街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

朝鮮人街道(野洲~安土)

2017年01月20日 22時32分12秒 | 街道を歩く
安土城を経由する中山道のバイパスとして織田信長が整備した朝鮮人街道を野洲から安土まで歩きました。
街道名は、江戸時代に朝鮮通信使がこのルートを使ったことに由来します。

JR野洲駅よりスタート地点に向かいます。



浄土宗の唯心寺がある交差点よりスタート。ここから少しの間、中山道と同じルートを歩きます。



中山道と朝鮮人街道の分岐点にある行事神社の勧請縄。
勧請縄とは、悪霊が村に入ってこないようにするための結界です。毎年1月に氏子によって付け替えられます。



行事神社の隣にある背くらべ地蔵。



中山道と朝鮮人街道の分かれ道。左に進みます。この辺りは「行合」という地名ですが、2つの街道が行き合う地だからだそうです。



「野洲駅前」交差点にて、「真宗木辺派 本山錦織寺(きんしょくじ)一り」とある道標。この地点のほぼ真北にあります。
錦織寺は、『入唐求法巡礼行記』で知られる円仁が858年に創建した毘沙門堂が始まりです。



久野部跨線橋よりJR野洲駅付近を臨む。



野洲市と近江八幡市の境界である日野川に架かる仁保(にほ)橋を渡る。欄干に朝鮮通信使行列絵図が展示されています。



橋を渡り、近江八幡市十王町に入ります。



県道2号線に合流する地点にある加茂町の標示。



街道から少し外れますが、土田町にある諏訪神社。



この願成就寺(がんじょうじゅじ)がある角で街道は北から東に向きを変え、しばらく「京街道筋」を進みます。
京街道筋沿いは「京街道門前通り」として地域活性化に取り組んでいて、寺の御利益についての幟が立っていました。



江戸日本橋に店を開き、江戸前期には既に豪商として知られた伴(ばん)家の土蔵等跡地に造成された「あきんどの里公園」。
伴家11代目が東京へ移住し、当家の土地建物は近江八幡市に寄贈されました。



近江八幡市立郷土資料館(西村太郎右衛門宅址)の角にある道標。
西村太郎右衛門(1603頃~1651)は貿易事業のため安南(ベトナム)で25年を過ごし、長崎へ帰りますが鎖国後のため上陸が許されず、安南で没しました。
故郷への思いを託して絵師に描かせた絵馬(安南渡海船額)は国の重要文化財に指定されています。



左手に、市指定文化財旧伴家住宅(あきんどの里公園の隣)。右手は郷土資料館。
旧市街であるこの通りの辺りは碁盤の目状の街並みが残り、文化財も集中しています。



旧八幡郵便局。



ボーダレス・アートギャラリーNO-MA。下総(茨城県)結城に店を出し、醸造業を営んだ野間家の分家の町家を活用したものです。



三叉路に立つ「左朝鮮人街道 右八風街道いせ八日市ひの」と書かれた木の道標。
八風街道はここが起点で、武佐、八日市などを経て桑名へ出る街道です。左へ進みます。



JR琵琶湖線を臨む。



JR安土駅前の交差点。今日はここまでとしました。



駅前にある安土城郭資料館を見学しました。内部を見ることのできる20分の1スケールの安土城があります。





橋上化工事中の安土駅より帰宅。

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