先週木曜の夜行でサイゴンを発ちニャチャンに2泊して来ました。職場旅行なのではじめから気が乗らないこと甚だしものがありましたが、昨年はシンガポール旅行をサボったので2年続けて不参加というのも少々気が咎めたというわけです。ニャチャンへは一昨年だったかに仕事で出掛けたりもしましたが、遊びで行ったのは10年以上も前の90年代の初めのことです。
その頃と比べると随分と観光開発が進み様変わりしてました。最初に夜行列車に揺られてニャチャンに向かった夜のことは今でも懐かしく思い出します。当時川口の友人の家の近くに難民で日本に定住したベトナム人が経営する居酒屋があり、ベトナムに行くならついでに親戚に手紙を届けてくれと頼まれました。難民がまだ簡単には祖国に帰れず、また手紙も検閲される時代だったのかも知れません。
ベトナム語も知らないし、住所だけ教えて貰って家を訪ねるなんて出来ないと断ったのですが、「大丈夫、駅に着いたらタクシーにこの住所を見せれば行ってくれるから」とのことで引き受けてしまいました。
今もまだ列車は単線のため今回もニャチャンまでは7時過ぎにサイゴンを発ち朝6時頃にニャチャン到着です。今回は冷房の効いた寝台車でしたが、かつての木製のベンチシートに腰掛け窓を開け放って星空を眺めながらの旅のほうが遥かに楽しいものでした。サイゴンからブンタオ近くまでは線路は東に伸びています。進行方向右手が南になり南十字星を眺めながることができました。まだ外国人観光客が多くなかったこともあって、近くに座っていたオバサン達の暇潰しと好奇心の対象とされてしまい、次から次へと繰り出す質問に乗り合わせた受験生の女の子が通訳させられていました。
そしてニャチャン駅に着くとタクシーなど一台もなく、宿をとって夕方また駅に行ってみてもタクシーの姿はありませんでした。その頃のことがまるで嘘のように今のニャチャン駅にはタクシーが溢れています。訪れる観光客の数がどれだけ増えたのかは知りませんが、海岸沿いのホテルの数の多さやリゾート開発は景観を一変させるほどです。
ベトナム戦争中は米軍の休暇保養地でもあったというニャチャン。今は星が4つ5つ付いた高級ホテルもベトナム人観光客の姿が圧倒的です。Vinpearl Landという名の島一つをリゾートとしたホテルで食っては寝ての正月のような、しかし楽しくはない時間を過ごしました。帰りはカムラン空港からサイゴンまでわずか45分のフライト。空港もたぶんカムラン湾の近くのだろうと思います。ベトナム戦争の記憶を持たない若い人々のはしゃぐ姿を見ながら、ふと思いました。戦争当時のこの地のご老人の中にはカムラン湾に停泊したロシアバルチック艦隊の姿を見た人も居たに違いありません。
その頃と比べると随分と観光開発が進み様変わりしてました。最初に夜行列車に揺られてニャチャンに向かった夜のことは今でも懐かしく思い出します。当時川口の友人の家の近くに難民で日本に定住したベトナム人が経営する居酒屋があり、ベトナムに行くならついでに親戚に手紙を届けてくれと頼まれました。難民がまだ簡単には祖国に帰れず、また手紙も検閲される時代だったのかも知れません。
ベトナム語も知らないし、住所だけ教えて貰って家を訪ねるなんて出来ないと断ったのですが、「大丈夫、駅に着いたらタクシーにこの住所を見せれば行ってくれるから」とのことで引き受けてしまいました。
今もまだ列車は単線のため今回もニャチャンまでは7時過ぎにサイゴンを発ち朝6時頃にニャチャン到着です。今回は冷房の効いた寝台車でしたが、かつての木製のベンチシートに腰掛け窓を開け放って星空を眺めながらの旅のほうが遥かに楽しいものでした。サイゴンからブンタオ近くまでは線路は東に伸びています。進行方向右手が南になり南十字星を眺めながることができました。まだ外国人観光客が多くなかったこともあって、近くに座っていたオバサン達の暇潰しと好奇心の対象とされてしまい、次から次へと繰り出す質問に乗り合わせた受験生の女の子が通訳させられていました。
そしてニャチャン駅に着くとタクシーなど一台もなく、宿をとって夕方また駅に行ってみてもタクシーの姿はありませんでした。その頃のことがまるで嘘のように今のニャチャン駅にはタクシーが溢れています。訪れる観光客の数がどれだけ増えたのかは知りませんが、海岸沿いのホテルの数の多さやリゾート開発は景観を一変させるほどです。
ベトナム戦争中は米軍の休暇保養地でもあったというニャチャン。今は星が4つ5つ付いた高級ホテルもベトナム人観光客の姿が圧倒的です。Vinpearl Landという名の島一つをリゾートとしたホテルで食っては寝ての正月のような、しかし楽しくはない時間を過ごしました。帰りはカムラン空港からサイゴンまでわずか45分のフライト。空港もたぶんカムラン湾の近くのだろうと思います。ベトナム戦争の記憶を持たない若い人々のはしゃぐ姿を見ながら、ふと思いました。戦争当時のこの地のご老人の中にはカムラン湾に停泊したロシアバルチック艦隊の姿を見た人も居たに違いありません。