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Kantele-Suomiho-Fuga

フィンランドと音楽(カンテレ、音楽療法)をキーワードに!

世界報道写真展

2011-06-26 22:33:48 | つれづれ・・・

新聞で紹介されていた写真が気になり、<世界報道写真展>にでかけた。

その写真は、鼻を削ぎ落とされた女性の写真。夫の暴力に耐えかねて嫁ぎ先から実家に逃げ戻った女性は、逃亡の罪でタリバーンの指揮官に刑を宣告され、夫によって耳と鼻を削ぎ落とされた。目にはきりりとした鋭さがあり、何かをしっかり見据えている。18歳とあるが、凛とした美しさを感じた。「世界報道写真大賞2010」を受賞している。

この女性はその後、保護され、カブールの女性保護施設に一時匿われた後、アメリカに渡ってカウンセリングと再生手術を受けたとある。これからどんな人生を歩むのだろうか。

報道写真ゆえ、闘いや目を背けたくなる写真も数多い。怒りと悲しみがずんずん伝わってくる。その中に見つけた数枚の祈り、喜びと楽しみの写真にホッとする。自然を感じる1枚の大きな写真はオオハクチョウの子育ての様子、そこはフィンランドだった。ちょうど殺人現場のあとに見たので、見慣れた風景に暫く佇んだ。

会場の特別コーナーでは震災の写真を流している。TVの小さな画面でしか知らなかった世界は、写真になるとその様子がもっと伝わってくる。残酷なまでに心に入り込んでくる気がした。人々の表情やどこまでも続くガレキ、そして津波でなくなった町や地域・・・。見逃してはいけない、自身に刻まなければいけない。TVは動画、写真は静止画。写真を見ながら、一瞬にしてとまってしまった時間や気持ちを感じた。本当はこんなだった・・・が率直な感想。

1枚の写真が伝える力はすごい。それは記録でもあるが、そこにとどまっていない不思議な力がある。その1枚に主張や思想も感じるから。カメラを持ち歩いて、勝手気ままに写真を撮っている私には、多いに刺激になる展覧会だった。もう一度時間を見つけて行きたい!

<世界報道写真展2011>

2011年6月11日 ( 土 ) ~ 8月7日 ( 日 ) 、東京都写真美術館(恵比寿ガーデンプレイス)

 

私の愛用のカメラはこれ!


かたづけものがすすまない

2011-05-19 22:46:31 | つれづれ・・・

3月11日から早2か月が過ぎた。被災地の人々は、生活は、復興はどうなっているのかしらと案じる日々。

あの日の揺れは、8階の我が家でも大きな被害があった。 リビングとキッチンの食器棚から多くの食器が落ちて割れたが、それはその日のうちに何とか片づけた。残るは本棚やCDラックから落ちたものたち。これがすすまない。どちらもジャンル別に仕分けして並べていたので、またイチからやり直す作業は考えただけでも気が遠くなる。とりあえず本棚やCDラックに突っ込んだ状態で、必要なものはそれだけ探し出すことに。全体のかたづけは「そのうち」、いつのことやら・・・。


う~ん、だめ!

2011-05-14 08:11:48 | つれづれ・・・

仕事場のデスクにも、自宅のPC前にも、そしてもちろん頭の中にもやることが山積み。やることより「やらねばならないこと」がたくさん。でも気がのらない・・・。

こんなときは歩く、何も考えずにひたすら歩く。ふと目にとまった光景に癒される、刺激を受ける。そして活力をとりもどして、元気いっぱい。

さぁて、頑張ろ!


まだまだ真っ暗

2011-04-22 20:25:44 | つれづれ・・・

 どこもかしこも真っ暗な都心。いわゆる「自粛」ムードが続く。

でもちょっと淋しい。被災地を憶えながら、元気を出そう、東京! 東北のお酒を飲んで、東北や北関東の野菜や魚介類を食べて、支えよう。私の周りはそんな人ばかり。街も明るさをとりもどして、被災地のために頑張ろう~。


カメラの日々

2011-04-21 23:26:46 | つれづれ・・・

いつもバッグの中に入っているのは小さなデジカメ、これは5代目。Nikon、SONYなどいろいろ使ってきたが、「メーカーに拘らないなら」と勧められた FUJIFILMのFinePix。手のひらサイズだがよく撮れる。毎日活用し、仕事、食べたものなどいわゆる記録用に使っている。

 

コンパクトデジカメでは満足できず、もう少し大きいのがほしいと4年前に買ったカメラ。使いやすさで勧められた FUJIFILM FinePixシリーズ(これがよかったので小さなデジカメも同じシリーズにしたほど)。ズームも18倍、一眼レフを買うまでは本当にお世話になったカメラ。このカメラで修行し、すっかりカメラ好きになった愛用品。

 

日ごろ持ち歩いている大き目は、Nikon・D60。一眼レフの初心者には使いやすいとすすめられ、3年前に購入した。望遠レンズもセットにして、投資した宝物。

 

 

最近、手元のカメラがふえた。一応「預かり物」だが、「機能するのかを確かめて」と依頼され、そのまま手に馴染んで使っている。

OLYMPAS

  

Nikon・D90

 

望遠レンズは私のを使い回ししているが、失敗なく本当によく撮れる。ちょっと重いけど、頑張って持ってでかける。桜と沖縄はこのカメラが大活躍した。

その日の予定にあわせてカメラも忘れずに持つ生活。お天気のいい日や帰り道に時間がありそうな日は大きめカメラ、忙しくて写真どころではない日は小さいデジカメ。これから新緑の季節、ますますカメラの日々。


東京の2本

2011-03-26 21:25:49 | つれづれ・・・

地震でマンションのエレベータがとまり、外階段を使用した2日間。今まで気づかなかった景色に目をとめる。東南西はいつもベランダから眺めている風景だが、階段のある北側はあまりなじみがなかった。

ず~っと向こうに見える2本、東京タワーとスカイツリー。我が家のお玄関を出たところから見える。知らなかったぁ~。なるほどスカイツリーの方が高い。現在600メートルをこえ、世界一の塔になっている。

東京のシンボルが両方みえることが嬉しくて、それから毎日、お玄関前で立ち止まって眺めている。


何ができるのかと思案する

2011-03-23 07:19:39 | つれづれ・・・

カンテレクラスで集めている義援金 <プオルッカ・カンテレ募金>。生徒さんの思いは大きく、クラス日の関係でまだ数人のお申し出だが、それぞれがどのくらいたくさん出してくださったのだろうと驚くほどの金額が集まっている。感謝!

ボランティアや物資の支援は受け付けていないというが、現地の被災者の声は具体的に「食料が足りない。水が足りない。毛布が、下着が、洋服が、おむつが、薬が・・・」と物資救援を訴える声が多い。また倒壊した家屋や町の片づけに人手が、心のケアに話し相手が、避難所のお掃除や声かけに人が・・・とボランティア要請の声も聞こえてくる。

今、私たちに何ができるのか。「時間はある」という友人は、東京から車に積める限りのものを積んで被災地に行きたいという。「時間はないけど気持ちはたっぷり」という友人は私たちの募金に協力してくれた。音楽療法士の私は、音楽をもって心のケアに行きたい。コンサートではなく、町の片隅で、避難所の端っこで静かに音楽を奏でたい。一緒に歌いたいと思う。

海外では、日本人魂を絶賛していると聞く。このような状況は、海外では略奪や暴動、襲撃が起こっていて当然とか。でも我が日本は、助け合うという<和の精神>がある。自分のことより助けを必要としている人や困っている人を第一に考えるステキな心の持ち主の日本人。そして地震直後に買い占めと、反対に自粛ムードがあった関東や西日本では、過剰自粛に待ったの声が上がっている。

新聞記事から。「東日本大震災を受けて自粛ムードが広がる中、被災地の被害が拡大、長期化するにつれ、西日本の首長や識者、阪神大震災の被害者らからは『むしろ今こそ、西日本がこれまで以上に元気を出していくべきだ』という声が出始めた。過度の萎縮を排除し、西から東を、そして日本全体を元気づけることはできないか。そんな模索が始まった」

そんな日本だからきっと元気になる! 私はできることを探したい。ひとりひとりの思いの小さなことが、その積み重ねが、元気の素の日本。


みんなの祈り

2011-03-18 23:13:12 | つれづれ・・・

友人から、「試練の時ですが希望を持って乗り越えたいです。どうぞお気をつけてお過ごしください」とメールが届いた。カトリック信者のA子さん、そのご友人から届いた<みんなの祈り>をメールでみんなに広げている。私もブログ読者の皆さんにお届けする。

全能永遠の神よ、今、日本は大きな災害の危機に瀕しています。
今こそ、私たちにあわれみの目を注いでください。
私たちに信頼・平安・勇気をお与えください。
特に被災された方々をお守りください。
亡くなった方々の魂を天国へと受け入れてください。さらに原発の損傷から来る被害が拡大していますが、これが最小限に収まるように特別の恵みをお与えください。
復旧活動に直接たずさわっている方々に特に危機を乗り越えて職務を全うする力と恵みをお与えください。
私たちは罪深い者ですが、私たちの罪を悔い改めつつ、あなたの限りない愛に信頼します。
主よ、ひれ伏してお願いします。アーメン
地震から1週間。この祈りに心合わせたい。

地震の瞬間

2011-03-11 23:32:19 | つれづれ・・・

認知症グループホームで音楽療法。「最後にもう1曲」のところでグラグラ~、「あら揺れてる。地震?」と言ってからが長い。横揺れがしばらく続く。「大丈夫、皆一緒だから。ここは安心なのよ」と職員が励ます。でも長い、大丈夫かしら・・・と思っていたら、100歳になるAさんが「オレは浅草だけど、関東大震災にくらべたら、こんなの『へのかっぱ』」。

おさまったところでおやつタイム。その間にも何度も大きく揺れる、「こわい」と泣き出す人もいる。TVをつける。この辺りは震度5。津波情報が繰り返し流れるが、ニュースでは続々と地震や津波の様子が流れている。「もしかしたら大変な状況?」と思われる映像が放映され、TVから目が離せない。「先生、車が流れてるよ」「石油コンビナートが燃えてる」「これが津波なの?」・・・

母体の医療法人から状況確認の電話、その後すぐに訪問看護ステーションのナースが見回りに訪れ、安全を確認。私のケータイに<職員安否確認メール>が入る。リハビリテーション科で今日外に出ているのは私だけ、「グループホームにいます。全員無事です」と返信。職員も私も家族や友人が気になりケータイ片手にトライするが、なかなか繋がらない。交通機関がストップし、夜勤者が来られない。もちろん私も帰れない。そんな午後を過ごした。

自宅まで車で送ってもらうことになり、夕方遅く出たが、停電で信号がついていない。車しか手段がないので渋滞。気がついたらすっかり夜になっていたが、停電で道も危ない。灯りの消えた商店街は、まるでホラー映画の世界で身震いするほど。車の帰り道を思うと歩くほうが安全な気がしてきたので、途中で車を降りた。「そういえば我が家はどうなっているのか」と初めて気になった。

目指す方向の何棟もある60階タワーマンション群は真っ暗。停電? 家が近づくにつれ明るくなってきた。その先のマンションは明るい、よかった、停電ではない。でも震度5は食器が散乱しているに違いない。エレベータは停止しているので、8階まで階段であがる。途中ご老人と一緒になったので、「大丈夫ですか?」と声かけしたら、「13階まで行くので休み休みゆっくり行きます。ご心配なく」とのことだった。

家に入って唖然! 「やっぱり~」、キッチンもリビングも食器が割れている。普段使いのキッチン食器より、リビングにおいているフィンランド製品の方が多く割れていた、ショック。気を取り直して、軍手3枚重ね+ソックス2枚重ねで片付け作業。ころころ形のあるものがやられていて、ソーサは6枚残ったのにカップは2個だけ、グラスや深皿、煮物を入れる深めの鉢類全滅。そのひとつひとつに思いがあるが、いただいたものはほとんど無事。またフィンランドで買う楽しみがある、と思いながら片づけ作業をすすめる。でもヘルシンキのアンティークショップで買った古い Arabia製品  はめちゃくちゃで悲しかった。CDや本も床に散乱、これはもう明日。

中高の友人から「皆、大丈夫?」と、またフィンランド族のカンテレ仲間から「無事ですか?」とそれぞれ一斉メール。こんなときにありがたい。「全員に返信」して安否確認。身内は、何かのときの情報集結先の妹に連絡、夫は会社のある神保町から3時間歩いて帰宅、息子は「まだ会社」。

とりあえず、無事で~す。そういえばお昼のお弁当以降何も食べていなかった。軽く何か食べて寝ようかしら、明日も仕事だから。


赤いストールの物語

2011-03-07 23:12:52 | つれづれ・・・

さっきまで手に持っていた赤いストールがない! どこで落としたのかしら? と電車に乗るときに気がついた。仕事場から駅まで車で送ってもらったので、きっと車の中に忘れたのね・・・と、先に歩みをすすめた。

そして翌朝いちばんで、「昨日ストール忘れたみたい」とA運転手さんに聞いたら、「えっ、なかったよ」とあっさり。えぇぇぇぇ~~~っ、どこに落としたのか、どうしよう・・・。 外はどしゃ降り雨、もしかしたらこの雨の中、どこかでびしょ濡れになっているかもしれない、と思い始めたら、大好きなカシミヤの赤いストールがとても愛しく、恋しくなってきた。

B運転手さんが「そっち方面にいくから見てきてあげるよ」 そのひと言に望みをかけて仕事に励む。お昼近くに「あったよ」と拾ってきてくれたのは、同じ赤の編みこみマフラー。「ごめんなさい、違うの」。その顔はガックリきていたようで、「かわいそうでみていられなかった」Bさんはもう一度見に行ってくれた。1時間後、「先生、ハナマルだよ」と、ビニール袋に入ったストールが届いた。「ありがとう!」

赤いストールはゴミ容器の後ろ側に落ちていたそう。丁寧にたたんであったので、きっと拾った人が蓋の上に置いてくれたけど風で飛ばされたらしい。そこは道路からは見えないので、Bさんはあの雨の中を探してくれた。感謝、感謝。その日は何度も何度もお礼を言った。「先生、本当に好きなストールなんだね」

編みこみのマフラーは家でお洗濯し、きれいに透明の袋に入れる。翌朝、Bさんが拾った場所に戻してくれた、飛ばないようにとしっかりフェンスに縛りつけて。そしてその翌日にはなくなっていたので、きっと持ち主に戻ったと信じたい。


老老介護

2011-02-18 23:11:59 | つれづれ・・・

ホテルのレストランでみかけた光景、高齢者に携わる仕事をしている私には、おおいに気になる場面だった。

老年、お二人とも和服をお召しになっているご夫婦のテーブル、「奥様がかいがいしくお世話をなさるステキなご夫婦」のほほえましい印象のカップル。後ろ姿のご主人の顔は見えない。しばらくして気がついた。美味しそうな食事なのに会話がない、ご主人の姿勢がだんだん傾いている、奥様が時々食べさせている、そういえば施設で使用している介護エプロンをしている・・・。「あら、もしかしたら介護?」  

食事が終わると、奥様は食べこぼしを丁寧に片づけていた。そして折りたたみの簡易車椅子が広げられたので、お手伝いした方がいいかしらと友人と話していたら、ホテルの人が気づきとんで行った。「大丈夫です。なれていますから」と奥様。そんなに大柄なご主人ではないけれど、やっぱり二人がかりで車椅子へトランス(移乗)。

年齢は70代後半、「大丈夫、なれていますから」とおっしゃった奥様だって頑丈には見えない体型。毎日の生活は、もちろんヘルパーさんや援助してくれる人はいると思うけれど、きっときびしい介護の生活に違いない。いわゆる<老老介護>、わずか20分の光景だったけれど、考えさせられるときだった。


ここは一応、書斎。

2011-02-12 23:40:36 | つれづれ・・・

デスクトップPCがある部屋は、4畳半。東側は窓、我が家も負ける50階以上の高層タワーマンション群が隣にニョキニョキある位置。他の(ドアを除いた)ほぼ3面は天井までの本棚、それも1段に本や楽譜が無造作に3列以上に置いてある。いちおう本棚だが、PC前の上段は小型カンテレがざっと10台、その反対側はワインが20本以上。床には中型&大型カンテレたち・・・、家の中でいちばん物が多い部屋でもある。

ざ~っと見回す。ノートパソコンが3台。天井近くにシュラフ(寝袋)があるし、あ~っ、目の前の本棚の下部には探していた本があった。PCテーブルは前住まいで使っていたフィンランド製の大きなダイニングテーブル、実はこの下にもお引越しダンボール(本と楽譜と息子の幼少時代の宝物)がそのまま20個以上入っている。先日も「こんな本があった。こんな楽譜があった」で大騒ぎしたが、掘り出し物が見つかる楽しいお部屋でもある。 

ここは一応<書斎>、別名はPCルーム、書庫、楽譜部屋、ピアノ以外の楽器部屋、でもこのゴチャゴチャ感は納戸? ここで過ごす時間が長いのは私。音楽療法の記録や論文を書いたり、カンテレ曲の作曲や編曲するのもここ、お風呂で思考したことを形にするのもここ。今年のテーマ<片づける=処分する>はまずはここから! とわかっているけど、大事なものがつまっていすぎるここ。悩みながら、遅々として進まない目標は、広さ(狭さ)以上に収納している「もの」や「こと」がはるかに多いから・・・。

もしかしたらいちばんピッタリのネーミングは<書斎>より、<私の頭脳部屋>かも!