市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

どくんごテント芝居「OUF」宮崎市公演

2014-11-19 | 演劇
公演当日。2014年11月14日(日曜)夜は雨という天気予報が出ていた。どくんご到着の14日金曜日は最低気温3度、真冬並みの寒波が来ると予報された。金曜日現在、直接売った券は、去年の半分に届いていなかった。雨に寒さ、観客は来るのかと、不安が膨れ上がってくる。それでも冷たい曇り空の下、KITEN広場にテントが設置されると、賑わいが生まれ、劇団員に混じりつつわれわれ4名も、高揚感が沸いてきだした。雨でなく曇りとなり、曇り空が寒気をゆるめ、無風となった。気温もゆるんできた。予感どおり出足があまり良くなかった。そして夜の暗闇が広場を覆いだしてきた。そのとき、暗闇からぞくぞくと来場者があらわれだしたのだ。午後5時半の開演時間を越えると、心配をよそに、またたく間にテントは、満席となり、臨時の席を舞台ぎりぎりに並べ、テントは、観客で沸きかえったのであった。昨年と同じことがおきた。新しい観客の来場であった。

 どくんごテント芝居公演は、1995年宮崎東口公演を受け入れて19年目にして、公演場所の安定的提供を受けられ、売券の労苦から開放される見込みができたようだ。探検地への道が出来たようなものである。リスクはつづくが、目標には近づける。この探検の冒険の意味はなんなのか、観客とテント劇団「どくんご」は、なにを冒険しているのであろうか。それは、生きる場所と自分についてである。つまりどう生きるかという共有点を課題としうるのではないかと、ぼくはこのごろ、思うようになってきていた。

 今回ほど終演後の観劇アンケートを読んでみたいと思ったことは無かった。今はまだその機会がない。なにが、観客にその若者たちに、生じた意識を知りたいのだ。そのことで、当ブログに先日紹介した森川弘子さんの「テント芝居を観に行こう!!」に沿って芝居と観客の接点を推し量ってみよう。前々回のブログでも言ったように、文章では表現するのが難しいどくんごテント芝居が再現されている。今もう一度みると、「こんなにおもしろいものが、まだまだあるんや!!」「あふれる魅力、パワーに圧倒された」の駒と「その名は劇団どくんご」の団員の似顔絵が駒の並んだ2駒に前に見落としたものを気づかされた。これは、芝居の面白さへの賞賛だけでなく、かれらの生き方にむけての賞賛であったのだと・・。このマンガの本質は、ここにあるのだと思えだした。まだこのように生きられる、このような楽しさが、破れかかった地球に咲いていると、この希望が彼女をゆすぶったのではなかったか。その後、彼女はテントの四国順延17日に同行、ブログにただ一言だけ、観に来てくださいとだけ、毎日書き綴った。この行為の純粋さに圧倒された。「いつでも楽しく 暮らしたい!」この連載マンガのタイトルである。現在、希望をもつことの意味は、消費という受身でなく、冒険であり、それこそが、楽しく暮らす意味であることを、どくんご芝居で語っているのだ。

 この生き方が、どくんごテント芝居が、観客を納得させる、実は内容なのだと、ばくはこのごろは思えるようになった。どくんごテント芝居には、われわれがいつのまにか忘れていた、脱ぎ捨ててかえりみなくなった生活衣装を、気づかせる。その最大のものの一つは恐れるなということである。消費社会という繭を目的もなく編み続ける安全な暮らし、この生き方を止め、繭の外に出て、裸の無防備の幼虫となる。自分で生きると嘯く。安寧の繭の外部に転がり出て、怯えるものに今日も立ち向かう。まさにドンキホーテ的幻想と行動に観客は哄笑しつつ、いっしゅんにして、自分の現実を見る目を与えられるのだ。実は繭の中こそ、繭を永遠につむぎ続ける暮らし方こそ幻想ではないかと、気づかされるのである。
 
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なにが要因 ランパス

2014-11-11 | 社会
だれもかれもが、ランチパスで貧魂亡者になり、我利我利行者となったわけではあるまい。また、その人も日常では、当たり前の隣人として、同僚として、ふるまっていくしかない。いや、単なる普通の市民であろう。だが、人は欲望を制御できなくなるし、制御不可能にするシステムで、そうなるという話である。それが怖い現実である。ようやく晩秋が来て、おまけに曇り日の廃墟感のただよう寂れた商店街に向かった.メインストリート橘通り1丁目のカフェ「COiN de Cafe」が目当てであった。ランチパスポートの1ページにあるカフェである。近くに市庁舎と県庁舎が石棺のように見えている。

 小さな店で、窓際に取り付けられたテーブルに一人で座った。あと3、4人は可能だが、合い席となる。室内にはテーブルが一台とカウンターである。ブラウンと白い壁の落ち着いた店内である。母親と息子さん(30歳)が二人カフェを運営していた。窓際から、県庁通りの豊かな楠の並木が見え、人通りは少なく、秋を感じさせた。午後2時前、客はぼく一人で、しばらくすると、母親の知人の女性がはいってくるなり、二人は大きな声で、夢中で会話が弾みだした。ぼくは自分の書いた都市論の本を読んでいた。と、母親が、ふとぼくに気がついたようで、「ごめんなさいね、大声でしゃべってて」と声をかけられたので、「聞いていて面白い話しで」というと、二人とも気さくな感じをぼくに示しだしたので、ランパスというのがありましたが、こちらはどうでしたかと、話をきりだしたのであった。
 
 来店者の殺到による経営者側の消耗をつたえ、様子を聞くと、二人そろって、ここもそうだったといい、什器が足らず、皿から、カップから買い足したり、息をつくまもない注文をさばくのに疲労困ばいの毎日だったということだ。ただ店を経営するうえで、大きな宣伝効果となり、利益もあがったというのだ。夜の来店者も増え、終わって今も、前よりもお客はふえつつあるというのだ。また、ここは県庁や市役所の人が多く昼休みがあるので、長いする客はいなかった。そうした雰囲気とテーブルがないので、回転は十分であった。他の店の例を紹介してもらえたが、スタッフも数名おり、テーブルも数十名は収容かのうな、レストランでも満席と予約の殺到が生じ、温厚な店主が、みたこもない不機嫌な態度を示すようになったという。かれが言うには、店、店によってランパスが合う店とあわぬ店が出てくるのではないかと、自分の店は合い、来年一月の次回も参加するというのだった。

 話を聞きながらなるほどと、納得できるのであった。話を聞き終わって、改めて店内を見回し、店主の感情を推し量り、母親の心情を感じながら、200円の損得を軸に、人はなぜ貧魂になるのか、あるいはならずに済むのかが、心に残った。すくなくとも一つわかったことは、店が限界まで小店舗であったことがある。ただそんな物理的要因だけで、人は常軌でない動きをするとは、驚きである。いやもっと、根源的な状況があったのかもしれない。ランパス期間中、どの店舗がどうだったのか、その情報を知る必要がある。人は、いっしゅんで常軌を逸するのだ、意識の噴火を知る必要がある。
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晩秋とランチパス

2014-11-08 | 生き方
今度、またランチパスポートに参加するときは、500円で利益がでるようにやらねばと、店主夫婦は言う。1000万円の売り上げを達成した出版社と本屋に、死ぬほどの働きを、90日間無料奉仕したのが、日本国宮崎市(パスポートの表紙記載)の店主とその使用人たちは、そう決意するのは当然であろう。パスポートが終わると、だれも来なくなった店先で、店主夫婦はそう決意した。だが、どんなメニューが可能なのかと、頭をかかえるのであった。

 来店者は、来店者で、700円以上のランチが、ごまかしなく、そのまま提供されているかどうかについて、注意おこたりなかったのだ。写真と違ってないかどうか、これは序の口である。仲間の一人が通常料金で注文して、500円のものと、直接比べてみるという手段がとられたりと、こまかいですと言う。品質を落としたり、量を減らしたりは、いっぱつで見破られるというのだ。この話は、別でも聞いた。彼女はあるレストランの店の待合室で、あの店のこの料理はいいが、この料理はだめだとか、ことこまかに評価し、あの店はいい、この店はだめだと、お互いが、情報交換で盛り上がっているのだと話てくれた。

 800円が、500円になって感謝するどころか、だまされずに800円のものを500円でたべられたかどうかに、関心があるのだ。感謝もなければ恥じらいもない。やっている消費行動の意味も理解できない。「得」だけが、命なのである。世界がどうなろうと、明日がどうなろうと明日も過去も未来も、今だ、今、200円得したかどうかに、意識はすべて、そこに集約されている。こうしたランパス人のなかには、3ヶ月で40店舗以上を回って人もいるという。

 ある店では、使用人たちが、こういうのだそうだった。ただ今、1000円のお客さまお帰りですと、アナウンスされると、店舗内で、働いているシェフもウエイターたちも、ありがとうございましたの斉唱があがる。500円の客には、だれも言葉をかけないで無視したというのだ。ここにも感謝という行為は消滅した。この店に存在したものはなんのなのか。それは、ランパスが図らずも生みだた虚無であったと言えよう。実数と虚数を組み合わせた複素数は、現実社会を見事に示すこともあるのだと、感銘した。

 それにしても、2度目のランパスでは、レストランもまた実数になるべく、その難問を解いて欲しいものだ。それは、食事の貧魂を救うためにも必要である。
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ランチパスポート

2014-11-01 | 社会
  ランチがすべて500円になるとうランチパスポートが、7月25日に登場、10月24日で一回目を終わった。ランチパスポートというのは、ここ宮崎市近郊のレストラン、カフェ、居酒屋などで700円以上のランチが500円でたべられるという本(定価926円+税)である。店はパスポートに無料掲載できる。その代わり3ヶ月は700円以上のランチを提供、ランチタイム(12~14時)もちろん、定休を除く日は必ずランパスを利用できるようにしなければならないということになる。全国27都道府県・35エリアで発行中で、メディアも取り上げ、新規来客の空席の活用、知名度のUP、売り上げUPと、その実績が喧伝された。

 ランチタイムでも、ガランとしたカフェ、レストランの空しさと不安を解決する具体的方法として、輝くオーナの活動場を生み出せるグッドアイデアとして、店主たちにアッピールしていったのだ。

 オーナー夫婦二人が働くある小さなレストランで、7月25日、常連の一人が、今日は御免ねえとランチパスポートで500円を恥じらいながら差し出したという。毎日何人か、そういう客があり、新しい客も確実に増えてきた日々がつづくようになった。空席も埋まりだし、長年味わなかって平和な満たされた店の活気に癒されるようになった。しかし、急変が起きてきた。いきなり子連れの主婦たちが、グループとなって大挙押しかけるようになったのだ。八月は、夏休みの盛夏であったのだ。これをきっかけに店内は、来店者でごったがえす毎日になってきわわけだ。

 4人の主婦がこどもづれで、10席を占有、ぎゃーぎゃーと騒ぐこどもたち、ジュース、ジュースとねだるのを無視、彼女らはおしゃべりに夢中、ランチが終わっても、おしゃべりは長々とつづく。そして、こどもにジュースはなく、2000円を払ってやっと4人組はでていった。窓の外には順番を待つ来店者たちの行列。またすぐに別グループ、女たちの一人は、コーヒーはつかないのと、あきれたような顔をする。店の電話は予約でなり続ける。やっと一組が出て行くと、ただちに席は埋まる。息をつくどころか、常連と挨拶をかわす暇もない。

 やがておばさんグループが、やってくるようになる。一家族が夫婦子供を交えて、各人がランパスを持って、一家で日曜のランチする。なかには、世間話のつもりが、朝から、あちこちを回ってやっとここでみつけましたと、3時間の苦闘を告げる主婦たち、わずか200円でここまでやるかと、あきれかえるオーナー夫婦の反応も気づけない。この満席状態が、連日、つづくようになっていったのだ。やがて、午前7時には、予約電話がなりっぱなしになるようになった。午前10時開店まえには、行列ができる。

 店はごった返している。来客のほとんどが、席に着くなり、スマホを取り出して、一秒をも惜しんで、予約電話をパスポートをみながらかけ始めるのだ。おそらく予約がどこも困難らしい。しかし、どこまでも、探し求めて、予約にありつこうと、スマホに魅せられたように
電話をかけづつける来店者たち。ここでは、予約を断ると、激怒男が予約可能と書いてあるじゃないか、うそをつくのか。なに満席だ、ふざけるな、15分後にくるから用意しとけと、どなりつける。またもやこどもづれ4人組み、ランチ代2000円をランパス挟んで差出す、一言も言わずに。二人組みの中年女性、ランチが終わると、保険の契約書類の説明・記入がスタートする。どれほど、席順を待つ客が居ようとまったく気にもかけない。ランチタイム終わりのぎりぎりまで粘った一家は、午後5時まで予約可能な店に電話を掛け捲っていく。聞けば夕食を、そこで済ますのだというのだ。

 こうして、連日、開店前から行列ができ、予約電話は午前7時からなりっぱなし、昼間だけはもう線を抜くしかなかったという。そして、毎日信じられないようなお客に一件は当面するということになる。それはわずか200円の値下げのためにである。
 
 ランチパスポートをもって大型の自家用車でやってくる。年寄り連もやってきだした。あと一ヶ月がんばらなくちゃならないと、夫婦は、言う。
 
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