まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

残暑にあらず

2023年08月19日 | 日記

もうお盆も過ぎたのに・・・
暦の上では立秋さえ過ぎたたというのに・・・
このクソ暑さはいったいなんだと腹立たしくなってくる。
関東でも十日以上「猛暑日」が続いていて
モクモクと湧きあがる入道雲と容赦のない陽射しに
ゲンナリするのは私だけだろうか。

帰り道、石塀の上にとまる赤トンボを見かけた。
お、いよいよ秋の使者の登場かと嬉しく
そっと足音を忍ばせて近づいても一向に飛び立つ気配いがない。
ん?お前ケガでもしているのかと不思議に思いつつ
よく見ると肩で息をしているような青息吐息(笑)の風情で
明らかに『夏バテ』の症状で気の毒であった。

   ナツアカネ ぴくとも動けず 残暑かな (杉作)

と一句しゃれてはみたが
いやあ、これは残暑じゃないなと思い直した。
残暑と言えば「夏の名残りの暑さ」というイメージがあるが
名残りどころかこう連日の『猛暑日』とあっては
風情もクソも吹き飛んでしまうような容赦ない酷暑である。
地球はもう残暑を愉しむ余裕もないのか・・・

 


ふたたびの無言館

2023年08月14日 | 日記

78年目の終戦記念日である。
日々に追われてそんなこともすっかり忘れていたが
深夜にトイレ起きるとつけっぱなしのテレビで
懐かしい美術館の映像が流れていた。
このブログで何度も紹介したからご存じかも知れないが
その名も「無言館」という小さな美術館だ。

信州は上田市の郊外
塩田平の高台に建つ私設の美術館だ。
この地で信濃デッサン館を主宰する作家の窪島誠一郎氏が
戦没画学生たちのために建てた慰霊美術館である。
展示してある絵は戦死した画学生たちの遺作ばかりを集めた
もの言わぬ美術館、すなわち無言館である。

真夏でもひんやりとした空気が漂う館内。
その静寂の中、モノ言わぬ「遺作」たちが私たちを迎えてくれる。
東京芸術大学を中心とした若き画学生たちの作品の数々。
享年27歳、享年23歳、享年29歳・・・
最年長でも30歳になったばかりで、年齢を見ているだけで胸がつまる。
私が戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」を読んだのは
確か高校生になった夏休みだったろうか。
その痛ましい手記のリアルに大きなショッックを受け
大いに感銘もした私だったが
手記ではなく一枚の絵を残した学生も多かったのである。

数多い自画像に混じって、女性を描いた作品が目立つ。
母親、姉や妹、恋人、そして妻・・・
誰もが万感の思いで「愛する人たち」を絵筆に描きとめた。
学生だけにまだ未熟な作品も多いのだが
そうした芸術的な価値観とは全く別次元の「真情」があふれている。
私は何度も絵の前で涙があふれそうになった。

美術館の中庭には「記憶のパレット」と名づけられた
大理石造りのモニュメントがある。
戦没画学生の名前とともに授業風景の写真が刷り込まれている。
見るところデッサンの授業だろうか。
学生たちはそれぞれイーゼルを立て創作に励んでいる。
実に平和で満ち足りた時間が流れている。
何よりも絵が好きで
絵で身を立てることを夢見る若者も多かった筈なのに・・・
つくづく戦争とは残酷で無慈悲なものだと思う。
私はこの美術館の静寂とモノ言わぬ絵たちの想念に惹かれ
もう三度も塩田平の地を訪れている。

館長の窪島誠一郎氏の言葉が印象的だ。
戦後78年が経ったいまも
戦争の「憎しみ」は消えていないような気がする。
戦争は依然として地上の現実であるし
新たな戦争がまた新たな「憎しみ」を増幅させている。

加害者や被害者という怨念をこえて
あらためて「一枚の絵を守る」意味を考えたいと思う。

 


夏空に見とれる

2023年08月13日 | 日記

台風一過という言葉があるが
台風はまだ来てないのに窓の外に広がる空があまりに雄大で
思わずスマホでパシャリと撮ってしまった。
これぞ『夏空』といった感じで照りつける太陽が眩しく
周囲に蝉の声が激しく響き渡る。
最近めったに見たことのない夏の空である。

始めて訪れた川越市立美術館。
日本のグラフィックデザインの草分けとして名高い
杉浦非水の回顧展にやってきた。
三越百貨店のポスターで一世を風靡した非水だけに
そのポスター描きとしての技量の先進性と構図の大胆さには
ただただ感心するばかりで大満足の展覧会だった。
それ以上見とれたのはこの夏空の雄大さで
ガラス越しに何度も空を見上げては夏をかみしめていた。
台風の進路は気になるとところだが
台風一過となれば秋の気配が急速に深まるに違いない。
川越は昔から「小江戸」と呼ばれる文化豊かな土地柄だが
なかなか味わい深い街であった。


ああ、上高地

2023年08月11日 | 日記

今日は『山の日』だそうである。
カレンダーをめくっていて初めて気がついたほど
山には関心がないし縁もない。
ただ、そんな山に関してはズブの素人の私にも
深く胸に刻み込まれた山の思い出というものはやはりあって・・・

その代表が「上高地」なのかも知れない。
あまりにも有名な定番観光地なので口にするのも気恥ずかしいが
訪れたのはもう二十年近くも前のことかも知れない。
手前を流れる梓川と河童橋。
彼方に広がるのは奥穂高連峰や槍ヶ岳の雄大なパノラマ。
ようやく少年らしくなった息子を連れ
梓川沿いを焼岳や大正池、明神池などをめぐり
その夜は麓の乗鞍温泉に泊まった。
夏休みの終わりだったが夜ともなるとシンシンと冷え込み
温泉で身も心も温まったものだ。
寝床に入っても昼間見たナナカマドの赤やダケカンバの黄色が
いつまでも瞼に焼きついて離れず眠れなかった。
今にして思えば息子と初めて旅をした高揚感もあったかも知れない。
健やかに育ってくれ、逞しく育ってくれ。
父親として切なる願いを込めて見た上高地の紅葉が
あの燃えるような赤が今も忘れられない。

以来、もう一度を上高地に行ってみたい。
と思いつつも果たせないでいる。

  上高地 行きたしと想えども 秋遠し 〈杉作〉

灼熱地獄でそろそろ夏バテである。

 


カンナ燃ゆ

2023年08月05日 | 日記

たどり着いた岬の突端には
オレンジ色のカンナの花があざやかに燃えていました。
眼下に広かる海は波穏やかな相模湾。
神奈川県真鶴町は私が大好きな画家・中川一政が晩年を過ごした街。
大地からむくむくと湧きあがるようなカンナの力強さは
画家の豪胆な筆致そのものを見るようです。

私の大のお気に入りの海です。
学校に上がったばかりの息子を連れてよく海水浴に来た海です。
浅瀬で無心に素潜りを繰り返す息子を眺めながら
用意の缶ビールをグビリとやるのが何よりの愉しみでした。
水遊びを終えた後は家族で真鶴町立美術館へ。
中川画伯の融通無碍、広大無辺の絵画世界に酔い知れたものです。
こんな力強い風景画があるのか、想像を絶する心象風景ではないのか。
一つ一つの作品にただただ圧倒されました。
いまも道端に燃えるカンナの花を見るたびに
当時の感動を思いだします。