サッカーのラトビア戦で、試合前に国歌が独唱された。ラトビア国歌が終了した時拍手がスタジアムで沸きあがった。驚いて振り向いたラトビア選手の姿がTVに映された。神戸スタジアムである。アウェィーでである。敵地で敵チームの国歌に拍手をする国民は少ない。
この事は世界に自慢できることだ。フゥーリガンに代表されるサッカーの応援団、世界の困り者だ。しかし日本のサポーターは応援の後ゴミを持ち帰えるということで世界の評価は高い。
勿論試合結果は大事であるが、それ以上に日本のサポーターの評価は高い。
国歌反対の左翼には、このサッカーの試合前の国歌斉唱は苦々しいものだ。このサッカーの国歌斉唱を政治色のない方々が歌うのである(応援にスタジアムに来ている方)。しかも若者が多い。
国際試合である、国歌を歌うのが国際慣行上の常識である。予測される反論は「『君が代』がマズイ」であろう。なぜ「君が代がまずいのか」?と言う理由も「天皇崇拝である」等であろう、しかし「君」は天皇の尊称ではない。天皇の尊称は「大君」「御上」である。氏姓制度では「君」は吉備氏などに使われた。地方豪族を「君」と呼ぶ。「君が代」を国歌に採用した大山巌は「なぜ徳川将軍家の歌会初めで詠われた歌を選んだのか?」と非難された。出典は古今和歌集であり、大事なことは「詠み人知らず」であったことだ。封建制の影響が色濃く残る時代である。誰の子孫かが大きくモノを言う時代だ。現在とは反対の理由で「君が代」は非難されている。左翼の方や「君が代」反対の方々は、もう少し勉強した方がよい。
この不勉強でスターリンの国際コミンテル・テーゼ(日教組の基本方針)に毒された左翼には、一種の宗教と化している。 君が代反対ならば私立学校に就職されればよい。民間会社で社歌や社旗を否定すれば、退職を意味する。公立学校の日教組は甘えている。