市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

2011年クリスマス 商業復興の実現は

2011-12-26 | 日常
 
 去年のクリスマスも寒が強かったが、今年は寒に加えて寒風が通りに吹きこんでいた。昼過ぎに、若草通りのアートギャラリーIRO-SORA・ティールームに行った。がらんとした飾り気の無い事務室のような喫茶店だったが、音響はよく、ほとんど余計なものがないという室内がよかった。初めてだったので、左にカウンターがあってコーヒーミルやカップが並んでいる棚があるのも気付かぬほどだった。街角の個人経営のギャラリー、真空管アンプによるレコードLPクラシックを聴くにまさにぴったしの環境であった。ここで、2年ぶりにあったNさんのハイドンの解説を聞いた。かれにとって生活とは、音楽を聞くことであった。まさに音楽に自分の生活を投げ込んだ。ある意味では、音楽がかれの人生を狂わした。そんなかれのレコード解説は身に染みる。その言葉には、一言の自己顕示もないからである。

 クリスマスのイルミネーションは、今年は、真っ暗闇の中でいっそうの孤立感があって、光が凍り付いているようであった。中心市街では、駅前商店街の150メートルほどの歩道に、銀色と青色の並木のようなイルミネーションが、目を引いた。青と銀色の光が闇をいっそう深めており、誰一人通行者の歩いていない商店街を照らしていた。

 翌日、日曜のクリスマス、午後3時ごろ、青井岳温泉から帰ったばかりで、妻は急に、イオンに買い物に行きたい、そこで今日まで有効の「宮崎市全市連合歳末大売りだし抽選券本券」を6枚と、補助権13枚を手渡した。それも30分間ほどあちこち探し回った挙句で、いらいら待っているぼくにだ。曰く、抽選器を早く回すと当たり玉がでてこないので、ゆっくり、ゆっくり回すようにしてという。わかったと返事もふっきらぼうに、いそいで券をバッグに押し込むや、風の街へ自転車を漕ぎ出したのだ。山形屋本館、東新館の間の通路には、券の引き換えに行列が20メートルほど2列になって並んでいるのだった。諦めてすぐに別の会場とあったボンベルタ4階に向かった。しかし、そこには、だれもいなかったし、抽選場も無かった。一階のインフォメーションに行くと、だれもいず、まっていると、70歳くらいのおばあちゃんが途方に暮れた顔で、抽選場はどこにあるのでしょうかと、聞いてきた。
 「ここじゃダメですな、赤球駐車場がもう一箇所のようなので、そっちの方がいいでしょう。」と答え、ぼくもそっちに向かうことにした。また自転車を駐車場からとってきて、150メートルほど先の駐車場に向かった。そこに着てみると、ここはおじさんが2人車を誘導しているばかり、抽選場はどこですかと聞くと、ここじゃないというので、赤球駐車場と書いてありますがと言うと、
 
 「それは第二駐車場ですが、間違って来なさる人がいますよ」
 「第二駐車上はどこなんですか」
 「ボンベルタの裏手です」
 「ええ、また、ボンベルタか」と引き返そうとすると
 「第二駐車上は午後7時からですがな」
 「え、抽選は、午後6時までとなってるんですが、どうなってるんですかっ」
 「いやあ、私どもはわからんですが、ボンベルタの裏のポケットパークで抽選
  してますが」
 
 そこで、ようやく、ボンベルタ会場は、裏玄関出口のコートに変わったのを知ったのだ。通路は4階でなくて、この道路であった。しかし、ここも20メートルほどの行列が出来ていた。ロシアじゃあるまいし、並ぶ気も失せたので、そのままこの先に裏口のあるタリーズに入って、行列をやり過ごそうとした。すでに時刻は4時20分をまわっていた。読書に集中できずに、5時半にでて、こんどは寒風を避けられる山形屋に向かうと、なんと行列はまえよりも長くなっていた。テントもまわりは、ちり紙や、駄菓子や洗剤が山となっていて、なんやら人々はその近くのテーブルで懸命にやっている。やっているのは、抽選券と替えてもらった券を、貨幣でこすっているのだった。がらがら回すのでなくて、擦るのだ。時間がかかるはずだ。またもや、ボンベルタ裏に引返すと、ここも行列は長くのびていた。最後尾に並んで待つしかなかった。本を立ち読みするにも当たりは暗くなってきた。出鱈目すぎる、主催者どもめ。なにが宮崎市地域商業復興支援事業実行委員会だと、むかついてきているとプラカードを掲げて歩いてきたおあばちゃんが、明日の午後4時まで抽選しますので、お帰りくださいというのであった。列の最後までやったらどうですかと詰め寄る人もいた。くじは、午後6時半までに本部にととけることになっていますので、ダメですというのであった。
 
 こうして、日曜日の午後2時半から6時までの時間が、消し飛んでしまった。「地域商業復興」というイベント企画を、本気で実行委員会は、検討したのだろうか。かのテレビでさへ、地域商業の活性化イベントで面白いもの、成功したものを折りにふれて紹介しているのだが、1人でも実行委員は視聴したことがあるのだろうか。この冬、クリスマスの日になぜ福引しか思いつかなかったのだろう。券のデザインを改めて見ると、見事なまでにありきたり、よくもここまで工夫もなく、ただゴジック体と明朝体の活字が並べただけである。左下に花の平凡な丸いデザインがあって「笑顔を咲かせよう」と囲んである。笑顔なんて、咲くはずが無い。

 福引であろと、創意が必要だ。福引というありきたりの手段で年末商戦を乗り切ろうとするなら、それはそれでいい。地域商業復興支援などと宣言するからには実行委員会は、それだけの構想と実現性を天下に問うべきであろう。結局は、他人、つまりお客である市民に甘えているにすぎないのだ。2011年、甘えの福引商戦終わるのクリスマスであったと記録するしかない。
 
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2011年クリスマスイブ 快楽 大衆情報

2011-12-24 | 日常
 
 ここ数年のクリスマスイブのぼくにとっての快楽は、イルミネーションの電飾を「見て廻る」ことが、主たる部分である。今夜は、去年よりももっと冷えそうだ。市街地の住宅や、閉ざされた小さな商店、なんらかの理由で、町内の一区画だけが電飾を家庭ごとに光らせている通り、果てしない暗がり、いきなり犬が吠え掛かる路地に光るクリスマスツリーとか、一時間ほどの寒がりの中で出会えるクリスマスイルミネーションである。その侘しさ、孤立感、それでいて生活観と、絆を求める暖かい呼び声を感じることで、クリスマスを楽しめることが出来るのだ。

 このクリニックの駐車場入り口の電光看板の足元に、ゴミが捨てられていた。ネルのような灰色のズボン下一枚に、ベッドの端の鉄製の支柱、それとペットボトルやアルミ缶、プラスティックの破片とボトルとチリ紙、雑誌の破れなどが詰められたビニール袋は汚れて、内臓の塊が透けて見えるようだった。おそらくどこかの入院生活者を想像させる廃棄物である。おそらくこの人物は、ひどく孤立した、ひとりぼっちの寂しい男であろう。女性ならこういうことはしないだろうと思う。自分のつけていた下着などは捨てられないであろうと思う。こんな孤立の状況を想像すると、人はほんとうに孤立に強くなり自信を深めなければならないと思う。その力によって、必要な人間力をももつことができるからである。それによってのみ、孤立感を自分からなくせるからである。クリスマスイブは、孤立感を実感させる夜でもある。

 快楽とは、自分から作り上げる快楽でこそだ。つまり自分だけで楽しめることをいかに発見し、創作するかが、現実に対応する方法でる。だれもそれは教えない。いや、快楽は外にしかないとしか示唆しない。この商品を買えば、この料理をクリスマスの夜に楽しめば、快楽は訪れるとテレビは、本放送の部分全体を使って説きまくっているではないか。今夜の黄金時間帯の番組は、そうなるだろうと予測出来るように思う。

 酷寒の朝、アナウンサーが、ラジオで叫んでいた。今日は一日冷えますので、お出かけは「出来る限り」(デキルカギリ)「厚着」をしてください!と。耳にしたとたんぼくは吹き出した。厚着で団子のように膨れ上がった男のイメージで、笑えたのだ。出来る限りの厚着とは、具体的にどんなことなのかと、考えてみると、その具体的な行動はなんなのだろう。何枚、重ね着をすればいいのか、どんなものを重ねるのか、下着、シャツ、セーターにジャンバーかアノラックか、いやダウンかダウンも薄手かあるいは登山用のか、出来る限りであれば、登山用かと、どうだろう、出来る限りの厚着とは具体的な意味はないのである。出来る限りの薄着なら意味は明確である。ではアナウンサーは「出来るだけ厚着をして」と言いたかったのだろう。なら、大半の女性たちは、この寒さでも出来るだけ薄着をして、着膨れにならないようにとうのは本心ではないだろうか。アナウンサーが出来るだけ厚着してというのは、余計なおせっかいとなる。

 アナウンサーの発言は、ではなにを伝えたかったのだろうか。それは酷寒という大衆情報を伝えたかったのだ。その情報を誇張して、否応でも情報に反応させ意識を捉えることである。誇張と浸透(洗脳)というマスメディアの特性を身をもって実践していく習慣がついてしまっているのだ。それが、現実とは関係のない状況説明を生んでいく。日常用語、まったく普通の当たり前の呼びかけのなかにそれが忍び込んでいるのだ。そのことはアナウンサー自身が、職務をつくしている間は、自分の言葉の可笑しさを自覚できない。

 さて、もうすぐ昼休みになる。ぼくも委員に名を連ねている『レコード音楽愛好会』主催の「街角コンサート」を午後一時半から聞きに行く。真空管アンプでレコードのクリスマス関連の曲である。およそ2時間半の内容であるが、多分一時間ほどしか参加できないであろう。その後喫茶店でコーヒーのみながら本を読み、それから温泉に行き、夜のクリスマス・イブ電飾を見て廻る。風邪を引くかもしれないが、風邪というのは立ち向かえば避けられるかもしれない。この危険も快楽だ。
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