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GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

ハノイの夏

2007-07-08 21:59:37 | 天気
今年のサイゴンは寝苦しい暑さの夜がありませんでした。雨期入りが早めだったこともあり、また住宅環境にも因るからなのでしょう。最悪の夜は昨年六月のバクザンの安ホテルの暑さでした。夕方も氷入りのコーラが冷たく感じないほどでしたが、夜になっても気温が下がりません。室内に取り付けられた中国製の小さなエアコンからは確かに冷気が出ているのに夜中に足が攣って目を覚ますと堪らぬ暑さ。天井の大きな扇風機をブンブン回し続けて身体の周りの熱を飛ばし、どうにか眠りました。

その恐怖が残るだけに、今回の北部行きではせめてホテルだけは少々無理をしてでも快適な部屋に泊まるつもりでした。移動のバスの中の熱気もかなりのものがあります。隣に座った人の体温やバスが止まる度に感じる温度を我慢し続けねばなりません。ベトチーの町で昼食に入った大きなレストラン、風通しが良いので暑さを感じませんでしたが、柱に掛けてあった温度計は33℃を示してました。

ベトチーからタイグエン行きのバスはなく、ハノイ行きのバスを拾って空港近くで降り、店先で小休止。土埃を被ったジュースの瓶が並べてあり、ちょっと飲む気にはなれないのでココナツと茹でトウモロコシを注文しました。ココナツジュースは1個8000ドンもしてサイゴンより高め。砂糖か塩を入れて飲むのだとか。

タイグエンに着いたのは7時を回り、すっかり暗くなっていましたが気温はまったく下がっていません。今回もまたDA HUONG ホテルに泊まりましたが、ここでは値切る客が滅多に居ないためか、レセプションではしっかり顔を覚えられていました。DA HUONG は漢字にすれば「夜香」だそうです。どんな花かはまだ見たことがありません。今回はH君と一緒のためベトナム語の勉強にも好都合です。

翌日の昼にタイグエンを発ちバクザンに向かいました。H君は生まれはハノイですが、すっかり南部発音のためここでもバクヤンと発音しています。バスの中でH君にBac GiangのGiangはどんな漢字だったっけ?と訊かれましたが、思い出せません。揚子江(Yángzǐ Jiāng)に思いが至ってやっと面目を保ちました。ベトナムではメコンデルタの前江、後江。フエの香江くらいでしょうか。

タイグエンの長距離バスターミナルの切符販売窓口ではベトナム航空以上の不愉快さ。H君がBac Giang2枚と何度も言っているのに返事をしません。南部発音だから意地悪をされたのかも知れません。「バスがまだ来ないらしい」とH君が言うので時刻表を見るとちゃんと10分後の12時に一便ありました。駐車してるバスを見るとBac Giangと書かれたバスも留まっています。駐車場へ入ろうとすると入り口で「券がないから駄目ー」と追い返され、再び窓口へ。すると今度は「券はいらない」との返事。

バスの中は若い人ばかりでガヤガヤと遠足のノリでした。滅多にこういうことはないので不思議に思いましたが、H君は年寄りばかりのバスより良いじゃない、と楽しそう。訊けば大学入試を終えて帰る受験生達でした。その割には試験問題を話題にしてる様子もありませんでしたが、この日が大学入試の初日でした。

バクザンで仕事を済ませ、翌日はホアビンに向かうので昼飯も抜きのままハノイに向かいました。バクザンからハノイへは約60km。エアコン付き路線バスもあり、料金も1.2万ドンと格安です。途中から激しい雨が降りました。その雨にもかかわらず外気の温度は下がらないようで、バスの扉が開く度に湿った熱風が車内に入って来ます。乗車口は前方、降車が後方の扉ですが、後方扉が開く度に降車客を押しのけて乗車する客が相次ぎます。

ハノイのロンビエン・ターミナルで下車するとまだ雨脚は強いままなのでチューベトブン通りのホテルまでタクシーに乗りました。生憎前回泊まったエメラルドホテルは満室。タイグエンのホテルのケーブルTVではNHKBSが映らなかったので、日本人客の多いこの通りのホテルなら間違いなしのはず。雨は強いままなので次のホテルまで歩く途中で日本食店に入ってしまいました。

何を思ったのか、「きょうのお勧め」の中から鮪中トロを注文してしまいましいた。お勧めと書いてある以上それなりのものであると期待したのが大失敗。確かに色は中トロですが・・・。運ばれた熱いお茶を一口飲んだH君が「えー、ベトナム茶だよこれ」と驚き、ウェートレスに日本茶を注文すると「ありません」との答え。

お通しに出てきた酢の物には僕がびっくり。唐辛子の散りばめられた姿はベトナム料理そのもの。とにかくこちらはかなりの無理をして日本食を食べに来たわけですからがっかりでした。ご飯が足りないので「少しだけ」とお代わりすると、それだけで味噌汁・ご飯が三人前となり4.5ドル。支払い総額21.5ドルは覚悟の上とは言え、雨が降ってなかったら入ることはなかったし、次回は傘を持って来て他の店を探すことにすべきです。

翌朝の新聞にはアジアカップに参加する日本チーム到着の記事が大きく報道されてました。サイゴンならともかく、ハノイのこの暑さの中でサッカーするというのはどうなんでしょう。9日に対戦するカタールは、応援するファンが少ないので、ベトナムで一人5ドルで雇うのだとか。H君にベトナムのスター選手は誰なのかと訊いてみましたが、知らないとのこと。前回のASEAN CUPでの八百長試合で主力選手が逮捕されてしまったようです。

誰も日本を阻止できない?

2007-06-30 23:03:05 | 天気
きのうの「トゥイチェ」紙スポーツ欄の見出しです。
ベトナム語は「Không ai cản nổi Nhật?」
アジアカップBグループで対戦する日本の分析記事ですが、中村俊輔の写真やセルティックの事情なども紹介されていました。

2年ほど前にはスポーツ新聞には、「日本を代表する選手は中田から中村に替わった」との評価も書かれ始め、ベトナムの新聞のサッカーに関する豊富な情報量は他の分野と比べひときわズバ抜けています。特に今回のアジアカップには「トゥイチェ」紙は力を入れてるようで、今日も川口の発言が写真入で掲載されてました。
Thủ thành Yoshikatsu Kawaguchi (ảnh) nhắm tới hat-trick vô địch Asian Cup 2007 cùng tuyển Nhật.

ハノイで開催された国際会議などでの新聞報道では日本の首相の扱いなどは実に影の薄いものがあり、ODAの援助額の割には政治の世界での日本への評価とはこんなものかと思ってしまいましたが、それと比べるとサッカーでの評価の高さは大違いです。今回、韓国はインドネシアが会場となるDグループのためか新聞での報道は多くありません。その分を差し引いたとしても、ベトナム人は韓国サッカーよりも日本サッカーの方が好きのようです。日韓開催のWカップの時も衛星中継の試合に街中が盛り上がり、韓国チームの快進撃があったわけですが、TV報道や女の子達とは違ってサッカー好きのベトナム青年は日本の試合に注目してました。

事務所の近くのカフェの娘に「韓国へは何時帰るのか?」などと訊かれてしまいました。時折、僕のことを「アジノモト」と呼ぶくせにです。日本人とて日本に住んでいればベトナムとカンボジアがゴッチャになったりもしますから仕方のないことですが、この間のベトナムの女の子たちに対する韓国のイメージ向上が日本を凌いでいるということもあるようです。しかし、サッカー少年は日本と韓国を間違えることはありません。中村俊輔や日本のサッカーに対する憧れや尊敬が日本人であるというだけで僕にも向けられていることを感じたことがありました。それはちょっと別問題、と思いつつも悪い気はしません。

ベトナムの対カタールやUAEとの試合を僕はどちらに肩入れして観ようとしているのでしょうか。ベトナム人のナショナリズムに迎合する気はないぜ、とばかりその敗北を願うのでしょうか。10年もこの国にお世話になっているというのに。世話になっているというより、踏んだり蹴ったりという実感であるわけだし。そんな鬱屈した思いからは何物をも生み出せそうもないわけだから、今回は日本のサッカーチームに肩入れしてくれるベトナムのサッカー少年への連帯心を持ってベトナムサッカーを観てみることにするつもりです。



裏道開拓

2007-06-28 20:54:39 | 天気
きのうの朝は久しぶりに晴れ上がった青空でした。雨上がりの爽やかさよりも再た暑い一日を送らねばならないことのほうが気がかりで「やれやれ」といったところです。こういう朝はグエン・キエム通りのバイクの数も増え、渋滞だろうと裏道を走りました。二年前に引越した頃は地図を眺めて裏道開拓にも励みましたが、このところ探究心が衰えてしまってます。市販の地図は(も)結構いい加減で、ゴーバップ市場の位置も間違ってますし、道路が記載されているけど実は軍隊の敷地内で通れない、などというのも珍しくありません。勿論ゼンリンの住宅地図のようなものはなく、グーグルマップも「地図」なしで航空写真だけです。

来年からは地下鉄工事も始まるようですから、あと5・6年もすれば道路事情も変るのでしょうけど、それまでの間、毎年10%を超えるホーチミン市の経済成長は、それに見合った自動車やバイクの交通量となるわけで渋滞は益々ひどくなるとしか考えられません。ここ4・5年で路線バスが増えたとは言え、バイク渋滞の中をバスも通るわけですから渋滞緩和に役立っているとも思えず、またこの渋滞にイライラするのかバス運転の荒っぽさは更なる社会問題です。埼玉県を走っていた70年代の国際興業バスの比ではありません。先日はファンバンチー通りで見た対向車線を走るバスは、前を走る乗用車にピッタリくっ付き、運転手はふざけた笑い顔をして煽りながら走ってましたし、タンディン市場近くのハイバチュン通りではエンストしての押し掛けを目撃。

そんなわけで、渋滞に巻き込まれてこれ以上ストレスを溜めないための方法として裏道探しは必須課題。小金井市に住んでいた子供の頃、多磨墓地から野川を渡って家に帰る近道を探して草深い藪で迷子になったことがありました。半ズボンであちこちスリ傷はできるし半べそ状態。それと同じで新規開拓なるものの効率の悪さは否定できません。当時はそれに懲りて、次に野川にかかる是政線の陸橋を自転車で渡ろうとしたところ途中で前から電車が来て大慌てでした。それと同じで知らない路地を走るのも思わぬ危険が付きまとうことは十分承知の上です。

さすがに僕自身も子供の頃よりは多少賢くなりましたから、道に迷って泣きべそをかくことはなくなりました。人生の迷路からは抜け出せませんが。問題は寧ろ、その探究心が薄れていくことです。黒田寛一は好きではありませんが、「探求」という言葉は好きです。

で、この日も路地を間違えて何回か行き止まりに突き当たりましたが、そこで思わぬ発見。ゴーバップ駅の看板を見付けました。今では列車の停まらぬ駅ですが、施設は何がしかの機能を果たしてるようです。75年以前、サイゴン駅がまだベンタン市場の前にあった頃は、この駅も列車が停まっていたのでしょうか。

公証役場

2007-06-26 02:50:48 | 天気
何をするのも億劫なこの頃、ADSLも繋がらないのできょうはブログも書かずに済むぞ、とほっとしたのもつかの間、モデムの電源を入れ直したら繋がってしまいました。食事もせずに9時過ぎまで事務所に残ったりするすのだからカフェに行く時間もなく、ライチを冷蔵庫から出して一人寂しく食べているところです。ベトナムに居て日本のサラリーマンのように夜遅くまで仕事をするのは心身ともに不健康極まりないことですが、きょうの午後は公証役場で半日潰れてしまうし、5時から来客があったりでどうにもなりませんでした。

事務所も住居も結局のところ転居先を探したりするのも面倒臭く、多少の値上げも諦めることにしました。このGOVAPの大家は、また僕の気が変わって引っ越すなどと言い出さないか心配のようで、また期限も差し迫っているので、きょう、公証役場で契約延長の手続きをすることになりました。ベトナム人同士の賃貸ならこんな手続きも不要のようですが、外国人が借りる場合には公証役場で書類を作り、公安へ届け出ねばならないようです。大家は登記簿とか貸家の営業許可証などを揃えねばならないわけで、しかも貸家の場合家賃収入の20%を営業税として納付しなければならないのだとか。

ホーチミン市内の公証役場は何処も混雑しています。二人で1時にGOVAPの公証役場に着いたのですが、午後の仕事は1時半からの様子。大家さんは門の前で待つつもりのようでしたが、運悪く雨が降り出しました。堪らず近くの食堂兼カフェに駆け込みました。その間、雨足は強まるばかりで1時半になるとちょうどそのピークで、カッパを着ても濡れざるを得ないほどです。雨のせいか、タクシーでやって来る人も少なくありません。ここでは不動産売買の書類とかで富裕層が多いのかも知れません。

契約書に署名をして、その公正証書を作って貰うだけのことですが、きょうはカウンターで書類を提出するや否や「外国人は通訳が居なければ駄目ー」と言われてしまい一瞬呆然としてしまいました。大家さんが、「この人はベトナム語が分かるし読むこともできるから」と説得するのですが、担当のお役人は納得せず、「じゃ、これを読んでみろ」と偉そうな態度。ここ暫くベトナム語能力にはすっかり自信喪失の身ですから肩身の狭い思いで契約書を読み始めました。すると直ぐに「もう読むのは良い。何が書いてあった?」とのご質問。そんなこと読まなくても分かることですから、まったくこの公務員、何考えて仕事をしているのでしょう。

通訳を付けねば不可というのは規定ではなく、担当者の個人的見解だったのでしょうか?こういう断定的な言い方はお役人に限らず、わが事務所の新人スタッフもまったく同じ。売買契約書のワープロ打ちを頼んだところ、契約書番号を勝手に振ってきたので、「この番号どこから採ったの」?と訊くと「その番号は重要ではないので問題ありません」。

暫く待合室に置かれたTVでビリヤードの試合だのテニスの試合を観ていました。雨音が静かになった頃に呼ばれ、最後に「じゃ、ここに読んで内容を十分理解しましたと書いて、サイン」と言われました。その旨記入すると「何で外国人なのにベトナム語が書けるんだ」?と呆れ顔をされました。外国語の読み書きができるベトナム人だってそこら中に居るのにです。



雨続きの週末

2007-06-23 23:31:55 | 天気
二日続けて朝から雨。カッパを着てのバイク通勤が億劫に思えるほど気力も萎えた土曜の朝でした。多少の雨ならカッパを着るより濡れた方が快適と思うこの頃ですが、そういうベトナム人っぽくなっていく自分とは反対に、道行くバイクはカッパ着用が増えているような昨今のサイゴン。しかし、カッパを着てもサンダルを履いてバイクに乗る人は多数派で、靴を履けば濡れて乾かすのが大変なので、敢てサンダル履きで出掛けるようです。

昨日は小雨だからと濡れて事務所に向かいましたが、濡れて歩けるような雨でもやはりバイクだと1kmが限度。仕方なくきょうはカッパを着用しました。新人のTさんは遅刻をしないのが唯一の取り得ですが、昨日は事務所に着くなりバイク置き場の床を水で洗い流し始めました。バイクが雨とともに泥も運んでしまうので、「へーそれはなかなか感心なこと」と思ってしまったわけですが、今朝も同じように水道のホースを取り出しているので、よくよく見ると何と自分のバイクを洗っているだけでした。と、いうことは昨日見た光景も僕の目の前で床を洗っている振りを装ってただけ、ということでしょうか。

まぁ、自分の汚したトイレの便器もそのままに放置しておく位ですからそう考えた方が正解かも知れません。自分のバイクを洗うことに熱心であり過ぎるためか、PCやプリンタの電源は切らず、門も開けたまま帰ってしまうのは困りもの。仕事の最中でも自らの私的利益を最大限如何に獲得するかには余念がないのですが、その分仕事への集中力は当然ながらまるでなし。きのうの帰りに「郵便局に寄ってEMSを出して」から帰るように頼むと、「細かいお金がありません」との返事。毎回お遣いの度に多めに仮払いしているわけで、その残金もある筈ですが、「家に置いてきました」。

事の善悪は判っているわけだから、改めて一々説明する必要もないと思うわけですが、どうやら言われなければ(隙があれば)何でもありとのスタンスのようです。踏み切り前の狭い道で車がすれ違えなくて渋滞している時に、われ先にと反対車線を走るバイクと同じです。そんなことをすれば益々渋滞がひどくなるだけというのは誰でも知ってるはずなのに。そう言えば何処かに実際、目先の5000ドンが惜しくて職場を辞めさせられた人もいました。

日本の通勤電車の殺気立った雰囲気もベトナムの道路事情と同じようなもの。目先の小銭のために明日を捨てることになる話も日本でないわけでもないし、自分とて立場が違えば何をするかはそれなりに分かっているつもりではいますが、そういう環境に立ち向かうエネルギーが些か枯れてきたような気もします。何しろまるで日本の梅雨のようなこの雨です。展示会にも顔を出さねばとは思いつつ、どうせこの雨で入場者も少ないだろう、などとサボってしまいました。

差し入れ

2007-06-15 22:24:33 | 天気
帰り仕度を始め、整理のつかない書類を引き出しから取り出してため息をついている内に雨音が聞こえました。昨夜は体調と共に精神のバランスも崩れ、眠れず仕舞い。若かった頃に「消耗」という言葉で表現した心理状態みたいなもので、結局早朝から午後二時過ぎまで眠り続けてしまい、事務所に顔を出したのは三時を過ぎていました。既にその時、道路には水溜りが出来ていたのでかなりの雨が降ったようです。予期せぬこの二度目の雨で、仕方なく再びPCの電源を入れ直しました。

目を通しておかねばならないベトナム語の契約書のファイルを開いてみましたが、集中力がありません。契約書も読めずに仕事していた自分は一体何だったんだろう、という気にもなりました。何でもかんでも契約書が必要とされ、殆どが不必要な形式のみのものばかりですから、まともに読むことも滅多になかったようです。

雨も小降りになり、再び帰り仕度を始めていると大家さんに声をかけられました。来客があったようで、食事のお裾分け。一人分をお盆に載せて運んできてくれました。蒸した海老に塩味の肉入り麺。これではPC画面を見ながらというわけにはいきません。皮をむく度に指がべとべとです。安い定食屋のご飯とは雲泥の差の味でした。体調を崩していても、こういう家庭の料理なら何の抵抗もなく食べられます。

体調もだいぶ回復したということなのか、それとも日本食以外受けつけない、と勝手に思い込んでいただけなのかは分かりません。また単に、日本食と言っても巾が広いように、ベトナム料理も同様だということなのでしょうか。日本食を渇望すというのも不味い食事ばかり続くからで、口に合う美味しいベトナム料理を食べていればまた違ったのも知れません。




続泣きっ面に雨

2007-06-09 02:54:26 | 天気
ホテルのレセプションのアオザイを着た女性と親しく話をするなどということもこの10年はまったくなかったことです。値切ることしか考えてないので当然なのですが。しかもその値切り方が説教じみていて相手の反感をかうようです。それに僕が泊まるような価格帯のホテルでは従業員の給料も低く抑えられてるようですし、経済成長の続くこの時期に愛想の好い気の利いた人の就職先には事欠きません。

Duyenさんと話をしていて10年前に知り合ったThanhさんを思い出しました。当時日本語学科の3年生で彼女もナムディンの出身でした。勉強熱心で漢字は僕よりも知っていて驚かされました。一度学内寮の彼女の部屋に招かれ、あちこちに下着の干された女子寮の階段を上る時はまるで自分が痴漢であるかのような気分になりました。一部屋に10人ほどが生活し、個人スペースはベットの上だけ。勉強机さえありません。練馬の少年鑑別所以下の生活空間です。学内に図書館はあっても職員の勤務時間に合わせてあるので昼休みは休館、夕方も早々に閉館されて意味を成しませんでした。当時日本政府が日本語教育への助成として5000万円ほど援助したそうですが、LL機器の購入に当てられ、今でもこの大学は夥しいパソコンの台数を誇っています。

日曜日に文廟に連れて行ってもらったり、あれこれ数ヶ月間の付き合いだったと思うのですが、Thanhさんとは何処で付き合いが途切れたのか思い出せません。ただそんな一昔前の世界と共通するような雰囲気をDuyenさんにも感じることが出来ました。世界が変ったのか自分が変ったのか、たぶんその両方なのでしょう。などと寛いでいるところに携帯電話が入り、今度は別の省で不具合が発生とのこと。昨年はユニットを交換して直ったので、今回も交換を要求されました。日本からの取り寄せで費用も納期も手当てできるものではありません。とりあえず、明朝確認に足を運ぶからと電話を切りました。今晩は遅くまで朝日文庫の「スターリングラード」を読み耽るつもりでした。どうしようもなく読み難い翻訳文で、ページを重ねても慣れませんが、自分にとっては新しいテーマで興味はあります。しかし、それすらもきょうは諦め、明朝は6時にはホテルを発たねばなりません。

サイゴンにいるところを呼び出されるよりはまだ負担も少ないわけですが、せめて日曜日の一晩位仕事の煩わしさを忘れて眠りたいものでした。My Dinhバスターミナルまでタクシーで急ぎ、そこからバスに乗り、暫くすると今度はサイゴンの事務所から電話で、また別の省で不具合発生のため直ぐに電話するようにとのこと。しかし携帯電話の電池が切れ、会話は数秒しか持ちません。携帯メールで事務所と連絡を取り調整しようとしても我が事務所の優秀なるスタッフはそんな事情を察することも出来ずに何度も電話を掛けて来るので益々電池の消耗は進むばかり。取り急ぎもう一省へも出向くとなると今夜の便ではサイゴンに戻れません。

帰りのチケットは買ってあるので、事務所から航空会社へ電話を入れ、明日の便に変更するように頼みました。返ってきた返事は「航空会社の電話番号教えてください」。そのくらいのことは自分で調べろ、こっちはバスの中、と怒鳴りたい気分でしたがそれも意味のないこと。航空会社の返答は「プロモーション価格のため出発前24時間以内の変更は不可」。昨夜のホテル代と日本食の夕食代を残していたとしても新たにチケットを買いなおす持ち合わせがありません。持ち合わせというより口座にも何処にも残高無し状態です。しかし、どう計算しても今晩8時の便に乗ることは不可能です。クレジットカードのお世話になるしかありません。それはそれで仕方のないこと。お金の問題はまだ何とか方法も考えられますが、技術の問題はどうにもなりません。

行く先々、とりあえず足を運び、顔を出して謝って客の怒りを収めるということ以上ではありません。事務所の留守を頼んでいたH君から電話が入りました。昨夜家に泥棒が入り、携帯電話と財布を盗まれたとのこと。こっちの携帯は電池切れでまともに話ができないのにH君にメールを送ることもできません。彼の財布の中には往復のチケット代くらいは入っていたはず。そのお金を借りていれば彼の被害も軽減できたわけですから、借金することが人助けにもなったのに。

朝も昼もバスの中で1000ドンのパンを齧るだけの食事で最後のホアビンに向かいました。守衛所で訊ねると別の場所で作業中と教えられ、再び歩いて町を流れる大きな川の橋を渡り直すことになりました。すると突然雲が広がり、強風と大雨に見舞われました。折りたたみ傘を広げたものの何の効果もありません。顔に降りかかる雨は多少防げるもののズボンはあっという間にずぶ濡れです。すれ違うバイクが乗らないかと誘いますが、大雨の中を見知らぬ人のバイクに乗る気にはなれませんでした。これだけ濡れて行けば多少は同情を誘って大目に見てもらえるだろう、などと調子のいいことも頭をかすめたわけですが、それは所詮日本人的発想と思い知らされました。

着くや否や、「そんな濡れた恰好では駄目だ。着替えは持っているんだろう。着替えて来なさい。雨が降ってるのに何で雨具を着ないんだ」
着替えはバックに入れてありましたが、開けてみるとバックの中もビショビショ。絞れるほどにい濡れていて着替えることもできません。トイレに入り、着ていた服と靴下を脱いで絞るだけでした。
来る時はここで一泊して明朝ハノイに戻ろうかとも考えましたが、一刻も早くハノイに戻りたい心境でバスに乗りました。乗車賃を集めに来た人に「幾ら」?と訊くと「5万ドン」との返事。「じゃ、ここで降ろしてくれ」と不貞腐れると、「歩いて帰るのか」?「はい、勿論」と居直ると大笑いして「2万ドン。韓国人か」?

韓国人に見られるのは、今流行の韓国恋愛ドラマの俳優に似ているせいか、それとも怒った口調のせいなのか、と考えてみましたが、当然ながら前者はあり得ない話のようです。



泣き面に雨

2007-06-08 02:29:49 | 天気
どうしても予定があるから、とタイグエンは午前中で切り上げ、ハノイに向かいました。タイグエンではこれまでも携帯電話の電波が弱く音声が聞き取り難いことがしばしばでしたが、今回は特に酷く、土曜日は電源のスイッチのON・OFを何度となく繰り返しました。4・5年使い続けている古い機種の携帯だし、電池の消耗のせいでもあるようです。そのままずーと繋がらなければまた違った展開だったわけですが、客も余程困ったらしく、通常は下手糞なベトナム語の僕へ直接電話が来ることはないのに、この日は催促の電話が入りました。

不良・不具合の内容は大体想像できました。行っても全てを解決することはできない類のものですが、ある程度は調整して取り繕うこともできるかも知れません。人の問題、金の問題に続いてとうとう技術の問題で頭を抱えることになりました。ハノイに向かうバスに揺られながら、自分では解決能力を持たない問題に立ち向かわねばならない境遇にただただ耐えるしかないのだ、と自分に言い聞かせ、リコール隠しで騒がれた渦中の三菱自動車のセールスマンやシンドラー・エレベータの社員などもきっと同じような胸中にあったのだろうと考えてみました。もっとも給料というか収入を考えるととても比較にはなりません。

サイゴンを経つ前日の晩、K君の職場のスカイプが遅くまでONになっていたので繋いでみました。「客先で錆びが出て全品検査。連日4時間の残業」だそうです。その上、建設中の新工場は竜巻で屋根が飛ばされたのだとか。次々に発生するトラブルというのは何も自分だけのことではないわけで、その現実に立ち向かう気力があるかどうかが勝敗の境目、と気合を入れてみようとはするものの痩せ我慢の域を出ないようです。

客先のクレームに出向いて頭を下げるのは、過去に何度もしてきたことでもあり、内心は兎も角、ここでは客も日本人のようには相手の非を厳しく責めることはありません。そのため問題の深刻さに追い討ちを掛けられるということにはなりませんでした。30分ほどでその場を離れることができ、仕事は終了です。翌日のサイゴンに帰るチケットも購入済みだし、ここは小奇麗なホテルに泊まり、日本食を食べて体力回復こそが必要などと無謀な思いに捉われました。

Trieu Viet Vuon 通りのホテルを数軒聞いて回ると25ドルが相場。値引き交渉には応じてもらえませんでしたので、レセプションの対応で選ぶことにし、ナムディン省出身のDuyenさんの笑顔が決め手となりました。朝食付でバスタブにお湯を張ることもでき部屋の広さも十分でした。TVを付けるとチャンネルはNHKBSになってましたから日本人客が多いようです。仕事のことは忘れてのんびり一晩身体を休めることができる筈でした。

泣っ面に汗

2007-06-06 00:56:34 | 天気
土曜日は4時半起きで空港に向かいました。タイグエンでは午後に着けば間に合う仕事ですが、その前にバクザンに寄る予定でチケットを予約していました。その直後に事情が変り、どうするかはハノイの空港に着いてから決めるつもりでした。ここ数ヶ月の慌しい日々で緊張の糸もだいぶ擦り切れました。ハノイの空港に着くと、とりあえず寝坊せずにここまで来れた安堵感に浸り、バクザンに寄るにはタクシーを使わねばならないわけだし、そこまで無理をする緊急性もないようなので、直接タイグエンに向かうことにしました。空港から17番のバスに乗り、国道3号線との交差点で降り、そこからタイグエン行きのバスを拾う、ということはどうにか思い出せたものの地図も忘れ、この先を考えると気は重くなるばかり。何よりもコーヒーを飲まねば身体が動きそうもありません。

バイクタクシーに声を掛けられたので、うろ覚えの地名、SOC SON と告げ、料金を交渉しました。外国人割増に空港割増も加算されたボッタクリ料金を吹っかけられ、今時そんな間抜けがバイクタクシーに乗るわけないだろうに、と喚き散らし、相手は他に客を見つけることもできないようで、あっさりと値を下げました。6月に入った北部の暑さは二週間前とは格段の差です。12kmほど田んぼの中をバイクで走る方が狭苦しいバスに揺られるよりも快適です。が、直射日光を浴びて少々疲れました。SOC SON の町ではコーヒーを飲みながら30分ほど休憩し、タイグエンに向かうバスに乗り込みました。

SOC SON まではハノイ市内で、ここまではハノイの路線バスも来ています。タイグエンへは国道3号線を真っ直ぐですが40kmほどありました。バスを降りてホテルまで1kmほど歩くと汗びっしょりで、Yシャツは勿論、パンツからズボンまで雨に濡れたかのようにビショビショ。安い部屋に泊まれば惨めさが増すのは間違いなく、奮発して(ヤケクソ気味に)14ドルの部屋を取り、直ぐにシャワーを浴び、30分だけでもとベットに横になりました。が、横になると余計疲れが増すだけで起き上がるのが億劫になり、更に30分延長。1時半に約束の会場に着きました。「午後から」というのは1時を意味するものと思っていたわけですが、30分遅刻したつもりが更に延々と待たされました。挙句の果てに会場変更で移動。

移動の作業を手伝い、さてこれでやっと仕事が始まるかと思えば、夕食だとか。お偉いさん達の座るテーブルに座らされ、身の置き所なく食事をすることになりました。たぶん日本でも組織というのは似たようなものなのでしょうが、終始お偉いさんが一人で喋り捲り、残りはすべて太鼓持ち。「ホー、なるほど、その通り」などと笑顔で相槌を打ち続けています。早々に食事を済ませ、抜け出して外のカフェで一人で煙草でも吸いに行きたいと願いつつ、勿論そんな根性もなく、酒飲みのペースに合わせてゆっくりと食べ続けました。

デザートを食べ、お茶を飲み、さていよいよ仕事かと準備を整えたところ、「では、明朝6時半」と告げられ唖然。何のために4時半に起き、痩せ衰えた老体を引きずって汗にまみれてここまで来る必要があったのでしょう。しかも今度はハノイから電話が入り、トラブル発生でハノイに来いとのことです。一日を棒に振った上に益々気の重くなる展開が始まろうとしていました。

卒業試験1日目

2007-05-31 03:11:20 | 天気
きょうから高校の卒業試験が始まりました。受験者は100万人だそうです。出生率の低下を反映して小・中の生徒数は減っていますが、進学率の上昇で高校生の数は増え続けています。今の日本の高校生数がどのくらいかは知りません。70年代の初め頃は400万人ほどだってでしょうか。その頃「反戦高協」のスローガンに「全国400万高校生は・・・・」という文句があったような。

何れにしろベトナムの高校生数が日本のそれを上回ることになりそうです。人口は日本の70%ですが、子供と青年人口では日本を超えてしまいました。たぶん、この進学率の向上は、この間の経済発展を反映したものなのでしょうけど、卒業試験に合格する学力レベルという点から見ると問題は多いようです。この試験に向けて中部高原のコンツム省で行われた模試では半数以上が基準点以下であったとか。

昨年の試験であったバクリュウ省やハタイ省などでの不正行為を本当に無くしてしまえば、3割ほどは卒業できないのではないかと推測してます。個人的な推測で、きちんとした根拠があるわけではありませんが。中央政府による汚職や不正の取り締まりは、今のDung首相になってより強化された印象があります。最近ではハノイのディスコやHCM市のホテル賭博への大掛かりな手入れもありました。地方の官庁は警察や教育局を含め不正腐敗の主役です。その面では中国に似ているのかも知れません。たぶん高校の卒業試験も、採点にかかわる不正を無くすという意図で教育省中央の主導によるマークシート化が進んでいるようです。

きょうの新聞の折込に国会議員選挙の当選者名簿がありました。10日も経ってからの発表で集計には手間取るようです。493名の名簿にざっと目を通しましたが、省毎の選出ですから64省で割ると平均7.7人。最大はHCM市の23名です。しかし殆どはお役人の方々で、日本のようなタレント議員は見当たりません。もっとも国政選挙の疎外感というのはどちらの国も同じのようで、それをテレビが馬鹿馬鹿しくも必至に盛り立てている姿も共通しているように感じられます。

久しぶりにカラッと晴れ、強い陽射しが差し込むと二年間過ごした事務所の汚れと埃が目立ちました。椅子やブラインドは壊れ放題。電話線もだらしなくブラ下がっています。ここ暫くスタッフが箒を持つ姿をみたことがありません。ベトナムの小学校では教室の掃除を生徒がしないのでしょうか。「何でオレが昼休みに掃除しなくちゃならいんだ」と思いながらも、これで汚したり壊したりする人間も居なくなるわけだし、と思うと変に清清しい気分で掃除にも力が入りました。以前にも「そこ掃除しといて」と言ったら「掃除は私の仕事ではありません」と言われたこともありましたが、自分から箒を持つ人も少なくはありませんでした。ところが年々そういう人間は間違いなく減る傾向にあります。

「最近は豊かになって余裕もでき、しっかりした人も多くなった」との話も聞きましたが、どうも実感がわきません。衣食足りて礼節を知る、という言葉は現代資本主義の社会では有効性を失っています。非資本制生産領域が侵食されることにより新たな貧困が生み出されると共に旧来のモラルも解体して行くように感じます。進学率の向上と学力低下が同時に進行するように、経済発展は人間のモラルを失わせていくのでしょうか。