永井隆博士と「長崎の鐘」
原爆で被爆した長崎大学の医学博士・永井隆は、妻を探しに浦賀の自宅へ戻った。
そして、焼け跡から骨の灰がまとわりついたロザリオを発見した。
ロザリオから、隠れキリシタンの末裔である妻の緑さんの遺骨と知った。
このことが「長崎の鐘」で歌われている。
召されて妻は 天国へ
別れてひとり 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの
鎖に白き わが涙
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘がなる
博士は自らも被爆し、白血病になったにも関わらず、被爆者たちの救護活動を行なった。
このことを、私は中学生の時に雑誌で知った。
雑誌には博士と子供の写真が載っていた。
25年ほど前、私は博士が暮らしたという、小さな家を訪ねた。
ローマ教皇特使として大司教のフルステンベルグがお見舞いにこられ、寝ておられる博士の側の椅子に腰かけられている写真が飾られてあるのを見て感動した。
私は博士のお墓参りをして彼の偉業に思いをめぐらした。
やっと核兵器禁止条約が採択されました。
核兵器を廃絶へ。
生で聞いたとき心に響く「長崎の鐘」があります。
一つは、長崎を訪ねた際、
半日コースの観光バスに乗って、
長永井博士の居住家の前で、
若いバスガイドさんが歌った「長崎に鐘」。
透明感のある静かな歌声がこころに染み、
周辺の空気が鎮まりかえりました。
一つは、当市でもヒロシマ、ナガサキの原爆忌には、
黙祷と献花の市民の集いがあります。
長崎で被爆された方が居住しています。
80歳を越した男性です。
猛暑のなか、「長崎の鐘」を歌い上げます。
静かに、ゆっくり、ながく、哀悼に満ちて、
聞き入る人は立ち尽くすだけです。
この方、今年は体調が悪くご出席がありませんでした。
もう、あの「長崎の鐘」は聞けないのだろうか…
永井博士の小住宅や長崎の鐘の歌に出会い、感動された事でしょう。
ノーモア ヒロシマ・ナガサキ