「真臘風土記」の走獣(獣類)の項に牛の記述があります。
-牛は甚だ多いが、生きている[時に]決して乗らないし、死んでも[その肉を]決して食わず、またその皮を決して剥ぐこともせず、それが腐爛するにまかせるだけである。それが人間のために労力を提供するからである。ただ牛を車につけて[ひかせる]のみである。-
訳者注解によれば、牛を特別に扱うのはヒンドゥー教影響か、と書かれていますが、今でも牛が甚だ多いことに変わりはないようです。
また、山川(自然の地勢)の項には、-半港(半分の舟路)に至って、始めて広々とした田があるのを見る。全く低い気もなく、広く見渡せば、芃芃(草木の美しく茂るさま)として禾黍(稲ときび、すなわち穀物)のみである。野牛が千頭も百頭も群れをなして、この地に聚まる。-と記されています。
17世紀にオランダ人が残した航海日誌とも変わらぬ風景かと思います。河口から今のベトナム領内のメコン河沿いに人が住むようになるのは17世紀後半以降のことと思われます。この「野牛」が先の牛と同じ種類の牛なのか水牛なのかは不明です。水牛はこの地でも見掛けますが、数は少なく、個人的な印象ではベトナム中北部の方が多かったように感じます。
メコン河の後背湿地を満たしていた水も引き始め、国道に逃れていた牛たちも下に降りて再び草を食むようになっていました。
カンダール州の牛の数は2003年の統計で水牛を含め15.8万頭で豚の数と同じでした。豚はバイクに積まれて運ばれる姿しか見にしません。風景の中に少なくても実数はまた別ということです。ベトナムでは人口の30%ほどの養豚数ですから、ベトナムの豚の多さが異常に思えます。もっとも子豚の内に食べてしまうことが多いので重量ベースでは分かりません。
ベトナムでは農業機械の普及に連れて労力としての牛・水牛の数は90年代から減少し続けていたと記憶します。カンボジアでも今はクボタの農耕機械の看板が目立ちます。果たして日本の農業機械はカンボジアの農村風景を一変させてしまうことになるのでしょうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます