ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

狭きとも楽しい我が家「ハモグリバエ」

2020-06-29 07:45:31 | 日記


前回は「屋敷守りとなった巨樹」という、対象が大きい話しをしました。今回は反対に超
ミクロの世界で生きる小さな小さな昆虫のお話しです。

私が見つけたのは雑木林の中を散歩している時でした。歩道脇の草むらの中に何やら白い
線が浮き出ていている葉っぱを見つけました。何にかの虫が這いずり回った跡のように見
えます。周りを見ても幼虫や成虫らしいものは見当たりません。葉を食料とする虫たちと
いえばムシャムシャと端から食べて葉を欠けさせる、又は真ん中を食べて葉っぱに穴を開
けると思っていましたので、表面と裏面の外装は残して、葉の中の養分だけを食べる虫が
いることを発見して興味を持ちました。

正体は、成虫でも1〜2ミリの小さなハエ、「ハモグリバエ(エカキムシ)」の幼虫でした。
ハモグリ(葉潜り)と名付けられたように、幼虫は葉の表面ではなく葉の中にいて、産み
付けられた葉っぱ1枚の中だけの広さが成長するための我が家なのです。葉っぱの養分を
食べた跡には幅1~2mmくらいの白い筋が残ります。
私はこれを見たのですね。くねくねと、まるで葉に絵を描いたように食事跡を残すため、
別名「エカキムシ」とも呼ばれています。日本に生息するハモグリバエの仲間は200種以
上もいるそうです。その一部が農作物の害虫となっています。特に1990年に静岡県で見
つかり全国に広がった、殺虫剤が全く効かない「マメハモグリバエ」の被害は深刻です。
お百姓さんにとっては憎っくき害虫であり嫌われ者なのです。早めに駆除をしないと葉
を食べられてしまいますし、見た目は悪くなり、葉の変形、落葉、植物の生育不良の原
因になります。

春になってハエが飛ぶような暖かい時期に、この模様(白い蛇行したような跡)があれ
ば、それは、ハモグリバエの幼虫が葉っぱの中を食べ歩いた跡と思っていいようです。
幼虫はウジの姿ですから、体を伸び縮みさせながら葉の中(表皮と裏皮の間)で、トン
ネルを掘るように食い進みます。その食べた痕が白い筋となって残りますが、1枚の葉
に何匹もの幼虫が食い込むと葉全体がトンネルで占められて白くなり、狭きとも楽しき
賑やかな我が家が出現することになるのです。尚、樹木の葉は堅くて歯が立たないのか?
お呼びではありません。もし樹木の葉に見られた場合は他の昆虫、又はその幼虫と思っ
てもよいそうです。

成虫は灰色の小さなハエ(体長は2mm前後)で目立たないので、通常はお目どおりする
ことはまずないそうです。お尻に葉を切り裂くための特上の刃物?を持っていて、それ
で葉の表面を傷つけ、そこから染み出てくる汁液を舐めて主食としています。そのため、
葉には直径1mm前後の斑点のような丸い色抜けが起こります。発生が多いと葉に点々と
被害症状が現れますが、通常は気づかないそうです。また、産卵も同じように葉を傷つ
けて葉内に産み付けます。十分に生長した幼虫はトンネルの片隅で、褐色で先の尖った
俵のような蛹になります。

怖いものなしのようですが、やはり苦手はいます。小さなハチがこの幼虫の体内に寄生
するのです。多いときには半数のハエがこの天敵の餌となって消えてしまいます。一方
この天敵は農薬には弱いので、薬剤散布を頻繁に行っている熱心な農園では役に立つこ
とはできません。

こうして小さな生き物が懸命に葉っぱを食べている姿を観察していたら「葉っぱはどう
して、幼虫を育てる栄養価があるのに食べつくされないのかな?」という疑問が生まれ
ました。この疑問に対する納得できるレポートがありましたので紹介します。

<葉っぱは何故食べつくされないのか?>
植物を主食にできるのは昆虫と大型動物くらいです。草は栄養価が低いし、液胞は毒だし、
動物はセルロースを消化できない。ゆえに小型動物は「実」を食べるのです。大型動物は、
セルロースを分解するバクテリアを寄生させ反芻により栄養をじっくりと吸収していま
す。胃袋に余裕があるためなのでしょう。鳥は草を食べません。栄養価の低いものを大
量摂取すると体が重くて飛べなくなるからでしょう。昆虫は幼虫のときに葉っぱを食べ
ます。幼虫は移動性を犠牲にしてでも、ほかの動物が手を付けない、いたるところにある
葉っぱを食べるという方針なのでしょう。なので、幼虫は大きくなれない(体が大きいと
葉っぱが大量に必要だが移動能力が低いので無理)。ただ、これだと行動範囲が狭すぎて
リスクが大きいし、交配もできない。そこで、育ったら羽をもつように変身する。以後は
消化のいい樹液などを摂取するのです。ところで、なぜ動物はセルロースを消化できない
のか。そういう風に進化できなかったのか。もしかしたら、植物はそう簡単に分解できな
いような仕掛けを施しているのではないか。もし、セルローズ分解酵素(セルラーゼ)をも
つ昆虫が現れたら、地上を制覇し、すべての緑を食い尽くすことになるかもしれませんね。

話は小さくて狭い世界で完結しようと思いましたが、最後は広い世界の話になって、脇
道にそれてしまいました。ご容赦ください。

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屋敷守りとなった巨樹

2020-06-15 07:37:35 | 日記


茨城県龍ケ崎市には約4000年前の縄文時代後期の丸木舟(県指定文化財)が歴史民俗資
料館に展示されています。又、南北朝時代の「馴馬城址」の遺構もあります。更に江戸
時代は仙台・伊達藩の所領として繁栄した由来があり、国の重要文化財である来迎院多
宝塔や国選択・県指定無形民俗文化財の撞舞(つくまい)など珍しいお祭りもある歴史
を有する街です。当然そこには何世代にも渡ってこの地に住み続けておられる広い敷地
を有する民家があり、私が日常歩いている散歩道という狭い行動エリアにも、こうした
旧家を散見することができます。

こうした民家には、おそらく住み着いた当時に植えられたと思われる庭木が今では巨樹
となり、屋敷守りとしての役割を担っていると感じられる存在感を放つ樹木があるもの
です。散歩をしながら敷地内から顔を出しているこうした巨樹を見ていますと、その存
在感、威圧感は大きな番犬の存在を上回るものを感じます。今回は私の日常の散歩エリ
ア内にある民家の巨樹を取り上げます。神社仏閣の境内や畑、雑木林そして学校などに
ある巨樹は対象外です。

<龍ケ崎のお宝の木 巨樹・古木>
話を進める前に、目を少し広げて龍ケ崎市内にある巨樹たちを紹介します。市内には県
指定文化財の「般若院の枝垂桜(シダレザクラ)」や市指定文化財の「八坂神社の欅
(ケヤキ)」「大統寺の竹柏(ナギ)」などたくさんの貴重な巨樹や古木が存在してい
ますが、これらの樹木を後世に伝えていきたいとの思いから、2018年に「龍ケ崎のお宝
の木 巨樹・古木」という冊子が刊行され、50本の樹木が掲載されました。選考にあた
っては約80本の候補の中から樹高・幹周り・推定樹齢・いわれなどから独自の採点を行
ったと記されています。市のホームページから閲覧できます。こうした刊行物は文化財
ですよね。とても良いことだと思って紹介しました。

<屋敷守りの巨樹たち>
それでは巨樹たちの登場です。紹介する巨樹は民家の敷地内にあり、家屋内部への日照
の影響も考慮されるため、定期的に剪定され管理されています。そのためなのかどうか
わかりませんが、紹介した「龍ケ崎のお宝の木」の選考からは外れて掲載されていませ
ん。ここで紹介する巨樹の定義は、①散歩道というエリア内に存在する巨樹である、
②巨樹とは樹高ではなく、幹回りの太さと樹齢で判断する、③屋敷を守る役割を担って
いると感じるほどの風格と存在感がある、これらの条件を満たしている巨樹たちです。
尚、樹木の名称は間違えるといけませんので記載しません。写真から調べてくださいね。

(その一)我が家から最も近く、且つ、最も頻繁に仰ぎ見ている巨樹です。一度だけ、
     クレーン車を使って剪定している現場に出会いましたが、定期的に選定され
     ています。今は画面にあるように塀の外側にありますが、この塀ができる前
     は敷地内にあったそうです。この巨樹の前を通るたびに、必ず立ち止まって
     じっくり見上げるのが至福の一時になっています。
(その二)長いブロック塀で囲まれたお宅にあります。この巨樹の枝はブロック塀の中
     央付近から太い枝を左右に伸ばし、ブロック塀の上部を写真のように枝を伸
     ばし、葉を茂らせています。今の時期は新緑の青葉で無機的なブロック塀に
     潤いを与えているのがお気に入りです。ブロック塀に大きな目、鼻そして口
     を目測で描いたら、この巨樹の葉がまるで髪の毛のようです。ここを通ると
     こんな楽しみ方をしています。
(その三)崖の上の高台にあるお屋敷の巨樹です。この巨樹は仰ぎ見るほど高い場所に
     あるため、近くには行けません。機会ができたら直接樹皮に触れたいものだ
     と思いながら眺めています。巨樹の大きさが実感できないのが残念だといつ
     も思います。
(その四)門柱の役割を担っている左右の2本の巨樹です。幹回りとしてはそれほどで
     もないかもしれませんが、写真を撮っていたら、古老が畑仕事の手を止めて
     「あの木は樹齢100年以上なのだよ」と話しかけてくれましたので、ランキ
     ング入りとしました。
(その五)ツリーハウスのある木です。ブロック塀が私の身の丈を越えているため、ツ
     リーハウスを支えている巨樹の全体像はわかりません。確かなのは、このツ
     リーハウスは私がこの地に住み始める以前から存在しているので、もう半世
     紀近くを経過していることになります。良く補修点検がなされているようで、
     これまでのどの台風に対しても耐えてきました。こうした実績から、屋敷守
     りの巨樹の上にツリーハウスがあると推測しました。推測が入りますのでこ
     こでは番外編とします。

巨樹といえば森の中にあると思われがちですが、光を求めて高さを競いあったり、水を
奪いあったりする戦いがありますし、生き残っても、強い風雨にさらされるなど、過酷
な環境も待ち受けています。ところが、街中の公園や神社仏閣の境内にある木は、競争
相手が少なく、人間に守られて大事に育てられているので、巨木になる条件が揃ってい
ます。なので、巨樹の数は存外と多いのです。しかし、邸宅内となると、そこに住む家
人の営みの影響を直接受けるので、なかなか巨樹になるまで育つのが難しいのです。

紹介した巨樹たちはこれからも、お屋敷の住人たちを見守り続けていくでしょう。畏敬
の念を抱かせる巨樹たちは言葉を持ちませんが、実は大変大切なことを私たちに語り続
けてくれているようにも思います。
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蜘蛛の子を散らしてみました!

2020-06-01 07:34:09 | 日記


大勢の人があっという間に四方八方に散って逃げる様子を表現する慣用句の比喩、「蜘蛛
の子を散らす」は言葉としてはご存知でしょうが、本物の蜘蛛の子は本当に言葉のイメー
ジ通りに四方八方に逃げるのか?それとも特徴のある一定の法則性が見られるのか?
実際の現場を見た人は少ないと思うのです。私は体感しましたよ。答えですが私の実感と
しては、これほど慣用句のイメージと実態の現象がピッタリと一致するものはないという
ものでした。

この時期になると田んぼの若い稲はかなり成長していて、しっかりと根付いており、多少
の雨風ではびくともしない逞しさがあります。そんな田んぼの新緑を見ながら歩いていて、
ふと側帯の草むらに目をやると小さな黒い塊が見えました。何と、それが何の支えもなし
に浮かんでいるように見えたのです。

「この黒い物体は何だろう!空間に浮いているように見えるぞ!」
「老眼鏡か、拡大鏡が欲しいが、散歩には持ってこなかったな。でもこれは何だろう。」
「黒い塊の形としては、熟し過ぎて黒くなった野イチゴの実のように見えるけど、かなり
 大きいな。でもどうやって、こんなに大きいものが浮いているのかな?」
「熟した野イチゴの実なら重さや、硬さを感じるものだが、それが感じられない。
 何なのだろう。」

私には見えないけれど蜘蛛の糸にでも引っかかって、浮いているのだろうとはすぐに想像
しましたが、目を皿のようにして見つめ直しても、老眼の目では蜘蛛の糸は全く見えませ
んでした。背景の緑の葉が邪魔をしているのかもしれません。宙に浮いた黒い塊に興味を
持った私は、軽く人差し指の腹でその塊を突っついてみることにしました。浮いている理
由が分かると思ったのです。この時はまさかの現象が目の前で展開されるとは想像もして
いませんでした。

「軽く触ってみよう!ほい!」
「わ~!軽く触れただけなのに、塊が一挙に崩れて、粒粒の実が一つ一つバラバラになっ
 て、それが四方八方に散らばって動いているぞ!それにしても綺麗な広がり方だな。
 おっ!一斉に動きが停まった。」
「塊の正体は蜘蛛の子だ!蜘蛛の子たちは袋の中に入っていて、袋を破いて外に出てくる
 ことは知っていた。指先が触れたから袋が破れたのだろうけど、きれいに波紋が広がる
 ように四方八方へ散って逃げるとは感動だ。まさに「散らす」という慣用句に使われて
 いる言葉のイメージどおりだ。魚の誕生のように卵から時間差で一匹ずつ飛び出してく
 るのとは違うのだな。」
「どうやら私は指先で強制的に蜘蛛の巣の袋を破ってしまったようだな。」
「分かってしまうと何のことはないが、よくぞ四方八方へ、一定の速度できれいに広がる
 ものだ。それも一斉に同時に止まるところも面白い。まるで小学生の組体操で中央に集
 まった子供たちがホイッスルの合図で、一斉に四方八方に広がって自分のポジションま
 で走っていって、そこでしゃがみこんで止まる光景が連想されるな。」
「それにしても子供たちは動きをすぐに止めてしまったな。まあ、動いてくれたおかげで
 蜘蛛の糸が分かるようになった。これで浮いている理由が分ったよ。宙に浮いてるよう
 に見えたのは新鮮な蜘蛛の糸で、その糸の透明度が非常に高かったからなのだろうな」

蜘蛛の子たちは指先の刺激で四方八方に分散して逃げましたが、10㎝にも満たない移動
距離で動かなくなりました。私はもう一度再現したくなって、蜘蛛の子が塊となっていた
中央部分の蜘蛛の糸をもう一度軽く指先で触れてみました。

「子供たちがビックリして又動いた。この広がりだよ、この広がりだ。きれいな紋様だ
 な!一匹、一匹動く距離が違うのだろうな。波紋のようなリンク状の塊にはならない
 んだね。」
「おっ!又、全員が同時に止まったぞ。」
「そうか!この動きは魚を捕る投網を投げた形に近いかな。」
「驚かせてごめんよ!もう触ることは止めるからね。」
「黒い塊は君たちだったのだね。正体が分かってよかった。」

私は蜘蛛の子供たちが袋の中で固まって、外へ出るチャンスを待っている姿を初めて見
ました。子供たちが入っている蜘蛛の巣だったとは全く思いも至らなかったので、つい
手を出して彼らの袋を破ってしまったようですが、逃げ出した子供たちは十分に成熟し
ているように見えましたので、袋に戻れなくてもしっかりと成長してくれるでしょう。
でも、ごめんなさいね!

私は散歩道で「蜘蛛の子を散らす」現場に偶然出会い、何十年振りかで、この慣用句が
脳裏に浮かび、蜘蛛の子たちとの出会いを楽しみました。

今回の発見と体感は長くなったコロナ自粛生活の中に、ひと時の潤いを与えてくれた。


※帰宅後に調べて見ましたら、蜘蛛の卵のうが破けた後も、子供たちはしばらくの間、
 全員が集まって塊になっていることがあるそうです。現場では指先で袋を破いてしま
 ったと思い込んでいましたが、実は卵のうを破ったのではなくて、卵のうから出てき
 た子供たちが一時的に寄り添っていた集団の塊を触ったのかもしれません。今となっ
 てはどちらだったのか分かりません。

※写真撮影はピンボケで大失敗、そこで画像はネットから借用しました。
(蜘蛛が苦手な人がいたら、ごめんなさい!)
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