「間違えて他所の教室の席に座ってしまった」という意味を表す場合、べトナム語でもそのままで「NGOI NHAM LOP」と表現されるそうです。中学生の頃はも休み時間に「教室を間違えた」かのように他人のクラスにやたら顔を出す奴もいましたが、大抵は女の子目当てか、漢字書き取りテストの範囲を聞きに来るとかの目的だったように覚えています。
ここ数日のベトナムの新聞で取り上げられている「NGOI NHAM LOP」は括弧で括られ、「学力に相応しくない学年に在籍している」とのニュアンスで語られています。「バクリュウ省:500名が NGOI NHAM LOP」「コンツム省:NGOI NHAM LOP 克服のために200億ドン必要」「バッカン省:2人の中学一年生読み書きもできず」「クァンナム省:NGOI NHAM LOP の補習授業中止」。
学力の低さを皮肉を込めて「教室を間違える」と表現されたりすると、わが劣等生根性が敏感に反応して喧嘩腰になってしまいます。ところが、誰に喧嘩を売れば良いのかがわかりません。これが日本だったら、総理をはじめ閣僚の皆様こそお席を間違えているのでは・・・とでも言えそうな状況のようですが、ここはベトナム。
クァンナム省での補習授業中止は、村の人民委員会が約束した昼食費を支払わなかったから、という内容です。クァンナム省、バクチャミー県、チャータン村のリトゥチョン中学校でのことです。1年生2年生計17名が読み書きができないため、昨年12月18日から午後に補習教室を開いていました。この補習教室に開設にあたっては、村の人民委員会が子供たちが学校で昼食をとり、午後の授業に参加できるように一人につき1500ドン(11.5円)の援助を約束しました。ところが、未だにこの約束が果たされず、そのため教師たちが自分の食事を分け与えていました。一ヶ月以上そのような状況のまま経過し、校長先生がついに1月28日中止の発表をするに至ったとのことです。
1500ドンで何が食えるのかと驚くべき金額ですが、それすらも支出しない(できない?)、更に「だから中止する」というのにも納得できないものがあります。ここでは義務教育という言葉を聞いたことがありません。「義務教育」というのも子供の頃を振り返れば個人的には嫌いな言葉ですが、親と社会と教師に対しては、その責任が追及されるべきものだと思います。ビンディン省では今学期の9月以降2575名の生徒が学校を辞めたとのことです。
これもまた家庭の経済的理由が原因とされ、何でもかんでも「カネが無いから」との理由で片付けられる風潮にはウンザリです。急激な経済成長と共に学費負担も増え退学者も増大するという社会が作り出す「教育」にどれだけの内容があると言えるのでしょうか。社会の成熟度合いというものがそのまま「教育」に反映され、それを推し量れるものであるような気がして来ました。
ここ数日のベトナムの新聞で取り上げられている「NGOI NHAM LOP」は括弧で括られ、「学力に相応しくない学年に在籍している」とのニュアンスで語られています。「バクリュウ省:500名が NGOI NHAM LOP」「コンツム省:NGOI NHAM LOP 克服のために200億ドン必要」「バッカン省:2人の中学一年生読み書きもできず」「クァンナム省:NGOI NHAM LOP の補習授業中止」。
学力の低さを皮肉を込めて「教室を間違える」と表現されたりすると、わが劣等生根性が敏感に反応して喧嘩腰になってしまいます。ところが、誰に喧嘩を売れば良いのかがわかりません。これが日本だったら、総理をはじめ閣僚の皆様こそお席を間違えているのでは・・・とでも言えそうな状況のようですが、ここはベトナム。
クァンナム省での補習授業中止は、村の人民委員会が約束した昼食費を支払わなかったから、という内容です。クァンナム省、バクチャミー県、チャータン村のリトゥチョン中学校でのことです。1年生2年生計17名が読み書きができないため、昨年12月18日から午後に補習教室を開いていました。この補習教室に開設にあたっては、村の人民委員会が子供たちが学校で昼食をとり、午後の授業に参加できるように一人につき1500ドン(11.5円)の援助を約束しました。ところが、未だにこの約束が果たされず、そのため教師たちが自分の食事を分け与えていました。一ヶ月以上そのような状況のまま経過し、校長先生がついに1月28日中止の発表をするに至ったとのことです。
1500ドンで何が食えるのかと驚くべき金額ですが、それすらも支出しない(できない?)、更に「だから中止する」というのにも納得できないものがあります。ここでは義務教育という言葉を聞いたことがありません。「義務教育」というのも子供の頃を振り返れば個人的には嫌いな言葉ですが、親と社会と教師に対しては、その責任が追及されるべきものだと思います。ビンディン省では今学期の9月以降2575名の生徒が学校を辞めたとのことです。
これもまた家庭の経済的理由が原因とされ、何でもかんでも「カネが無いから」との理由で片付けられる風潮にはウンザリです。急激な経済成長と共に学費負担も増え退学者も増大するという社会が作り出す「教育」にどれだけの内容があると言えるのでしょうか。社会の成熟度合いというものがそのまま「教育」に反映され、それを推し量れるものであるような気がして来ました。
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