市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

崩壊市街 青空市場 昭和30年

2005-10-12 | 崩壊宮崎市街
 この写真は昭和30年撮影の中央市場である。真ん中の白いモダンな建物がそれである。一見、コンクリート建てにみえるが、木造2階建てのモルタル壁だ。当時の板壁の木造商店の並んだ通りでは異彩を放っていたことがわかる。

 この写真で一番手前左側の木造建ては、現在の福元クスリ店で、当時の看板の「農園」という木製の字が、今も残っている。「もめんや」も同じ場所に現存している。この通りは、かなり昔の面影を残しているのがわかる。それよりもなにより、この人混みにおどろかされる。これは普通の日である。日曜など、こんなものじゃなかったほどの混みようだったともめんやの奥さんが話してくれた。近くの大成銀天街もそうだっという。

 ここに花壇があるか、ストリートファにチュアがあるか、カラー舗装があるか、
なんにもなかった。街の本質はそんなものとはなんの関係もない。この通りは、橘通り、上野町通りの回遊路であった。町は商店がつらなり界隈をなしていた。それが人を呼び込むのであった。現在はデザインだけ、そして美という名で街を崩壊させ、人は絶えてしまい、今日も涙の陽が落ちている。明日から涙の街を見よう!!

 写真はもめんやさんの提供、感謝感激でした。


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