たち
    の仕事は台風などで倒れた木を土に戻してあげることなんだよ。土に戻せばそこか
    らまた新しい木の新芽が生まれ、この森が何年か後には元の姿に戻れるんだ。天狗
    さんは君たちがよく知っている天狗さんのことだよ。

ポン吉:口がなくても頭の中で話せるなんて驚きだ。どうして倒れた木を土に戻さなければ
    いけないの?

キノコ:僕たちキノコの仲間たちがこの仕事をしなくなったら、短期間で地上は枯れ木や生
    き物の死骸でいっぱいになってしまうのだよ。そして新しい土もできないから、新
    芽も育たずに地上ではすべての生き物が生きていけなくなるんだ。これは荒唐無け
    いな妄想のような話だけれど、長い地球の歴史の中には、かつて、そういう時代も
    あったんだ。そうならないように地球の環境を循環させるのが僕たちの仕事なんだ。
    理解できたかな。かなり驚いているようだね。

コン太:よくわからないけど、ここにある土はあなたたちが作ってくれたんだね。知らなか
    った。聞くけど、ここの赤松林は森の中でも特に倒れている木が多いけど何故?

キノコ:ここが台風の通り道だったからさ。この倒れた赤松たちが防風林となって風を弱め
    てくれたから、動物村の被害はあれでもかなり抑えられたんだ。人間たちの世界で
    は今年の台風で多く住みかが壊れ、多くの人間が亡くなる被害が出ている。

ポン吉:それじゃ、ここの赤松林は動物村を守るために犠牲になってくれたということだね。
    感謝しなければいけないな。赤松さんたち、どうもありがとう。

キノコ:だから、早くここの赤松林を再生させなければいけないと、僕たちキノコ仲間がこ
    こに集まっているんだ。

コン太:僕たちは皆さんに感謝しなければいけないね。ところで天狗さんのことも気になる
    けど、キノコの妖精さんたちに聞きたいことがあるんだ。僕たちは巨大キノコの
    「天狗の鼻」を探しているんだ。どうしても秋祭りに奉納したい。生えている場所
    を知っていたら教えてください。

キノコ:君たちが言っている「天狗の鼻」とはキノコではないんだよ。あれは天狗さんに頼
    まれて、キノコ仲間が倒木から土に還る途中の材料を持ち寄って、動物村の奉納用
    に作ったものなんだ。君たちは天狗さんを助けたことがあるんだってね。天狗さん
    がここに来て、今年こそ動物村のために松茸の香りの強い、大きなキノコを作って
    くれと頼まれたんだ。近いうちに仲良し3 人組が探しに来ると言っていたから待っ
    ていたんだよ。

ミミ :それ本当?天狗さんが道に迷って動物村に来たことがあるの。私たちがお手伝いし
    て人間たちが住む世界に案内してあげたことがあるのよ。そうか「天狗の鼻」は天
    狗さんがキノコさんたちにお願いして作ってくれたものなのね。

ポン吉:それじゃ~、どうしてここ数年、長老たちには見つけられなかったのかな?

キノコ:それはね、ここのところ松茸の香りが強い「天狗の鼻」が作れなかったからだと思
    う。松茸が豊作の時はいっぱい「天狗の鼻」の中に練り込めるんだけど、最近は極
    端に松茸の出来が悪い年が続いたんだ。だから松茸が練り込めなかったので、松茸
    の香りだけで探すと見つからなかったのかもしれないね。良いものが作れなくてご
    めんね。でも今年は大丈夫だよ。自信を持って作ったから是非持ち帰って奉納して
    ね。天狗さんがしっかりと「天狗の鼻」に霊力を注いでいたから、きっと動物村を
    守ってくれるよ。

ミミ :うれしい。それじゃ「天狗の鼻」はできていて、持ち帰へることができるのね。長
    老も動物村の全員も大喜びするわ。「天狗の鼻」を奉納することは、天狗さんが私
    たちを守っているということになるのね。

キノコ:今年は向こうに見える岩山の裏側にある赤松林で作ったからそこへ行けばいい。

ポン吉:ありがとう。いっぱい色々なことを教えてもらったな。そして「天狗の鼻」が持ち
    帰れるなんてうれしいよ。大きいから作るのも大変だったのだろうね。感謝します。

ミミ :私たちは天狗さんにも感謝しなければいけないわね。

キノコの妖精たちと別れた3人組は教えられた赤松林ですぐに「天狗の鼻」を見つけました。
今年の動物村の秋祭りは例年以上に盛り上がったものになりそうです。
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日本考古学発祥の地「大森貝塚」

2019-11-11 07:58:47 | 日記


「指紋鑑定法は縄文土器と日本文化が引き金となった日本生まれの鑑定法です」。この知識を得
たのは東京築地・明石町の一角に置かれた「指紋研究発祥の地(ヘンリー・フォールズ住居跡)」
の石碑にある説明文でした。石碑には「英国人医師ヘンリー・フォールズが明治7年から明治19年
の滞日中に、指紋が個人識別に使えることを発見してネイチャーに投稿した。きっかけは大森貝
塚の土器にあった指紋と、日本人の拇印習慣であった」と記されていました。この時から、指紋
研究のきっかけとなった大森貝塚には行きたいと思っていましたが、その機会ができましたので
訪れました。

<大森貝塚遺跡庭園>
「大森貝塚遺跡庭園」は、日本の重要な史跡のひとつです。JR大森駅北口から徒歩5分ほどで行
くことができます。大森貝塚は繩文時代後期・晩期のものですが、現在貝塚自体は完全に消滅し
ています。遺跡庭園内には1929年(昭和4)に立てられた「大森貝塚碑」や、貝塚を発見したモ
ース博士の銅像そして地層の回廊という縄文土器と貝塚をイメージした不思議なモニュメントが
あり、その中に貝塚の地層の実物大の模型がありました。十分に縄文時代の大森貝塚の雰
囲気が楽しめます。でも残念ながら、発見当時の出土品の多くは国の重要文化財として東京大学
に保管されているために見ることはできません。モース博士が大森貝塚から発掘したのは1877
(明治10)年。出土品は260点を超えます。出土品のほとんどが土器で214点、その他の出土品
として、土版 6点、骨角器 23点、石器 9点、貝 9点が発掘されました。このうち 165点の出
土品が後に重要文化財に指定されています。その後、1984年と1993年に大森貝塚遺跡庭園整備
などの大規模発掘調査があり、住居址や土器・装身具・魚や動物の骨などが大量に見つかりまし
た。この時の発掘資料が、遺跡庭園から徒歩10分ほどのところにある「品川歴史館」に展示され
ていますので併せて行くと良いです。

<モース博士の功績 大森貝塚と縄文土器の発見>
 日本における考古学研究の第一歩及び遺物に基づいた日本史研究の先駆けはアメリカ人モース
博士の大森貝塚の発見です。彼は明治政府に東京大学の教授として招かれたお雇い外国人の一人
で1877(明治10)年6月に来日し、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝塚を発見。同年10月、
東京大学の学生らと共に発掘。発掘報告書の中で、日本列島に石器時代が存在した事を立証する
とともに、同時に出土した土器に縄目文様がついている事にも注目し発表しました。後にこれが
縄文土器と名づけられました。モース博士の報告書の写しが品川歴史館にありますが、土器や釣
り針の詳細かつ繊細なスケッチに驚きます。モース博士は大森貝塚から出土した、縄目文様の付
いた土器を「Cord Marked Pottery」と名付けました。訳語として索紋、縄紋などを経て、縄
文という訳語に落ち着いた経緯があるそうです。ですから、縄文という用語はモース博士が名付
け親なのです。ここ大森貝塚遺跡庭園は日本考古学の発祥の地であり、縄文時代が歴史の時代区
分に使われるようになった地なのです。

<もう一つの大森貝塚の碑>
大森貝塚の碑が実はもう一つあります。遺跡庭園からほど近い大田区山王のNTTビルの裏側に
あります。モース博士は、東海道線大森駅の近くだったので、大森村だと勘違いして文部省にも
そう届けてしまった。だから未だに大森貝塚と呼ばれているし、記念碑も立派に建っている。
しかし、実際に発掘した場所は、遺跡庭園となっている荏原郡大井村(現在は品川区大井6丁目)
でした。こうして、今でも二つの記念碑が建っているのです。

<指紋鑑定と埋蔵文化財>
モース博士の友人であるヘンリー・フォールズ(宣教師・医師1843-1930)は、大森貝塚の発
掘調査を手伝っていました。彼は出土された縄文土器の表面に付いていた「指紋」から、「土器
の作者を特定出来るのでは?」と、指紋の研究を進めました。こうした発想を引き出した背景に
は日本特有である拇印の習慣がありました。こうして1880(明治13)年にイギリスの科学雑誌
「ネイチャー」に指紋についての論文を発表したのです。指紋について着目していた学者は他に
もいましたが、フォールズのものが科学的指紋法(指紋認証)の最初の論文となりました。論文
の内容は・・指紋は、身体の成長や歳月の経過よって自然変化を生じることなく「万人不同」
「終生不変」 であり、個人識別&個人特定の役に立つと発表されました。・・・つまり・・・
人の指紋は一生変化することはない。また、一卵性双生児であっても違う指紋である。だから指
紋をみれば、誰かが分かる。こうして、この指紋認証方式は警察に取り入れられ、日本でも1911
(明治44)年から指紋法は警察で採用されています。全世界的に利用されている指紋認証のアイ
デアが、東京の遺跡から発見された土器に関係しているなんてすごいですよね。

貝塚のある大田区から品川区にかけての地帯は、当時、海岸線となっていました。地図によると、
現在は近代的なビルが立ち並び、多くの人であふれている品川駅付近も海の中でした。縄文時代
当時の風景を想像しながら街を眺めると、歴史の流れを感じますね。

大森貝塚遺跡庭園と品川歴史館を訪れると、縄文時代の人々の生活に思いをはせながら、のんび
りとした1日を過ごせます。興味のある方は一度行ってみてはいかがでしょうか?


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