ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

一期一会の出会い

2018-05-29 08:03:36 | 日記

ノブさんは前回投稿した「異国情緒を感じて歩く、横浜・山手西洋館めぐり」を終え
た後、仲間と別れて山下公園に向かいました。目的は係留されている「日本郵船・
氷川丸」の見学です。戦前にシアトル航路の豪華貨客船として活躍した氷川丸は、山
手地区での西洋館時代の華やかな舞踏会外交と重なり、海の氷川丸・陸の西洋館と比
較されるものと思えたのです。

<氷川丸について>
「氷川丸は、1930年に建造された日本を代表する豪華客船です。戦前にシアトル航路
の貨客船として活躍した後、病院船、引揚船、そして戦後再びシアトル航路に復帰。
1961(昭和36)年5月、この地に係留されました。氷川丸が竣工した当時は、豪華客船
の建造が続き、客船文化が花開いた時代でした。船内では、そんな客船黄金期を彷彿
させるアール・デコの美しい装飾や、当時の最新鋭ディーゼル機関を間近に見ること
ができます。また、展示室では戦前の華やかな船旅の様子、時代とともに変わってい
った氷川丸の役割を解説しています。」・・・案内書より

ノブさんは船に乗り込み受付を済ませると、エントランスロビーに設置されたスクリー
ンで氷川丸の解説を聞いた後、1等児童室・1等食堂をゆっくりと見学し、階段を上っ
て1等客室・1等特別室・1等読書室・1等社交室のエリアに向かいました。さすがに1等
客船の内部は優雅なアール・デコの装飾に目が行きます。当時の国力を考えると、国の
威信をかけて建造された貨客船なのだと想像できます。1等社交室を出ると「シアトル
航路の旅」の展示室を通って屋外デッキに出られます。船主と船尾のオープンデッキは、
ロープが張られて出ることはできません。ノブさんは屋外デッキに備え付けられたデッ
キチェアーに座って、山下公園と港内を見渡しながら、持参のお茶を飲み始めました。
そこへ同世代と思われるF氏という方が声を掛けてきました。

F氏:シャッターを押していただけませんか?

ノブ:いいですよ。その立ち位置では逆光になりますから場所を少し移動しましょう。

F氏:ありがとうございます。私はこの船の運航に関わる仕事をずっとしておりました。
   今日はチャンスがありましたので、この懐かしい氷川丸に会いたくて来ました。
   山口県から来たのですが、ご存知ですか?下関とか・・・。

ノブ:この船でお仕事をされていた方に声を掛けていただき嬉しいです。それに山口県
   とは浅からぬ縁があります。実は家内がK市の出なのです。下関にも行ったこと
   がありますよ。

F氏:エッ、驚きました。実は私の家内もK市です。そこのK高校出なのですよ。

ノブ:それは奇遇ですね。家内もK高校です。家が近いのかもしれません。それに年齢
   も近そうだから、同じ時期に通学していたかもしれませんね。

F氏:帰ったら、この話をしますよ。きっと驚きます。

ノブ:私は茨城県から来ました。山口県の方と茨城県の人間が、横浜の氷川丸の甲板上
   で偶然にお会いし、連れ合い同士が同じ県、同じ市、同じ学校そして同じ時期に
   通学していたというのは不思議なご縁ですね。ビックリです。世間は狭いという
   けど、本当ですね。

F氏:家内は太極拳をやっていまして、東京で会議があるために上京したので、私は氷川
   丸を見たさに家内についてきたのです。今日は懐かしい氷川丸に会えたし、驚きの
   土産話もでき、良い1日になりました。お話しができて嬉しいです。

ノブ:私は趣味で歴史旅をしている仲間と一緒に「横浜の西洋館めぐり」を楽しんだ後に、
   メンバーと別れてここへ来ました。旅をしているとこんな偶然な出会いが時にはあ
   りますね。私もこの話を帰宅したら話しますよ。きっと喜びます。旅って、時にこ
   んなすごいお土産をプレゼントしてくれるので楽しいです。

ノブさんはF氏と別れると、更に最上階への階段を上り、船長室・操舵室を見学しました。
最後に向かったのは船底近くの3等客室のエリアです。そこには機関室も見えます。そして
「氷川丸の航跡」の展示室を通って見学は終了です。ノブさんは展示品や掲示板にゆっく
り目を通しながら、この横浜・山手地区の西洋館で行われていたのであろう、夜ごとの舞
踏会と1等社交室での舞踏会を重ね合わせながら、昭和初期の時代がどんなものだったのか
に想いを馳せました。

偶然な出会いがあるのも旅の楽しみです。私もこれまでに多くの方との一期一会の出会い
で、助けられ学んできました。これからも無理をしない程度に歴史旅を続けてほしいです
ね。尚、後日談になりますが、同窓会名簿で奥さんたちは2学年違いであり、1年生と3年
生で同時期に通学していたことが分かったそうです。
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異国情緒を感じて歩く、横浜・山手西洋館めぐり

2018-05-14 07:40:25 | 日記


首都圏に住んでいる高校の同級生3人が古稀を迎えたことを契機に始めた街歩き。首都圏
を中心に歴史探訪・文学散歩を楽しんでいます。今回の舞台は横浜。JR根岸線・石川町
駅に集合しました。

ノブ:横浜の観光スポットといえば、みなとみらい・赤レンガ倉庫・中華街などがお決ま
   りだけど、山手地区には歴史的に価値のある七つの西洋館が無料で公開されている
   んだ。今日は異国情緒を肌で感じながら横浜・西洋館めぐりをしよう。

ヒデ:幕末の開港から近年まで、横浜の歴史の変遷を見届けてきた洋館が、この地区には
   残されているということだね。

ノブ:残念ながらそれは違う。実は関東大震災で震災以前の西洋館はもうないんだよ。案
   内するのは震災以降から昭和初期の西洋館をここへ移築したものが主流だ。それで
   も大正末期から昭和初期の西洋館だから、その外観や内装品を見ると、あの当時の
   日本に住んでいた外国人の暮らしぶりがわかるよ。

ヤス:横浜は幕末のペリー提督の来航が契機で開かれた横浜港が、当時、日本の輸出品の
   70%を占めた生糸を独占的に取り扱ったことで発展したんだよね。

ノブ:その通りだ。世界遺産の富岡製紙場の生糸もここから出ていった。この山手地区に
   はこの貿易を巡って多くの国の居留地が集まっていたから、異国情緒たっぷりな街
   だっただろうな。それも関東大震災による壊滅的ダメージでその役割を神戸に移転
   してしまった。ここに西洋館が誘致されたのもそんな哀愁の背景があるのだろう。

最初の目的地は山手イタリヤ山庭園。歩きながらの会話は幕末・日本のうんちくでした。

ノブ:着いたぞ。ここが「ブラフ18番館」だ。震災直後に建てられたオーストラリア人貿
   易商バウデン氏の邸宅だ。その後、山手教会の所有を得て横浜市に寄贈された。館
   内は震災復興期の外国人住宅の暮らしが再現されているんだ。

ヒデ:内部をじっくり見てきたけど、ベイウインドウ・上げ下げ窓・バルコニーサンルー
   ムなど外国人住宅らしい造りだ。こんな洋館が大正末期に建てられていたんだね。

ノブ:次は「外交官の家」だ。明治43年築。日本人のために建てられた西洋館で、東京渋
   谷にあった明治の外交官・内田氏の邸宅を移築したものだ。重要文化財だよ。いず
   れは嫁に行く娘のために和館が併設されていることが面白い造りだ。

ヤス:色合いのきれいな洋館だね。1階の広い食堂やゆったりとした客間そしてお供の人の
   控室を見ると、ここで外国人の要人を招いて晩餐会を行っていたことがうかがえるね。

次に向かったのは外国人墓地のある元町公園。道の途中には昭和8年築のネオ・ゴシックス
タイルで尖塔のある「カトリック山手教会」、テニスのクラブハウスとして利用されている
西洋館「旧山手68番館」そして「金星太陽面経過観測記念碑」がありました。この碑は明治
7年に、太陽と金星と地球が一直線に並ぶ現象が日本で観測されたため、世界の天文学者が
日本の各地で観測した記念碑です。この観測の成功で太陽と地球の距離が正確に測れたそう
です。ここはメキシコ隊の観測地でした。明治7年のまだ混とんとした時代に、グローバル
な人材が集い観測されたことは驚きです。さすが紀元前から行われていた天文学です。

ノブ:ここが現存する戦前の西洋館としては最大規模の建物「ベーリック・ホール」だ。昭
   和5年築で、イギリス人貿易商ベーリック氏の邸宅だ。ここも宗教法人の所有を経て
   横浜市に寄贈されている。スパニッシュスタイルを基調とし、玄関の3連アーチや小
   窓・煙突など多彩な装飾が施されている。

ヒデ:大きくて重厚だね。内部も広いリビングルーム・装飾されたダイニングルーム・白と
   黒のタイル床など建築学的にも価値ある建物なんだろうね。

ノブ:次は「エリスマン邸」だ。ここは震災直後の築造で、スイス人貿易商エリスマン氏の
   邸宅だ。マンション建設で解体されたが市民の声でここに移築された。ここのカフェ
   は生プリンが有名だよ。

ヤス:暖炉のある応接室、庭を眺めるサンルームがよかった。それに生プリンは美味い。

3人は道の途中にある、人気の洋館カフェ「えの木てい」、外国人用のアパートメントハウ
ス「山手234番館」、木製西洋館の「山手資料館」、そしてペリー艦隊の水兵の事故死の埋
葬地が始まりである「横浜外国人墓地」などを一つ一つ巡りながら、「港の見える丘公園」
に向かいました。

ノブ:ここが英国の威厳を感じる「横浜イギリス館」だ。昭和12年築。建材は上海から取
   り寄せられ、英国総領事館公邸として建てられた。昭和44年に横浜市が取得してい
   る。市の指定文化財だ。震災後の建築なので重厚でどっしりとした造りと、旧英国総
   領事公邸であった由緒が残されているのが特徴だ。

ヒデ:明るく開放的な設計と高い天井や重厚なドア、美しい寄せ木の床面など、確かに英王
   室の威厳を感じ取ることができるね。

ノブ:最後の7番目の西洋館になるけど、ここがローズガーデンを見下ろせる「山手111番
   館」だ。大正15年築のアメリカ人ラフィン氏の邸宅だ。とても個性的なので驚くよ。
   家具なども昭和初期の洋館を体験できるよう配置している。

ヤス;なるほど、シャンデリアが輝く吹き抜けのホールとそれを囲む回廊にはテンションが
   上がったよ。とても個人の家だったなんて思えないほど贅沢で開放的な造りだね。

ノブ:回廊を支える柱がないことで広々としたホールになっている。それに傾斜地にあるの
   で表からは2階建てだけど、裏から見ると3階建てに見えるんだ。

3人は西洋館めぐりを終えると、大佛次郎記念館、ローズガーデンを見学して、横浜ベイブ
リッジを望む絶好のビューポイント「港の見える丘公園」にやってきました。

ノブ:7館の横浜・西洋館めぐりはここまでだ。西洋館めぐりと言えば神戸の商館が有名だ
   けど、見学はどこも有料だよね。ここは建物が横浜市の所有であること、気付いたと
   思うけど、各館内にはカフェを併設していることで維持費を確保しているから無料な
   んだよ。

ヒデ:各館ともに管理が行き届き、街もきれいで歩いていて楽しかったよ。市の税金とカフ
   ェの売り上げで維持されているんだね。俺が生プリンを食べたのも貢献しているんだ。

ヤス:西洋館以外にも史跡や名所が充実しているコースだったね。NHKの「西郷どん」で取
   り上げられる薩英戦争の引き金となった「生麦事件」のイギリス人犠牲者も、この横
   浜・外国人墓地に眠っているとは知らなかったな。

ヒデ:もう一つ、金星太陽面経過観測が行われたことも知らなかった。明治維新がもう少し
   後だったら、日本での太陽距離観測はなかったのだろうね。

3人は西洋館を後にして、関東大震災のがれきの埋め立てでできた「山下公園」に向かいま
した。
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