goo blog サービス終了のお知らせ 

GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

朝陽楼の朝

2007-11-01 00:36:13 | 旅行
建水から昆明に向かう朝、少し早起きをして朝陽楼前の広場を散歩しました。城壁(門壁)の下にはズラーっと鳥篭が並べられ小鳥の大合唱。篭に入った小鳥がそれでも周りの小鳥達とコニュニケーションを取っているのでしょうか。鳴き声は途切れることなく続いてました。「小鳥を散歩させる」とも言うらしいそうです。ベトナムでも小鳥を飼う人は少なくありませんが、こういう光景は見たのは初めて。

椅子を並べての靴磨きの姿もありました。べトナムの靴磨きは箱を持った子供たちがカフェや食堂を巡回して磨くわけで、こういうふうに靴磨きが座って客を待つという姿はありません。可愛い女の子に呼び止められて迷うことなく椅子に座ってしまいました。ベトナムなら先ず値段を確かめるのですが、値段の聞き方も知らないことだし。

河口なら兎も角、ここまで来るとベトナム語はまったく通じないようです。喋ってみたわけではありませんが。デジカメの電池が切れて買いに行った時、身振り手振りで聞いていると「河口から来たベトナム人でしょ?」と言われてしまいました。この10年間で焼け付き染み付いた肌の色やら振舞いが確かにベトナム人そっくりかも知れません。あまり売れてなさそうなアルカリ電池を買うのは不安で、特に中国メーカーのそれは使ったことないし中国パナソニックの「金パナ」を買いました。後で見ると製造年月は2005年。それでも多少は使えるだろうと思ったところ、何とまったく使えません。買ったその場でデジカメに入れて確認しておくべきでした。

建水から昆明までのバスは多く、約200kmで50元。高速道路を走ることが多い割には4時間ほど掛かりました。とにかくベトナムのバスのように無闇やたらに飛ばすことがありません。バスの運転も乗客の態度も「そう、これが普通なんだ」と思わせてくれます。

臨安路

2007-10-31 02:32:47 | 旅行
朝陽楼からまっ直ぐ続く臨安路の商店街をぶらぶら歩きました。サイゴンの生活では恐ろしいくらいに散歩するということがありません。お陰で太股も脹脛も筋肉は落ちる一方。確かにこれでも高校生の頃は学生服のズボンが腿はピチピチだったのに。もっとも、ベトナムに居るから誰もが筋肉が落ちるわけでもないようで、運動不足とビールの飲み過ぎでブクブク太る体質もあるようです。細身のベトナム女性にしても太股が僕より細いという姿は滅多に見ません。毎回計って確認したわけではありませんが。

商店街は主に衣料品店と靴屋。路地を入ると理髪店やネットカフェ。多くは外観は古い時代の建物のままで店内の内装が今風に改装されています。小物雑貨を売る店に入って目に付いたのがジッポー型のオイルライターでした。赤い鎚と鎌のマークが入ったライターを手に取るとレーニンやスターリンの顔が彫られてました。やはりスターリンはちょっと・・・と思い止まると店員のオネエさんがしきりにあれこれ勧めます。18、9才で川越のコンビニでも見掛けそうなタイプでした。で、結局は買ってしまったのが中国製のジッポー型ゲバラ・ライター59元。

この出費のお陰で建水文廟に入るのは諦めました。入園料60元が高過ぎのように思え、またかつては「批林批孔」の紅衛兵みたいな自分が足を踏み入れるのも似合わないだろうし。たぶん自転車でも借りて郊外へも行ってみれば良かったのでしょうけどレンタル自転車は見当たりませんでした。

古城と古井戸

2007-10-31 00:45:18 | 旅行
建水の長距離バスターミナルから朝陽楼までは歩けない距離ではありませんでした。人民元を持っていないのでここで両替できなければ泊まることもできず、もし元陽のホテルのレセプション嬢の言うとおり「昆明まで行かなければ外貨両替はできません」ってことなら昆明行きのバスに乗り込む他ありません。

タクシーで乗り付けた商工銀行では断られ、その隣の農業銀行で訊くと二階へ行けとのこと。10分ほど待たされはしましたが、無事USドルから人民元に替えられました。レートは100USドル=743元。とすると、1元=2164VNドンですから河口での両替レート2173VNドンとも大して変わりません。もっとも買い物をする時は人民元を米ドルや日本円、あるいはVNドンに換算して物価を推し量るわけで、一桁勘違いすることも度々。

その銀行の直ぐ近くに古井戸がありました。古井戸と言えば芭蕉か「さなえちゃん」。古井戸が好きだった生協の竹井君は今頃どうしているのでしょう?紅河州の指定文化財を見てもそんなことしか思い浮かばない自分が少々情けなくもありますが、更に輪を掛けて、この古都の街並みでゲバラ・ライターなどを買ってしまいました。流石に自分でもこういう所でする買い物ではないだろう、とは思いつつ「まぁイザとなったら生協の今井君に倍の値段で売りつければいいんだから無駄使いではない」と納得させました。やっと両替ができてお年玉を手にした子供のような気分でもあったからのようです。

宿は朝陽大酒店に泊まりました。ホテルが何で酒店なんだ?と下戸の身には面白くありませんが、文句を言う筋合いでもないようです。エアコンなしの3号棟は一泊80元。一人で泊まっても二人でも同じというのも不満でしたが仕方ありません。それに元陽の同じ80元の部屋と比べると雲泥の差。バスタブの付いたバスルームも広くて清潔だし洋式便座。サイゴンやハノイの40ドルの部屋とも同程度です。

古都の街を騒音から守るためでしょうか。電動スクーターがバイクよりも多く走っていました。初めはガソリン代ケチってエンジン切っているのかと間違えました。サイゴンでも電動自転車を見ることが増えたもののこれほど多くはありません。それにここでは外観はまったくスクーターと同じ。ナンバープレートを付けてないのが電動です。明清の古い建物に囲まれ、騒音も少ない秋の建水。サイゴンの騒音から逃れて来た身には生き返った気分です。

元陽から建水

2007-10-30 22:50:03 | 旅行
坂の多い元陽の街を歩いていると小さな女の子が枝豆を剥いていました。働く姿は女性ばかり。建築現場の砂利も女性が背負った籠に入れて運んでいます。男はマージャンに将棋にトランプ。店番の女性は刺繍をしたり編み物をして時間を無駄にしてません。至るところベトナム同様に携帯電話店が目立ちます。携帯電話屋の親爺がパソコンに向かい将棋ゲームをしてました。民族衣装を着た女性が歩きながら携帯電話で話してる姿もチラホラ。

元陽には二泊し、朝のバスで建水に向かいました。これでちょっと一安心。泊まったホテルのシングルルームが洋式トイレでなく床にフラットに取り付けられたものだったので、久しぶりのウンチ座りが苦痛でした。昔の古傷で踵が十分に曲がらず、しかもシャワー室兼用の狭いトイレのため床が濡れて滑ります。踏ん張ると右足がツツーと滑り、負担の大きい左膝は寒さも手伝って痛みが増します。それでもバスの途中で公衆トイレに寄ることを思えばまだ救われます。まるで小便用のトイレで大便をするような構造で、まさか、と下を見るとしっかり大便が流れずに鎮座してました。そんなドアもないところで足を滑らしたりしたら一生立ち直れそうもありません。

元陽から建水までは直線にすれば真北にわずか79km。しかしバスはGEJIU(个旧)へ迂回した後高速道路に入り、かれこれ4時間近くかかりました。途中、紅河を赤く染める赤土に換わって岩石質の白濁した川の水が流れています。山を下った盆地のようなところがGEJIU(个旧)で、どことなく秩父の風景に似ていました。

紅河ハニ族イ族自治州

2007-10-30 14:40:27 | 旅行
雲南省全体の人口はベトナムの約半分。面積はベトナムや日本よりも大きい394,100km²。元陽県、建水県のある紅河ハニ族イ族自治州は人口約400万。それだけでベトナムの省の4つ分ほどあります。自治州なのに自治県は16市県中3県のみというのは奇異な感じがしないでもありません。道路で見かけた標識では「紅河州」と表記されてました。元陽県が自治県でないのはハニ族、イ族の人々が多数を占めるということなのでしょうか?

刺繍の付いた女性の民族衣装はサパで見たのとも似ているように感じましたが、ここではスカートではなく皆ズボン姿。棚田の帰りに通り過ぎた小さな町では屋根の上に籾を干している家が多く、子供たちや犬たちが如何にも自由に伸び伸びとしています。

中華料理はマーボ豆腐と餃子ぐらいしか知らないので、とりあえずこれを注文して食べてみました。餃子はメニューにはなかったのですが頼んで作ってもらいました。麺は米の麺が殆ど。市場では多少色の付いた乾麺も売っていました。ベトナムの市場では見かけない蜂の巣が並べられ、大きいものは直径1mを超えるものまでありました。


棚田見学

2007-10-29 01:08:32 | 旅行
宿泊した梯田公寓は、日本語に訳せばたぶん「棚田旅館」だろうと思います。経度はサイゴンやハノイよりもかなり西に位置するのに時間はバンコク、ハノイ時間マイナス1時間のため日没は遅く、夜明けが遅いので朝目覚めるとまだ真っ暗。もう一度寝直して朝寝坊が続きました。

三輪車のタクシーに乗り棚田の見学に出掛けました。運転手はがっしりした体格の女性でした。途中までは舗装した道路で、上り坂のためややエンジン音が気になる程度でしたが、未舗装の道になると振動はかなりのものでスピードも出ず、ランドクルザーやパジェロに勢い良く抜かされてしまいました。生憎靄がかかって棚田の景色は堪能できませんでしたが、山の冷たい空気と日差しは秋そのもの。サパとも変わらぬ印象です。その割りに観光客の姿は比較にならないほど少ないものでした。

サイゴンの子供たちを見ても自分の子供の頃を思い出すということはないのに、少数民族の子供たちがふざける姿には何処か心が洗われるような懐かしさがこみ上げます。「自分もかつてはこうだった」。何がこうだったのかは分りませんが、そんな気分にさせてくれます。

河口では日曜日だったため手持ちベトナム通貨を元に替えただけで心細く、元陽の銀行で米ドルから元に替えようとしたところ中国農業銀行の支店では出来ないと断られました。大きなホテルのレセプションに出向いて尋ねると昆明まで行かねば両替はできないと言われ少々不安になりました。農業銀行のATMにはVISAのマークも付いているので窓口で訊くとクレジットカードのキャッシングは出来るとの返事。ところがカードリーダだか通信の接続が悪く、暫く待たされた後に「また後で」とのことでした。

元陽の棚田

2007-10-28 16:56:29 | 旅行
国境を越えて目に付く変化は三輪車の多さです。ベトナムほどバイクは多くありません。三輪車の種類も多く、バイクを改造したようなオート三輪風のものから丸ハンドルでちゃんと運転席も左側にあるものまで見かけます。

15年ほど前の200万分の1ベトナム周辺の英文地図を見ながらバスに乗りましたが、地名の漢字音を知らないのでまったく意味を成しません。この地図では元陽(Yuanyang)への道路はGEJIU(个旧)まで北上してから南西方向に曲がらねばならないように記されています。バスは地図にない紅河に沿った道を進みました。暫くすると巨大なコンクリート支柱が現れました。

あっと驚く高速道路の建設中。一般道の車の通行量からしてこんなものが必要とは思えませんが、さすが中国というかベトナムではないわけです。そう言えばかつての日本でもオリンピック道路という名を聞いたこともありました。来年に向けて、雲南の山奥からも北京へ向かう高速バスを走らせるための高速道路なのでしょうか。

紅河の川幅はかなり狭くなりました。それでも水の色は赤く濁って見えます。紅河はベトナム語ではHồng Hà。中国語ではHongheで、元陽の先に紅河という町があります。売ってる煙草も「紅河」でHONGHEと表記されてますが、HON GHE と読むのかHONG HEなのかがわかり難いところ。河原に石が増え始めました。何故かウエディングドレスを着た二人の姿が見えました。

バスは南沙で終点。運転手が元陽行きのバスを教えてくれました。言葉が通じないのにここの人々はとても親切です。余計なお節介や馴れ馴れしさもなく、それでいて肝心なことはしてくれます。バスの運転も安心して乗ってられました。刺々しい思いをせずに移動できるとは思っていませんでした。昔の田舎の日本に近いかも知れません。少なくてもベトナムで感じる「文化の違い」はありません。

元陽で泊まった宿は「梯田公寓」TITIANGONGYU。シングル・ルーム一泊80元(約1280円)でした。清潔感はあるのですが、山間部の故か或いはこの部屋に泊まる客が少ないのか部屋はかび臭さが充満。湿気を含んでいるため夜の寒さが堪え膝の関節が痛みました。初めて泊まる中国の宿です。宿泊料前払いの上にその半額ほどをディポジットで預けなければならないとは知りませんでした。

ラオカイ国境貿易

2007-10-28 02:05:42 | 旅行
ラオカイの出国手続きは簡単で空港の出国カウンターよりも短時間でした。建物を出ると広い橋があり、橋の上では目一杯の荷物を積んだ自転車とすれ違いました。自転車というのは正確ではなく、ペダルがないので二輪の荷車と呼ぶべきかも知れませんが車輪は並列ではなく自転車同様の縦列で人が押しながら支えなければ倒れてしまうものです。そういえば最近、ラオカイの国境貿易が前年比60%だったかの急増だと何かで読んだことを思い出しました。

出入国者の通路も一般用と自転車用に別れています。目に付いたのはベトナムから中国への荷物ではなく、すべて中国からベトナムに入るものばかり。河口の出入国事務所の建物を出ると順番待ちの自転車がビッシリと溢れてました。その時はベトナムへ農産物を売りに行く農民だと勝手に思っていましたが、写真を見ると被っているのはベトナムの笠ですからベトナムの農民が中国で買い付けて戻るのかも知れません。ここを通過する外国人観光客の姿は疎らで、殆どが地元の農民のようです。

河口の長距離バスターミナルは直ぐ傍にありました。元陽までは約200km。元陽の町の行政機能は「南沙」という地名の所で、棚田の近くの町は山を越えた「新街」という地名になっています。ハノイのATMでベトナム・ドンを引き出すのを忘れ、500千ドンだけ人民元に両替すると230元。バスの出発を待つ間に麺を一杯食べました。残念ながら米の麺でしたがべトナムのフォーを食べ飽きた味覚には感動の一瞬で3元。バス代はベトナムよりも割高ですが快適さを考えれば割安と言うべきものです。途中の町で検問所があり、身分証の提示を求められ、パスポートを提出させられました。国境の町、河口を出る所だったのかも知れません。

ラオカイのイミグレ

2007-10-27 22:55:05 | 旅行
11:05発ラオカイ行きの列車は7番線ホームと表示がありました。日本の駅と違って陸橋がないためホームの端まで歩いて行き線路を渡ることになります。留まっている車両を見ると「何処が高級列車だ?」と感じないわけでもありません。車両は少々古くさく、昭和30年代の記憶を蘇らせてくれます。一人の男性が駆け寄ってきたのでチケットを見せると荷物を持ってくれ、座席に案内されました。こちらも無言、相手も無言のやりとりでしたが、最後に「チップをくれ」とのこと。

15年ほど前ならこんな人も空港には珍しくはありませんでした。いまだに外国人相手のそんな商売が続いてるとは想像外。仕方なく1万ドン差し出すと受取らず、「5万ドン」との要求にこちらもキレました。「じゃあ、あげない」と1万ドン札も財布に仕舞って知らぬ顔を決め込みました。すると狼狽した相手は財布を開いてIDカードを見せ、「オレはベトナムの公民だ」とか意味不明の説明。「だって1万ドン受取らなかったじゃん」と言うと、「1万ドンで結構ですから」というとこで決着。結局、彼は鉄道会社や運行会社の人ではなかったようでそのまま姿を消しました。

車両は古いものを改装したようでそこそこの清潔感はあります。洗面所もトイレも問題ありません。出発前に流れていた音楽も出発時には切られ、寒すぎるエアコンも調整してくれました。デッキに出ればタバコも吸えます。チケットは運行会社のものなので、鉄道のチケットも車内で渡されました。駅を出る時にこれを渡さねばなりません。

早々と眠ってしまったので目が覚めたのはまだ薄暗い時間でした。デッキでタバコを吸いながら山間の田園風景を眺めました。犬が土手の上でこちらの列車を眺めていました。列車は恐ろしくノロノロです。畑の向こうの道を鍬をだるそうに引いて歩いてる高校生くらいの男の子が鍬を置きました。「お前も石を投げろよ」ともう一人に言ったに違いありません。もう一人も背をかがめて何かを拾いました。「まさか石を投げるのじゃ・・・」と思った通り二人して列車に石を投げました。が、届いたようには見えませんでした。

ラオカイの駅は10年前の記憶とは異なっていました。当時はソ連製ミンスクのバイクがズラーっと駅前に並んでいました。その一台のバイクタクシーに乗ってサパまで行ったのですが、途中二度ほどバイクを止め、沢の水でエンジンを冷やしてました。今や客引きはタクシーかワゴンです。出国ゲートまで5万ドンと吹っかけられ3万ドンまで粘ってみたものの乗ったタクシーのメータの表示は2万ドンでしかありません。最初からメータで乗れば良かったわけです。

ラオカイ行き列車

2007-10-27 21:15:58 | 旅行
以前、「昆明」と書かれた看板を付けた列車をハノイかラオカイの駅で見た記憶があります。どういう訳か今は走っていません。フランス資本のビクトリア・ホテルが運行する「ビクトリア号」は快適そうですが、運賃もホテルの宿泊料に相応しいものですから問題外。今年の9月から運行が始まったベトナム資本の「高級列車」に乗ってみることにしました。

「Liên Việt運輸商業株式会社」というハノイの会社が運行してるようで、チケット販売の代理店はホーチミン市のフーニュァン区にありました。が、わが事務所と変わらぬ程度の寂しいオフィスで看板も掲げてません。2人の従業員の内一人は終始パソコンでゲームしてました。料金はソフトシート20万ドン、4人ベットのコンパートメントが一人34万ドン(約2500円)。23時05分発の夜行ですから宿泊費を考えれば格安です。

明日からは何が食えるか分らないし・・・・と考えたわけではありませんが、ハノイ駅に向かう前にバーチウ通りのととやに寄って焼き魚を食べました。それだけなら3.5ドルで済むのですが、そこはついつい旅行者気分でカンパチとイカの刺身も注文してしまいました。さて、駅までタクシーで、と思って店を出るとタクシーが掴りません。土曜の晩でもあり、またこの日は「ベトナム婦人デー」なのだそうです。
バレンタインデーに国際婦人デー、ベトナム婦人デーにクリスマス、そしてお誕生日と最低でも年5回はベトナム女性はプレゼントを貰ったり男性に奉仕させねば気が済まないようです。

「電話でタクシー呼んでも来る途中で別の客を拾っちゃうんですよ。セーオムで行くしかないかも知れませんね」と店の店長に言われたもの最後はどうにか交差点の向かい側から一台呼んできてくれました。ところが駅に着いて歩き始めると後ろからタクシーの運転手が駆け寄り、「代金貰ってません」とクレーム。2万7千ドンの料金に5万ドン払い、小銭がないと言うので3000ドンは諦め2万ドンのお釣を貰ったわけですが、支払った5万ドンを運転手は「返した」と言い張ります。自分の財布の中やポケットを探っても5万ドン札がは1枚も出てこないので明らかに運転手の勘違い。途中で通りかかりの見知らぬオッサンが間に入ってジャッジを下し、「行ってかまわない」との言葉に甘えました。