ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

 桜の名所めぐり <宇宙桜>

2017-04-24 07:35:09 | 日記


「宇宙桜」と呼ばれる桜をご存知ですか?京都・醍醐寺での桜見物を終えた老夫婦が
中央自動車道沿線の桜の名所めぐりをしながら、茨城県への帰へり道でこの宇宙桜に
出会いました。

「宇宙桜」とはスペースシャトル「エンデバー」で、2000年に毛利宇宙飛行士と共に
11日間の宇宙旅行をした彼の故郷・北海道余市町のエゾヤマザクラの160粒の種子、
そして2008年に若田宇宙飛行士が北海道から沖縄まで、13地域の名木14種から集め
られた桜の種子100~300粒を搭載して、2008年11月から翌年7月まで地球の周りを
4,100回まわった後、地球に帰ってきた種子を地上で発芽させて成長した桜のことで
す。桜は発芽から開花まで通常10年を要するのに、宇宙帰りの桜は2~4年で開花し
たことから成長が早いと評判になり、急速復興を願う東北各地の震災支援のシンボル
として「宇宙桜」の名称で寄贈されました。又、全国30ヵ所の科学館にも「宇宙桜」
として寄贈されています。

<中将姫請願桜の種子が選ばれ宇宙桜となって帰還>

老夫婦が訪れた中将姫請願桜は、岐阜県岐阜市大洞にある願成寺の境内にある桜で、
ヤマザクラの変種と言われています。同種の桜は他に確認されておらず、プルヌス・
フロリドラ・ミヨシの学名が与えられています。樹齢は1250年程度とされており、
平安時代初期に中将姫が病気の治癒をこの寺で祈り、平癒したためにこの桜を植えた
という伝説があります。樹高8.1mで幹径1.5m、20~30弁の花弁を持った淡い桜色
の八重の花を咲かせます。飛騨・美濃さくら33選にも選ばれている天然記念物指定
の桜です。

夫: まだ3~5分咲きだね。八重の桜だから満開になったら相当なボリュウム感が
   あるね。

妻: 樹形も良いし、花の形も花びらの色もきれいな桜ね。満開じゃなかったのが残
   念だわ。それに朝方まで雨だったから、雨粒で花が重そうに見える。

夫: 山桜の亜種だそうだから、今、満開のソメイヨシノよりは開花が遅いんだろうね。

妻: あそこに「宇宙帰りの中将姫請願桜直系2世」の表示があるわ。あそこにある
   幼木の桜は種子が宇宙を旅してきたのね。あら、花びらが八重ではなく一重だ
   わ。どうしてかな?

夫: 保存会のジャンパーを着ている人がいるから聞いてみよう。

保存会の方: 中将姫請願桜の種子はとても小さくコメ粒ほどの大きさなんだ。そし
   てこれまで発芽したことがない。この桜は山桜の突然変異で八重咲きになったと
   いわれていて、この1株しか存在しない貴重なものなんだよ。だからこれが枯
   れると絶滅してしまう。そこで地上でダメならと2008年の若田宇宙飛行士の
   プロジェクトに応募して、265粒の種子を宇宙へ運んでもらったんだ。
   直系の2世が欲しくてね。そうしたら帰還した種子の内、2粒だけが発芽したん
   だ。これまで発芽したことがないものが発芽したんだよ。奇跡的でしょう。
   その発芽から大切に育てたのが、ここにある宇宙帰りの中将姫請願桜さ。葉の
   遺伝子の鑑定で「ほかの桜の種が混入したのではなく、請願桜の可能性が高い」
   と判定されているお墨付きだよ。

妻: 平安の世に中将姫が植えて1250年、発芽したことのない種が宇宙の刺激を受け
   て目覚めたということね。

保存会の方: ロマンのあることを言うね。宇宙で8ヵ月間を過ごしたこの2世には宇宙
   ミステリーがあるんだ。一つは成長が早く通常10年かかる開花が4年で花を咲か
   せたことだ。早く花を咲かせたのは一緒に宇宙へ行った他の桜の14種の中にも
   多く見られているから、強力な宇宙線や無重力などの宇宙環境が影響しているの
   かもしれない。
   もう一つは見た通り、花びらの数が親の請願桜の約30枚よりもずっと少なく5枚
   のみだったことだ。何故花びらの数が極端に少ないのか不思議だ。

夫: 確かに花は親が八重なのに子は一重ですね。だけど山桜の花びらは通常5枚ですよ
   ね。それと同じ数だから、単に先祖帰りをしただけのようにも思えるけどな。

保存会の方: 花は5弁だけど、花びらは白く細長く、母樹の形質を確かに受け継いでい
   る。だから、単に突然変異前の普通の山桜に戻ったわけではない。

妻: 今もこの中将姫請願桜はここだけにしかないのですか?

保存会の方: 実は平成21年に接ぎ木で枝分けに成功していて、奈良県葛城市の当麻
   (たいま)寺という中将姫ゆかりの地に里帰りしている。それが昨年開花したと
   聞いている。

夫: 八重咲きの花弁は雄しべが変化したもので、花粉ができにくく実はつかないものが
   多いんだ。木にとっては一重の方がよほど自然な花姿なんだね。八重咲きの花の
   種子はできても極端に小さいのが普通で、八重咲きから八重咲きの花が咲いたら
   ニュースになるくらいだ。だから2世が一重なのは納得できるよ。成長が早い理由
   については宇宙環境の影響を受けているのかどうかは比較対象がないので分から
   ないな。

<山高神代桜の種子も宇宙桜として帰還>

山高神代桜はエドヒガンザクラで、福島県三春町の「三春滝桜」と、岐阜県本巣市の
「根尾谷淡墨桜」と並ぶ「日本三大桜」の一つとされている。山梨県北杜市の実相寺境
内にあり、樹齢は約2000年。
二人は大勢の観光客と共に満開の神代桜を鑑賞した後、境内を歩いていて偶然に宇宙神
代桜と出会いました。

夫: ここにも宇宙神代桜があったね。解説版によると、ここでも118粒の内、開花は2粒
   だけだったようだね。でも発芽から2年で開花しているからやはりすごく成長が早い。

妻: 普通の約6倍の早さで成長し、元々5枚の花びらだけど、6枚のものが見つかっている
   と書かれている。

夫: 宇宙神代桜では花びらの数が増えているんだね。宇宙環境の影響があるのかな~。
   不思議だね。

「宇宙桜」は、宇宙空間を生き抜いて発芽・開花した力強い生命力を持つことから、「復
活・復興・希望」のシンボルとなっています。あなたの近くにある名木も宇宙桜となって、
地元に帰還しているかもしれません。探してみてください。

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桜の名所めぐり <京都・醍醐寺>

2017-04-17 07:46:43 | 日記


4月6日、老夫婦は京都在住の妻の妹に誘われて、世界遺産であり豊臣秀吉の「醍醐の
花見」として有名な京都・醍醐寺へやってきました。ここでは、しだれ桜、ソメイヨシノ、
山桜、八重桜など約1000本の桜が3週間かけて咲くため、桜を長く楽しむことができるの
が魅力です。それでもしだれ桜、ソメイヨシノが満開になる4月初めの時期が最も賑わい
ます。

妹: 一昨日まで、まだ蕾が多くて心配したけど、昨日、今日の暖かさで一気に花が咲い
  て満開になったわ。実は私も咲き始めの満開のタイミングでここへ来たのは初めて
  なの。今日は最高の日よりで良かったわね。

妻: 普段のおこないが良いからこんなもんよ。全然心配してなかったわ。

夫: それにしては京都の桜情報と天気を何日も前から気にしていたように思うけどね。

醍醐寺の総門をくぐりました。桜馬場と呼ばれる広い道から見回すと、満開の桜の花が
3人を出迎えてくれていました。拝観切符を手に醍醐寺の桜見物のスタートです。

妹: 花の醍醐寺には3つのエリアがあるの。先ずは国宝や重文、文化財など約10万点余
   りを収蔵している「霊宝館」からね。ここは敷地内の外周が回廊のようになって
   いるの。道沿いは背の高いしだれ桜が何本もあるけど、霊宝館の庭にある醍醐深
   雪(みゆき)と呼ばれる巨木のしだれ桜が有名ね。

夫: 霊宝館前の参道も桜のトンネル、石畳、苔そして白壁のコントラストがいいじゃな
   いか。

妻: ここが霊宝館ね。まあ!正面の松が見事ね。でも今日は外周沿いの背高しだれ桜に
   目が行くわね。満開の大きなしだれ桜がこれだけ並んでいると圧巻。

妹: 先ずは外周を歩きましょう。どの桜も見事よ。この道には奉納された若い桜の木も
   あるから、それらが大きくなるとこれからますます華やぐわね。

妻: どの桜もきれい。地面に花びらが一枚も落ちていない。本当に咲いたばかりなのね。

夫: 人が溜まっているからすぐ分かったぞ。樹齢約200年、枝の幅25mの醍醐深雪はこ
   れだね。花びらも大きいね。こうして目の前にしていると圧倒的な存在感があるな。

妻: 私は目に飛び込んでくる桜という桜を、構図や絞りを変えてシャッターを切り通し
   だわ。構図を考えてはファインダーを覗く。この繰り返しで一周回っちゃった。
   この風景ごと桜を持ち帰りたくなる気分だな。

妹: 醍醐寺に現在ある巨木のしだれ桜は醍醐の花見で集められた桜の子孫と言われてい
   るの。

3人は霊宝館の寺宝をゆっくり鑑賞後、巨木の桜が出迎えてくれる三宝院に向かいました。

妹: ここが「三宝院」よ。秀吉が設計したといわれる回遊式日本庭園と玄関前の太閤桜と
   呼ばれる大紅しだれ桜が有名ね。

妻: これは大きい。これが太閤桜ね。すごい人手だわ。それにしても大きくて全体の姿
   を捉えるには相当離れないと難しいわ。

夫: 先に名勝の回遊式庭園を見に行こう。出てくるころには少しは空くと思うよ。

妹: 今日は、いつもは非公開となっている本堂が公開されているの。貴重な仏像や障壁画
   が見られるチャンスだし、表書院から見る特別名勝の日本庭園は一見の価値ありよ。

三宝院の回遊式庭園は池を中心に滝、島、橋などを配置し、さらに、石や木の刈り込みが絶
妙で、縁側に座ってしばし見入ってしまいました。これまで首をあげて巨木の桜を見続けて
きた体には、縁側から見下ろす日本庭園の風情は安らぎになりました。

妻: 表書院と日本庭園を見学して出てきたら、太閤桜の周りが少し空いてきたわ。ゆっくり
   撮影するチャンスが来た。

妹: 来週はここで豊太閤花見行列があるの。その頃は少し散り始めるのかな。

最奥に位置するのが伽藍エリアです。行く途中で右手を見ると空から降ってくるように咲き
誇る霊宝館内の大きなしだれ桜が見られます。仁王門をくぐると両側に紅白の幕が張られ
「醍醐の花見」を演出していました。高い五重塔や大きな金堂が見えてきました。ここには
その他に清瀧宮本殿、観音堂等々があります。

妹: ここでは京都で現存する最古の木造建築である国宝の五重塔そして本堂である金堂辺り
   の桜それに清瀧宮前のしだれ桜が人気だけど、さらに境内の先に進むとガラリと雰囲
   気が変わる場所があるの。先ずは五重塔や金堂を背景とした桜が撮影ポイントみたい。
   この伽藍エリアには桜の種類が多いことも特徴なのよ。

夫: 朱塗りの金堂とソメイヨシノそして五重塔としだれ桜とのコントラストが絶妙だ。

妻: そうね、ここは建造物と桜のコラボがテーマとして似合う場所ね。これまでとは全く雰
   囲気が違うわね。私、写真の撮りすぎだわ。お気に入りが一枚でも撮れているといいな。

さらに先に進むと朱塗りのお堂が池に映える弁天堂がある。ここから奥は滝があり、苔むし
た雰囲気でモミジが多く紅葉の名所になっていました。池の周りには山桜・ソメイヨシノが
点在し、お堂と緑の苔、桜が池に写りこみ情緒たっぷりです。ここではパフェを口に運びな
がら花見を楽しみました。

夫: 醍醐寺の桜は最高だったよ。今日は案内人を務めてくれてありがとう。

妻: 今日の写真をどのように整理したらよいのか頭が痛いわ。でも今日はありがとうね。

「花の醍醐」とも呼ばれる醍醐寺は美しい桜に彩られていました。ここにこれだけの桜があ
るのは古都京都での度重なる戦乱で大きな被害を受けた醍醐寺に、秀吉が700本もの桜の移植
を命じたのが理由だそうです。皆さんも是非行ってみてください。

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明治時代の築地は学園都市だった

2017-04-03 15:49:15 | 日記


豊洲移転で揺れる築地市場がある周辺は江戸時代の明暦の大火(1657年、明暦3年)後
に埋め立てられた造成地です。 その後、1700年代の元禄期には、忠臣蔵で有名な播州
赤穂藩浅野内匠頭長矩の上屋敷など、大名や旗本の邸が建ち並ぶ格式のある地域となり
ました。しかし、明治政府になって武家屋敷は解体され、新たに築地居留地として整備
されて、神戸のような異国情緒溢れる洋風な街並みに大きく変貌しました。
今回、この地に私の出身校の発祥の碑があることを知って訪ねることにしました。発祥
の碑を探していると、特に築地・明石町界隈には現存する多くのミッション系スクール
の発祥の碑が点在していることに気付きました。どんな学校の発祥の碑を見つけたのか
を紹介します。

<築地居留地とは>

築地に1869年(明治2年)から1899年(明治32年)まで安政条約によって外国人居留
地が開設されました。アメリカ、イギリス、オランダ、スイス、ドイツなどの領事館が
置かれ、当時まだめずらしかったホテルなど赤レンガに木造ペンキ塗りの洋館が次々と
建築されました。更に1873年(明治6年)にはキリスト教が解禁され、布教のため聖公
会をはじめ、外国の宣教師、教育者たちが移住してきて、布教と共に次々とミッション
系スクールを開設したのです。

<ミッション系スクールを起源とする学校>

1.青山学院大学、
  米国メソジスト監督教会から派遣された宣教師たちが設立した3つの学校を母体とす
  るミッションスクールが起源で、ここはその内の一つ、海岸女学校があった場所。

2.明治学院大学、
  起源は1863年、ヘボン式ローマ字の創始者として知られるヘボン氏が、横浜に開設
  した「ヘボン塾」。ここは築地移転後に前身となった「東京一致神学校」があった場所。

3.立教大学
  明治7年にアメリカ聖公会宣教師、チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が英語と
  聖書を教える立教学校(私塾)を開設したのが発祥です。

4.関東学院大学
  明治17年に 横浜山手に米国バプテスト伝道協会により横浜バプテスト神学校創立が
  源流です。 明治28年に築地に東京中学院が設立されました。

5.聖路加国際大学
  明治35年、イングランド国教会の系統に属する「聖公会」の宣教医師ルドルフ・トイ
  スラーが聖路加病院を創設。現聖路加国際病院は105歳の名誉院長・日野原重明さん
  が有名ですね。地下鉄サリン事件では、最寄り駅である築地駅で最も多くの被害者が
  出ましたが、当時の院長日野原重明さんは積極的に被害者を受け入れ、病院を挙げて
  治療にあたりました。

大学以外にも中高短又は中高の学校である「女子学院(中高)」「女子聖学院(中高)」
「立教女学院(中高短)」「双葉学園(中高)」「暁星学園(中高)」などの発祥の碑を
見つけました。調べると、他にも多くの小学校、神学校、アメリカンスクール、病院も設
立されていましたが、現在、聖路加国際大学を除いてすべて築地から移転しています。

<ミッション系以外で築地を起源とする学校>

1.慶應義塾大学、
  起源は1858年福沢諭吉が中津藩奥平家の中屋敷に開いた蘭学塾に由来する。この地は
  また1771年中津藩の医師前野良沢などがオランダ解剖書を初めて読んだ由緒あるとこ
  ろで、解体新書の石碑がある。

2.工学院大学
  近代化の指導者育成ではなく、職工を育成することを目的とした日本で最も古い私立の
  工業実業学校。明治21年(1888年)土木、機械、電気工学、建築、造船、治金などの
  技術者を養成する「工手学校」として発足した。

こうして書き並べてみると、明治時代の築地・明石町界隈はすごい学園都市だったのがわか
ります。現在、全国各地に学園都市の名を掲げる都市がありますが、そのルーツはこの築地
なのかもしれません。これは私にとって新しい発見でした。

学校発祥の碑に関連づけて、築地を発祥の地とするものを紹介します。

(1)洋風ホテル:日本で最初の洋風ホテルは築地ホテル館。外国人宿泊者増を見込んで幕
         末の1868年(慶応4年)に開業したものの、わずか4年で類焼消失。

(2)靴の製造:1870年に現在の築地入船町に日本で初めて西洋式の靴の工場ができた。当
        初は軍靴を製造していた。現在の株式会社リーガルコーポレーションの前身。

(3)活字:幕末、長崎奉行所のオランダ通詞、本木昌造が日本語の活字を開発し、その門 
      人、平野富二は明治6年 東京に進出、東京築地活版製造所を興し活字だけでな
      く印刷機械なども製作販売した。今も築地には印刷会社が多い。

(4)指紋研究:宣教師・医師であったヘンリー・フォールズは大森土器に残された古代人   
        の指紋を見て、はじめて科学的な指紋の研究をこの地でスタートさせた。 
        ・詳細は先週のブログ「指紋鑑定法は日本文化が引き金だった」参照。
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