昨日の朝日新聞夕刊<ニッポン人脈記 ピアノがみた夢>連載のタイトル。ピアニスト・遠山慶子さんとノーベル物理学賞・小柴昌俊さん、数学者・秋山仁さんが紹介されていた。
「中世ヨーロッパで音楽は天体の模倣とされ、音楽学は数学の一分野だった」とある。数学と物理が嫌いだから音楽に進んだと理系嫌いを自慢している私は、この文章を読んで衝撃を受けた。秋山氏は「自らの感性で究極の美をさがす。そういう意味で音楽家とぼくらの仕事の本質は同じ」と述べる。私は理系人間のキレのよさに感心し、とても自分の分野ではないとうっとり敬服しているし、音楽も含めて芸術は感性優先の分野と実感している。まるで正反対のような世界だが、実はとても似通った要素を持ち合わせていることになる。でも数学が究極の美? 美って? そこに行き着くズーッと手前でとっくに挫折、美も何も、ただひたすらに苦痛の世界だった。
私自身が明確なのは、音楽のほうが<作り出す面白さ>があるということが、数学との違いということかしら。
「中世ヨーロッパで音楽は天体の模倣とされ、音楽学は数学の一分野だった」とある。数学と物理が嫌いだから音楽に進んだと理系嫌いを自慢している私は、この文章を読んで衝撃を受けた。秋山氏は「自らの感性で究極の美をさがす。そういう意味で音楽家とぼくらの仕事の本質は同じ」と述べる。私は理系人間のキレのよさに感心し、とても自分の分野ではないとうっとり敬服しているし、音楽も含めて芸術は感性優先の分野と実感している。まるで正反対のような世界だが、実はとても似通った要素を持ち合わせていることになる。でも数学が究極の美? 美って? そこに行き着くズーッと手前でとっくに挫折、美も何も、ただひたすらに苦痛の世界だった。
私自身が明確なのは、音楽のほうが<作り出す面白さ>があるということが、数学との違いということかしら。